第2話:約束のハグ
2026/10/12 第3話の前編と後編を一つにして改稿
元の「女神は心配する」は小話へ移行
人族が統治する王国へ戻ったあと、国は各種族を招き、魔王を討伐したスヴィグルたちを盛大にもてなした。
王城へ向かう道すがら、大勢の人々が感謝と称賛を惜しみなく送ってくる。
繋たちは揃って落ち着かない様子を見せながらも、どうにか笑顔でその声に応えた。
玉座の間へ着くと、そこには他の勇者パーティーや各種族の王たちが集まっていた。
感謝の言葉を受け、褒美を授けられ、長い戦いを終えた者同士で労いの言葉を交わす。
その後、街では魔王討伐を祝う祭りが開かれた。
色鮮やかな花火が、夜空を朝のように明るく照らす。
繋たちは笑い、食べ、酒を酌み交わしながら、夜が明けるまで祭りの喧騒に身を置いていた。
◇
「うっ……昨夜は飲みすぎた……」
「他の勇者パーティーのリーダーたちと、気絶するまで飲んでたもんね」
朝日が差し込み始めた頃。
スヴィグルは宴会場に残された机へ突っ伏し、気持ち悪そうに唸っていた。
向かいに座った繋は、そんな彼へ白湯を差し出す。
「はい」
「サンキュ……」
スヴィグルは白湯を受け取り、少しずつ口へ運んだ。
スノトラは家族に会うため、祭りの途中で席を外している。
ベオウルフも、ようやく和解できた家族や故郷の村人たちと一緒に過ごしていた。
ヒョードルも、魔王討伐の支援に関わった重役たちと話すため、昨夜のうちに別れている。
朝を迎えた宴会場に残っているのは、繋とスヴィグルだけだった。
「ああ……とうとう朝か……」
スヴィグルはゆっくりと顔を上げ、散らかった皿やグラスの向こうで気怠げに呟いた。
そのまま、しばらく黙って繋を見つめる。
「なあ……どうしても、今日じゃないといけないのか?」
「スヴィグル……」
「分かってんだ。世界を渡るなら、今日が一番いいんだろ」
フリッグの力を借りても、世界と世界の境界を越えるのは容易ではない。
魔王が討たれ、世界を縛っていた大きな力が消えた今だからこそ、地球へ続く道を開くことができる。
次の機会がいつ訪れるのかは、フリッグにも分からなかった。
それでも、とスヴィグルは続ける。
酒が残っているせいか、普段よりもずっと感傷的だった。
「オレはさ……何度も言ってるけどよ。家族を魔獣に殺されて一人になって、勇者の訓練へ参加したのも、生きる理由が欲しかったからなんだ」
繋は頬杖をつき、何も言わずに耳を傾ける。
「そこに、お前がいた。同じように親を亡くして、それでも必死に生きててさ」
スヴィグルは白湯の入った器へ視線を落とした。
「神さんが、もう一度オレに家族をくれたんじゃねえかって思ったんだよ」
酒に任せた言葉ではない。
これまでにも、幾度となく伝えられてきた言葉だった。
それでも繋は少し恥ずかしくなり、目を伏せる。
スヴィグルと出会い、共にヒョードルの訓練を受け、二人だけの勇者パーティーとして歩き始めた頃を思い出した。
「ふふ……一緒にヒョードルの家で訓練してた頃から言ってるけど、僕はとっくに家族だと思ってるよ」
「ナハハ! 確かにそうだったな」
スヴィグルは豪快に笑った。
だが、その笑いはすぐに消える。
ゆるりと顔を上げると、真っ直ぐに繋を見つめた。
「なあ。あの日に契りを交わした通り、お前とオレは半分で一人だ」
力強く、けれど今にも泣き出しそうな声だった。
「あっちへ行っても忘れんなよ、オレの半身」
「……うん。忘れないよ」
繋は穏やかに微笑んだ。
「絶対に」
その答えを聞いて安心したのか、スヴィグルは満足そうに目を細めた。
