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『ゾンビだらけの世界でただ1人の魔法使い』  作者: mixtape
第5章:白熊ワンダーラスト

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第14話:兄のもとへ

 広島を出発してから、しばらく経った頃。


 冬吾の愛車であるランドクルーザーは、崩壊した道路を避けながら西へ進んでいた。


 先日のような氷の高速道路は使っていない。

 冬吾も昨日の戦いで相当な異能を使っている。本人は平気だと言い張っていたものの、繋と煌夜の二人から、今日は普通に運転するよう説得されていた。


 運転席には冬吾。


 助手席には繋。


 後部座席には煌夜が座っている。


 出発して間もない頃は、三人とも取り留めのない話をしていた。

 しかし、時間が経つにつれ、煌夜の返事が少なくなっていく。


「煌夜くん、眠い?」


「いや、そういうわけじゃ……」


「遠慮せず寝てええぞ。埼玉から広島まで、バイクで来たんじゃろ?」


「平気だ。それに、俺だけ寝るのも悪いよ」


「後部座席でやることもないでしょ?」


「二人の話を聞いている」


 真面目な顔で言われ、繋は少し困ったように笑った。


「僕たち、そんなに面白い話をしてたかな」


「ああ。二人の昔の話は、聞いていて楽しい」


 煌夜は窓の外へ視線を向けた。


「俺には、そういう相手がいなかったからな」


 何気ない声音だった。けれど、その言葉の底にある寂しさを、繋は聞き逃さなかった。


「だったら、今度は煌夜くんの話も聞きたいな」


「俺の?」


「うん。子どもの頃に好きだったものとか、学校でどんなふうに過ごしてたのかとか」


「大した話はないと思うけどな……」


「大したことかどうかは、煌夜くんが決めることじゃないよ」


 繋は助手席から振り返り、柔らかく笑った。


「僕たちは、煌夜くんのことをもっと知りたいんだ」


「そうじゃ。これから長い付き合いになるんじゃけぇ、遠慮せず話せぇ」


「……長い付き合い、か」


 煌夜は小さく呟いた。


「何か変なことを言うたか?」


「いや。嬉しいと思っただけさ」


 煌夜の口元が、かすかに緩む。


 これまでの煌夜は、誰かを守る責任者であり続けた。


 強く、迷わず、皆を導く人間を演じてきた。自分の過去や弱さを話すことは、指導者としての威厳を損なう行為だと思っていた。


 けれど、この二人の前でまで強がり続ける必要はないのかもしれない。


「俺は、子どもの頃から臆病だったんだ」


「そうなの?」


「ああ。暗い場所も、大きな音も、知らない人間と話すのも苦手だった。いつも姉さんの後ろに隠れていたよ」


 今の精悍な姿からは、少し想像しにくい。


 それでも繋は笑わず、続きを待った。


「姉さんは、そんな俺を馬鹿にしなかった。怖いなら、怖くなくなるまで一緒にいると言ってくれた」


「優しいお姉さんだって言ってたね」


「ああ。自慢の姉だったよ」


 煌夜の瞳に、微かな陰が差す。


 姉はもういない。


 蛇ノ目の実験によってゾンビへ変えられ、二度と帰ってこない。

 姉の仇を討ちたいという気持ちは、今も変わっていなかった。


「ねえ、煌夜くん。復讐が終わって、この戦いも終わったら、何がしたい?」


 繋は助手席から後ろへ顔を向けた。凪いだ視線が、煌夜へ注がれる。


 車内に、穏やかな沈黙が満ちた。

 気まずさはない。

 煌夜は背もたれへ身体を預け、ゆっくりと息を吐く。


 それから、ふと口を開いた。


「姉の供養をして、それから……」


 そこで言葉が途切れる。しばらく考えてから、煌夜は困ったように眉を寄せた。


「……あれ。何も思いつかないな」


 姉の仇を討つ。


 繋の友人として、彼を守る。


 それから先は――何もなかった。


 未来のことまで考える余裕がなかったのだと、口に出して初めて気づいた。


