家族
大阪にて…情報員が冷や汗をかいてカシラに震える声で報告した
「ご報告します。ダスト隊が壊滅しました。」
「……なんやて……?」
カシラの低く、地を這うような声が響く。
直後、メキメキと嫌な音がした。彼が手にしていた最高級のクリスタルグラスが、強靭な握力によって粉々に砕け散る。琥珀色のウイスキーが、破片と共に高価な絨毯へとこぼれ落ちた。
「ですから、ダスト隊が壊滅――」
「分かっとる……。あのガキにやられたんやろ」
カシラの言葉には、もはや隠しきれない怒りと、それを上回るほどのどす黒い殺意が渦巻いていた。報告を続ける情報員の背中には、滝のような冷や汗が流れる。この男の前にいるだけで、肺から酸素が奪われていくような錯覚。これが、数多の修羅場を潜り抜け、大阪を統べる「カシラ」のプレッシャーだった。
「『歪んだ加速』は1000点プレイヤーになり……新たな武器を獲得していました」
「……1000点。ついに、こっちの領域まで来たか」
カシラが立ち上がる。その瞳は、怒りと憎しみ、そして強者特有の「獲物」に対する冷酷な光で満ちていた。三浦を「おままごと」と切り捨てた男が、初めて夕凪という存在を、自分と同等の――あるいは自分を脅かす「敵」として認識した瞬間だった。
「こっ……これで失礼します!」
耐えきれなくなった情報員が、逃げるようにスキルを起動する。
【能力:物体転送】
空間が歪み、情報員の姿が掻き消える。その臆病な去り際を追うこともせず、カシラは窓の外、北の空を見据えていた。
「おもろいやんけ……。寿命削って手に入れた玩具か何か知らんが、そんなもんで俺に届くと思うなよ。……待っとれガキ。俺がこの手で、跡形もなくぶっ殺してやるわ」
その頃、俺は飛行機に乗り地元を見回りながら自宅に帰っていた。
「2週間ぶりの家…か…」
携帯は潰れて使い物にならなくなっていた、恐らく念力プレイヤーのせいだろう。
もうすぐで家だ、見覚えしかない住宅地、剣の切り傷や弾痕が残っている。
俺は玄関の扉の前で立ち止まり、嫌な考えが働いてしまった。
「母さんは…人殺しになった息子をどう思うんだろ…」
俺は勇気を振り絞って玄関の扉を開けた瞬間、そこには地獄の硝煙も、返り血の臭いも、システムのアナウンスもなかった。
ただ、古びた芳香剤の匂いと、俺を呼ぶ震える声だけがあった。
「ただいま、母さん……」
絞り出すような俺の声に反応して、玄関に立ち尽くしていた母さんが崩れるように駆け寄ってきた。
「あんた……! どこ行ってたのよ……! 二週間も、二週間も家を空けて……連絡も全然つかなくて……!」
細い腕が、俺の体に回される。
母さんの体温が、血に飢えて冷え切っていた俺の芯をじわじわと溶かしていく。
「ニュースじゃ……『蠱毒』だのなんだのって、街が封鎖されたとか恐ろしいことばっかり流れて……あんた、死んじゃったのかと思ったじゃない! よかった、本当によかった……っ!」
涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔。
俺が札幌で、大阪チームの精鋭を「物」のようにバラしていた間、母さんはこの玄関で、ただひたすらに俺の帰りを待っていたんだ。
俺は、寿命を半分削ったその手で、震える母さんの背中をそっと抱きしめ返した。
この手はさっきまで、人の首を撥ね、空間を切り裂いていた手だ。そんな手が、今は世界で一番温かいものを抱いている。
「ごめん。……ごめんなさい、母さん。これ、お土産」
俺は、鞄の中から少し形が崩れてしまった土産物の袋を取り出した。
あのお土産屋で、命がけで守り抜いた、ただの菓子折り。
「何よこれ……お土産なんていいから、元気でいてくれれば……」
母さんは泣き笑いのような顔でそれを受け取り、何度も何度も俺の無事を確認するように肩を叩いた。
だが、俺は気づいていた。
玄関の鏡に映る自分の瞳が、二週間前とは決定的に違っていることに。
1320ポイントという「呪い」を背負い、寿命を半分捨てた俺の体は、もうこの穏やかな日常には馴染まない。