そして次の瞬間、どん、と机へ額をぶつける。
「えっ?」
スヴィグルはそのまま動かなくなり、間もなく規則正しい寝息を立て始めた。
「スヴィグル?」
返事はない。
どうやら、再び眠ってしまったらしい。
呆気に取られていた繋は、やがて声を抑えて笑った。
「ほんっと、ありがとうね。スヴィグル」
まだ早朝で、仲間たちと合流するまでには時間がある。
繋は魔法でスヴィグルの巨体をふわりと浮かせると、自分も少し休むため、二人で泊まっていた宿へ戻った。
◇
昼を迎えた頃。
スヴィグルと繋が泊まっている宿へ、スノトラ、ベオウルフ、ヒョードルが迎えに来た。
繋を除く四人は、すでに身軽な服装へ着替えている。
一方、地球へ旅立つ繋は、魔王討伐の旅へ出るときと同じように、魔法のトランクケースへ様々な物資を詰め込んでいた。
保存の利く食材。
旅先で使う生活用品。
ヒョードルとスノトラが用意してくれた軽食。
そして、概念抽出魔法の媒体となる、数多くの花の栞。
ゾンビによって滅びかけているという地球で、何が起きても対応できるよう、考えられる限りの準備を整えた。
「忘れ物はないか?」
ヒョードルに尋ねられ、繋はトランクケースの中をもう一度確認した。
「うん。大丈夫だと思う」
「本当に?」
「……多分」
「ケイの大丈夫と多分ほど、信用できないものもないわ」
スノトラが呆れたように腰へ手を当てる。
「ひどいなあ」
「これまでの自分の行いを振り返ってから言いなさい」
「ナハハ! そいつはスノトラの言う通りだぜ」
「スヴィグルまで……」
繋が困ったように眉を下げると、ベオウルフが笑いながらその背を叩いた。
「忘れ物があったら、また取りに来ればいいだろ」
「簡単に世界を行き来できないから、こんなに確認してるのよ!」
「いてっ! 蹴るなよ!」
いつもと変わらないやり取りに、繋は思わず笑った。
これから別れるのだという実感が、一瞬だけ薄れる。
そうして一行は、前夜の楽しい余韻と、別れを前にした寂しさを抱えながら、女神の神殿へ向かった。
神殿があるのは、王国から少し離れた丘の上だった。
周囲には、古代の遺跡を思わせる欠けた建造物が残っている。
草木は伸び放題で、石造りの建物も崩れたまま放置されていた。
「にしても、いつ来ても女神さんの神殿がある場所とは思えねえよな」
スヴィグルが両手を頭の後ろで組み、周囲を見回す。
神を奉る場所にしては、あまりにも手入れが行き届いていない。
その言葉を聞いた繋は、以前フリッグから聞いた話を思い出した。
大切なのは、信仰する者の心の在り方だ。
私を敬う気持ちがあるなら、祈る場所などどこでも構わない。
こんな時代に、神殿へ無駄な金や労力を使うな。
フリッグは、そのような神託を神官たちへ下したのだという。
「でも……これだけ荒れてるのに、魔力じゃなくてマナ――神聖な力の方が満ちてるのよね。さすが本殿だわ」
スノトラが興味深そうに辺りを見渡す。
そのとき、先頭を歩いていたヒョードルが足を止めた。
「ほら、着いたぞ」
「あれ? 神殿まで、まだ少し先じゃなかったか?」
ベオウルフが目を丸くする。
「あちらにあるのは、外から訪れた者たちが祈りを捧げるための神殿じゃ。御上が降臨なさる本殿は、結界で隠してある」
そう説明し、ヒョードルは何もないように見える空間へ手を伸ばした。
指先が触れた場所から、波紋のような光が広がっていく。
風景が揺らぎ、その向こうから古びた大きな扉が姿を現した。
「さあ、こちらだ」
ヒョードルが扉を押し開ける。
