起死回生
「ちょっ、許し……」
命乞いの言葉が完成するよりも速く、俺の短剣はテンプテーション・ルートの喉元を正確に貫いていた。
温かい返り血が拳に触れる。夢の中のハンバーグの感触とは違う、生々しく重い「死」の手応え。
【プレイヤーを撃破。ポイントの移動を開始します】
【現在所持ポイント:2337pt】
「……夢は、もう飽きたんだよ」
短剣を引き抜くと、彼女の体は糸の切れた人形のように崩れ落ち、西成の灰の中に沈んでいった。
これでメンブルムは三人。残るは一人だ。
だが、彼女を仕留めた瞬間、周囲の空気が一変した。
今までの重力や法、あるいは精神干渉といった「絡め手」ではない。
ただそこにあるだけで、周囲の建物をミシミシと軋ませ、アスファルトを分子レベルで分解していくような、圧倒的な「暴力の気配」。
『地獄の釜』――中央広場の中心部から、巨大な影がゆっくりと立ち上がった。
「……ようやく来たか。10億のガキ」
声が響いただけで、俺の鼓動が激しく跳ね上がる。
瓦礫の山を砕きながら現れたのは、これまでの奴らとは一線を画す威圧感を放つ男。
メンブルムの最後の一人にして、ドミナント・コアの右腕。
【プレイヤー名:終幕拒絶】
【保有ポイント:1121pt】
【能力:起死回生】
「……終幕拒絶。名前からして、引き際を知らなそうだな」
俺は短剣にこびりついたテンプテーション・ルートの血を払い、新たな敵を見据えた。
1121pt。ポイント数以上に、その存在が放つ「やり直し」のプレッシャーが重くのしかかる。
「カシラはお前のことを『加速の天才』と呼んでいた。だが、どれだけ速く駆け抜けたところで、俺が望まない結末はすべて『白紙』に戻る」
男が静かに一歩踏み出す。
その瞬間、俺は迷わず『十刻縮延』を発動させた。
一瞬で間合いを詰め、短剣を男の心臓へと突き立てる。
手応えはある。確かに、刃は肉を裂き、鼓動を止めたはずだった――。
「……やり直しだ」
瞬間、世界が激しく逆回転を始めた。
視界がブレ、血飛沫が傷口へと吸い込まれていく。
気づけば俺は、さっき短剣を構え直した「5分前」の位置に立っていた。
「なっ……!?」
目の前には、無傷の終幕拒絶。
そして、足元にはまだ死んでいないはずのテンプテーション・ルートが喉を押さえて悶えている。
「……5分、戻ったのか……?」
俺の体力は削られたままだ。加速を使った疲労も残っている。
だが、世界の状態だけが「5分前」に書き換えられている。
これでは、何度殺しても、何度突破しても、相手が「危ない」と感じるだけで全てが無に帰す。
「絶望しろ、10億。お前の速さは、俺の『やり直し』に一生追いつけない」
視界がまた歪み、逆回転を始める。何度目かも分からない「5分前」の景色。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……!!」
肩で激しく息をする。
体力が削られているんじゃない。脳が、魂が摩耗している。
俺が『十刻縮延』で寿命を前借りして手に入れた「勝利」という対価を、あいつはノーコストで、指を鳴らすように無に帰していく。
喉を刃を立てても、首を刺しても、心臓を貫いても。
あいつの脳が「死」の恐怖を感知した瞬間に、すべてが白紙になる。
まさに『終幕拒絶』。
「なぁ、少し休戦しないk」
「黙れ」
冷徹な一言が、俺の提案を切り捨てた。
「無駄だと言ったはずだ。話し合い? 休戦? ……そんなものは弱者がすがる幻想に過ぎない。俺はお前が絶望し、泥のように朽ち果てるまで、この5分間をループさせ続ける」
男の瞳には、一切の慈悲がない。
カシラへの忠誠心というより、もはやこの「終わらない結末」を楽しんでいるかのような歪んだ快楽さえ感じ取れる。
(……クソ。話し合いも通じない、殺しても戻る。……どうすりゃいい)
ふと、自分の手元を見た。
小刻みに震えている。加速の多用で、全身の細胞が悲鳴を上げている。
このままだと、俺はカシラに辿り着く前に、この「5分間」という檻で力尽きて死ぬ。
……待てよ。
(こいつの能力は、本人が「危ない」と感じた時に発動する……)
もし、あいつが「危ない」と感じる暇もないほどの速度で殺せれば?
いや、それはさっき試した。反射神経の限界を超えた加速で喉を裂いても、あいつの脳は「事後」に死を認識して巻き戻しを発動させた。
(なら、逆だ)
あいつに「危ない」と思わせなきゃいい。
「死ぬ」ことが「救い」だと思わせるか、あるいは……。
俺は短剣を納め、ゆっくりとあいつに向かって歩き出した。
「……諦めたか。賢明な判断だ、10億」
「いや……一つ、試したいことができてな」
俺はあえて加速を使わず、無防備に間合いに入った。
ジャッジ・ウェイトの重力や、ジャスト・ジャッジの法の痛みとは違う。
もっと純粋で、もっと残酷な「時間」の使い方。
「お前の『起死回生』は5分前に戻す能力だ。……じゃあ、その『5分間』を、永遠に感じさせてやったらどうなるかな?」
俺の言葉に、終幕拒絶が不審そうに眉を寄せた。
「何を……でたらめを。意識をどうこうしようと、俺の脳が危機を察知すれば結末は書き換わる」
「ああ、そうだな。だから……その『察知してから、発動させるまで』のコンマ数秒を、無限に引き延ばしてやるよ」
俺は、今までで一番深く、重い踏み込みを見せた。
足の筋肉が裂け、骨がきしむ音が全身に響く。肉体への負荷を一切無視した、自壊覚悟の超加速。
『十刻縮延』――意識同期。
短剣を振るうのではない。俺は、驚愕に固まる男の側頭部に、左手をそっと添えた。
「が、あ……ッ!?」
加速の奔流が、俺の手を介して男の脳へと直接流れ込む。
世界が、音を立てて静止した。
通常、俺が体験している「加速した世界」。それを、俺と物理的に接触しているこの男の「意識」だけに、無理やり同期させたんだ。
通常の加速の、さらにその先。
1秒を1年に、1ミリ秒を1ヶ月に。
男の脳は今、現実世界の1秒にも満たない時間の中で、数十年分に匹敵する「思考の加速」を強制されている。
「……あ、……あぁ……」
男の瞳が、激しく左右に揺れる。
彼の脳内では、俺が短剣を抜き、ゆっくりと、本当にゆっくりと自分の喉元に刃を近づけてくる光景が、永遠に続く映画のように再生されているはずだ。
「……危ない、と感じてから指を動かすまで……お前の感覚じゃ、あと何年かかるかな?」
現実世界では、まだ0.1秒も経っていない。
だが、男の精神は、終わりの見えない「死へのカウントダウン」に曝され、悲鳴を上げている。
戻したい。5分前に戻したい。
だが、指を動かすという「命令」が脳から指先に届くまでに、彼の主観では途方もない時間が流れていく。
「……やり、なお……せ……」
男の口から、掠れた声が漏れる。
しかし、その言葉が完成する前に、彼の精神は「永遠」という加速の重圧に耐えきれず、白目を剥いて泡を吹き始めた。
能力の発動条件である「危ないと感じる」状態が、数万倍に引き延ばされたことで、発動という結末に辿り着く前に心が破壊されたんだ。
「……5分、使い切れなかったな」