外では、大阪のカシラや、2311ポイントの老魔女が、俺という「特異点」を喰らうために牙を研いでいる。
俺がここにいれば、この家も、母さんも、あの戦火に巻き込まれる。
そう考えて早くも立ち去ろうと能力を使おうとしたら。
「今日はあんたの誕生日でしょ!沢山食べてよく寝なさい。」
11月11日、俺は今日が誕生日だったことを思い出し、暖かい言葉で迎えられる事に涙を抑えるので必死だった。
温かい湯気の向こう側で、母さんと父さんが笑っている。
テーブルに並んだのは、俺の好物をこれでもかと詰め込んだ、脈絡のない、けれど愛に溢れたご馳走の山だった。
シチューの温かさが喉を通り、寿司の鮮度が舌を打つ。血の臭いと硝煙の中で乾いたパンを齧っていた数日間が、まるで悪い夢だったかのように思えるほど、この食卓は眩しかった。
「……美味いよ。全部、最高だ」
夢中で食べた。18歳になった俺の体は、削られた寿命と引き換えに手に入れた強大な力を維持するためか、あるいは失った「人間らしさ」を取り戻そうとするかのように、その栄養を吸収していく。
だが、デザートのケーキを前にした時、俺の指先がわずかに震えた。
1320ポイント。時空断刃。
この幸福な食卓のすぐ裏側で、俺は今も「怪物」として世界に接続されている。
「……父さん、母さん。話さなきゃいけないことがあるんだ」
俺は箸を置き、震える声を必死に抑えて、二人を真っ直ぐに見据えた。
18歳。大人の仲間入りをする誕生日に、俺が告げるのは未来の夢ではなく、血塗られた現実だった。
「俺……プレイヤーになったんだ」
母さんの顔から血の気が引いていく。父さんの無愛想な顔が、苦痛に歪んだ。
「この二週間……札幌で、たくさんの人を殺した。三浦っていう支配者も、その部下たちも……。俺の手は、もう取り返しがつかないくらい汚れてる」
リビングに沈黙が降りる。テレビから流れる「蠱毒」のニュースが、皮肉にも俺の告白を裏付けていた。
「俺はもう、ただの息子には戻れない。……寿命も、半分捨てた。1000ポイントを超えた代償に、この短剣を買うために」
俺はテーブルの上に、あの短剣を置いた。
ただそこにあるだけで、周囲の空気が歪み、時間が淀むような禍々しい存在感。母さんは悲鳴を上げそうになりながら、口を両手で覆った。
「……逃げられないんだ。大阪のカシラや、東京のバケモノが、俺のポイントを狙ってここに来る。俺がここにいたら、二人を巻き込んでしまう」
父さんが、震える手でタバコに火をつけようとして、三回失敗した。
四回目、ようやく火が灯ると、彼は深く煙を吸い込み、天井を見上げて言った。
「……そうか。……お前が選んだのか、それとも選ばされたのか」
「……分からない。でも、俺は生きたかった。生きて、この土産を届けたかったんだ」
母さんは、もう声も出せずに泣いていた。俺の犯した罪に怯えているんじゃない。俺が背負わされた運命の残酷さに、心が引き裂かれているんだ。
母さんの言葉は、俺が背負った1320ポイントの業も、人をバラした記憶も、削り取られた寿命の絶望も、すべてを包み込むほどに温かかった。
「……母さん……」
肩に感じる生暖かい感触。母さんの涙が、俺の服を濡らし、硬く冷え切っていた俺の心を無理やりこじ開けていく。
「あなたがどんな風に変わっても、私の息子に違いはないわ……。何人殺しはダメだけど……あなたがどんな場所でも生きていれば、それだけで私達は嬉しいのよ……」
その震える声には、正義も悪もなかった。ただ、理屈を超えた「親」としての無償の愛だけがあった。俺が怪物になろうと、時を歪める死神になろうと、この人にとっては、あの頃と変わらない「自分の子供」でしかない。
父さんは何も言わず、ただ灰皿にタバコを押し付けた。その大きな背中が、微かに震えている。
「……ごめん。……本当に、ごめん……」
俺は、もう一度母さんを強く抱きしめた。
今まで、殺すためにしか使ってこなかった力が、誰かを守るために、誰かに縋るために使われる。