神殿の内部には、蔦に絡まり、苔に覆われた巨大な女神像が鎮座していた。
高さは十メートルほどだろうか。
像はあちこちが欠け、長年の風雨に晒された跡が残っている。
それでも、崩れた天井の隙間から差し込む光が、その古びた姿へ神秘的な美しさを与えていた。
「でっけー……」
ベオウルフが、素直な感想を漏らす。
「本当にね」
繋も女神像を見上げながら微笑んだ。
五人は女神像の前へ進み、ヒョードルを中心にして横一列に並ぶ。
ヒョードルが膝を折り、胸元で指を組んで祈りを捧げると、他の四人もそれに倣った。
間もなく、女神像の上空から一筋の光が差し込んだ。
光の中から、銀色の髪を持つ一人の女性が姿を現す。
女神フリッグだった。
フリッグは繋を一瞥したあと、その場に集まった者たちを見渡した。
「久しいな。ケイとヒョードル以外は、旅立つ前以来だったか」
平坦で、どこか尊大な口調は、いつもと変わらない。
「長きにわたる魔王討伐、ご苦労だった。皆々の働きに、心から感謝する」
女神から直々に贈られた労いの言葉を受け、四人は深く頭を下げた。
「だが、魔物や魔獣の残党は、まだ各地に潜んでいる」
神妙に聞いていたベオウルフの顔が、目に見えて曇った。
「それでも、魔王という最大の脅威は、ひとまず退けられた。これで数百年は、多少なりとも平和が続くだろう」
「……やっぱり、魔王を倒しても魔物や魔獣は消えねえのかよ。しかも、数百年しかもたねえって……」
ベオウルフが、げっそりした顔で肩を落とす。
フリッグは腕を組み、困ったようにため息をついた。
「私の方でも、その都度、対策は講じている。だが、魔王が生まれる条件は、神界でも未だ完全には解明されていない」
そこまで告げると、僅かに表情を曇らせた。
「魔王とは、この世界が進化する過程で発生する、成長痛のようなものだと考えた方がよいだろうな」
「成長痛って……理解したくないわよ、そんなの!」
スノトラが声を上げる。
「この世界が続く限り、魔王も生まれ続けるってことでしょ!? やってらんないわよ!」
「本当にね……」
繋も乾いた笑いを漏らしながら、こくこくと頷いた。
「せっかく倒したってのに、まだ残党もいるんだろ?」
「少しは楽させろよなあ」
スヴィグルとベオウルフまで愚痴を零し始める。
魔王を倒しても、すべての問題が消えるわけではない。
むしろ、各地に残った魔物や魔獣への対処は、これからが本番だった。
次第に収拾がつかなくなっていく勇者たちを見て、フリッグは、んんっ、とわざとらしく咳払いした。
「それで、お前たち」
全員の視線がフリッグへ集まる。
「別れの言葉は、もう済ませたのか?」
その一言で、場がしんと静まり返った。
つい先ほどまでの賑やかさが嘘のようだった。
短い沈黙のあと、スヴィグルが答える。
「ああ。昨日にな」
「そうか」
フリッグは頷いた。
それから、何かを見透かしたように、口元をニヤリと僅かに歪める。
「それで、本当に充分なのか?」
その途端、真っ先にスノトラが爆発した。
「はあああっ!? そんなわけないじゃないですか!」
「お、おう」
「まだまだ言い足りません! 急すぎるのよ! 魔王を倒して、これからやっと皆でゆっくりできると思ってたのに!」
予想以上の勢いに押され、フリッグが僅かにたじろぐ。
それを皮切りに、ベオウルフとスヴィグルも、それまで抑えていた不満を吐き出した。
「魔王を倒した余韻に浸る間もなく、ケイと別れるんだぞ! 正直、気持ちが追いついてねえよ!」
「ほんとだぜ! こっちは泣きてえのを必死に誤魔化して、格好つけてたってのによ!」
