第九十八話 妙な指名依頼
――データセンターのダイニング。そこには、いつもの馴染み深い顔ぶれが揃っていた。ただし、騒がしいはずの玲香の姿だけが、そこにはない。
エプロン姿の玲子は、茹で上げたパスタを鮮やかな手つきでザルに上げ、湯気を切る。四つの皿に盛り付けられたのは、ハーブと完熟トマトの芳醇な香りが漂うミートソース・パスタだ。
「「「「いただきます」」」」
フォークにパスタを絡め、幸せそうに頬張るカタリストに対し、玲子は嬉しそうな視線を向けた。
「カタリストのお母さんから送られてきたトマトと、温室のハーブを使ったの。どうかしら?」
「美味しいです……! お姉様の卓越した調理スキルが、トマトとハーブの生命力を最大限に引き出していますね。毎日でも食べたいくらいです」
カタリストが頬を緩める横で、イカロスはパスタを拳ほどに大きく巻きつけながら、玲子を真っ直ぐに見据えた。
「……ところでお嬢。妙な指名依頼をもらったそうだな」
「ええ。依頼主はレペルトワールを『クビ』になったばかりの舞台監督よ」
その言葉に、イカロスは一度フォークを皿の上に下ろし、眉を寄せた。
「姉さんの件もあるしな。単なる復讐依頼にしては、出来過ぎているんじゃねえか?」
「私もそう思うわ。でも、お姉様はあれから音沙汰なしだし、ここにも顔を見せないから、理由も聞けないわね。クロサワ。例の依頼の詳細をみんなに共有して」
「かしこまりました。ヒアリングをしたコンサルの話によりますと、レペルトワールの内部システムに侵入して、スキャンダル情報を上手く吸い上げて欲しいとのことでした」
ダイニングのディスプレイに、依頼情報が映し出された。
***
――特秘指名依頼
依頼①:《スキャンダル情報の公開》
依頼内容:
レペルトワール内システムへの潜入、および組織のスキャンダル情報の奪取・公表。
報酬:2000万+指名料100万
添付資料:依頼人が使っていた内部システムアカウントのログインIDおよびパスワード
特記事項:アイスエンジェルが指名されました
***
玲子はディスプレイをじっと見つめたまま、情報をなぞるように呟いた。
「添付資料のアカウントって、きっと大した権限は付いてないわよね……いきなり情報を奪うのは無理か。それにレペルトワールのシステムって、ハッキングする隙が全く無かったのよね」
「左様でございますな。コンサルの話によると、システムを組み上げたのは、主席エンジニアの速水祐希という者だそうですぞ。幸か不幸か、彼は現在、長期休暇で不在とのことです」
玲子は目を細めながら、値踏みするように眉を上げた。
「……へぇ。優秀なエンジニアさんは、そんな名前だったのね」
クロサワは依頼詳細ページへと画面を切り替える。
「留守を任されたシステム担当は、とあるパトロンの縁故で最近採用されたばかり。システムには、あまり明るくないとのことでした。資料として渡されたIDとパスワードは、クビになった舞台監督のもので、まだアカウントは生きていると」
玲子は椅子の背もたれに深く身を沈めながら、人形たちの頭を撫でた。
「隙を突くとしたらここらへんか……この新人管理者さん、色々と教えてくれそうだし。それとマリー、メリー。念のため、この依頼人に怪しい所がないか教えて」
『彼がクビになったのは事実だよ。離職票も発行済み!』
『離職理由は一身上の都合となっています。ですが、実際は複数の団員に対するセクシャルハラスメントが理由です。噂レベルですが、マスターDは団員全員の前で彼を罵倒し、その場で即日クビを言い渡したそうです』
「罵倒……」
カタリストの肩が、微かに跳ねた。ナプキンを持つ手がわずかに震える。
クロサワが、カタリストの気持ちをフォローするかのように冷静に口を開く。
「バレエ団という場所は、それほどまでに特殊なのですかな。今のご時世にそんな『公開処刑』を行えば、即座にコンプライアンス違反を問われかねませんが……」
玲子は不敵な笑みを浮かべ、最後の一口を飲み込んだ。
「……無計画にそんなヘマをするとも思えないわ。これは誰かが用意した、私への『招待状』ね……いいわ、受けて立ってあげる。その招待主の顔、拝んでやりましょう」
――指令室。
モニターの淡い光が玲子の横顔を青白く照らしていた。コックピットチェアに深く身を預けた彼女は、迷いのない指捌きで、依頼の添付資料に記された認証情報を叩く。
「……あきれた。本当に入れたわ」
画面には、レペルトワールの内部管理システムが、無防備な姿で晒されていた。
「マリー。UIを操作して、システム管理者の情報を探して」
『了解! ……これだね。数日前に追加されたばかり。確かに、ピカピカの新人さんだよ!』
「“由貴”……ね。ありがとう。少し揺さぶってみるわ」
玲子はシステム内のチャットメニューをクリックし、ホワイトハッカーを装った偽の警告を送り込んだ。
《ICE ANGEL:レペルトワール・システム管理者の由貴様。突然のご連絡、失礼いたします。 匿名で活動しているセキュリティエンジニア、アイスエンジェルと申します。 貴殿の管理下にあるシステムに、深刻な脆弱性を確認しました。すでに複数の個人情報が外部へ流出している形跡があります》
玲子の指が、踊るように追撃のメッセージを綴る。
《ICE ANGEL:緊急性を鑑み、直接コンタクトいたしました。ご無礼はお許しください》
玲子はキーボードから手を離し、静かに待った。
普通、熟練の管理者ならこの時点で侵入者のアカウントを遮断するか、公式なルートでの対話を求める。
だが相手は新人の管理者だ。このメッセージの真の目的は、狼狽した彼を上手く誘導して、管理者権限が使えるrootアカウントの認証情報を盗むこと――そのはずだった。
だが、返ってきた反応は、玲子の予想の斜め上を行くものだった。
《YUKI:え!? 本当ですか!? それはまずいですね……! 一応、パソコンには詳しい方だと思ってたんですが、正直システムの内部とかはよく分からなくて。名目上、管理者ってだけで、実務は先輩に頼りっきりなんです。先輩、当分休みだし、僕はどうすればいいでしょうか?》
玲子は、ほんの一瞬だけ瞬きをした。
「……無能ね」
対応を「認証情報の奪取」から、より確実な「バックドアの設置」へと、即座に切り替える。
玲子は、バックドアが仕込まれた「偽の修正パッチ」を、チャットフォーム上のファイル添付アイコンに乗せて送信した。
《ICE ANGEL:応急処置として修正プログラムと実行手順を送付しました。被害を抑えるため、今すぐサーバー上で実行してください》
即座に返信が届く。
《YUKI:あ、これですね。ありがとうございます、助かりました! 今、実行しました。これでもう、安心ですよね?》
その瞬間、玲子のモニター上でログが跳ねた。
――バックドア、正常稼働。特権管理者権限の奪取を確認。
ログを見つめながら、玲子は独り言ちた。
「……あまりにも簡単すぎる……少しは警戒しておいた方がいいか」