「だったらさ、僕の我儘だけど、いつか三人で遊びに行こうよ」


「え?」と煌夜は後部座席の背もたれに預けていた体がずるりと下に滑り落ちた。


「僕にとっても、冬吾と一緒に出かけるのは十六年越しの旅行なんだよね」


「あまり穏やかな旅行じゃないがのう」


「まあ、確かに……」


 繋は眉を下げて笑った。


「でも、僕の問題も落ち着いて、この戦いを生き抜けたらさ。今度はもっとゆっくり、三人でいろんなところを見て回りたいな」


 そう言って微笑む繋を見て、煌夜は心臓を締めつけられたような苦しさを覚えた。


 嬉しい。


 けれど、繋の過去の一端を知っているからこそ、その我儘がただの我儘ではないことも分かっていた。


 繋が自分の望みを口にすること。


 戦いの先にある未来を思い描き、誰かと過ごしたいと願うこと。


 その一つ一つが、彼にとってどれほど大きな意味を持つのか、煌夜は知っている。


 復讐を手伝うと約束してくれた。


 孤独と責任感に押し潰されそうだった自分を抱きしめてくれた。


 こんな自分を、友人だと思ってくれている。


 繋はいつだって、煌夜がそのとき欲しかったものを、打算も無く当たり前のように差し出してくれた。


 目尻が熱くなる。


 だからこそ、煌夜は改めて強く思った。


 繋に苦しんでほしくない。


 今度は自分が、この優しすぎて強い友へ何かを返したい。


「おう! 必ず三人で行くぞ!」


 冬吾が明るく声を上げた。


「うん。約束だね!」


 繋の笑顔に、煌夜も深く頷く。


「ああ。必ず行こう」


 それは、復讐の先に初めて生まれた約束だった。



◇



 繋は窓の外へ視線を移した。


 流れていく景色の先に、福岡がある。


 かつて両親と暮らしていた家。


 地球へ帰還したら供養へ行こうと、ずっと考えていた場所。


 そこへ近づいていると意識した途端、包帯を巻かれた手が微かに強張った。


 すぐに、隣から冬吾の大きな手が伸びてくる。


 運転に支障がないよう片手をハンドルに残したまま、繋の手を包み込んだ。


「まだ引き返せるぞ」


「……うん」


「広島へ戻ってもええ。別の場所へ行ってもええ。決めるんは繋じゃ」


 繋は冬吾の手を、そっと握り返した。


「もう少しだけ、進んでみるよ」


「そうか」


 冬吾は、それ以上何も言わなかった。


 後部座席の煌夜も、繋へ何かを問いかけることはしない。


 ただ、そこにいる。


 それだけで、繋の胸の奥に渦巻き始めた恐怖が、ほんの少しだけ薄らいだ。


「……そうじゃ。福岡へ着く前に、繋へ話しておかにゃならんことがある」


 しばらくして、冬吾が口を開いた。

 その声には、先ほどまでとは異なる重さがあった。


「あの木を操る覚醒者のことじゃ」


 その言葉を聞いた瞬間、繋の表情が真剣なものへと変わる。

 埼玉で戦った、樹木を操る異能の上位者である覚醒者。

 戦闘狂を思わせる振る舞いの奥に、不自然なほど深い怒りと悲しみを抱えていた青年。


「彼が、どうかしたの?」


 冬吾は、すぐには答えなかった。


 ハンドルを握る指へ力を込め、前方を見据えたまま言葉を選ぶ。


「黒崎らに頼んで、残っとる行政記録や避難者の情報を調べてもろうた。時間は掛かったが、母親の名前も、出生に関する記録も見つかった」


「ほぼ、間違いない」


 冬吾が大きく息を吸う。


「アイツの名は渡想(わたりしのぶ)。渡想は、お前と同じ父親の血を引いとる」


 車内から、音が消えたように感じられた。


 エンジンの駆動音も、三人の息遣いも、ひどく遠い。

 窓に映る光景がスローバックする。


 繋は、冬吾の言葉の意味を理解するまでに数秒を要した。


「それって……」


「あいつは、お前の異母弟じゃ」


「……僕の、弟」


 自分の口から出た言葉なのに、どこか現実味がなかった。


 想の顔が脳裏に浮かぶ。


 鋭い目。乱暴な口調。埼玉での戦いでは、常にその怒りが何かへ向けられていた気がした。