「御上も意地が悪いですな」
最後にそう零したのは、珍しくヒョードルだった。
普段なら誰よりも冷静で、騒ぐ者たちを諭す立場にいる。
そんな彼もまた、繋が地球へ帰ると聞いてから、ずっと穏やかではいられなかったのだ。
もちろん、繋の決断を否定するつもりはない。
両親との過去に区切りをつけたいという願いも、尊重している。
それでも、家族である自分にだけは、もう少し早く相談してほしかった。
その寂しさまで、なかったことにはできなかった。
「ケイ」
「ヒョードル……」
繋は気まずそうに目を逸らした。
自分がヒョードルを傷つけたことを理解しているからこそ、その顔を真っ直ぐに見ることができない。
ヒョードルは、そんな繋の前まで歩み寄った。
両腕を回して抱き寄せると、そのまま軽々と身体を持ち上げる。
「ヒョードル!? ちょっ、恥ずかしいって!」
「ほんっとうに、お前は……」
ヒョードルの声に、怒りはなかった。
どこか拗ねたようでいて、どうしようもなく優しい声音だった。
「せめて儂にだけは、先に相談してほしかったな」
「ごめん……」
繋は抱き上げられたまま、小さく謝った。
「本当は、ヒョードルに一番に話したかったんだ。でも、どう言えばいいのか分からなくて……タイミングも見つけられなかった」
「いや。もういいんだ」
ヒョードルは繋を床へ下ろすと、少し乱暴にその頭を撫でた。
昔の繋も、何か迷惑をかけたと思うたび、このように黙って俯いていた。
ヒョードルは一度たりとも、繋を迷惑だと思ったことはない。
むしろ、もっと頼ってほしかった。
見知らぬ世界へ迷い込み、見知らぬ種族に囲まれ、両親に愛されないまま死に別れた子供。
生きる術を求められるまま、戦うための知識と技術を叩き込んだ。
それが必要だったとはいえ、今も後悔している。
本当はもっと、一緒にいる時間を増やせばよかった。
戦う術よりも先に、家族として過ごす温かな時間を教えてやりたかった。
それでも、繋は大きくなった。
人族にとっては、もう充分に大人と呼ばれる年齢になった。
ヒョードルの長く退屈だった人生へ、数え切れない変化をもたらしてくれた大切な息子。
ヒョードルは両手で繋の頬を包み、その顔を上げさせた。
「また元気な姿で、儂の前へ遊びに帰ってくるのを楽しみにしているよ」
そう言って、もう一度繋を抱き締める。
「愛しているぞ、ケイ」
「……うん」
繋はヒョードルの背中へ腕を回した。
「僕も愛してる。ありがとう、ヒョードル」
しばらく息子の温もりを確かめてから、ヒョードルは名残惜しそうに腕を解いた。
「さあ! 儂以外にも、言いたいことがたんまりあるらしいぞ」
ヒョードルは繋の背中を軽く叩き、その両肩を掴んだ。
ぐるりと身体の向きを変え、待っていた仲間たちと向き合わせる。
「じゃあ、私から行くわ! 他の男どもは、いつまでもうじうじ考えてるみたいだし!」
真っ先に手を挙げたのはスノトラだった。
「うじうじって、お前なあ……」
「反論があるなら、先に言えばよかったでしょ」
スヴィグルの抗議を一蹴し、スノトラは繋の前まで歩いてくる。
そして右手を宙へかざした。
次の瞬間、何もなかった空間から、一本の長杖が姿を現した。
長さは百七十センチほど。
神木から作られた杖の先端は、古い鍵のような形をしている。
表面には細かな魔法文字が刻まれ、持ち手には青と黒の魔法布が巻かれていた。
「ほら、ケイ。手を出して」
言われるまま、繋は両手を差し出す。
スノトラは、その手の上へ大切そうに長杖を置いた。
