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忘却の代償

「威力勝負と行こう……」


長男の無機質な宣告と共に、周囲の空気が重低音を鳴らして震え始めた。


数百トンの鉄を凝縮したその巨体に、赤い電磁波が猛烈な火花となって散る。磁力による超圧縮――それは鉄と鉄を分子レベルで押し潰し、核融合に等しいエネルギーを溜め込む、自壊をも厭わないチャージだ。

 

対する須藤も、掌に収束させた「極限の液体」に、さらに未知の触媒を注ぎ込む。


核が激しく脈打ち、触れるものすべてを虚無へ還す暗緑色の光を放ち始めた。


(何故だ……何故あの死体のために、俺はこんなに……!)


須藤の思考は、すでにボロボロの空白だ。


足元に転がる、首を失った青年の名前すら思い出せない。なのに、視界が滲んで止まらない。拭っても拭っても溢れ出す熱い雫が、頬を伝って王水の霧に消えていく。


「涙……か……」


長男の赤いセンサーが、須藤の頬を伝う一筋の光を捉えた。

その瞬間、機械化された長男の顔に、わずかな「揺らぎ」が生じる。かつて自分も持っていたはずの、誰かのために泣くという機能。


長男の能力は、磁力で周囲の鉄を強引に肉体へ捩じ込むという、凄惨な自己改造だ。本来なら、一秒ごとに全身をナイフで刻まれるような激痛が走るはずの異能。


彼が1000ポイントで手にした購入券。その対価として彼が差し出したのは、「道徳心」だった。引き換えに得たのは、地獄の苦しみすら感じさせない「痛覚無効」。

痛みも、憐れみも、罪悪感も。すべてを捨てて「最強の兵器」となった長男。


対して、記憶を捨ててなお「悲しみ」という本能だけで戦う須藤。


「……理解不能だ。だが、その涙ごと消してやる」


長男の全身から、赤い電磁光が爆発的に膨れ上がる。


「……来い。全部、終わらせる」


須藤の掌の液体が、臨界点を突破した。


電磁壊滅砲マグネティック・イレイザー


万象溶解混沌流カオス・メルストロム!!」


練馬の空が、ねじ切れるような衝撃音と共に白一色に染まった。

 

長男が放つ、空気抵抗すら物理的に圧砕する赤黒い電磁の奔流。対する須藤が解き放ったのは、万物を原子レベルでドロドロに融解させ、同時に致死性の劇毒ガスを噴出させる暗緑色の渦。


両者の極大エネルギーが激突した瞬間、世界から音が消えた。直後、大気が悲鳴を上げ、日本全土を揺るがすほどの凄まじい衝撃波が同心円状に広がる。須藤の鼓膜は一瞬で弾け飛び、周囲に残っていたアイギス隊員も、ファミリーの下っ端も、コンクリートの残骸も、等しく木の葉のように吹き飛ばされた。


「……ッ、グ、アァァァッ!!」


威力は拮抗。だが、経験と冷静さで勝る長男が、周囲の瓦礫から更なる砂鉄を吸い寄せ、電磁砲の出力を上乗せした。


じりじりと押し込まれる須藤。制御しきれない奥義の余波で、彼自身の掌の皮膚は爛れ落ち、剥き出しになった赤い筋肉が激痛を訴える。


「お前なんかに……俺は……俺はァァ!! 負けへんのや!!」


須藤は残った片手で、能力で複数のアンプルを生み出した。カフェイン、ステロイド、強力な興奮剤、そして劇薬トラマドール。致死量に近いカクテルを自身の血管へ直接叩き込む。


心臓が爆発しそうなほどの鼓動を刻み、視界が真っ赤に染まる。


強制覚醒。


限界を超えた精神力が能力の質量を跳ね上げ、黄金の濁流が赤黒い電磁を押し返し始めた。


「終わりだァァァァァッ!!」


押し切った混沌の渦が、長男の腹部を直撃。数百トンの鉄を纏っていたはずの装甲が、一瞬でバターのように溶け、背後の景色がはっきりと見えるほどの巨大な風穴を穿った。

 

「ッ!……まだだ……! まだ俺は……!!」


長男が残った磁力で自らの体を繋ぎ止めようとした、その瞬間。


硝煙と酸の霧を切り裂き、須藤がすでに眼前に肉薄していた。


「いいや……終わりだ」


記憶を失い、名前すら忘れた男の、冷徹な死の宣告。

至近距離からゼロ距離で放たれた王水の奔流が、長男の頭部を、その傲慢な演算装置ごと、一滴の跡形もなく溶かし飛ばした。


「……終わった……のか……?」


荒い呼吸が肺を焼き、血管に叩き込んだ薬剤の反動が津波のように押し寄せる。二重にぶれる視界、破裂しそうな心音。

須藤の意識は、限界を迎えた機械がシャットダウンされるように、唐突に深い闇へと落ちた。



「ここは……?」


気づけば、見覚えのないはずの、けれど妙に落ち着く空間に立っていた。


名古屋ラボ。 記憶を失った須藤にとっては「知らない家」だが、身体がその空気感を覚えている。


「お、先輩! 長男撃破おめでとう!」


リビングのソファで、生意気な態度でテレビを眺めている青年――西村がいた。


その姿に、須藤の胸が締め付けられる。名前すら思い出せないはずなのに、魂が激しく揺さぶられる。

 

「あ、あぁ……」

 

「何ボケっとしてるんだよ先輩! 新宿に行かないとでしょ? ……あぁ、俺のことは忘れちゃってるか。……まぁでも、俺は……先輩のこと忘れないからな!」

 

西村は白い歯を見せて笑うと、背を向け、底の見えない真っ暗な廊下へと足を進めた。


「待って……! お前の名前は……!」


須藤は必死に手を伸ばし、駆け寄ろうとする。だが、どれだけ足を動かしても景色は遠ざかり、逆に背後の玄関へと強烈な力で吸い寄せられていく。


「先輩はまだ来ちゃダメっすよ?」


扉の向こう、まばゆい光の中に引きずり戻される瞬間、西村の背中が闇に溶けて消えた。




「……っは! ……なんだったんだ……」

冷たいアスファルトの上で、須藤は跳ねるように意識を取り戻した。


耳鳴りと頭痛。そして、頬を伝う冷たい涙。


重い足取りで、横たわる「名前の分からない死体」へと歩み寄る。


顔は潰れ、身元を確認する術はない。けれど、その亡骸の傍らに落ちていた折れた金属の円盤に触れたとき、須藤の指先が微かに震えた。


「新宿か……。そこに行けば、お前のことを知れるか?」


今の彼にあるのは、確固たる自分ではなく、ただ一つ残された「新宿へ行く」という強烈な強迫観念だけ。


ボロボロになった身体を引きずり、練馬を後にした須藤の背中に、冷たい風が吹き付けた。

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