第19話:譲れない戦い
最初の攻撃は、繋の真下から現れた。
地面を突き破り、鋭い木の槍が突き上がる。
繋は横へ跳び、そのまま空中へ浮かび上がった。後を追うように、無数の木槍が伸びてくる。その隙間を縫って躱すと、今度は壁から複数の蔦が襲いかかった。
「フィム・ブロザ!」
5枚の花弁を象った魔法の盾が、殺到した蔦を受け止める。表面を軋ませながらも盾が持ち堪えていることを確かめ、繋はさらに高度を上げた。
頭上では、絡み合った枝葉が音を立てている。足元の根も、行く先を探るように蠢いていた。
(なるほど)
地面も、壁も、天井も。このドームを構成する樹木のすべてが、想の武器なのだ。
「逃げてるだけかよ!」
想が地面を蹴った。その足元へ太い根がせり上がり、身体を乗せたまま一気に伸びる。
目前へ迫った木槍を、繋は硬化魔法で補強した長杖で受けた。硬質な音が響く。正面から競り合わず、穂先を滑らせて受け流し、想の脇を抜けた。
直後、天井から木の棘が降り注ぐ。繋は杖を回転させ、迫るものだけを撃ち落とした。砕けた木片が頬をかすめ、足元へ散っていく。
先ほどから、想は攻め続けている。それでも、繋は一度も反撃していなかった。
「俺を馬鹿にしてんのかっ」
「してないよ」
「なら攻撃しろ!」
「君を、いたずらに傷つけたいわけじゃない。止める隙を探してるだけだ」
「その余裕も崩してやる!」
想の声に呼応し、ドーム全体が揺れた。壁を伝っていた蔦が束になり、二本の巨大な腕へ変わる。左右から迫った掌が、繋を押し潰そうとした。
しかし、その動きは目前で止まった。
「なっ……!」
「――グロウ」
繋の指先から、淡い光が伸びていた。
「植物操作は、僕もできるからね」
巨大な腕も、もとは無数の蔦だ。その一部へ干渉し、絡み方を変える。束の内側で蔦同士が締まり合い、腕はそれ以上動けなくなっていた。
「まだだ!」
根を操り、想が再び距離を詰める。
繋は腕の脇を抜け、地面へ降りた。追ってきた槍を弾き、杖の柄で次の突きを逸らす。
二人の足が土を蹴り、槍と杖が何度も音を響かせた。
想の方が背は高く、身体にも厚みがある。だが、渾身の一撃を繰り出すたび、繋はその軌道から半歩だけ外れていた。
異能へ覚醒して、三年にも満たない想。
対する繋は、十六年もの間、死と隣り合わせの異世界を生き抜いてきた。
その経験の差は、激情だけで埋められるものではなかった。
槍と杖が噛み合う。押し合う武器の向こうで、想の顔が歪んだ。
「なんで本気にならねえ! この間会ったときは、本気だったろうが!」
「本気だよ。君と、ちゃんと向き合おうとしてる」
「だったら、あんたの本音を見せろよ!」
「君は、どうしてそこまで――」
言い終える前に、足元が隆起した。根が二人の間へ割って入り、繋は後方へ飛び退く。
想の背後で、無数の根が絡み合った。
腕。胴体。脚。
木が軋む音を立てながら、天井へ届きそうな巨人が立ち上がる。差し出された掌へ想が飛び乗ると、巨人は彼を肩まで運んだ。
「――ヴィズヨトゥン。樹木の巨人だ」
見下ろす想の顔を見上げる。顔をくしゃくしゃにして、歯を食いしばり、何かに耐えるような顔をしている。
「なんで怒らねえんだよ!」
巨人が片腕を振り上げる。拳の先から枝が伸び、巨大な槍へ形を変えた。
「親父を憎んでんだろ! 親父と暮らしてた俺のことだって、憎いんじゃねえのかよ!」
繋は息を詰めた。杖を握る手へ、知らず力がこもる。
想を憎んではいない。けれど、彼が自分の知らない父親を知っていることは怖かった。
父親を、完全には憎めない。それでも、許せないことはある。
母親との記憶を捨ててしまいたい。同時に、供養したいとも思っている。
矛盾している。
けれど、そのすべてが繋の本心だった。
「全部、俺にぶつけてみろよ! 怒ってみろよ!」
想が手にした槍を向ける。その穂先が、わずかに震えていた。
「俺を弟だって思ってくれるなら、綺麗な言葉で宥めるな。兄貴!」
「それでも! 君に怒りをぶつけるのは断る!」
繋は顔を上げた。
怒りを向けられているのに、目の前の弟の方が傷ついているように見えた。
自分が何も返さないことで、想をさらに追い詰めている。
それが分かっても、憎んでいない相手を憎いとは言えなかった。
想は、本来なら自分へ向けられるはずのない怒りまで、受け止めようとしている。
父親への恨みも、幼い頃の寂しさも。ぶつけられることで、兄の苦しみを少しでも引き受けようとしているのかもしれない。
けれど、この弟を傷つけたところで、あの頃の自分が救われるわけではなかった。
怒れば、想は納得するのだろうか。
それでも、その顔が苦痛に歪むところを見たいとは思えなかった。
まだ出会って間もない、この弟を大切にしたかった。
(したいと思ったんだ。君を。そんな風に怒ってくれる君を)
父親のしたことまで背負わせずに、これからの話をしたかった。
誰かが傷つく姿に耐えられないのは、虐待の中で身についたものなのかもしれない。
それでも、想を大切にしたいという気持ちまで、過去に決められたものにはしたくなかった。
(これは……僕の願いで祈りだ……!)
