同期
その頃、長野――アイギス本部の裏手に広がる、人影のない屋上。
激しい雨の中、稔隊長は一人の男と対峙していた。
「……正……お前やろ?……幹部殺しは……」
雨に濡れるのも構わず、隊長は震える声で問いかけた。
黒のフードを脱ぎ捨て、そこに立っていたのは、かつての同期であり、現在は本部の部隊指導官を務める男、如月正だった。
「稔か……久しぶりだな。官舎以来か?」
如月は、旧友との再会を喜ぶような、それでいて冷めきった笑みを浮かべた。その周囲では、降り注ぐ雨粒が触れる瞬間に蒸発し、パチパチと青白い火花が散っている。
「質問に答えろ……幹部殺しは……お前か……?」
「そうだ……と言ったら?」
肯定の言葉が、雨音を切り裂いて隊長の耳に届く。
その瞬間、隊長の顔から余裕が消えた。煮えくり返るような怒りと、引き裂かれるような悲しみが混ざり合った、歪な表情で如月を睨みつける。
「全力で、拘束する」
隊長の前に、システムが無慈悲な数値を表示した。
【プレイヤー名:雷豪靁冥】
【保有ポイント:3841pt】
【能力:雷真放電】
「止めてみろ……」
如月の身体が、眩い閃光とともに消失した。
否、消失ではない。自分自身を純粋なエネルギーへと変換し、如月は「雷」そのものとなって空間を駆けた。
「逃がすかぁ!!」
隊長もまた、瞬時に能力を切り替える。
いつもの軽薄な態度はどこにもない。地面を爆ぜさせ、閃光を追いかけるようにして雨の中へと飛び込んだ。
一瞬で音速を超える追走劇。
雨が降るこの状況は、如月にとって最大のバフがかかる独壇場だ。
激突する二つの影。
如月が無数の雷撃を放つ。
稔隊長は紙一重で受け流し、逸らしていく。
周囲の建物に被害が出ないよう、すべてを自分の間合いで処理する。だが、如月の狙いは肉体の破壊だけではなかった。
「稔……プレイヤーである上層部が、なんで前線に出ず、のうのうと生きてるか知ってるか!」
「知らんがな! 喋る暇あったらその手を止めんかい!」
隊長の叫びを嘲笑うように、如月は残酷な真実を叩きつける。
「奴らは、プレイヤーになった子供を騙し、安全な場所からその命を収穫してポイントに変えているんだ! 俺が殺した連中は、全員その『収穫』に手を染めた連中だよ!」
「っ……!?」
一瞬、隊長の動きが止まる。
脳裏に浮かんだのは、西成で泥をすすっていたケンヤの姿だった。
その隙を突くように。隊長の通信機に本部からの緊急信号が割り込む。
「なんや、今取り込み中や!」
『如月正は危険人物だ。……拘束は不要。』
通信越しに聞こえる、感情を排した本部の声。隊長の瞳が、戸惑いに揺れる。
「……何……言ってるんや……」
『殺せ、と言っているんだ。アイギスの秩序のために』
如月はその通信の内容を察したのか、悲しげに、それでいて全てを諦めたような笑みを浮かべた。
「本部からだろ? ……稔。友達の命と、組織の命令。どっちを選ぶ」
如月の全身から、これまでとは比較にならないほどの電光が噴き出す。
雨水が触れるたびに爆ぜ、白光が夜の街を真昼のように照らし出した。
「選べよ、稔! 俺を殺さなければ、次はお前の後ろにいる子供――夕凪ケンヤが、奴らの『収穫物』にされるかも知れないんだぞ!」
「黙れ……黙れぇ!!」
隊長の声が、雷鳴にかき消される。
土砂降りの雨が、視界を白く染め上げる。
稔隊長は、葛藤に身を焼きながらも、その手だけは冷静に次の「手」を選択していた。友を殺すことも、組織に従うこともできない。ならば、残された道は一つしかない。
