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確率

テントの外に集結した数万人の隊員たち。その重苦しい沈黙を破るように、隊長の声が響いた。


「よし、全員揃ったな」


全国のアイギス精鋭から末端の戦闘員まで、一人の欠けもなくそこにいた。全滅した高知部隊の分まで背負うかのような、決死の表情。

 

だが、隊長の口から出た「作戦」は、あまりにも無謀で、あまりにも血生臭いものだった。

 

「上による作戦は、正面から凸るそうや」


その瞬間、場が凍りついた。


数万の兵が、一人の怪物に向かって正面から突撃する。それは作戦と呼ぶにはあまりに原始的で、犠牲を前提とした「肉の壁」に他ならない。

 

「あらゆるシミュレーション行った結果が正面突破だそうだ。上も馬鹿やなぁ……」


隊長は自嘲気味に笑いながら、手にしたタバコを地面に踏みつけた。

 

50層の筋肉を持つ「鋼の老魔女」。


その絶大な強度とスピードに対し、絡め手は通用しない。数万の命を注ぎ込んで、その筋肉の限界を叩き割るしかない――本部の冷徹な計算が、俺の「未来視」を待つまでもなく肌で伝わって来る。

 

(……正面突破。本当に、それで勝てるのか?)


俺の痺れる右腕が、再び小さく震え始める。


沈黙が支配する中、隊長が配り始めたのは「遺書」と書かれた一枚の紙だった。

 

「名前と文を書き終わったら箱の中に入れてな〜」


隊長はあえて軽く言っているが、その紙の重みは尋常じゃない。正面突破という作戦が、事実上の「死兵」としての突撃であることを突きつけられた。周りの隊員たちも、途中で止まったり震える手でペンを握りしめている。

 

だが、俺はその紙を、迷うことなく両手で破り捨てた。

 

ビリッ、という乾いた音が静まり返った場に響く。

隊長が驚いた顔で俺を睨みつけ、「何しとるんや!」と声を荒らげた。

 

「俺は……死ぬ為に戦ってるんじゃないんですよ……生きる為に戦ってるんです!」

  

その言葉をぶつけた瞬間、空気が変わった。


俺の言葉に呼応するように、隣にいた石井さんや新島さん、そして後ろに控えていた名古屋ラボの戦闘員たちが、次々と自分の遺書を破り捨て始めた。

 

あちこちで紙が破れる音が重なり、地面には白く細かい紙屑が散らばっていく。


誰一人として、死ぬ準備なんてしていない。全員の眼光が「生きて帰る」という意志だけで燃え上がっていた。

 

「……ははっ、ほんまにクソガキやな」


隊長が、呆れたように、でもどこか嬉しそうに笑って、自分の分の遺書もグシャグシャに丸めて投げ捨てた。

 

「ほな、全員! 遺書は書かんでええ! その代わり、死んだら承知せぇへんからな!」


「了解!」


数万人の覚悟が一つに重なり、その咆哮が新宿のビル群を震わせた。

 

決行は明日、午前10時。


死を覚悟した「遺書」を破り捨て、生きて帰るための準備を整えるべく、隊員たちは各々のテントへと散っていった。

そんな喧騒の中、俺はあることに気づく。

 

(……長谷川さんの姿が見えないな)


怪我人の多い医療テントを片っ端から当たってみたが、どこにもその姿はなかった。


最後に残ったテントの入り口に手をかけようとした、その時。


中から、微かに鼻を啜るような泣き声が聞こえてきた。

入っていいものか。躊躇して立ち止まった俺の気配を、彼女は見逃さなかった。

 

「夕凪ちゃん……? 気配隠せてないよ」


その声は、生まれたての子鹿の足みたいに、今にも折れそうに震えていた。

 

「入って……良いですか?」

 

「うん……」


恐る恐る幕をめくって中に入ると、そこには、すでに息絶え、血まみれになった隊員の手をぎゅっと握りしめている長谷川さんがいた。

 

「私……ダメだね……。子供の前で泣いて……。重症の隊員も治せなくて……」

 

彼女は顔を上げないまま、自分を責めるように呟いた。


長谷川さんの能力『神癒神展アスクレ・ピオス

自分自身に対しては、死なない限り何度でも蘇る「不死身」に等しい治癒力を誇る。

 

けれど、他人に付与する場合はそこまでの万能さはない。骨を繋ぎ、切断された部位を結合させることはできても、損傷した内臓の復元や、失われた血液を戻すことまではできないのだ。

 

目の前の隊員は、きっと腹部をひどくやられたのだろう。


自分は何度死にかけても平気な顔で起き上がれるのに、目の前の仲間を一人も救えない。

 

その残酷なまでの「治癒の限界」が、彼女の心を摩耗させていた。


「……長谷川さん」


「助けれなかったじゃないです、助けようとした。それだけでも充分です……。死ぬって言うのは確率だと思ってます。今俺が心臓麻痺で死ぬかもしれない、明日、戦いで死ぬかもしれない。そういう確率の中で、俺たちは生きてます。その手を握っている人も、死ぬっていう確率を引いただけです。長谷川さんのせいじゃありません……」


慰めとしては、少し冷たく聞こえたかもしれない。


でも、これがこの狂ったゲームの世界で生き残ってきた俺の、精一杯の本音だった。


しばらくの沈黙の後、長谷川さんはゆっくりと立ち上がった。


顔を上げると、その瞳はまだ赤かったけれど、そこには「名古屋ラボ」の隊員としての強さが戻っていた。


「……夕凪ちゃん。あんた、ほんまに可愛くないこと言うね。……でも、おおきに。ちょっとだけ、胸が軽くなったわ」


彼女は亡くなった隊員の顔にそっと布を被せると、俺の方を向いて無理に微笑んだ。

 

「確率は、自分で変えるもんやね。……明日の10時、あんたがその『死ぬ確率』を引かんように、私が全力でサポートしたる。……たとえ私の体がバラバラになってもね」


長谷川さんは、自分の胸を叩いていつもの調子を演じてみせた。

 

けれど、その指先はまだ微かに震えている。

 

「……さあ、もう寝なさい。明日、あんたらが死んだら困るんやから」

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