繋は虚空へ手を伸ばし、花の栞を取り出した。
「概念出力魔法起動――グラジオラス!」
朱色の栞が、赤い花弁となって舞い散る。花弁は繋の手元へ集まり、一振りのロングソードを形作った。
想が目を見開く。繋は剣を構え、震える息を吐いた。
「何も思わないわけじゃない!」
胸の奥へ押し込めていたものがせり上がった。
「君が、僕の知らない父さんを知っていることが怖い! 君は愛されてたんじゃないかって、考えた!」
柄を握る指が、痛むほど強張る。
「僕を見てくれなかった父さんが、君には笑いかけたのかもしれない。君のお母さんには、僕の母さんへ向けなかった優しさを向けたのかもしれない!」
羨ましくないわけがない。悔しくないわけがない。
同じ父親の子どもなのに、どうして。そんな思いがなかったと言えば、嘘になる。
「でも、それを君にぶつけるのは違う!」
繋は、自分を見下ろす弟を真っ直ぐに見据えた。
「君が父さんに愛されていたなら、それは、それでいいんだ!」
「……何、言って」
「僕が寂しかったことと、君が愛されたことは別だ! 君がもらったかもしれない幸せまで、間違いだったことにしたくない!」
想の唇が開き、何も言わずに閉じられた。
栞越しに聞いていた冬吾と煌夜も、言葉を失っていた。
やがて冬吾だけが、困ったように眉を下げて笑った。繋らしい答えだった。あまりにも、彼らしくて、嬉しかった。
ドームの中で、木が大きく軋んだ。
想の意識が、繋の言葉へ奪われていた。振り下ろし始めていた巨人の腕が、そのまま傾く。
「っ……止まれ!」
想が肩へ手をつく。だが、枝の束はギシギシと唸るばかりで、落下の勢いを殺せなかった。
巨大な木槍が、繋へ迫る。
「避けろ!」
繋は足を引かず、赤く明滅する剣を掲げた。
槍の根元には、天井を支える枝まで巻き込まれている。このまま地面へ叩きつければ、想の足場だけでなく、ドームそのものが崩れかねない。外には冬吾と煌夜がいる。何より、想がまだ巨人の肩にいた。
繋は空いた手を、その身体へ向けた。
「フロス」
想を包むように、薄い膜が広がる。
「避けろ、避けてくれ! ――兄さん!」
その呼び声に、繋は一瞬だけ目元を緩めた。すぐに剣を握り直し、落ちてくる穂先へ向き直る。
「スヴェルザ(切り裂け)!!」
赤い閃光が走った。
剣から放たれた魔力が、木槍の先端へ食い込む。だが、想が組み上げた木は硬い。砕けた部分の奥から、さらに幾重もの枝が押し寄せた。
靴底が地面を削る。繋は両手で柄を支え、魔力を注いだ。
弾け飛んだ木片が、脇腹をかすめる。熱い痛みとともに衣服が裂け、鮮血が散った。
「兄さん!」
「――はあぁぁっ!」
繋は踏み止まった。赤い奔流が槍を押し割り、巨人の腕を根元まで裂いていく。
支えを失った上半身が、ゆっくりと傾いた。想は肩を蹴り、外側へ飛び降りる。
繋は剣先を振り上げ、崩れる巨体へ残る魔力を放った。大きな木塊が砕かれ、無数の枝となって降り注ぐ。その間を、想を包むシャボン玉が滑り落ちた。
轟音がドームを満たす。土埃が舞い、壁を伝う枝が何度も震えた。
やがて、木が崩れる音も止んだ。
繋は剣を下ろした。刃が花弁へほどけ、指の間から消えていく。
大きく息を吐いた途端、膝から力が抜けた。
「兄さん!」
地面へ降りた想が駆け寄り、倒れかけた身体を抱き留める。支えた手が、脇腹の血に触れた。
浅い傷だった。それでも、指先が赤く染まるのを見て、想の顔から血の気が引いた。
「ごめん……俺、こんな……」
それ以上、言葉にならなかった。戦っていたときよりも激しく、肩が震えている。
繋は一度呼吸を整え、想の手へ自分の手を重ねた。
「大丈夫さ。見た目より浅いから」
「でも……っ」
繋は何かを言いかけ、やめた。いま笑って済ませたら、きっと、この弟はまた傷つく。
だから、抱き留めてくれている腕へ、少しだけ身体を預けた。
「……少し、このまま支えててくれる?」
想が顔を上げる。繋はその頭へ手を伸ばし、そっと撫でた。
「ちゃんと、君と話したいから」
想は唇を噛み、何度も頷いた。繋を支える腕に、今度は確かな力がこもった。
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