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第一ラウンド

家を出た時の俺は、どこか冷酷な「狩人」になったつもりでいた。


手には果物ナイフ、ポケットにはなけなしの金で買った煙幕とスタングレネード。

狙うは一つ。プレイヤー同士の戦いでボロボロになったプレイヤーにトドメを刺すだけの瀕死の獲物だ。


卑怯?勝手に言ってろ。政府に「虫」扱いされたんだ、人らしく戦う必要なんてない。

だが、夜の街を彷徨えど、都合よく死にかけている奴なんて見つからなかった。

焦燥感だけが募る中、公園の街灯の下で、一人の人物と目が合った。

それは、どこにでもいるような、腰の曲がった小柄なおばあちゃんだった。


(……一般人か?)

そう思った瞬間、脳の奥で警報が鳴り響いた。

システムが、彼女を明確に「プレイヤー」だと認識したのだ。

それと同時に、俺の身体はかつてない全能感に包まれた。


(いける。今なら世界を『1/10』にできる。それに、相手は年寄りの女だ。銃も大剣も持っていない。これなら勝てる――!)

 俺は自分の能力『十刻縮延デシマル・アクセル』の絶対的な優位を確信し、ニヤリと口角を上げた。


「……悪いな、おばあちゃん。恨まないでくれよ」

傲慢な自信と共に、俺は『世界』に指をかけた。

だが、俺を見つめる老婆の瞳に宿ったのは、恐怖ではなく、獲物を見つけた幼子のような、純粋で残酷な「喜び」だった。

 

「……終わりだ!」

俺は『十刻縮延デシマル・アクセル』を発動した。

世界が10分の1の鈍さに溶け、静止した空間を俺だけが滑るように突き進む。

狙うは老婆の喉笛。薄い皮膚のすぐ下にある頸動脈。果物ナイフの短い刃でも、ここなら一撃で――。

だが、ナイフの先が喉に触れる寸前。


「……は?」

視界の端で、老婆の左腕が爆発したように膨れ上がった。

10分の1の減速世界を無視するかのような超反応。

鋼鉄の丸太と化した腕が俺の視界を塞ぎ、次の瞬間、手首に鋭い衝撃が走った。

 

――パキッ、と。

 

乾いた音を立てて、俺の唯一の武器が、プラスチックの玩具のように根元から折れ曲がった。


「老人だからって……舐めるなよ、クソガキ」

地を這うような低い声。

直後、彼女を包んでいた衣服が内側からの圧力で弾け飛んだ。

そこにあったのは、もはや老婆の肉体ではない。幾重にも重なり、硬質化した筋肉の断層――。


【プレイヤー名:鋼の老魔女スティール・ウィッチ

【保有ポイント:162pt】

【能力:五十重筋マイオ・フィフティ・レイヤ

 

脳内に響く無機質なアナウンスが、俺の死刑宣告を告げる。

162点。つまり彼女は、この数日間で10人以上の命を、この拳で握りつぶしてきたということだ。

 

「ひ、っ……」

喉が引き攣る。

俺の10倍の加速すら、彼女の「50倍の筋肉層」が放つ圧倒的な暴力の前では、羽虫の羽ばたきに等しかった。

 

「ッ、あああ!!」

俺は『十刻縮延デシマル・アクセル』を全開にし、体を捩じらせる。

直後、老婆の拳が俺の横髪をかすめた。たったそれだけで、衝撃波が鼓膜を震わせ、皮膚が焼けつくような熱を帯びる。

一発一発が、大型トラックに衝突されるような重さ。それが、筋肉の層を爆発させることで機関銃のような速度で叩き込まれる。


距離を取ろうと必死に地を蹴るが、彼女は追ってこない。

代わりに、老婆はその巨大な拳を、無造作に足元のアスファルトへ叩きつけた。

 

「死ね、小僧」

轟音と共にコンクリートが砕け散り、その破片が彼女の剛腕によって力任せに放たれた。

それはもはや「石を投げる」なんて生易しいものじゃない。音速に近い速度で飛来する、不規則な形状の弾丸だ。

 

(……死ぬ、かすっただけで体が千切れる!)

