第10話:傷痕と真実(前編)
2025/10/26 題名変更+加筆修正
2026/6/2 大改稿版投稿
「こっちは医療エリアですね。軽症者と隔離患者は別区画になってます。物資倉庫はあっちです。あと……あ、渡さん。ここ、通路が一部潰れてるんで、足元に気をつけてください」
南の難民キャンプへ向かうまで、まだしばらく時間があった。
出発予定日がだいぶ先ということもあり、繋とヒカル、菊香の三人は、それぞれ別行動を取っていた。
(へえ〜、大学のキャンパス全部を拠点として使っているだけあって、広いなあ)
繋は夏原に案内を頼み、拠点内を一緒に見て回っていた。
二人はときおり他愛のない会話を交わしながら、ゆっくりと歩を進めていく。
案内された先々には、拠点としての機能を高めるための工夫が数多く見て取れた。
その充実ぶりに自然と感心させられる。
「さすが、シグルさんだ」
教育施設、訓練場、警備塔。さらに学校の屋上には、精霊術による結界を張るための結界制御装置まで設置されている。
想像以上に整った設備の数々に、繋は思わず感嘆の声を漏らした。
「夏原くんも、ありがとうね。案内も上手だし、こんなことに付き合ってもらってごめんね」
そう言うと、夏原は少し照れたように肩をすくめ、小さく笑った。
「慣れですよ。ここに来てから、毎日警備がてら歩き回ってるだけですから」
「いやいや、そんなことないよ。誰かを助けたいって思って動いてる証拠じゃないか。自分を褒めてあげてもいいと、僕は思うよ」
その言葉に、夏原の足がふと止まった。
――自分を褒めてあげてほしい。
何気なく向けられたその一言が、胸の奥に引っかかる。
(無理だ。自分を褒めることなんて、できない)
どれだけ気持ちを切り替えようとしても、できなかった。
初めて救助隊の仲間を失ってしまったことへの、拭いきれない罪悪感。
ともに絆を育んできた仲間たちを死なせてしまった、その事実。
胸に刻まれた傷はかさぶたにもならず、じわじわと心の内側を侵していく。
「……渡さん。俺、最近ずっと考えてたんです」
「ん? どうしたんだい?」
「あの日……出会ったばかりで、心が折れそうになってた俺に、貴方は生き残った意味を説いてくれた」
夏原の視線は、どこか遠くをさまようように揺れていた。
「そのときは、嬉しかったんです。……でも、時間が経つほど、逆に忘れられなくなってきて。頭では分かってるんです。そう思いたかっただけなんだって。でも……」
声がかすれる。
「助けられなかった人たちがいます。……今も夢に出てくる。目の前で、俺に向かって手を伸ばしてくる。でも、俺には掴めなかった。そのたびに、自分に力さえあればって、何度も……」
言葉の端々に滲む、痛みと悔い。
気づけば敬語さえ、ぼろぼろと剥がれ落ちていた。
(……俺は、何のためにここにいる……)
絞り出すような声には、怒りでも悲しみでもない、形容しがたい暗い影が滲んでいた。
繋は黙って夏原を見つめる。
返す言葉を慎重に選びながら、胸の内で考える。
ここで安易に優しい言葉をかけても、たぶん届かない。
それどころか、今の彼には毒にすらなりかねない。
だから繋は、あえてその心を揺らす言葉を投げた。
「それでも、その後悔を力に変えられるかどうかは、君次第じゃないかな」
繋は自分でも随分冷たい言葉を言ったなと心の内で沈んだ気持ちになる。本当は、こんな言葉なんてかけたくない。でも、このままだと夏原の精神が壊れてしまう。
だから、強引ではあるけど敢えて怒らせるような言葉を吐いた。
ぴり、と空気が張り詰めた。
夏原の表情が鋭く変わる。
