第9話:嵐の前のシチュー(後編)
2025/10/26 題名変更+加筆
2026/6/2 推敲版投稿
話し合いがひと区切りついた頃には、外はすっかり茜色に染まっていた。
その後、各々がひと息ついたのち、場所はコテージの中へと移る。
簡易的な台所では、繋が一人、黙々と手を動かしていた。鍋の中では野菜たっぷりのシチューがことことと煮え、傍らではサラダチキンをのせたトマトサラダの準備も進んでいる。
夕餉の支度をしながら、繋は今日シグルから頼まれたことを思い返していた。
「ケイ様たちにはまず、南の難民拠点に向かってほしいのです」
「シグルさん。他の拠点じゃなくて、南に向かう理由を聞いても?」
「まず西の拠点は、以前顔合わせをした際に、リーダーが比較的温和な方でした。協力が得られる見込みが高いため、後回しでも支障はないと判断しました」
「東の拠点は軍事的な色が強く、もし協力を得られれば心強い味方となるでしょう。ただ、リーダーが独裁的で、内部で分裂の兆しがあるとの情報もあります。視察に行くには危険が伴いますので、こちらも後回しにすべきでしょう」
「すると、南は?」
「南の拠点は、遠見の精霊術などを使っても、誰がリーダーで、どんな思想を持つ拠点なのか、まったく把握できないのです。だからこそ、真っ先に調査すべきだと」
シグルはホワイトボードにキュッキュッとマーカーを走らせながら、そう説明してくれた。張り詰めた空気の中、夏原が遠慮がちに手を挙げる。
「話を聞いていると、西を先に押さえたほうがいいと思うのですが……」
もっともな疑問だった。ヒカルたちも思わず頷きかける。
だが――
「優先すべきは、情報の不透明さを取り除くことです。それが最も合理的かと」
「もう少しドライに言えば、曖昧な要素は先に潰しておいたほうが効率的です」
シグルは表情を変えないまま、淡々と、しかしきっぱりと言い切った。
出会ったばかりの頃と同じ、静かだが鋭い言葉の刃。その一言に、繋以外の全員が思わず背筋を正してしまう。
そんな皆の反応を見て、繋は苦笑した。
(流石だなあ、シグルさん)
相変わらずの決断力。
さすがは勇者一行の支援部隊リーダーであり、今代のエルフ王だ。
本人はヒョードルの後釜だと謙遜していたが、そんなものは肩書きにすぎない。人を動かし、大局を読む力は本物だ。
――ただし、その本人は。
「きゃーーっ!! 念願の、久しぶりのケイ様の手作りご飯ですわーっ!」
このように、全力ではしゃいでいた。
先ほどまでの張り詰めた空気が嘘のようなはしゃぎっぷりに、菊香だけでなく、珍しくヒカルまで呆けた表情になってしまう。
さらに、ここに招かれているのはシグルだけではなかった。繋の作るご飯は美味いのだと、その魅力を熱弁するシグルにつられ、夏原と晴斗もコテージに足を踏み入れている。
「ONとOFFの差が激しすぎて怖いよ~……」
晴斗の呟きに、夏原も菊香も心の中で深く同意した。とくに夏原は、真面目なシグルしか知らなかっただけに、そのギャップに戸惑いを隠せない。
「ったく、ゆっくり三人で飯を食えると思ったのによ」
ヒカルが頬杖をつきながら悪態をつく。
そんなヒカルを、菊香は「ダメだよおじさん、本当のことでも口にしちゃ」と肘でつつきながらたしなめた。
((に、似た者同士だ))
そんな二人を見て、夏原と晴斗はぴたりと同じ感想を抱く。
「そんなに期待されても、期待以上のものは出てこないよ~」
繋は軽く肩をすくめた。自分が作るのは、あくまでシンプルな家庭料理だ。目新しさなんて、そうあるものではない。
けれど、その言葉をヒカルが即座に否定する。
「いや、あの一か月、朝昼晩とお前の作ったメシを食ってたけど、どれも美味かったぞ」
「そうそう! お店の味とかじゃなくて、お家の味っていうのかな? ほっとする美味しさなんだよね」
ヒカルと菊香にそんなふうに褒められて、繋は「あ、ありがとう」と耳まで赤くしながら返した。
次の瞬間、バンッ!――と、勢いよくテーブルを叩く音が響く。
「まさか! お二人とも、朝昼晩全部ケイ様の作ったご飯を食べていたなんて!」
「なんて羨ましい!!」
「怖えよ!」
テーブル席から身を乗り出し、鬼気迫る勢いで詰め寄るシグルに、ヒカルは逃げるように上体を後ろへ反らした。