回避は不可能に近く。俺は迷わず、ポケットから一つ目の金属球を抜き取り、ピンを引き抜いた。

なけなしの5,000クレジット――俺の命の、前払い金だ。

 

「これでも食らえ……っ!」

放たれたのは、閃光手榴弾スタングレネード

空中で炸裂した数百万カンデラの光が、老婆の「獲物を追う目」を焼き、鼓膜を強振させる。

 

「ぬうっ……!?」

初めて彼女の動きが止まった。

その隙を見逃さず、俺は二つ目の金属球、**煙幕弾スモーク・グレネード**を地面に叩きつけた。

瞬く間に視界が灰色の帳に包まれる。

俺は肺が焼けつくような呼吸を無視して、残ったすべての意識を『加速』に注ぎ込んだ。

 

視界から老婆が消え、コンクリートの弾丸が止まった一瞬。

俺は灰色の煙を突き抜け、夜の闇へと溶け込むように全力で疾走した。路地裏の湿った空気を吸い込み、必死に肺を休めようとしたその時だった。


目の前に、一人の男が立っていた。

痩せこけた頬。血に汚れた顔。焦点の合っていない瞳は、もはや獲物を見定めるそれではなく、壊れた機械のようにただこちらを捉えている。その手には、月光を鋭く跳ね返すサバイバルナイフ。俺の折れた果物ナイフとは、格が違いすぎる「凶器」だ。


視線がぶつかった瞬間、異常が起きた。


「ぐ、ふっ……!?」

心臓が悲鳴を上げた。

突然、全身の細胞が鉛に変わったかのような凄まじい重圧。背負わされたのは、見えないダンプカーの質量。骨がきしみ、肺から空気が絞り出され、膝がアスファルトに叩きつけられる。

 

【プレイヤー名:なし】

【保有ポイント:54pt】

【能力:念力サイコキネシス

 

脳内に響く情報の断片。54点。こいつも、何人もの命をこの「重圧」で動けなくし、なぶり殺してきたに違いない。

男は無言で、サバイバルナイフの切っ先をこちらに向けた。ゆっくりと、確実に急所を抉るために歩み寄ってくる。

 

(動け……動けよ……ッ!!)

体は動かせない。逃げる事も出来ない。10倍の加速スキル『十刻縮延デシマル・アクセル』を使おうにも、身体そのものが地面に縫い付けられていては、どれだけ主観時間を引き延ばしても「動けない時間」が延びるだけだ。

 

だが、極限の死の淵で、俺の脳は冷徹な計算を始めていた。

「念力」で俺を押し潰しているのなら、その力は「俺」に向いている。

ならば、俺の「外」にあるものならどうだ?


(……投げナイフ。通常の速度なら、こいつは避けられる。だけど……)

もし、この10分の1に引き延ばされた世界の中で、俺が放つ一撃を「10倍」の速度に変換できたら?

絶望の先で、能力の真理――その「薄い膜」を、俺の意識が突き破ろうとしていた。

 

「……いけッ!」

俺は、重圧に耐える指先で、折れた果物ナイフの「刃」を男の顔面に向けて弾き飛ばした。

その瞬間だった。

俺が主観で『十刻縮延デシマル・アクセル』を発動している間、投げ放たれた刃は、物理法則を置き去りにした**「十倍速の弾丸」**へと変貌した。

 

「が、あ、あああああッ!?」

男の絶叫が路地裏に木霊する。

銀色の閃光が、男の左目を深々と貫いていた。

それと同時に、俺を押し潰していたダンプカーのような重圧が霧散する。

 

(視界だ。こいつの能力は、対象を『見て』いないと成立しない……!)

理解した瞬間、俺の体は本能に突き動かされていた。

倒れ込んだ男に馬乗りになり、奴が落としたサバイバルナイフを奪い取る。

もはや、理性なんて残っていなかった。


「あ、あああああッ!!」

俺は叫びながら、今度はその重厚な刃を、男の残された右目へと叩き込んだ。

肉を裂く感触。骨が砕ける響き。

 

一度、二度、三度。


相手が動かなくなるまで、俺は狂ったようにナイフを振り下ろし続けた。

不意に、すべてが静止した。

生温かい返り血を浴びた俺の脳内に、あの無機質な声が冷たく響き渡る。

 

 【プレイヤーを撃破。ポイントの移動を開始します】

 評価点:

 素早さ:7/15

 華麗さ:0/15

 芸術点:2/15

 残虐性:4/15

 【撃破点1pt、合計14ptを獲得】

 【54ptの移行。40,000クレジットの獲得】

 

 「は……はぁ、はぁ……っ……」

手にしたサバイバルナイフが、カチカチと音を立てて震えている。

自分の手が、こんなにも震えていることに俺は気づかなかった。

計69ポイント。生き延びた喜びよりも、自分が「何か」を取り返しのつかない形で壊してしまった感覚が、胃の底からせり上がってくる。

俺は、血の海の中で膝を突き、ただ、まともに動かない自分の体を見つめることしかできなかった。

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