末っ子
「あ……れ? さっきまで目の前にムキムキのおばちゃんが居た気が……」
新島さんは狐につままれたような顔で、辺りを見回した。新宿の喧騒も、五十重筋の老魔女の威圧感も消え失せ、そこには不気味なほどの静寂が広がっていた。
「お兄ちゃん……あれかな……」
「あぁ……きっとあれだ」
背後から聞こえてきた、幼くも冷徹な声。
振り返った新島さんの視線の先には、手をつないだ兄妹とおぼしき二人の子供が立っていた。
だが、その幼い外見に反して、放たれる殺気は歴戦の隊員である新島さんの肌をチリつかせる。
新島さんの網膜に、二人のステータスが焼き付くように浮かび上がった。
【家族団欒幹部:末っ子】
【プレイヤー名(兄):万象の確率を零に沈める者】
【保有ポイント:13,666pt】
【能力:絶対否定】
【プレイヤー名(妹): 万象の確率を百に導く者】
【保有ポイント:1,078pt】
【能力:絶対肯定】
一人は「ありえない」を作り出し、一人は「必然」を作り出す。
あまりにも理不尽な、因果律を操作する双子。
「へぇ……私とやろうってんなら、子供でも容赦しないからね」
いつもの「ハイテンションな新島さん」は、もうそこにはいなかった。
口角は下がったまま、瞳の奥からは一切の感情が消え、ただ「標的を排除する」ためだけの冷徹な狙撃手の眼光へと変わる。
彼女は愛用のドラグノフを無造作に、だが寸分の狂いもなく双子の眉間へと向けた。
【能力:剛毅不転】
一度狙いを定めた標的を、世界の果てまで視界から外さない視点追尾型。
本来、目が追えても体が追いつかなければ意味をなさないが、彼女の場合は逆だ。
目を動かすのが苦手な代わりに、捉えた獲物に合わせて**「体が勝手に最適解の動きをする」**。
その持ち前の超人的な狙撃技術と合わされば、放たれる弾丸は「必中」。外すことなど、物理的にあり得ないはずだった。
ガチリ、と引き金が落ちる。
新島さんの指先には、確実に双子の兄の眉間を撃ち抜いた感触があった。
だが——。
「……え?」
放たれた弾丸は、銃口を出た瞬間にあり得ない角度で折れ曲がった。まるで空間そのものに拒絶されたかのように、物理法則を完全に無視して四方の壁や地面へと、バラバラに飛び散っていったのだ。
眉間を貫かれるはずだった兄は、一歩も動かずに新島さんを見つめて鼻で笑った。
【絶対否定:弾丸が命中する確率を「0%」に固定】
「なんで……」
新島さんの手が、わずかに震える。
必中の能力と、必中の技術。その全てを注ぎ込んだ一撃が 「なかったこと」にされた。
「お姉ちゃんの鉄砲、壊れてるんじゃない?」
妹がケラケラと無邪気に笑い、新島さんを煽り立てる。
だが、その言葉に新島さんの心は揺るがない。
毎日、指先にオイルの匂いが染みつくまで繰り返してきたメンテナンス。ボルトの締め具合、スプリングの弾性、薬室の滑らかさ。自分の獲物の状態は、自分の血管の拍動よりも正確に把握している。
(……毎日欠かさずメンテしてるから、絶対壊れるはずがない。部品の不調でもなさそうだし……)
新島さんは冷徹に、今の「あり得ない弾道のねじれ」を脳内で再構築した。
風の影響でも、銃身の歪みでもない。空間そのものが、弾丸という事象を拒絶していた。
「当たる確率を……0にしたんだね」
新島さんが低く、確信を持って呟くと、双子の兄がこちらを小馬鹿にするような目で見下ろした。
「やっと気づいたか。お姉ちゃんがどれだけ頑張って狙っても、この世界に『当たる』という結果はもう存在しないんだよ」
兄の能力**【絶対否定】**。
それが発動している限り、新島さんの超人的な技術も、視点追尾の能力も、ただの無駄な足掻きに成り下がる。
(……確率は0。……でも、それって『当たった後の結果』まで否定してるわけじゃないよね?)