「スノトラ……これは?」
「魔王との戦いで、ケイの魔杖が折れちゃったでしょ? 予備はあるだろうけど、あれじゃ使いにくいと思って」
スノトラは少しだけ緊張した顔で、繋の反応を窺う。
「だから作ったの。ケイ専用に調整した魔杖よ」
繋は目を見開いた。
魔杖を作るためには、通常の魔法とは異なる専門知識が必要になる。
一人の魔法使いに合わせた専用の杖となれば、優れた杖職人であっても、完成させるのは容易ではない。
そんな繋の驚きを見て、スノトラは満足そうに胸を張った。
「接近戦でも使いやすい長さにしてあるし、普段は短くして持ち運べるわ。もし壊れても、私の杖と同じ神木製だから、時間をかければ自己修復する」
そして、少し身を乗り出す。
「ちゃんと使えるか、試してみて」
「うん」
繋は頷き、長杖へ魔力を流した。
じんわりと淡い橙色の光が灯り、刻まれた魔法文字に沿って杖全体を走っていく。
「すごい……」
魔力が、何の抵抗もなく杖の隅々まで行き渡った。
普通なら、新しい魔杖が使い手の魔力へ馴染むまでには時間がかかる。
だが、この杖は最初から、何年も使い続けてきたかのように手へ馴染んでいた。
繋は長さを変え、軽く振り、いくつかの小さな魔法を発動させてみる。
いずれも問題はない。
それどころか、これまで使っていた魔杖よりも魔力の流れが滑らかだった。
スノトラは緊張した顔で見守っていたが、繋が問題なく扱う姿を確認すると、ほっと息を吐いた。
長く共に魔法を学び、互いの癖や魔力の性質まで知っているからこそ完成した、繋のためだけの杖だった。
「スノトラ」
試し終えた繋は顔を輝かせ、スノトラの手を取った。
「本当にありがとう。こんなに素敵な杖を作ってくれて」
「ま、まあね! これくらいの杖なら、別に普通っていうか……私じゃなくても作れるっていうか……」
「そんなことないよ」
繋は迷うことなく言い切った。
「これまで新しい攻撃魔法をたくさん作って、今度は専用の魔杖まで完成させた。君は本当にすごい魔法使いだよ」
「そ、そう?」
「そうさ」
「う……」
「うん?」
「う~~~っ!」
惜しみなく注がれる賞賛へ耐え切れなくなったスノトラは、顔を真っ赤にして奇妙な声を上げた。
そして両手で顔を隠し、そのまま少し離れた柱の陰へ逃げ込んでしまう。
「あれ……?」
長杖を手にしたまま、繋は取り残された。
「フハハハ! 気にするな。照れ隠しだろうよ」
ヒョードルが、楽しそうに繋の肩を叩く。
「それにしても、さすがはスノトラだ。よくできている」
「本当にね」
繋は改めて長杖を眺め、大切そうに表面を撫でた。
柱の陰では、スノトラが赤くなった顔を押さえながら、深く息を吐いていた。
「はあ……まったく。あのすぐに褒める癖は、本当に毒だわ……」
繋と出会ったばかりの頃、スノトラは初歩的な魔法すら上手く使えなかった。
周囲が次々と魔法を習得する中、自分だけが取り残され、いつしか自分には何の才能もないと思い込んでいた。
そんな彼女を、補欠の勇者だったスヴィグルと繋が仲間に誘った。
どうせ他に魔法使いがいなかったから、仕方なく自分を選んだのだ。
そう思って逃げ出したスノトラを、繋は追いかけてきた。
泣きながら拒絶する彼女の前で、繋は紅茶を出す生活魔法を見せた。
攻撃魔法には向いていない。
回復魔法も人並みで、得意なのは生活魔法と補助魔法だけ。
自分もまだ途中だから、一緒に旅をしながら頑張ってみないか。
繋はそう言って、スノトラへ手を差し伸べた。