「拘束して、頭を冷やさせな……!」
隊長が指を弾くと同時に、如月の周囲の重力軸が捻じ曲がった。
【能力:方向下方】
「ぐっ……!?」
雷となって空間を滑っていた如月の身体が、不可視の圧力に叩きつけられ、コンクリートの地面へと急降下する。激しい衝突音とともに、足元の地面に蜘蛛の巣状のヒビが走り、泥水が跳ね上がった。
「正、もうやめろ! お前の言うことが本当なら、俺が上層部に掛け合ってやる! 内部調査でもなんでもさせてやるから!」
泥にまみれた友へ、隊長は必死に声を絞り出す。だが、如月は血の混じった唾を吐き捨て、絶望に満ちた瞳で隊長を見据えた。
「無駄だと言っている……! お前が向き合おうとしているのは、そんな綺麗な組織じゃない。稔、お前は……優しすぎるんだよ!」
如月が地面を強く叩いた。その瞬間、周囲に降り注ぐ無数の雨粒が、青白い光を帯びて牙を剥く。
空から降る水滴の一つひとつが「避雷針」となり、如月の放った高圧電流を隊長へ向かって誘導する。逃げ場のない水の檻。だが、隊長の反応速度はそれを上回っていた。
「……切り替え、早いな……!」
如月が舌打ちする。隊長の周囲に浮かび上がるステータスが、瞬時に書き換えられた。
【能力:水流操作】
隊長は迫り来る雨水を文字通り「掴み」、自身の周囲に巨大な水の壁を構築した。電撃はその水の盾を伝って地へと逃げ、隊長の身体には火花一つ届かない。
防がれたと見るや、如月は再び雷光と化し、その場から離脱を図ろうと背を向けた。
「待て、正!!」
稔の叫びは、激しい雨音にかき消された。
雷光となって逃走を図る如月。その背中を追いながら、稔は奥歯を噛み締める。先ほどまでの説得は、如月の放つ凄まじい殺意と、自分に向けられた本部の冷酷な指令によって虚しく霧散していた。
如月は、雨を導線にしてさらに加速する。その移動速度はもはや人の域を完全に超え、青白い光の尾を引いて夜の闇を切り裂いていく。
「……逃がすわけ、ないやろ!」
【能力:磁場支配】
稔が瞬時に能力を切り替える。
逃走経路にある街灯やガードレールの金属が、稔の意志に呼応して凄まじい磁力を帯びた。
バチバチと火花を散らしながら、周囲の鉄柱が如月を包囲するように捻じ曲がり、巨大な檻となって行く手を塞ぐ。
「無駄だ、稔!!」
如月は止まらない。
檻に触れる寸前、彼は自らの電圧を極限まで引き上げた。轟音と共に鉄柱が真っ赤に焼き切れ、溶け落ちる。雷真放電の熱量と破壊力が、稔の磁場を力ずくで突破した。
「はぁ、はぁ……ホンマ、可愛げのない男や……」
連続する高ランク能力の切り替え。稔の脳には、焼き付くような負荷がかかり始めていた。視界がわずかに歪む。
一方の如月もまた、無傷ではなかった。無理な突破を繰り返した代償か、その身体からは制御しきれない電気が漏れ出し、雨に触れるたびに痛々しく爆ぜている。
二人は、誰もいない長野の旧市街地、その高台にある公園へと辿り着いた。
如月が足を止め、振り返る。その顔には、かつて訓練兵時代に見せていたような、どこか清々しささえ感じさせる険しい笑みが浮かんでいた。
「……稔。お前、さっきの通信を聞いただろう」
如月が、じりじりと足元の芝生を焦がしながら一歩踏み出す。
「本部は俺を消せと言った。そして俺は、アイギスの幹部を殺し続けている……。もう、引き返せる場所なんてどこにもないんだよ」
如月の右手に、雷が収束していく。
それは、周囲の電力をすべて吸い上げたような、絶望的な輝きだった。