「失礼……あまりの羨ましさに、怒りが……」
シグルが咳払いとともに居住まいを正すと、ヒカルは「さっさと戻れよ」と手でしっしっと追い返す。
そんなやり取りを笑いながら見ていた夏原が、楽しげに口を開いた。
「お三方がそこまで言う渡さんのご飯、食べるのが楽しみです」
その隣で、晴斗も「自分も」と素直に首を縦に振る。
「そういえば気になってたんすけど、シグルさんって野菜以外も食べられるんすか?」
晴斗の疑問に、シグルは小さく首を傾げた。
「ああ――そういえば、以前も聞かれたことがありましたね」
口元に手を当て、シグルはくすりと綺麗に笑う。
「こちらの世界での創作上のエルフは菜食主義らしいですが……」
わずかに間を置き、もったいぶるように続ける。
「私は、なんでも食べますよ」
そう微笑んだかと思えば、
「なぜなら! 食べ物は美味しければ美味しいほどいいですからね!!」
と、目を輝かせて言い放った。
「な、なるほど……」
あまりの熱量に晴斗は驚いて固まり、ヒカルがぼそりと「菊香と同じ食いしん坊じゃあねえか」と呟く。
「んんん?? なんて言ったのかな?」
その呟きを拾った菊香は、「ねえねえ!」とヒカルを問い詰めるが、当の本人は笑って誤魔化し、明後日の方向を向いてしまう。
ひとしきり騒いだところで、繋は出来上がった料理を運びながら振り返った。
「はいはい! お待たせ。うちの畑で採れた野菜たっぷりのシチューと、サラダチキンが乗ったトマトサラダ、それから焼き立てのクロワッサンだよ~」
がやがやと賑わう食卓に、わざと大きな声で食事の合図をかける。その声に反応した面々は、それぞれテーブルにきちんと座り直した。
「あつあつだから、気を付けてね」
そう言うと、繋はテーブルの上に浮遊魔法で次々と皿やスプーンを並べていく。そして、メインのシチューとクロワッサン、さらにサラダをそれぞれの前に置いていった。
「わ、すごっ! マジの魔法だ!」
目を輝かせながら興奮する晴斗に、菊香は「だよね!」と声を弾ませ、お互いに顔を見合わせて笑う。
そんな子供二人を、四人の大人は微笑ましく見つめていた。
色とりどりのシチューに、みずみずしいトマトサラダ。そこへ焼き立てのクロワッサンのバターの香りまで加われば、それだけで腹の虫が鳴きそうになる。
ちなみに京都拠点では、シグルの精霊術によって土地を耕すなどの整備が行われており、繋の祖父の家同様、インフラは整っている。そのため、こうして栄養豊富な食事を楽しんでも罪悪感はない。
「では、それでは――」
繋が静かに目を伏せる。一瞬だけ、遠い何かを思い出したような表情がその横顔をよぎった。
だが、すぐに微笑み、顔を上げる。
六人が一斉に手を合わせた。
「いただきます」
食卓に温かな湯気と賑やかな声が満ちていく。
菊香はシチューを頬張りながら、その光景を眺めていた。
三人だけの食事も好きだったけれど、こうして新しく出会った人たちと、大勢で賑やかにご飯を食べるのも悪くないのかもしれない。そんなふうに、菊香は思う。
ふと、スプーンを持つ手が止まる。空中でわずかに揺れる銀色を見つめながら、彼女は胸の内でそっと呟いた。
(次に行く拠点では……少しでもゾンビ化について、何かわかればいいな)
シグルから聞かされた“大災害”の話は衝撃的だった。けれど、それでもなおゾンビウイルスの根本原因は謎のままだ。あのシグルですらゾンビ化の原因がわからないと言うのだから、先はまだまだ長いのかもしれない。
そう思うと、菊香は心の奥で小さくため息をつきたくなった。
でも、それでも。
少しでも進んでいるといいな、と菊香は思う。
自分たちの旅は、まだ始まったばかりだ。
少しずつだけれど、きっと何かを掴みかけている。そんな気がする。
これから向かうのは、まだ誰も知らない場所だ。どんな景色が待っているのかはわからない。
けれど。
今日みたいに笑っていられるのなら、大丈夫かもしれない。
小さな不安と、大きな希望を胸に。
菊香はそっとスプーンをすくい、あたたかなシチューを口に運んだ。
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