やがてヒョードルの指導によって、魔法を扱えなかった原因が、才能の不足ではなく、制御できないほど膨大な魔力量にあったと判明した。
繋と共に研鑽を続け、数々の新しい魔法を生み出したスノトラは、いつしか天才と呼ばれるようになった。
そして繋もまた、彼女と魔法を研究する過程で、概念抽出魔法へ辿り着いた。
「あのとき、ケイが見つけてくれなかったら……」
今の自分は、きっとここにはいない。
スノトラは柱へ背を預け、誰にも聞こえないほど小さな声で呟いた。
「私を見つけてくれて、ありがとう」
「お前、いつの間にあんなのを作ったんだ?」
「ぎゃあっ!」
すぐそばから声をかけられ、スノトラが飛び上がる。
振り返ると、ベオウルフが不思議そうな顔で立っていた。
「急に後ろへ立たないでよ!」
「いや、だいぶ前から呼んでたぞ」
「まさか、今の聞こえてた?」
「まあ……」
「もうっ!」
スノトラが再び顔を覆う。
ベオウルフは気にした様子もなく、繋が持つ長杖へ目を向けた。
「それにしても、あんなすげえもん、いつ作ってたんだ?」
「前々からよ。本当は……ケイの誕生日に渡すつもりだったの」
スノトラは自分の赤い髪を指先で弄りながら、残念そうに答えた。
旅が終わったら、平和になった世界を皆で巡りたい。
各地で酒を飲み、繋の料理を食べながら、今度は戦うためではない冒険をしたい。
以前、五人でそんな話をしていた。
「そりゃあ、残念だったな」
ベオウルフも、同じように寂しそうな顔をした。
それから何かを決意したように頷き、ズボンのポケットへ手を入れる。
「ケイ! ほらよ!」
「え?」
ベオウルフが投げたものを、繋は慌てて受け止めた。
それは、銀色のネックレスだった。
簡素な銀の鎖に、獅子の紋章が彫られたペンダントが付いている。
「それ、魔除けと病除けの護符なんだ」
ベオウルフは、照れくさそうに頭を掻いた。
「俺の故郷じゃ、一人前の戦士になったときにもらうものでさ。けど俺は、この通り病気も呪いも効きにくい体質だからな」
そして、にっと笑う。
「だから、ケイにやるよ」
「でも、これはベオウルフにとって大切なものなんじゃ……」
「大切だから、お前に渡すんだよ」
迷いのない答えだった。
かつてベオウルフは、魔物の呪いが蔓延した故郷で、たった一人だけ影響を受けなかった。
そのせいで村人から疑われ、孤立し、誰も信じられなくなっていた。
問題が解決したあとも、スヴィグルたちから差し伸べられた手を拒み続けた。
そんな彼を無理に連れ出そうとせず、ただ隣に居続けたのが繋だった。
最初は挨拶だけ。
次は、何でもない日常の話。
話したくない日には何も尋ねず、黙って同じ時間を過ごした。
そうした日々が一か月ほど続いた頃、ようやくベオウルフの方から繋の手を掴んだ。
今の自分は、あのとき差し出された手を取ったから、ここにいる。
だからこそ、自分の代わりに、この護符が繋を守ってほしかった。
「遊びに帰ってこられたら、いつか話してた冒険に行こう」
ペンダントを大切そうに握りながら、繋が言う。
「これも、大切にするよ。本当にありがとう」
「ああ。約束だからな」
「それと、ベオウルフ」
「ん?」
「ちゃんと身体には気をつけるんだよ」
最後まで自分ではなく、こちらの心配をする。
ベオウルフは呆れながらも、胸の奥が熱くなるのを感じた。
「その言葉、そっくり返すぜ」
二人は笑い合い、ぱん、と約束のハイタッチを交わした。
「ほらよ。最後はリーダーだ」
ベオウルフに話を振られ、全員の視線がスヴィグルへ集まる。
スヴィグルは少し離れた場所に立ち、後頭部をがしがしと掻きながら唸っていた。
