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始まり

翌朝、早朝7時。


集合まではまだ3時間あるが、じっとしていられず俺はキャンプの周りを歩き出した。


周囲を見渡せば、極限の緊張を振り払うようにランニングに励む者、物陰で声を殺して泣く者、あるいは最後になるかもしれない食事を囲んで無理に談笑する者……。数万人の「生」と「死」が入り混じった、異様な光景が広がっていた。

 

ふと、ビル風が吹き抜ける高台に目をやると、昇り始めた太陽の光を浴びながら、荒廃した新宿の街を見下ろしている後ろ姿があった。

 

「石井さーん! 何してるんですか?」


俺が声をかけると、その人——石井さんは、ゆっくりとこちらを振り返った。

 

「なんだ、ケンヤか」


相変わらず素っ気ない。けれど、昨日までの戦いを共に潜り抜けてきたせいか、その声にはどこか突き放しきれない温かみがあった。


石井さんは再び、瓦礫の山となった街並みに視線を戻し、独り言のように言った。

 

「俺はこの先の展開を知らない。……何度もやり直せる能力だが、今をやり直しているわけじゃない」


石井さんは、昇る太陽を眩しそうに見つめて言った。


彼がこれまで何度死にかけ、どこからやり直してきたのかは分からない。でも、この「決戦前夜」から「作戦当日」へと続く時間は、彼にとっても初めて踏み出す、未知の未来なのだ。

 

「……やり直せるからって、怖くないわけじゃないんですね……」


俺が小さく呟くと、石井さんはフッと自嘲気味に口角を上げた。

 

「当たり前だ。……痛みも、仲間が死ぬ瞬間の絶望も、全部覚えたまま戻るんだぞ。……だから、この『初見』のまま、二度とやり直さずに済むのが一番いい」


石井さんは、腰の剣を軽く叩いた。


彼にとっては、この「今」が、何周目かのやり直しでようやく辿り着いた最高到達点なのかもしれない。

 

「……ケンヤ。お前の『未来視』だけが、この先の暗闇を照らす唯一の光だ。……頼りにしてるぞ」


石井さんが、初めて俺の目を見てそう言った。




午前10時。


開戦の咆哮とともに、数万の軍勢が雪崩のように都庁へ向かって突き進む。


俺も短剣を握りしめ、ただがむしゃらに地を蹴った。アドレナリンが全身を駆け巡り、恐怖を塗りつぶしていく。


だが、ふと振り返った視界の隅に、激流のような進軍の中でただ一人、彫像のように立ち尽くす石井さんの姿が見えた。

 

「石井さん! 何してるんですか、行きますよ!」


駆け寄り、その肩を掴もうとした瞬間だった。


「うあぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


鼓膜が震えるほどの、魂を削り出すような絶叫。

それは戦いの雄叫びではなく、深淵に突き落とされた人間が上げる断末魔のようだった。


「石井さん! しっかりしてください! どうしたんですか!」


俺が叫びながら肩を揺さぶると、石井さんは絶叫を終え、まるで氷水に浸けられたかのようにガタガタと全身を震わせながら、虚空を見つめて呟いた。

 

「無理だ……無理無理無理無理無理無理……無理……」


心臓が跳ねた。


今朝、彼は「この先の展開を知らない」と言っていた。だとしたら、今この瞬間に彼が見たのは——。


俺は戦慄しながら、最悪の可能性を確かめるべく問いかけた。

 

「何回……やり直したんですか……?」

 

「200万から……数えてない……」


その言葉を最後に、石井さんの瞳から光が消え、糸が切れた人形のように崩れ落ちて意識を失った。

 

突撃の足を止め、隊長や長谷川さん、名古屋ラボの面々が血相を変えて駆け寄ってくる。


「どうしたんや! 石井がなんで倒れとる!」

 

「多分……やり直し過ぎて、精神が……」


俺の答えに、隊長の顔が驚愕に染まる。


200万回。気が遠くなるような回数の「死」と「失敗」を、石井さんはこのわずか数秒の間にループして味わってきたということか。

 

「長谷川! 治せんか!?」


隊長が怒鳴るように指示を飛ばしたが、長谷川さんは青ざめた顔で首を横に振った。

 

「無理よ……! 身体損傷ならまだしも、壊れてしまった精神の修復なんて、私の能力じゃできへん……!」


数万の兵が都庁へ突っ込んでいく背後で、俺たちの時間は残酷に止まっていた。


石井さんが200万回やり直しても「無理だ」と絶望した、その先に待つ怪物。


(……200万回殺されても、勝てなかったのか……?)


「しゃーない、長谷川! 石井をテントで休ませて後で情報を聞け! 俺達はこのまま突撃する!」


隊長の断腸の思いがこもった号令が響く。石井さんという最大の「切り札」を欠いたまま、俺たちは走り出した。

 

新宿の街は、一瞬にしてこの世の地獄へと姿を変えていた。


アイギスの精鋭たちが放つ重火器や能力に対し、ファミリーは圧倒的な「数」と「狂気」で押し寄せる。進軍開始からわずか5分。アスファルトの上には、敵味方の区別もつかないほど無残な死体や、引き千切られた手足が転がっていた。

 

視界の端では、建物をなぎ倒しながら車が宙を舞い、異形へと変身した隊員たちがファミリーの群れを肉片へと変えている。

 

だが、その混沌とした戦場の中——。


俺の「未来視」が、あまりにも鮮明で、あまりにも残酷な光景を網膜に焼き付けた。

 

(……!? 隊長が……消える!?)


次の瞬間、隊長がいたはずの空間が、目にも止まらぬ「何か」によって粉砕され、肉片一つ残らず跡形もなく吹き飛ぶ未来。

 

「隊長! 下がって!!」


俺は思考よりも先に体が動いていた。


痺れる右腕の感覚を無視し、隊長の背中にある防護服を力任せに掴む。そのまま、自分の全体重をかけて後方へと引きずり戻すように投げ飛ばした。

 

俺が隊長をどかした直後、ついさっきまで彼が立っていた場所に、巨大な「衝撃」が着弾した。


爆発ではない。ただの「拳」だ。

 

巻き上がった噴煙の中から、50層に重なり合った筋肉を「鋼」のように隆起させた、あの老婆が姿を現した。

 

「……おや、今のを避けるネズミが混じっていたのね」


【プレイヤー名:鋼の老魔女スティール・ウィッチ


【保有ポイント:4,864,056pt】


【能力:五十重筋マイオ・フィフティ・レイヤ

 

彼女が軽く地面を蹴っただけで、周囲にいた十数人の隊員たちが衝撃波で文字通り粉々に弾け飛んだ。

 

「……! なんや、今のは……」


地面に転がされた隊長が、冷や汗を流しながら、自分が死んでいたはずの場所を見つめている。

 

200万回の絶望の正体が、今、俺たちの目の前に立っていた。

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