第九十七話 偽装依頼の勧誘
――深夜のオペレーションルーム。
祐希はチェアに浅く腰を掛け、腕を組みながら思考の海に沈んでいた。
(Black Wellのアイスエンジェルは、玲子さんでほぼ間違いない……なら、行動範囲はある程度、特定可能……一度、接触を図ってみるか……そこで本人かどうか確定させる)
――後日。祐希は一計を案じ、マスターDに相談を持ち掛けた。
「団員を一人、クビにしてほしい?」
訝しむような目つきで、マスターDは祐希を見た。
「はい。クビにするだけの材料は揃っています」
そういって、祐希はテーブルに資料を並べた。
それは凜との面会時に聞いた話を元に、密かに調査して集めた、男がバレリーナに対して行った数々のセクハラの証拠だった。
マスターDは資料を手に取り、ざっと目を通した後、それを手の甲で叩いた。
「確かにこれだけの証拠があれば、クビはたやすいな。それで?」
「メンバー全員を集めて、その面前で叱責と罵倒した後、クビを言い渡してください。彼は感情的で他責思考なので、レペルトワールを最大限恨むでしょう。その後、彼に接触して、Black Wellに復讐の依頼を出させます」
「……なるほど。その後、お前とアイスエンジェルが接触すると言う訳か」
「その通りです。カンパニーには実害は出させません。それと……」
「なんだ?」
祐希は、追加で一枚の履歴書をマスターDに手渡す。
「とあるパトロンの子息の履歴書です。この彼を臨時のシステム担当として雇ったことにしてください」
マスターDは顎に手を当てて、にやりと笑う。
「お前が彼を演じて、アイスエンジェルを油断させるんだな?」
「はい」
「……面白そうだな。よし分かった。早速やろうじゃないか」
――レペルトワールの全団員が招集された稽古場には、凍りつくような緊張感が漂っていた。
中央に立たされたのは、舞台監督の一人。彼はこれまでに数多くの若手バレリーナに対し、立場を利用した卑劣なセクハラを繰り返してきた男だった。
「……貴様のような『ゴミ』が、私の劇団を汚していたとはな」
マスターDの、心底蔑むような怒声が響き渡る。祐希の筋書き通り、マスターDは徹底的に男を痛めつけ、全団員の前でその尊厳を完膚なきまでに破壊した。
「クビだ。二度とその汚らわしい面を私の前に見せるな……消えろ、泥虫め」
罵声を浴び、男は恥辱と憤怒で顔を真っ赤にし、肩を震わせただ俯いていた。
ここで、ほんの一瞬だけ慈悲を見せた。
「……ただ、長年支えてくれたもの事実。素直に応じるなら退団金は出してやろう」
マスターDの言葉に、男は数瞬の迷いを見せた後、項垂れるように頷いた。
――逃げるように劇場を追い出された男の背中を、祐希は無機質なモニター越しに眺めていた。
「……さて。材料はすべて揃った」
劇団本部の勝手口。冷たい夜気に背を丸め、トボトボと歩く男の後ろ姿に、祐希は声をかけた。
「あの……」
「……なんだ。お前も、俺を軽蔑しに来たのか?」
振り返った男の目は、屈辱と自暴自棄で濁っていた。祐希はそれを受け止め、痛みに耐えるような沈痛な表情を作ってみせた。
「いえ……違います。あまりに酷い話だと思って、居ても立ってもいられなくなったんです」
男の瞳に意外そうな色が混じる。強張っていた肩の力がわずかに抜けた。
「僕も、マスターには思うところがあるんです……どうですか、この後少し、お話しさせてもらえませんか?」
――夜のバー。
琥珀色の照明が落ちるカウンターで、男はグラスの氷を乱暴にかき回した。
「……なあ、聞いてくれよ。彼女らは『被害者』面してるがな、実際は俺に頼りきりだったんだ。配役の調整、立ち位置、主宰への根回し――全部、俺が泥を被って間に入ってやってたんだぞ」
男の声は、次第に恨みがましさを帯びていく。
それを、今更なんだ。『正義』の皮を被って俺を痛めつけやがって。少しでも良い役が欲しいからって、言い寄ってきたのは、彼女らの方なんだぞ!」
(……それは、監督として毅然と断るべきだったんじゃないかな)
祐希は内心で冷ややかに断じながらも、口元には深い同情を湛えた笑みを浮かべた。
「本当に、身勝手ですよね……あなたのこれまでの献身を、マスターも団員たちも、何一つ理解しようとしない」
その言葉に、男の自己正当化が完成する。彼は救われたような顔をして、ふと思い出したように祐希を見た。
「そういえば……あんた、さっき『思うことがある』と言ったな……主宰に、だ。どういう意味だ?」
祐希はゆっくりと視線を落とし、悲痛な表情を演じた。
「ここだけの話ですが……僕も、主宰に縛られているんです。妹の凜も絡んでいます」
男が頷くのを確認し、祐希は声を震わせる。
「凜の舞台を用意する代償として、僕は主宰から終わりのない『奉仕』を命じられています。僕が拒めば、彼は即座に凜をプリマの座から引きずり下ろすと……」
祐希は顔を上げ、男の目を真っ直ぐに見つめた。
「……あなたのその怒り、僕に貸してくれませんか? 主宰に復讐しましょう」
男はしばらく黙ったまま、祐希の瞳の奥を覗き込むように見つめていた。やがて、残っていた酒を一息で飲み干すと、氷のぶつかる音と共に、グラスをカウンターに置く。
酒臭い息と共に、絞り出すような声が漏れた。
「……どうやってやるつもりだ?」
祐希は静かに頷き、罠を敷くように言葉を重ねた。
「『復讐』を代行する組織を知っています。そこに依頼を出すんです……金なら、僕も半分出しましょう。ですが、依頼人はあなたであってほしい。僕の名前が出れば、主宰に警戒されてすべてが台無しになります」
男の目が鋭く光り、声のトーンが一段低くなった。
「本気で言っているのか? ……具体的なやり方は」
祐希は男の方へわずかに体を寄せ、耳元で甘く囁いた。
「彼らに、レペルトワールのシステムを暴かせるんです。隠されている醜悪なスキャンダルをすべて白日の下に晒し、主宰を社会的に抹殺してもらう……彼が退場した後の混乱を僕が収拾します。そうすれば、あなたは功労者として劇団に戻ってこられるはずだ。あなたが主宰になることだって、夢じゃない」
その甘美な、あまりに都合の良い幻想。絶望の淵にいた男の顔に、不気味な希望の灯が宿る。男は顔を上げ、祐希の手を握らんばかりの勢いで頷いた。
「……やろう。あいつに、地獄を見せてやる」
――その二日後。Black Wellのダークサイトに一つの依頼が登録された。