「……昔さ、両親がそれぞれ別の家庭を持っているって話も、ほかに子どもがいるってことも、家政婦さんから聞いたことがあったけど……本当だったんだ」


 後部座席に座る煌夜は、渡家の新たな事実に言葉を失っていた。


 ルームミラー越しにその顔を見た冬吾が、気持ちは分かるとばかりに小さく息を吐く。


「いつ話そうかと思っとったんじゃが、確証がなかった。それに……繋にどう伝えればええか、ワシにも分からんかった」


 ただでさえ、両親との過去に苦しむ繋へ、さらに何を背負わせることになるのか。


 冬吾には判断できなかった。


「じゃが、福岡へ向かう以上、もう黙っとるわけにはいかん」


 繋の指先が震えた。


 冬吾は、その手を包む指へ力を込める。


「先に言うとくぞ。あいつの人生が狂ったんは、繋のせいじゃない」


 繋は息を止めた。


 まだ何も口にしていない。


 それでも冬吾には、繋が何を考えようとしたのか分かっていた。


「…………でも、僕があのとき拗ねたりしなければ、事故は起きなかった」


 掠れた声が、静かな車内へ落ちる。


「父さんも死なずに済んだ。そうしたら、いつか想くんたちのところへ戻れたかもしれない。僕が、あの子から父親を奪ったのかもしれないんだ」


 自分を守るために作り替えられた記憶を、繋は痛ましげに口にする。


「お前は十四歳じゃった」


 冬吾が静かに遮った。


「事故に遭うた子どもが、そのあと起きたことまで全部背負うな」


「でも――」


「その場におらんかったワシには、あの日、何があったんか分からん」


 冬吾は繋の記憶を否定せず、それでも一人で罪へ沈みこまないように、その手を握り続ける。


「じゃが、たとえお前が拗ねたんが本当でも、それだけで事故も地震も、誰かの死も引き起こせるわけがなかろう。まして、その先のアイツの人生まで、お前の責任になるはずがない」


 繋の揺れる瞳が冬吾の姿を何とか定めようとする。


「お前の父親がどこで誰と暮らし、誰を傷つけ、どんな選択を先延ばしにしたんか。それは父親自身が負うべきもんじゃ。繋──お前が背負うことじゃない」


 後部座席から、煌夜も身を乗り出した。


「白熊の言う通りだ。想という男が何に傷つき、何を望んでいるのかは、本人と話さなければ分からない」


 繋へ語りかける煌夜の声は、穏やかだった。

 もっとも、何とか怒りの感情を抑えているだけだ。


「繋くんが一人で答えを決めて、起きたことをすべて自分への罰に変える必要はないんだ」


 繋はやがてゆっくりと俯きはじめた。

 

 そんな痛ましい繋の姿に二人は口を噤むしかなかった。

 

 繋は二人の言葉を胸の中で何度も繰り返した。


 自分のせいではない。


 頭では理解できる。


 それでも、想が自分と同じ父親によって人生を狂わされたのなら、何も感じずにはいられなかった。


「……想くんは、僕が兄だって知ってるのかな」


「おそらくは」


 冬吾は一度言葉を切り、繋の名を呼んだ。


「繋。会うのが嫌なら、ワシが先に話をする」


「ううん」


 繋は小さく首を横へ振った。


「会いたい」


 答えは、思っていたより早く出た。


「確かに彼が僕をどう思っているかは分からない。憎しみを、恨みを、ぶつけられるかもしれない……けど……それでも、少しだけでも話をしてみたい」


 そこで繋は冬吾へ顔を向けた。


「付き合ってくれる? 兄弟」


 血の繋がらない、本当の兄弟がここにいる。


 それが、繋にとって何よりの証明だった。


 少しだけ小生意気に笑ってみせると、冬吾も犬歯を覗かせるように笑った。


「あったりまえじゃろ!」


 血が繋がっている。


 それだけで、すぐに家族になれるわけではない。


 家族という言葉が、血縁だけで決まるほど単純ではないことを、繋は誰よりもよく知っていた。


 繋は安堵したように笑い、前へ向き直った。


(今なら本当の記憶を覗いても大丈夫かな……)


