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皮肉

「長谷川さん、助けてくれてありがとうございます。」

 

春瀬さんが安堵の吐息を漏らす。絶望的な毒の豪雨が降り注いだ瞬間、長谷川さんがその身を盾にして彼の前に立ち塞がったのだ。彼女の超常的な再生能力が1人の命を救うことが出来た。


「お礼はあとで。今は……こいつにお仕置きしなきゃね」


長谷川さんは氷のように冷たい声で言い放ち、倒れ伏した次女へとゆっくりと歩み寄る。その足音は、死神のカウントダウンのように静かに響いた。

 

「こ……来ないで! 化け物!」


次女は顔を引きつらせ、後退りしようとして自分の体に違和感を覚えた。

 

「化け物? ……それはあなたでしょ。その毒、制御しきれてないみたいね」


突き放すような長谷川さんの言葉に、次女は戦慄しながら自分の体を見下ろした。


そこにあったのは、瑞々しい子供の肌ではない。

自爆の反動か、あるいは長谷川さんの何らかの干渉か――彼女の四肢のあちこちが、どす黒く変質し、まるで石のように硬化した「毒の塊」と化していた。


「何よ……これ……」


次女はパニックに陥って呼吸が浅くなり、その硬化した部分を必死に爪で掻きむしる。だが、キィィィと嫌な音が鳴るだけで、自慢の猛毒でも、自身の爪でも、傷一つ付かない。


毒を操る女王だったはずの彼女が、今や自分の毒の残骸に、生きたまま封じ込められようとしていた。


「私に殺されるか、生きたまま永遠に閉じ込められるか、選んで」


長谷川さんの宣告は、氷のような冷徹さで次女の逃げ場を塞いだ。


次女の両足はすでにどす黒い毒の結晶と化し、地面に根を張ったように動かない。さらに毒は血管を逆流し、両腕の拍動を止め、指先の感覚さえも漆黒の静寂に呑み込ませていく。

 

「し……しに……死にたくない……」


さっきまでの傲慢さは微塵もなく、次女はただの怯えた子供のように涙を流し、懇願した。

 

「あんたの能力なら治せるでしょ! これを治してよ!」


絶叫に近いその問いに、長谷川さんは感情の失せた瞳で見下ろし、静かに吐き捨てる。


「私は病を治すことは出来ないの。ごめんね」


たとえ彼女にその術があったとしても、仲間を傷つけ、無辜の民を溶かし尽くしたこの「毒の主」に、救いの手を差し伸べることなど万に一つもあり得ない。

 

次女の肌は、徐々に血色を失い、硬質な鉱物のような質感へと変わっていく。


自分の放った毒が、自分の体という器を食い破り、内側から「永遠の檻」を形作っていく皮肉。

 

「……あ……あぁ……」


声帯までもが硬化し始め、次女の声は掠れたノイズへと変わった。


「ご……い゛て……」


もはや声帯すら毒の結晶に侵され、次女の口からは「殺して」という断片的な懇願しか漏れ出さない。死による解放を望むその濁った瞳。

 

「やだね」


「っ…………………」

 

長谷川さんの冷徹な一言が、次女にとっての最後の引導となった。解放の希望は潰え、絶望に染まったままの瞳で、彼女の肉体は完全に硬化。物言わぬ漆黒の毒石像へと変わり果てた。

 

長谷川さんはすぐさま春瀬さんと小森さんの元へ駆け寄り、能力を使って二人の体から毒を排除し、治療を施す。激痛と眩暈から解放された二人がようやく呼吸を整えた頃、長谷川さんは再び、石像となった次女の前へと立った。


「こうでもしないと、あんた生き返りそうね」


情け容赦のない言葉と共に、長谷川さんは右拳を固く握りしめた。

 

迷いのない一撃が、次女だった石像の顔面を真っ向から捉える。


――パキィィィン!!


硬質な破砕音が響き、次女の顔は粉々に砕け散った。再生の余地など微塵も残さない、徹底した破壊。

返り血すら浴びぬほど澄ました顔で、長谷川さんは二人に告げた。


「急いで新宿に戻るよ。ファミリーのボスを討ち取らなくちゃね」


彼女は乗り捨てられていた、窓ガラスが割れ、車体もボロボロになった軽自動車に二人を乗せた。エンジンの唸りを上げ、戦場となった墨田区を後にする。


ーーアイギス本部、最上階の執務室。


静寂な部屋に、重厚な革張りの椅子が軋む音だけが響いていた。モニターに映し出されるのは、新宿、墨田、そして各地で命を散らしていくアイギス隊員とファミリーの犠牲者数だ。

 

「良い感じに隊員とファミリーの数が減って来たな」

 

「あぁ、このまま全員死んだら良いが」


非情な言葉が交わされる中、突如として重厚な扉が蹴り破られた。

 

「やっぱな、そういうんが目的か」


稔隊長が、冷え切った殺意を瞳に宿し、ゴミを見るような目で上層部の男たちを睨みつける。その手には、新島を失い、次男長女を討ち、正の形見から真実を引き抜いた重みが乗っていた。


