欲望のカタチ
足元の地面が超加速に耐えきれず、白熱したプラズマと共に文字通り「噴火」した。
重力による拘束をエネルギーの奔流が力任せに吹き飛ばし、ジャッジ・ウェイトとジャスト・ジャッジの二人を真下から呑み込む。
「な、……馬鹿な! この威力はもはや個人の暴力の範疇を――」
ジャスト・ジャッジの叫びが爆音に掻き消される。
脳内ではシステムメッセージが激しく点滅している。
【判定:対象の行動を「自然災害(不可抗力)」と定義します】
【零の糾弾:カウント加算なし】
「……読み通りだ。お前の法は、制御不能になった『時の暴走』までは裁けねぇよな」
俺は爆風の中、無傷で立っていた。
自分自身の時間を加速させず、触れている地面の「時間」だけを極限まで進めることで、俺は法の網の目を潜り抜けた。
爆炎が晴れた後、そこにはボロボロになった二人の姿があった。
重力で防御を固めていたウェイトは、内臓をやられたのか吐血して倒れ伏している。
そして、法に縛られ回避行動を取れなかったジャスト・ジャッジは、その場に棒立ちのまま、顔の半分を焼かれ、呆然と俺を見つめていた。
「……ありえない。法は絶対だ……。法を逸脱した現象など……存在してはならない……」
「法が絶対なんじゃない。守りたい奴がいるから、法があるんだ。……お前らのそれは、ただの独裁だよ」
俺はゆっくりと、動けなくなったジャスト・ジャッジの喉元に短剣を突きつけた。
「……あ、が……」
「さて、最後の審判だ。お前を殺す時、俺の心臓は止まるか、それともお前の首が飛ぶのが先か。……試してみるか?」
その時、二人の背後……中央広場へと続く道のさらに先から、パチ、パチ、パチ……と、一人分の拍手の音が聞こえてきた。
「見事やんな。法の抜け穴を物理現象で抉じ開けるとはね。……流石は10億。アウファーが惚れ込むだけのことはある」
灰色の霧の中から、新たな影が現れる。
メンブルムの三人目。
西成の焦げた臭いも、心臓を焼く法の痛みも、手に馴染んだ短剣の重みも。
すべてが、遠い霧の向こうへ消え去った。
次に目を開けた時、俺を包んでいたのは、柔らかな朝の光と聞き慣れたアラームの音だった。
「……ん……もう朝か……なんか長い夢を見たな……」
重い頭を振って階段を降りる。
鼻をくすぐるのは、焦げた死体の臭いじゃない。香ばしく焼けたトーストと、味噌汁の匂いだ。
「あんたちゃっちゃと食べないと遅刻するよ!」
台所に立つ母さんの後ろ姿。
その当たり前の光景に、胸の奥がチクリと痛んだ気がしたが、それもすぐに温かな日常に溶けていく。
「へいへーい……」
適当な返事をして、俺は食卓についた。
テレビでは朝のニュースが流れ、学校の準備を促す声が響く。制服の袖を通し、カバンを持って玄関へ向かう。
「行ってきます」
「車に気をつけるんだよ!」
見送る親の声。
外に出れば、抜けるような青空と、穏やかな通学路が広がっていた。
あの地獄のような西成も、命を削る『十刻縮延』も、10億の賞金も。
すべては、疲れが見せた質の悪い悪夢だったんだ――そう自分に言い聞かせて、俺はいつもの角を曲がった。
だが。
【プレイヤー名:誘惑の根源】
【保有ポイント:891pt】
【能力:自己現実】
現実の西成、中央広場へと続く道。
ジャッジ・ウェイトとジャスト・ジャッジが倒れ伏す中、新たに現れた女、テンプテーション・ルートは、虚空を見つめて立ち尽くすケンヤを冷ややかに見下ろしていた。
「……ふふ、幸せそうな顔。やっぱり子供やんね」
彼女の指先から伸びる、目に見えない銀色の糸が、ケンヤの脳へと繋がっている。
現実での1分は、あの中での1ヶ月。
もしケンヤがこの「温かな夢」に安住し、そこが偽物だと気づかなければ、彼の肉体は現実世界で数分も持たずに老いさらばえ、魂は永遠に作り物の一生を終えることになる。
「そのまま、お母さんの美味しいご飯でも食べて死になさいな。それが、あなたの寿命への一番の供養よ」
短い月日は流れ2ヶ月。それは現実の時計で、わずか2分足らず。
だが、温かな家庭料理と、母の小言に包まれたその時間は、ケンヤの摩耗した心を癒やすには十分すぎるほど残酷な劇薬だった。
「……っ!」
好物のハンバーグにナイフを立てた瞬間、銀色の刃に映った自分の目が、一瞬だけ黄金色の殺意に染まった。
手に残る、肉を断つ感触。それは柔らかなハンバーグのものではない。もっと硬く、熱く、そして粘りつくような――。
「どうしたの? 学校でなんかあったの?」
母さんの心配そうな声が、遠く響く。
その優しさが、今の俺には猛毒だった。このままここにいれば、俺は「18歳の高校生」として幸せに死ねるだろう。西成の地獄も、自分の削れた寿命も忘れて。
「ごめん……母さん……俺、行かなきゃ」
椅子を蹴立て、困惑する母さんを背に、俺は光溢れるリビングから飛び出した。
偽物の青空を見上げ、肺の奥底に溜まった偽りの空気をすべて吐き出すように、俺は絶叫した。
「俺を! ここから出せ!!」
その瞬間、世界がガラス細工のように粉々に砕け散った。
眩しい光が消え、鼻腔を突くのは灰と、鉄と、肉が焼ける現実の異臭。
「……はぁっ、はぁっ、はぁっ……!!」
膝をつき、激しく咳き込む。
視界が戻る。そこは再び、世紀末の西成。目の前には、驚愕に目を見開いた女――テンプテーション・ルートが立っていた。
「……嘘でしょ? 2ヶ月もあんな幸せな夢を見せて、自力で戻ってくるなんて……。あんた、人間じゃないわ」
彼女の手から伸びていた銀色の糸が、ぷつりと切れて霧散していく。
俺は涙を手で拭いふらつく足で立ち上がり、腰の『時空断刃』の柄を握りしめた。
夢の中で食べたハンバーグの味なんて、もう思い出せない。手に残っているのは、ただ冷たい鋼の感触だけだ。
「……悪趣味な夢を見せてくれたな」
俺の瞳から、迷いが消える。
夢の中の「お袋」の顔が、俺を西成へ送り出した時の本当の記憶と混ざり合い、激しい怒りへと変わっていく。
「やっぱり、あのままいたかったな……」
『十刻縮延』。
世界が再び、静止する。
仮想現実で過ごした「2ヶ月分」の感覚のズレを、超加速のG(重力)で無理やり現実へと叩き直す。




