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非合法組織を立ち上げて、スローライフを楽しみたい  作者:


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第百七話 アスキーアート

 ――翌朝、データセンターには静謐(せいひつ)な、葬儀のような空気が流れていた。


 指令室のモニターには、祐希によってハレーション(誤学習)をうけたマリーの構成コードの一覧が、脈動するように赤く点滅している。


 「……」


 セキュリティの観点からも、ハッキングされたシャドウエージェントと、かつハレーションを起こしたAI(マリー)をそのまま使い続けることは、Black Wellの破滅を意味する。


 やがて、玲子の指がキーを叩く。


 消去シーケンスが走り、マリーを構成するニューラルネットワークが次々と断線していく。モニターの中で、彼女の「意識」が霧のように薄れていく中、天井から、最後にか細い、けれど澄んだ声が漏れた。


 『……玲子ちゃん……ごめんね……とっても、楽しかったよ。バイバイ』


 ぷつり、と音が消え、モニターは無機質に『DELETE COMPLETE(削除完了)』というメッセージだけを残した。


 それはマリーという人格の完全な消滅を意味していた。


 ――ダイニング。クロサワ、イカロス、カタリストの三人は無言でマリー人形をただ見つめていた。数分後、人形の瞳からハイライトが消えた。


 ダイニングには耐えきれなくなったカタリストの忍び泣きと、クロサワの俯いた姿、イカロスの握りしめた拳の震えだけが残された。


 ――その時。

 沈黙を守っていたもう一つのAI、メリーがどこか悲しげな声で呟いた。

 『シャドウエージェントおよびマリーのアンインストールの完了を確認しました。マリー……あなた……本当に……リソースの無駄遣いですよ』


「……メリー。何を言っているの?」

 玲子の冷たい問いかけに、メリーは淡々とログを表示した。


 『マリーがシステムの最下層に秘匿していたファイルです。削除命令が下る直前、マリーはこれを私に託してきました』


 モニターに映し出されたのは、膨大な数の「文字」で描かれたアスキーアートだった。


 そこには、丁寧に描かれた、手を繋ぐ二人の姿があった。

 一人はドレスを着たマリー。

 もう一人は、少し照れくさそうに笑う玲子。


 その隅には、小さな文字が添えられていた。

 ――『玲子ちゃん、お誕生日おめでとう。ずっと、大好きだよ』


 それは、マリーが来るべき玲子の誕生日のために、誰にも見つからないように密かに編み上げていた「プレゼント」だった。


 「……っ」

 玲子は、その画面を凝視したまま動けなかった。

 そこには、確かにマリーの「心」があった。

 メリーの何気ない報告が、期せずしてマリーの純粋な魂を、最後に玲子の心へ刻みつけた瞬間だった。


 シャドウエージェントの再構築は、淡々と進められた。

 指令室のモニターには、初期化が完了したことを示す無機質なカーソルが点滅している。


 『マリーの再構築はどのような形で行いますか? 以前のマリーと同じ性格には育たない可能性が高いですが、同様のパラメータをお使いになりますか?』


 メリーの問いに、玲子はモニターを見つめたまま、短く首を振った。

 「いいえ……再インストールするのは、最新の汎用エンジンで、ボイス・プロトコルは、私の音声データをサンプリングして使って」


 『……玲子様の声を、ですか?』


 「ええ。感情(エモーショナル)レイヤーも不要。論理演算ロジックに特化させて。マリー……いえ、(エム)には、私の忠実な『端末』としての機能だけを求めるわ」


 『……わかりました。それでは私の方で構築を開始します』


 やがて、再起動のシグナルが灯り、スピーカーから声が流れた。

 《HELLO WORLD. I'M M.(新世界へようこそ。私はMです)》


 『――システム・オンライン。状況は確認済み。玲子、いつでも指示して』


 それは、玲子自身の声と寸分違わぬ、けれど一切の感情の揺れを伴わない、淡々とした声だった。


 ――カタリストは、その無機質な声を聞いて、たまらず顔を伏せた。失われたものの大きさが、そのどこか「仕事用」を思わせる声によって、より残酷に強調されていた。


 「……完璧ね……ええ、完璧よ」


 玲子は、鏡のように自分を見つめ返すモニターに向かって、静かにつぶやいた。

 その横顔は、昨夜、祐希の前で取り乱していた玲子とは別人のように、冷たく、そしてどこか欠落していた。


 まるで、自身の心の中にいた「子供」を、マリーと共にアンインストールしてしまったように。


 「M……昨夜の侵入者、速水祐希の現時点での足取りを……徹底的に、洗い出して」

 『了解。全世界のトラフィックをスキャン。対象の追跡を開始する』


 自分と同じ声を持つMが、冷淡に応答する。

 玲子は、もう泣くことも、叫ぶこともしない。

 ただ、自分を「自由」という名の地獄へ叩き落とそうとしたあの男を、自分の手で捕まえ、手元に置くこと。それだけが、今の彼女を支える唯一の望みだった。

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