新島さんはライフルのスコープから目を離さず、周囲の瓦礫や、双子の背後にあるガスタンクを、一瞬で「地形」として再計算し始めた。
「0を100にするのは難しいけど……0じゃない場所を狙うのは、私の得意分野なんだよね」
新島さんの口角が、わずかに吊り上がった。
それは、いつものハイテンションな笑顔ではなく、獲物を確実に追い詰める「猟師」の笑みだった。
新島さんの指先が、一切の迷いなく引き金を絞った。
放たれた弾丸は、双子の体を避けるように歪な軌道を描いたが、その先にある巨大なガスタンクへと吸い込まれるように着弾した。
金属が弾ける鋭い音が響き、タンクに風穴が開く。だが、そこから引火して爆発が起きる気配は微塵もなかった。
「あはは! 爆発しない確率を100にしちゃえば意味ないもんねー!」
妹が勝ち誇ったように叫び、双子は揃ってガスタンクの方向へ視線を向けた。
その光景を、新島さんはスコープ越しに、心拍数すら上げずに観察していた。感情を切り離した彼女の脳は、一秒にも満たないコンマ数秒の挙動から、双子の「絶対」という壁の裏側を暴き出す。
(……二人が同時にガスタンクを見た瞬間、ガスの漏れすら止まった。対象物は二人の視界内にないと発動しない。それに……)
新島さんの指が、次弾を排莢し、装填する。
(「爆発する確率を0」にしたんじゃなく、「爆発しない確率を100」にした。つまり、一人が『否定』を使い、もう一人が『肯定』を上書きする……確率を交互に掛け合わせることで、初めて事象を固定しているんだね)
もし二人の能力が完全に独立して常時発動しているなら、わざわざ視線を移す必要はない。視界という制約、そして「否定」と「肯定」のスイッチング。
「……種明かしが終われば、ただの品行方正な子供たちだね」
新島さんは、再び銃口を双子へと向けた。
今度は眉間ではない。彼らの「足元」と「周囲の遮蔽物」……そして、二人の視線が同時に追いきれない複数の特異点へと。
「お兄ちゃん、お姉ちゃんの目が、さっきより怖くなってる……」
「……黙ってろ。当たらなければ、何を考えていようと同じだ」
兄の動作よりも早く、新島さんの体が「最適解」へと滑り出した。
スコープの視線は工事現場へと滑る。
吊り上げられていた鉄柱、その接合部にレティクルが重なった。
引き金を引く。
次の瞬間、支えを失った鉄柱が、轟音と共に双子へと降り注いだ。
兄が咄嗟に右手をかざし、その「直撃する確率」を零へと沈めた。鉄柱は物理法則をあざ笑うかのように軌道を逸らし、双子の傍らへと叩きつけられる。だが、新島さんはその隙を見逃さない。
「当たらない」という事象を固定するために兄が全神経を注いだその瞬間、新島さんは兄の眉間にレティクルを合わせ、引き金を絞ろうとした。
……しかし、指が動かない。
「引き金が引けないなんてかわいそー!」
妹が指を突き出し、勝ち誇ったように笑う。新島さんの指が引き金が引けない確率は、彼女によって強引に百に固定されていた。
だが、新島さんの表情に焦りはない。
その鼻腔を、ツンと刺すようなガス漏れの臭いが掠めた。
直後、背後のガスタンクが凄まじい火柱を上げ、大爆発を起こした。爆風が双子を直撃し、手をつないでいた二人は左右に大きく吹き飛ばされ、距離を引き離される。
「兄に頼らなくても生きていけるようになんなくちゃね⭐︎」
新島さんが、いつもの軽薄な調子を少しだけ取り戻して言い放つ。
(なるほどね……一度『肯定』を掛けたものは、目を離しても確率は維持されたまま。でも、別のものに新しく『肯定』を上書きすると、前に掛けていたものは本来の確率に戻る……)
さっきまで「爆発しない確率100%」だったガスタンクは、妹が新島さんの指を止めるために能力を転向した瞬間、溜まっていたガスに引火して本来の爆発を引き起こしたのだ。
「お兄ちゃんっ……!」
「バカ! 何してる! 少し考えれば分かるだろ、能力を解くんじゃねぇ!」
爆風の中で離れ離れになった二人が、顔を真っ赤にして怒鳴り合う。どれほど神に近い能力を持っていても、精神性はまだ未熟な子供そのものだった。
「兄妹喧嘩は良くないねぇ……。喧嘩両成敗と行こっか⭐︎」
新島さんの**【剛毅不転】**が、今度はバラバラになった二人を別々の銃口で捉える。
片方の手にはライフル、もう片方の手にはサブウェポン。
二人がお互いを見捨てられず、かつ別々の事象に対処しなければならないこの状況。
確率操作の「計算式」をパンクさせる準備は整った。
新島さんは一瞬の隙も逃さず、ショップメニューを高速で操作した。
【購入アイテム:煙幕弾】
「私のなけなしのクレジット、持ってけ!」
1,500Crから捻り出した一投。それはまるで最初から足元に転がっていたかのような自然な動作で、双子の妹の足元へと正確に蹴り飛ばされた。
妹が「発動しない確率」を操作しようと指を動かすよりも早く、新島さんの左手がサブウェポンのベレッタM9を抜き放つ。
銃声と共に、空中でスモークグレネードが弾けた。
(片方の目を潰せば、確率は変えられない……!)
視界が能力の発動条件である以上、真っ白な煙に巻かれた瞬間に「対象を認識する」というプロセスが遮断される。双子の連携、その要である妹の視界が完全に奪われた。
「お兄ちゃん! 何も見えないよ!」
「落ち着け! 適当に能力を……」
妹の叫びに気を取られ、兄の意識がわずかに逸れた。
その刹那、新島さんの**【剛毅不転】**によって導かれた身体が、音もなく兄の背後へと回り込んでいた。
後頭部に突きつけられた、冷たい鉄の感触。
「もう一度言うけど、私……子供相手でも容赦しないから」
感情を削ぎ落とした、冬の夜風のような冷徹な声。
兄が「話し合い」しようと振り返る暇さえ与えず、新島さんは迷うことなくベレッタM9の引き金を絞った。
「まっ…!」
至近距離で放たれた一撃が、因果律の壁を物理的な威力で叩き割り、兄の頭部を貫いた。
確率を操る神のごとき双子の兄は、一言も残せず、崩れ落ちるようにその場に沈んでいく。
「お兄ちゃん……? うそ……嘘だよね……っ!」
煙幕の中から、絶望に染まった妹の叫びが響き渡る。
だが、新島さんの銃口は、すでにその声の主へと向けられていた。