「何だね君は! さっさと出ていきなさい!」

 

「無理や。お前らを殺すまで、俺は絶対に帰らへんで」


隊長は迷いなくショットガンの銃口を、椅子にふんぞり返る一人の男に向けた。

 

「ま……まさか……真実を……!」


「あぁ、知っとるで。このゲームは、『最後の1人』になるまで終わらんのやろ?」


至近距離で放たれた衝撃が、上層部の頭部を跡形もなく吹き飛ばした。返り血を浴びても隊長は瞬き一つしない。

 

「ひいいぃぃ!」


腰を抜かしたもう一人の幹部が、窓から飛び降りて逃げようと這いずるが、隊長は流れるような動作で銃口を向け、再び引き金を引いた。背中に直撃した弾丸が、男の命を容易く刈り取る。

 

「ラス1……やな」


最後に残った男――この絶望的な作戦の指揮を執っていたはずの幹部に、硝煙の漂う銃口を突きつける。しかし、その男は怯えるどころか、汗一滴すら流さずに隊長を見つめていた。


「このゲームの主催者は誰だと思う」

 

「あ? お前らか国のどっちかやろ」


隊長の吐き捨てるような答えに対し、男は嘲笑うことすらなく、淡々と、しかし決定的な違和感を口にした。

 

「残念ながら、主催者は我々ではない。何故このゲームが突然始まったのか、疑問に思ったことはないかい?」


隊長は指を引き金にかけたまま、黙って言葉の続きを待つ。

 

「我々が考えに至ったのは、『自然現象』ということだけだ」


「自然現象? そんな訳あるか!……自然がこんな事出来るはずがない!」

 

隊長は怒りに肩を震わせ、ショットガンの銃口を男の額に強く押し当てた。冷たい金属の感触が男の肌に食い込むが、男は瞬き一つせず、虚空を見つめたまま言葉を続ける。

 

「落ち着け。自然と言うのはまだ未知数が多い。……いいか、これほどの『飛び抜けた技術』は、世界のどこの国も、どの組織も持っていないんだ。だから、最終的に我々人類には『自然現象』として考える他がないんだよ」


男の言葉には、絶望的なまでの「諦念」が混じっていた。


「……雷が落ちるように、地震が起きるように、この『ゲーム』は始まった。我々アイギスの上層部はな、ただその災厄に便乗し、生き残るための椅子を取り合っていただけの卑小な人間に過ぎない」

 

隊長の指が、引き金の上で微かに震える。


もしこれが、誰かの悪意で仕組まれた「計画」ではなく、抗いようのない「天災」だとしたら。正が、新島が、そして多くの隊員たちが命を落とした意味はどこにあるのか。

 

「……じゃあ何か。お前らは、ただの観客やっちゅうんか」


「観客ですらない。我々もまた、舞台の上で踊らされている駒だ。……稔、お前が今ここで私を殺しても、このシステムは止まらない。空を覆うあの影も、人々の喉元に突きつけられた『死のルール』も、何一つ変わらないんだよ」

 

本部の静寂が、隊長の耳の奥でキーンと鳴り響く。


「撃つなら撃て、こんなゲームさっさと抜けたい」


男は怯えるどころか、自ら震える銃口を掴み、自身の額へと力任せに押し当てた。その瞳には、世界の真理に触れてしまった者特有の、底知れない虚無が宿っている。

 

あまりにも理不尽で、あまりにも巨大な「自然現象」という回答。理解が追いつかない怒りと、拠り所を失った困惑で、隊長の指は引き金に掛かったまま硬直していた。


「お前が撃てないなら、俺が撃つ」


男が隊長の指の上から、迷いなく力を込めた。


凄まじい爆発音が密閉された執務室に反響し、鼓膜を震わせる。至近距離で撒き散らされた硝煙と鮮血が、隊長の視界を真っ赤に染めた。

 

「待て……親父……まだ……聞きたいことが……!」


隊長は手から滑り落ちたショットガンを顧みず、崩れ落ちる父の肩を掴んで激しく揺さぶった。しかし、問いかけに応える口はもう、この世のどこにも存在しない。


沈黙。


豪華な絨毯が血を吸い込み、モニターだけが無機質に各地の戦況を映し出し続けている。諸悪の根源だと思っていた者たちが、ただの「逃げ遅れた観客」だったという残酷な結末。


「……後は自分で考えろってか……クソが」


隊長は血に汚れた手で顔を拭い、一歩、また一歩と出口へ向かった。


正が遺した紙切れ、新島の死、長女と次女の最期。すべての点が、新宿という一点に向かって収束していく。

 

主催者がいようがいまいが、この地獄を終わらせる方法はただ一つ。


「最後の一人」になる前に、このシステムそのものをブチ壊す。


隊長はアイギス本部を後にし、黒煙の上がる新宿の空へと、その足を進めた。

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