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非合法組織を立ち上げて、スローライフを楽しみたい  作者:


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第八十二話 ヌルの死

 玲子がヌルへと一歩踏み出した瞬間、愛子が必死にその前に立ちはだかった。

 「やめてください! おじいちゃんは私のために……殺すなら、私を殺して!」


 「カタリスト」

 「……はい」


 無情な命令に従い、カタリストが愛子を背後から後ろ手に束縛し、玲子の前から引き剥がす。


 「放して! 放してよ!」

 叫ぶ少女を無視し、玲子は絶望に顔を伏せる老人をまっすぐ射抜いた。


 「けじめを付けさせてもらうわよ。さて、覚悟はいいかしら?」

 「……ああ。ワシ自身、取り返しのつかない罪を重ねてきたからな」


 男が目を閉じた。その瞬間、玲子が懐から差し出したのは、一枚のカードだった。


 「……パンドラの、ボイドの『ヌル』は今この瞬間、ここで死んだわ。これから人身売買シンジケートの情報を私のお父様に流す……そうなれば、あなたもただじゃ済まない。だからあなたは、貨物船の爆発に巻き込まれて死んだことにしたの」


 ヌルが目を開けると、そこには真新しい身分証明書があった。

 「……っ、これは……!?」

 「新しい名前よ。アパートの名義も変えておくわ。せっかく孫娘に会えたんだもの、これからはそこに書いてある人物として暮らしなさい」


 玲子は真剣な眼差しをヌルに向ける。

 「二人で仲良く、私たちに毎月『新鮮なサザエ』を届けなさい……それが、あなたの償いよ」


 玲子はふいと視線を外すと、わざと気難しい表情を作って腕を組み、頬に人差し指を当てた。

 「……債務不履行なんてされたら、たまったものじゃないから」


 老人はその場に膝をつき、玲子の体温がほのかに残るカードを握りしめたまま、嗚咽を漏らした。

 「すまない……何もかも、本当に……ありがとう、ございます……」


 朝日が反射する入り江に、老人の涙と、少女の安堵の声が混じり合う。

 玲子は一言もかけず、踵を返した。


 「クロサワ……来月のサザエ、楽しみね」

 「ですな。お嬢様」


 ――4S本社会長室。


 窓の外の激しい雷雨が、都会の喧騒を洗い流す。時折、空に幾重にも分かれた白い道筋が現れ、天と大地を繋ぐ。


 「はい。お父様……これ、プレゼントよ」


 玲子は、デスクに深く座る正人に対し、無造作にタブレットを差し出した。正人はそれを手に取り、表示されたデータに一瞥をくれると、満足そうに目を細めた。


 「……ほう。人身売買シンジケートの内部資料か。私の友人が高く買ってくれそうな代物だ。お前の方も、海の上で『パンドラの亡霊』を、随分と景気よく退治してたそうじゃないか」


 「……全然大したことなかったわ。みんな捕まえて、『お母様へのプレゼント』にしただけよ」


 玲子は素っ気なく答えると、正人の傍らへ歩み寄り、シワ一つないダークスーツの袖に、甘えるように指先を絡ませた。


 「ねえ……こんなものより……お父様にも、とっておきのプレゼントがあるの」


 娘から発せられた『プレゼント』という響きに、正人は玲子に対し、柔らかな甘い笑顔を向けた。


 「それは嬉しいね……何をくれるんだい?」


 玲子はわざと頬を仄かに染め、上目遣いで正人のすました瞳をじっと見つめ続けた。


 「ホテル……一緒に行かない?」


 外で轟く雷鳴が、その言葉を重く、そしてどこか不吉に彩る。


 「……いいだろう。存分に楽しませてもらうとしようか」


 ――翌朝。

 クロサワの操縦するヘリが、清流の流れる山あいを抜け、かつては廃墟だったホテルを目指す。


 インカムを通じて、玲子は、正人の袖を引っ張りながら話しかけた。

 『お父様、見えてきたわよ。ほらそこ』

 窓の向こう、山の中腹に白亜の大きな建物がぽつんと聳え立っていた。

 『……ほう。なかなか立派なホテルじゃないか』


 ――リノベーション・ホテル、最上階ヘリポート。


 漆黒のヘリは吸い込まれるようにヘリポートの中央へと着陸した。ローターが風を切る音が止むか止まないかのうちに、玲子は颯爽と機外へ降り立ち、満足げに朝の風を吸い込んだ。


 後ろ手に組んだ玲子は、続いて降りてくる正人と、彼をエスコートするクロサワを待つ。その瞳は、新しい玩具を手に入れた子供のように輝いていた。


 「クロサワ、お父様を一階から順に案内してあげて……データセンターも、自慢の温泉も。私は先に一人で、最上階を見て回るから」


 玲子は、待ちきれないといった様子で早口に指示を出すと、クロサワの返事を聞く前に、屋上に設置されたエントランスへと駆け寄った。


 エントランスの先には、屋上の設備としてはあまりに豪華すぎる装飾が施された扉。カードキーをスリットに通すと、軽快な電子音が響き、扉が解錠される。玲子はそれを両手で力いっぱい押し開け、中へと消えた。


 扉の先に待っていたのは、ランタンに見立てた照明により両脇を照らされた廊下と、最上階のスイートルームへと直通する、強化ガラス製の斜行エレベーター。

 そしてその上部には、周囲の洗練されたデザインを嘲笑うかのような、異様に趣味の悪い金色のプレートが掲げられていた。


 『Welcome to the Neo-Bubble world!(ネオ・バブルの世界へようこそ!)』


 暗い廊下でその文字だけが、嫌にギラギラと照明を反射している。

 玲子は一人、エレベーターに乗り込むと、下降ボタンを押した。


 「……ふふ。楽しみ」


 その呟きは、エレベーターが滑り出す微かな駆動音にかき消された。


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