一歩、また一歩。繋ににじり寄るその顔には、怒りと、それ以上に追い詰められた色が浮かんでいた。
「……力があるあなたに、何がわかるんだ」
震える声だった。
誰かを責めるようでいて、実際には自分自身に言い聞かせているような響きでもあった。
「俺は……俺はっ、いつも手遅れで。目の前にいたのに、届かなくて……! あのとき、もし……!」
握り締めた拳がかすかに震える。
「力があってもなくても関係ないって、あなたは言った。でもそれは、持ってる側の人間の言葉だろ……!!」
次の瞬間、衝動のまま手が伸びた。
その手は、繋の胸ぐらを乱暴に掴み上げる。
「俺が、どれだけ悔しくて、歯がゆい思いをしてるか、あなたには分からない!!」
吐き出された激情に突き動かされるように、夏原は荒い息をこぼす。
その瞳には、深い絶望と怒り、そしてどうしようもない焦燥が滲んでいた。
けれど繋は、胸ぐらを掴まれたまま静かに彼を見つめ返していた。
何も言わず、ただまっすぐに。
その沈黙を前にして、夏原の手からゆっくりと力が抜けていく。
掴んでいた拳がほどけ、だらりと落ちた。
「……あなたに、俺の気持ちなんて分かりやしない」
目を伏せた横顔は、焦燥を滲ませたまま孤独に沈んでいた。
沈黙が二人の間に流れる。
繋はすぐには何も言わない。
夏原の胸に溜まりきっていた濁った感情を、ただ受け止めるようにその場に立っていた。
ふと、繋の視線が夏原の腕に落ちる。
力みすぎたせいだろう。昨日負った傷が開き、包帯とシャツにじわりと血が滲んでいた。
張り詰めていた空気が、そこでわずかにほどけた。
繋は何も責めず、ただ静かに一歩近づく。そしてその腕を優しく取り、傷の上から手を重ねた。
静かに、魔力を灯す。
淡い橙色の光が掌からにじみ、滲んだ傷をやわらかく包み込むように癒していく。
「これは……」
「……そう。これが魔法だよ」
夏原は目を見開いた。
神秘的なその光景に見入ると同時に、別のものまで見えてしまう。
自分より背の低い繋の胸元を覗き込むような形になって、首筋から鎖骨のあたりにかけて走る、ひび割れのような傷跡が目に入ったのだ。
思わず手を伸ばしかけた、そのとき。
「……あまり見ても、気持ちのいいものじゃないよ」
繋は、困ったような顔で笑った。
「なんで……そこまでして」
戸惑い混じりの声が、頭上から落ちてくる。
繋が「どっちのことを?」と聞き返すと、夏原は小さく「どっちもです」と答えた。
「どうして、そんなになるまで魔法っていう力を欲しがったんだ? 俺もあなたみたいに、何かを捧げればいいのか?」
そのあまりに痛々しい問いに、繋は少しだけ目を伏せる。
答えは、綺麗なものじゃない。
あの時の自分はただ、必死だっただけだ。
養父であるヒョードルに迷惑をかけないで異世界で生き抜くために。
そして、死んだ両親にもう一度だけ会って話したいと、それだけのために。
その結果が、今のこの身体だ。
「僕は……僕のために頑張ってただけなんだよ、夏原くん。自分のことで精一杯で、亡くなった両親に会いたいって、それだけで魔法を使えるようになろうと必死に動いて……その結果が、こんな身体になっただけなんだ」
その言葉を聞いた瞬間、夏原の中で煮えた感情が一気に冷えていった。
なんてことを聞いてしまったんだ。と後悔が、波のように押し寄せる。
「……す、すみません……!! 俺、何てことを……!!」
繋の目の前で勢いよく頭を下げられる。
そして再び敬語に戻り、距離を取ろうとした夏原の腕を、繋はぐいと引き寄せた。
夏原が戸惑って顔を上げる。
繋はそのまま、まっすぐ彼を見上げた。