「ああでもねえ、こうでもねえ……」
「遅い! さっさと言いなさいよ!」
いつまでも動かないスヴィグルに痺れを切らし、スノトラが声を上げる。
「分かってるんだが、だがなあ……」
「なによ!」
「言いてえことが多すぎて、まとまらん!」
しょんぼりと訴えるスヴィグルのふくらはぎを、スノトラが容赦なく蹴りつけた。
「いてっ!」
「そんなの、他の皆だって同じよ! まとまらないなら、そのまま全部ぶちまけなさい!」
「こ、こら! やめろって! ベオウルフも笑ってないで止めてくれ!」
「いや、スノトラの言う通りだぜ、リーダー」
「お前まで!」
最後まで賑やかな仲間たちを眺め、繋はヒョードルと一緒に笑った。
今朝、スヴィグルから欲しかった言葉はすでにもらっている。
だから、もう充分だと思っていた。
それでもスヴィグルにとっては、まだ足りなかったらしい。
「ああ、もう! 分かった、分かった!」
とうとう腹を括ったのか、スヴィグルは左手の親指にはめていた、飾り気のない銀のサムリングを外した。
そして繋の前まで歩み寄ると、その左手を取る。
「うん?」
「恥ずかしいから、少し黙って聞いてろよ」
「分かったよ」
スヴィグルは、先ほどまで自分が身につけていたリングを、繋の掌へそっと置いた。
「これはな、願掛けっていうか……お守りみたいなもんだ」
それまでのぶっきらぼうな態度が消え、その声が真剣なものへ変わる。
「スノトラみたいに、気の利いた魔法の道具じゃねえ。ベオウルフと似たようなもんになっちまって悪いが……」
「早い者勝ちだな」
「うるせえぞ、そこ!」
茶々を入れたベオウルフを一喝してから、スヴィグルは繋へ向き直った。
「こいつは、何かを成し遂げるためのお守りだった。仲間全員が無事に旅を終えられるようにって、願いを込めてたんだ」
繋は掌の上にあるリングへ目を落とした。
長い旅の間、ずっとスヴィグルの手にあったものだ。
戦いの中でも。
苦しいときも。
仲間を守るために立ち上がるときも。
彼の左手には、いつもこのリングがあった。
「オレたちの旅は、昨日で一度終わった」
スヴィグルは繋の手を包み、リングを強く握らせる。
「だから今度は、お前とまた会えるまでのお守りだ。持っていけ」
「スヴィグル……」
「世界が違ったって、オレたちが半身じゃなくなるわけじゃねえ」
スヴィグルは、にかっと笑った。
そして繋へ向かって拳を突き出す。
「オレのフォルハルファ――魂の片割れよ!」
繋も、リングを握ったまま拳を作った。
「また必ず会おう!」
「……うん!」
二人の拳が、静かにぶつかる。
「必ず、また会おう。スヴィグル!」
交わした拳を離した直後、スヴィグルは繋の身体を力強く抱き締めた。
「ちょっ、スヴィグル……苦しいっ!」
「少しくらい我慢しろ。次に抱き締められるのが、いつになるか分からねえんだからよ」
「……そう、だね」
繋も素直に両腕を回し、スヴィグルの大きな背中を抱き締め返した。
十年を共に過ごした親友。
家族。
片翼。
魂の半身。
何度も喧嘩をし、何度も互いを助け、どちらかが道を踏み外しかけるたび、残った方が引き戻してきた。
「約束、忘れんなよ」
スヴィグルが、繋の耳元で告げる。
「これ以上、一人で何でも背負うな。自分を傷つけんな。絶対に生きて、オレたちのところへ帰ってこい」
「うん」
繋はその背中を抱き締めたまま、静かに答えた。
「約束するよ」
やがて、二人は名残惜しそうに身体を離した。
「次は私!」
待ち切れなかったように、スノトラが繋へ飛びつく。