 進行方向の先に、福岡がある。


 両親と暮らした家。自分が愛されなかったという事実。

 母親から尊厳を奪われ、父親から顧みられなかった過去。

 両親には、それぞれ別の家庭があった。

 そして父親には、自分とは別に、血の繋がった息子がいた。


 想は、父親から愛されていたのだろうか。

 自分が与えられなかったものを、彼は与えられていたのだろうか。


 もしそうなら、自分は彼を恨んでしまうのだろうか。


 そんな考えが脳裏を過ぎる。けれど、答えはすぐに出た。


 きっと、恨めない。


 むしろ、自分と同じように父親へ人生を狂わされた、一人の被害者として見てしまうだろう。


 それよりも今は、徐々に近づいてくるトラウマの象徴への恐怖の方が強かった。


 逃げてもいいと、皆が言ってくれた。

 逃げることさえできなくなったら、そこから連れ出してくれる家族もいる。


 幼馴染の手が、自分の手を握っている。

 

 背後には、共に進むと決めてくれた友人がいる。


 親指には、スヴィグルとの繋がりを示すリングがある。


 そして心の奥深くには、自分を息子として愛してくれた養父がいる。


 だから、もう少しだけ進める。


 繋は窓の向こうへ流れていく景色を見つめながら、深く息を吸った。



◇



 同じ頃。


 東京タワーを中心として、空に浮かぶ庭園。


 その最深部で、渡想は白い研究室の扉を見つめていた。


 重い扉の向こうにいるのは、自分を覚醒者へ至らせた女。


 そして、数えきれないほどの人間を実験材料として扱ってきた女だった。


 蛇ノ目雫(じゃのめしずく)。


 ――いや、扉の向こうにいる女を、本当にそう呼んでよいのか。


 想は扉へ手を掛け、そのまま押し開いた。

 無数の培養槽が、青白い光を放っている。

 その中央で、白衣をまとった女が背を向けていた。

 想が入ってきたことなど、最初から分かっていたように振り返ろうともしない。


「蛇ノ目」


「何かな、渡想くん」


 平坦な声が返ってくる。


 想は拳を握った。言わなければならない。手を切らないといけない。


 ようやく会えた。死んだと思っていた兄に───もう一度会うために。


 聞きたいことがある。


 確かめたい怒りがある。


 今のまま敵同士でいるのか、それとも別の道を選ぶのか。


 その答えを、蛇ノ目の側にいながら出すことはできなかった。


「俺は、ここを抜ける」


 培養槽の駆動音だけが、青い部屋に響く。


 やがて蛇ノ目は手元の端末を止め、ゆっくりと想へ振り返った。


 その顔に、怒りも驚きもない。


「構いません」


 いつもと違う、いや───この女の素の口調が出る。


「……何?」


 あまりにもあっさりとした返答に、想の眉が寄る。


 引き止められるとは思っていなかった。


 だが、覚醒者である自分を、何の条件もなく手放すとも思っていなかった。


「聞こえませんでしたか?」


 蛇ノ目は表情一つ変えず、同じ言葉を繰り返す。


「あなたの離脱を許可します」


「何を考えてやがる」


「あなたが知る必要はありません」


 蛇ノ目は再び端末へ視線を落とした。


 まるで、想の離脱さえ予定されていた実験工程の一つであるかのように。


「行くのでしょう?」


 淡々とした声が、想の背中へ突き刺さる。


「ようやく会えた、お兄さんのもとへ」


 想の表情が凍りついた。


 「蛇ノ目のクローン」は一度も振り返らない。


「どうぞ、よい兄弟喧嘩を」




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