「謝らなくていい」
「っ、ですが!!」
「謝罪は受け入れないから」
唐突な一言に、夏原の眉がぴくりと動く。
「え……」
「ふふふ。これでも誠一くんより長く生きてるからね。君の焦りも、怒りも、僕は受け入れるよ」
夏原は口を開きかけて、言葉を失う。
目の前の男は自分の失態を許し、そして受け入れると笑って言ってのけた。
あまりの眩しさに、目がくらんでしまいそうになる。
「……でも、俺……あんな……」
整えていたはずの言葉が、感情に押されて崩れていく。
気づけば、いつもの丁寧な口調などどこかへ消えていた。
「いいんだよ。むしろ、そうやってぶつけてくれた方が嬉しい」
繋は柔らかく笑う。
それは慰めのためだけの笑顔じゃない。
ちゃんと、彼の本音を受け止めたうえでの笑みだった。
「君の本音が聞けたからね」
夏原は視線を逸らす。
胸の底から、じわじわと罪悪感が込み上げてくる。
「……俺、あんなこと言って……掴みかかって……最低ですよ……」
「もう、本人がいいって言ってるんだから、いいんだって」
「いや……でも……」
「はい、終わり。それ以上は聞きません」
繋は軽く笑いながら、夏原の肩を優しく叩いた。
夏原はしばらく黙ったまま、繋の目を見つめる。
そこにあったのは、責めでも軽蔑でもない。
ただまっすぐで、温かな光だった。
やがて一つ息を吐き、ぽつりと言う。
「……分かりました。でも、これだけは言わせて下さい」
いくら繋が許すと言ってくれても、ケジメは必要だ。
夏原は頭を下げ、「ごめんなさい」と謝った。
それに繋は一拍だけ驚いた表情をしたが、すぐに満足そうに微笑んで、「いいよ」と頷いた。
夏原は顔を上げて、再び繋の目と目を合わせる。
意思の強い瞳だと、夏原は感じる。
──強くて、深い。
相手の暗い感情を受け止め、導く強さを持つ繋に、夏原の心には憧れが芽生える。
(近づきたい。この人に。この人のような強さを、自分も手に入れたい)
そう心に強く思ったそのとき、ふと言葉が漏れた。
「その……今度、手合わせしてもらえませんか?」
「え?」
意外すぎる申し出に、繋が目を丸くする。
「俺に足りないものを……ちゃんと知っておきたい。あと……力がどうすれば発現するのかも、一緒に考えてほしいんです。俺一人じゃ、多分答えに辿り着けないと思うから」
少しだけ言い淀んでから、さらに続ける。
「あと、その、もし良かったら、あなたの異世界でのことも聞けたら嬉しいです」
気恥ずかしさに、夏原は思わず目を逸らしてしまう。
八つ当たりをして、受け止められて、今度はこの人に甘えて頼ろうとしている。
そのことに、非常にいたたまれなくなる。
しかし、そんな夏原とは裏腹に、繋は喜びの色を浮かべた。
柔らかく少し目を細めると、夏原のことを思って、少し揶揄ってみせた。
「ふふふ。まるで弟子ができたみたいだね」
「えっ……!」
夏原の目が思わず見開かれる。
繋はくすりと笑うと、すぐに「冗談だよ」と付け加える。
しかし、想定外なことに、夏原は首を思いきり横に振った。
そして食いつくようにがしりと繋の両肩を掴む。
一瞬、繋は「おや」と目を瞬かせた。
どこかで見たことのある反応だと感じた次の瞬間、過去の光景が脳裏によみがえる。
そのときの相手と、今の夏原の姿がぴたりと重なった。
拠点内に響くほどの大声で、はっきりと言った。
「弟子にしてください!!」
「…………ん?」
あまりにも既視感のある流れに、繋は思わず内心で苦笑した。
もし良かったら、ブックマークかスタンプでも押して貰えると更にやる気が出ます・・・!




