初仕事
嫌な予感は、いつも最悪の形で的中する。
平和なはずの商店街。買い物客の声や、焼き鳥の焼ける匂いが漂う日常のすぐ隣。
ポスターと同じ、少しサイズの合わない服を着た子供が、音もなく路地裏の影へと消えていった。
(見つけた……!)
報酬の5万円が頭をよぎり、足が自然と動く。
けれど、路地裏の一歩手前で、俺の全身の毛穴が逆立った。
「……っ!」
あの感覚だ。脳の芯を直接冷たい針で刺されるような、おぞましい共鳴。
――プレイヤーがいる。
しかも、今までの連中とは違う。おばあちゃんのような暴力的な熱量とも、あの念力使いのような執拗な粘り気とも違う。もっと無機質で、それでいて底知れない「何か」がそこに潜んでいる。
俺は『十刻縮延』のスイッチに指をかけ、影の濃い路地へと足を踏み入れた。
そこには、行き止まりの壁を背にしたあの子供と。
そして、その子供を慈しむように、あるいは「検分」するように見つめる一人のプレイヤーが立っていた。
「……三浦会の『新入り』か」
影の中から、声が響く。
その声は、三浦のすぐ後ろにいた、あの小柄な男のものだった。
「なんで……なんでその子を狙うんだ!」
叫びは、湿った路地裏の壁に虚しく吸い込まれた。
小柄な男は、表情一つ変えずに俺を見下ろしている。その瞳には、俺という人間への興味など微塵も感じられない。
「知らなくてもいい事だ。……行け、新入り。お前の仕事はこれで終わりだ」
冷たくあしらわれ、俺は一度、足を止めた。
そうだ。ここで首を突っ込めば、せっかく手に入れた安息(三浦会)を失う。自分の命が一番大事だ。見殺しにすればいい。それだけで済むはずだった。
「たすけ……て……!」
子供の、枯れた声が響いた。
それは、大人が作るどんな芝居よりも、純粋で、剥き出しの「死への恐怖」だった。
その瞬間、頭で考えるより先に、俺の右手がサバイバルナイフを抜き放っていた。
「あああああッ!!」
加速する世界の中で、俺は男の胸元へと肉薄した。
刃が吸い込まれるように、男の体を貫く。
一度、二度、三度。
あの時の念力使いと同じように、俺は狂ったようにナイフを突き立て、男の体をズタズタに引き裂いた。
だが。
「……ッ?」
おかしい。
手に伝わる感触が、あまりにも軽すぎる。肉を断ち、骨を砕くあの嫌な手応えが、どこにもない。
それに、脳内が静かすぎるのだ。
いつもなら、鼓膜を震わせるはずの「プレイヤー撃破」のアナウンスも、ポイント移動の通知も、一切流れてこない。
ふと視線を上げると、俺の目の前で男は血を流すこともなく、無感情な表情のまま立っていた。
そして、後ろにいる子供も。
助けを求めた、あの絶望の表情のまま、瞬き一つせず静止している。
「な……なんだ、これ……」
路地裏を吹き抜ける風の音が消えた。
俺が刺していたのは、男なのか? それとも、最初から何も存在していなかったのか?
瞬きは、一秒にも満たない断絶だったはずだ。
だが、再び目を開けた時、俺の目の前には血溜まりも、ズタズタになった男の死体も、泣き叫んでいた子供の姿もなかった。
湿ったアスファルトの上には、俺が踏み締めた足跡だけが虚しく残っている。
(消えた……? 殺したはずなのに……いや、刺した感触すら、最初から……)
俺は半ばパニックになりながら、三浦会の拠点へと走り戻った。
重い扉を押し開け、執務室へ飛び込む。そこには、三浦の影に隠れるようにして、あの小柄な男が平然と立っていた。
「……ッ、お前! あの子供をどこへやった! 答えろ!」
俺の怒声に、室内の空気が一瞬で凍りつく。
大柄な護衛たちが一斉に俺を組み伏せようと動くが、三浦がそれを手で制した。
小柄な男は、ゆっくりと俺の方を振り返った。その瞳には、路地裏で刺された時と同じ、生物的な感情の欠片も見当たらない。
「子供……? 何の話だ。君は迷子探しを命じられて、手ぶらで戻ってきた。それだけが事実だ」
「とぼけるな! 俺は確かにお前を刺した! あの路地裏で……!」
俺の必死の訴えに、男は口角をわずかに歪め、憐れむような声を漏らした。
「さぁね。"幻覚"でも見ていたんじゃないか? ――慣れない殺人と、北の寒さのせいでね」
その言葉に、三浦がクスクスと低く笑い始める。
男は俺に歩み寄り、耳元で、周りには聞こえないほどの小さな声で囁いた。
「いいか、新入り。この世界じゃ、『見えているもの』が真実だとは限らない。 ……次は、もう少しマシな夢を見るんだな」
「テメェ……ッ!」
右手に隠したサバイバルナイフの柄を、指が白くなるほど強く握りしめる。
殺意。それは、俺が今までに向けたどんな感情よりも鋭く、熱い。
だが、その殺意に呼応するように、俺の網膜に「真実」が投影された。
【プレイヤー名:虚実混淆】
【保有ポイント:286pt】
【固有スキル:五感操作】
「……っ、2、86……?」
血の気が引いた。
おばあちゃんよりも、あの念力使いよりも、遥か高みにいる怪物。
286点。この街で彼に「幻」を見せられ、自分が何に殺されたかも分からずに果てていった者たちの、累々たる屍の数だ。
小柄な男――『リアリティー・ライアー』が、ゆっくりと俺に視線を合わせた。
先ほどまでの小馬鹿にしたような笑みは消え、そこには凍りつくような、明確な「排除の意志」が宿っている。
「……気づいたか、新入り。だが、知らなくていいことに触れる指は、根元から切り落とすのが私のやり方でね」
彼の周囲の空気が、微かに歪んだ。
視覚、聴覚、嗅覚。俺が「現実」だと思っているすべてが、彼の指先一つで書き換えられる。
俺が見ている三浦の姿も、この部屋の壁も、もしかしたら俺が握っているナイフの重みさえも、すでに彼の「掌の上」なのかもしれない。
「三浦さん。……この『ガキ』、使い物になりませんね。ここで処分しても?」
男は俺を見つめたまま、淡々と死刑宣告を口にした。




