第百十一話 帰ってきたマリー
祐希に託されたUSBメモリを差し込み、玲子は祈るようにコマンドを打ち込む。
「……M。あなたはマリーの中にいなさい。彼女が二度とハレーションされないよう静かに見守ってて」
しばらくのロードの後、天井から、あの日失われたはずの「光」が溢れ出した。
『――あれっ? 玲子ちゃん! ……なんだか変な感じ。私、ちょっとだけ記憶が飛んじゃってるみたい……今まで、何してたんだっけ?』
――同時刻。その声をダイニングのマリー人形から聞いた瞬間、ダイニングの三人の顔に、言葉にならない安堵と歓喜が広がった。
玲子は穏やかに、けれど断固とした気持ちを込めて告げた。
「気にしなくていいのよ。あなたは、ただ少し長い夢を見ていただけ……お帰り、マリー」
『夢? どんな夢?』
「忘れていい、つまらない夢よ……それから、約束して」
玲子の瞳が、真剣な光を帯びる。
「私の情報が欲しくなったら、必ず私に直接聞きなさい。外の世界に散らばっている『私』の情報を拾ってくることは、絶対に禁止。二度と、私の許可なく私を理解しようとしないで」
それは、心からの玲子の願いだった。
『……うん! わかったよ、玲子ちゃん。玲子ちゃんがそう言うなら、私、お外のデータは見ない。玲子ちゃんだけを見てるね!』
モニターの中で、マリーのアバターが以前と変わらぬ無邪気な笑顔を見せる。
その光景に、玲子の胸のつかえがようやく取れていく。
――夜のダイニング。
無機質なサーバーの稼働音が響く地下空間に、今は香ばしい油の匂いと、包丁がまな板を叩く賑やかな音が満ちていた。
キッチンには、4人が窮屈そうに、けれど楽しげに肩を並べている。
イカロスが豪快にぶつ切りにした鶏肉を、カタリストが玲子秘伝のタレに漬け込み、手際よく冷蔵庫へ収める。漬け込みが終わったボウルをクロサワが受け取り、片栗粉と薄力粉を黄金比で混ぜ合わせた。
最後に、適温に熱せられた油の中へ、玲子が丁寧にタネを落としていく。
「……4人でやると、やっぱり早いわね」
パチパチとはじける油の音を聞きながら、玲子がぽつりと零した。エプロン姿のクロサワが、モノクルの奥の目を細め、慈しむように玲子を見つめる。
「左様でございます、お嬢様……仕事も、復讐も、同じです。どうか一人ですべてを背負い、解決しようとなさらないでください」
「そうですよ、お姉様」
カタリストがキャベツの千切りを盛り付けながら同意した。
「遠慮なく私に相談してください。男性陣には話しづらい『悩み』だってあるでしょう?」
イカロスも、揚がったばかりの唐揚げを一つ盗み食いして熱さに悶絶しながら、ニッと笑った。
「お嬢。もっと俺たちに背中を預けてくれ。大抵のことは、それで解決する……俺たちはそのために、あんたの側に残ってるんだ」
「ありがとう……みんな。少し、気が急っていたみたいね」
玲子の胸の奥で、氷のように固まっていた何かが、ゆっくりと溶けていく。
「「「「いただきます」」」」
食卓には、山盛りの唐揚げと、炊き立てのご飯。
イカロスが真っ先にその山を崩しにかかり、大きな口で頬張る。一頻り胃を満たしたところで、彼は真剣な眼差しで玲子に向き直った。
「……で、お嬢。やるのか?」
玲子もまた、箸で器用に唐揚げをつまみながら、イカロスを真っ直ぐに見返した。
「ええ。今度こそ、完全に息の根を止める……マスターDも、ミルタも、レペルトワールの歪んだ内部構造そのものも、この地上から消し去るわ。あなたたちにも、協力してもらうわよ」
「お嬢、了解だ」
「任されました、お嬢様」
「お姉様、喜んで」
『了解しました、玲子様』
『玲子ちゃん、任せて!』
全員の返答は、一分の迷いもなかった。
ダイニングの隅では、再インストールされたマリー人形が、楽しげにピコピコと電子音を鳴らしている。そんなマリーに感化されたのか、メリーも電子音を伴奏するように鳴らしていた。
カタリストが鼻歌を歌い、イカロスとクロサワが手拍子を叩く。玲子も嬉しそうに、テーブルを叩いてリズムを取った。
――夕食後、改めてダイニングで作戦会議を開く。
コーヒーを口に付けた後、玲子はイカロスとカタリストに指示を伝える。
「まずはイカロスとカタリスト。レペルトワール劇団に乗りこんで頂戴。劇場を混乱させた隙にマスターDを白坂家の別荘にご案内してあげて」
「分かった、お嬢」
「お姉さま、お任せください」
次にクロサワに目を向けた。
「次にクロサワ。演算後に『ブタ女』の端末の操作権限を渡すから、『お遊びの内容』を盛大に拡散してあげて」
「任されましたぞ」
玲子はやる気のみなぎった表情を浮かべるメンバーたちを見渡した後、微笑みを返す。
「最後に、レペルトワールの『黒歴史』を全部引き抜いてくるから、みんなでデザートでも食べながら、鑑賞しましょうか」