「うわっ!」
「杖、大切に使いなさいよ! 壊れても直るけど、雑に扱っていいって意味じゃないんだからね!」
「分かってるよ。大切にする」
「それから、ちゃんとご飯を食べて、眠って、怪我をしたら休んで――」
「スノトラ、ヒョードルとスヴィグルみたいになってるよ」
「うるさい! 心配なんだから仕方ないでしょ!」
スノトラは、繋の服を強く掴んだ。
「何年かかっても、あんたを迎えに行ける魔法を作るから」
震える声で、それでもはっきりと言い切る。
「あっちで気長に待ってなさい」
「……うん。待ってるよ」
繋は兄が妹へするように、スノトラの赤い髪を優しく撫でた。
「ありがとう、スノトラ」
スノトラの次には、ベオウルフが繋を抱き締めた。
「ケイ。違う世界へ行っても、俺たちは兄弟だからな」
「もちろんだよ」
「絶対に忘れんなよ」
「忘れるわけないよ」
ベオウルフの腕にも力がこもる。
本当は、帰らないでくれと言いたかった。
だが、繋が過去へ区切りをつけるために必要な旅ならば、引き止めることはできない。
「次に会ったときは、絶対に皆で冒険しようぜ。今度は魔王も魔獣も関係ない、ただの旅だ」
「うん。いろんなところへ行こう」
「それで、お前の料理を腹いっぱい食わせてくれ」
「ふふ。任せてよ」
二人は笑い合いながら、もう一度強く抱き締め合った。
最後に、ヒョードルが繋の前へ立つ。
「先ほど抱き締めたばかりだが、儂ももう一度よいか?」
「もちろん」
繋の答えを聞くと、ヒョードルは大きな腕で息子を包み込んだ。
繋もその胸元へ顔を寄せ、背中へ腕を回す。
異世界へ来たばかりで、右も左も分からなかった自分を拾い、育て、守ってくれた父親。
強くなる方法だけではない。
生きることを。
人に愛されることを。
家族と共に過ごす温かさを教えてくれた。
「どれほど離れていても、お前は儂の息子だ」
「うん」
「何も成し遂げられなくともよい。両親を供養できなくても、過去へ区切りをつけられなくてもよい」
ヒョードルは、繋の髪を優しく撫でる。
「ただ、生きて帰ってこい」
繋は目を閉じ、その温もりを胸へ刻み込んだ。
「分かった。必ず帰ってくるよ」
自分を囲む大切な家族を、一人ずつ見つめる。
「みんな……今まで、本当にありがとう」
「別れみてえに言うなよ」
スヴィグルが、すぐに言い返した。
「今までじゃねえ。これからも、だろ?」
繋は僅かに目を見開く。
それから、涙を堪えながら笑った。
「そうだね」
世界が違っても、結ばれた縁まで消えるわけではない。
これが永遠の別れになるなど、誰一人として思っていなかった。
「これからも、よろしくね」
再び集まった四人の腕が、繋を中心に重なっていく。
「ちょっ、待って。みんな一緒は苦しいって!」
「ナハハハ! 少しくらい我慢しろ、オレの半身!」
「今さら恥ずかしがらないの!」
「違う世界でも俺達は兄弟だぜ、ケイ!」
「フハハハ! しっかり儂らの温もりを覚えていけ!」
「ちょっ、本当に潰れるってば!」
苦しいと言いながらも、繋は笑っていた。
こんなにも誰かから必要とされ、愛されたことなど、地球にいた頃には一度もなかった。
自分を囲む腕の温もりが、胸の奥まで染み込んでくる。
たとえ世界に隔てられても、この温もりを忘れることはない。
また、必ず会える。
その約束を胸に刻みながら、繋は家族全員を力いっぱい抱き締め返した。
いつも読んで頂いてありがとうございます!
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