第32章:そばにいてくれた少女
鳥のさえずり。
開け放たれた窓から、心地よい風が流れ込んでくる。
かすかな音が耳に届く。やがてはっきりと。誰かが扉を叩いていた。
コン、コン。
闇が薄れ、光が瞳の奥に差し込む。体は緩み、心は静かに落ち着いていく。右側では、いつものようにリオラが俺の服を握ったまま眠っていた。背筋を伸ばし、そっと起き上がる。
リオラを抱き上げる。小さな頭が俺の肩に寄りかかり、その温もりと軽さが伝わってくる。扉に近づく前に、気配を感じた。──エヴァだ。
取っ手を回すと、きぃと音を立てて扉が開く。そこには、待ち続けていたような顔のエヴァが立っていた。最初に俺を見てから、リオラへ視線を移す。落ち着いた表情が揺らぎ、一瞬だけ後悔か驚きの色が瞳に浮かんだ。
「寝てるのね。ごめんなさい、ずっとノックしてたの」エヴァは申し訳なさそうに言った。
「気にしなくていい。何かあったのか?」俺は声を落ち着けて返す。
「朝食に行こうと思って、誘いに来たの」彼女は気持ちを整えてから答えた。
リオラを確認してから、俺は言う。
「俺たちの分も頼んでくれ。五分で下に行く」
「わかった。待ってるわ」そう言ってエヴァは去り、扉を閉じた。
ベッドに腰を下ろし、リオラの赤い頬を見つめる。指先でそっと突いてみた。
『……この可愛さ、いくら見ても飽きないな』胸の奥が温かく膨らむ。
リオラがもぞりと動き、星のように大きな瞳が開いた。その光が、いつものように俺の暗い世界を照らす。待つのはやめ、腕を伸ばして彼女を抱きしめた。
「おはよう、リオラ」
彼女は目を細め、笑みを浮かべて抱き返す。鈴のような笑い声がこぼれた。窓辺に椅子を置き、彼女を座らせる。俺は隣に膝をつき、歯ブラシと水を用意した。
大げさに歯を見せる真似をすると、リオラはくすくす笑いながら真似をする。数分後、二人の顔はすっきりと清潔になった。
窓に薄い水膜が張り、やがて滑らかに広がり鏡のように室内を映し出す。リオラは目を輝かせて指差した。
「パパ! これ、なぁに?」まだ寝ぼけた声で尋ねてくる。
「鏡だよ」俺は微笑む。
「かがみって?」
「自分の姿が映るものさ。ほら、あれがお前だ」指差すと、リオラはじっと見つめた。
「これが……リオラ?」小さな手で触れると、ひんやりとした感触が返ってきた。
「パパ、つめたい」頬をぷくりと膨らませる。
俺は笑い、櫛を取り出して彼女の髪を梳いた。さらさらと指の間をすべる髪。まだ鏡に触れたまま、リオラはきょとんとした顔をしていた。
『……初めて氷に触れた時のような感覚なのか。雪は見たことがあるはずだけど……冷たさと映り込みの組み合わせが珍しいのかもな』
「終わったぞ」
「パパ、なにしたの?」
「リオラの髪はすごく綺麗だから、大事にしないとな」
髪留めをつけて整えると、彼女は嬉しそうに笑った。
一階の食堂へ降りると、香ばしい肉や焼きたてのパンの匂いが漂ってきた。エヴァは昨日と同じ席に座り、俺たちを待っていた。
「リオラ、とっても可愛いわね」エヴァが優しく言う。
「パパが髪をやってくれたの!」リオラは得意げに胸を張った。
俺は少し驚く。『……俺のことだから、すぐに心を開いたのか』
「遅かったわね。料理、冷めちゃうところだった」
「父娘の時間を過ごしてたんだ」俺は笑って返す。
三人で小さな朝の幸せを分け合いながら食事を始めた。
――料理は二種類。
根菜と肉の入った黄金色のスープ。
厚切りのキノコに濃厚なソースを絡めた皿。
リオラにスプーンを冷ましてから差し出すと、彼女は嬉しそうに口を開けた。
『魔法で冷やすこともできるけど……こうして手間をかける時間が、何より大切なんだ』胸が静かに満たされていく。
食後、エヴァが尋ねる。
「これからどこへ行くの?」
「魔王国との国境だ」
彼女の表情が硬くなる。「なぜ……?」
「アンデッドを殲滅する」
「功績を狙ってるの?」
「違う。ただ力が必要なんだ。俺たちを守るために。そのためにクラスを手に入れる」
エヴァはしばし黙り、やがて小さくうなずいた。
朝食を終え、冒険者ギルドへ向かう。エヴァは回復薬を購入し、俺はポーション代を払い袋に収めた。
リオラは人混みに怯え、小さな果実を渡すと、かじって笑顔を見せた。
「おいしい!」
その時、近くで冒険者が噂話をしていた。
「聞いたか? 勇者パーティーからアリスが抜けたらしい」
「髪の色を変えて帰ってきて、そのまま辞めたんだとさ」
「止めようとしたルシアンは茫然としてたが、ロランが場を収めたらしい」
俺は静かに思う。『ロランは冷静だな。ルシアンは衝動的すぎる』
エヴァが戻り、Bランクのカードを見せて笑った。
「うまくいったわ」
「よし。武器を買って出発だ」
三人は太陽の下、喧騒の街へと歩き出した。
――つづく
更新が一日遅れてしまってすみません。体調があまり良くなくて……。
読んでくださって本当にありがとうございます。近いうちに、もっと面白い展開をお届けできるよう頑張ります!




