第11話:組長と右腕
「……冬吾」
「な、なんじゃ?」
冬吾は、ぎこちない動きで振り返った。
対する繋は、何も言わない。
ただ、笑っていた。
口元には普段と変わらない穏やかな笑みが浮かんでいる。けれど、その目だけはまったく笑っていなかった。
背後では、朱色の栞がふわりと浮遊している。栞からこぼれたグラジオラスの花弁が、一枚、また一枚と宙へ舞い始めている。
「け、繋?」
「説明を、求む」
「なんで片言なんじゃ!?」
「僕は今、冷静さを欠こうとしています」
「現在進行形で!?」
赤い花弁が渦を巻き、ゆっくりと朱色のロングソードへ形を変えていく。
「ま、待て、繋! 違う! いや、違わんけど! と、ともかく話を聞いてくれ!」
「何が違って、何が違わないの?」
「それを今から説明するんじゃ! ともかく中で! 中でゆっくり話そう!」
冬吾は繋の両肩を掴み、黒服たちの間を抜けて門の奥へ押していく。
繋は抵抗しなかったものの、背後から放たれる無言の圧は一向に弱まらない。
冬吾は必死だった。
道の両側に並んだ黒服たちは、そんな二人を呆然と見送っている。
「あの人が例の……」
「組長の兄弟分か?」
「若いのう。二十歳くらいにしか見えんぞ」
「それより、組長が冷や汗まみれなんじゃが」
「初めて見たわ。あんなに怯えとる組長」
「しっ! 聞こえたら凍らされるぞ!」
十分に聞こえていたが、今の冬吾には彼らを叱りつける余裕などなかった。
古めかしい日本家屋の奥へ進み、長い廊下をいくつか曲がる。
磨き抜かれた柱に、手入れの行き届いた広い庭園。随所に武装した男たちが立っているものの、建物の中には堅気らしい人々の姿もあった。
炊事場で食事を作る者。
洗濯物を運ぶ者。
庭先で遊ぶ子どもたち。
彼らは冬吾の姿を見ると、親しみのこもった笑顔を向けてきた。
「お帰り、冬吾さん!」
「冬吾のおっちゃん、お帰り!」
「おう。ただいま!」
冬吾は反射的に返事をしてから、しまったという顔で繋を見た。
繋は何も言わない。
ただ目を細め、周囲の様子を観察していた。
やがて二人は、組長室と呼ばれる部屋へたどり着いた。
冬吾は繋を上座へ座らせると、自ら茶を淹れて差し出した。
「ど、どうぞ」
「ありがとう」
繋は湯呑みを両手で受け取った。
その所作だけを見れば、いつもの穏やかな繋である。
しかし、湯呑みの隣には朱色の栞が置かれていた。いつでもグラジオラスの剣を抽出できる位置だ。
冬吾は正座したまま、だらだらと冷や汗を流していた。
「それで?」
「……何から話せばええかのう」
「冬吾が消防士から組長になった経緯かな」
「はい」
思わず敬語が出た。
繋の眉がわずかに動く。
冬吾は膝の上で拳を握り、観念したように息を吐いた。
「うむ……まず誤解せんでほしいんじゃが、ワシは好きで極道になったわけじゃない」
「無理やり入れられたの?」
ならば、この組を潰してやる。
繋の瞳からハイライトが消える。冬吾は繋の瞳の奥から物騒な考えを読み取ってしまい慌てて説明を続ける。
「入れられたというか……勝手に組長にされた」
「……まって、そんなことある?」
「ワシもないと思っとった」
冬吾は、亜獣会の前組長との出会いから話し始めた。
ゾンビパニックが起きる以前、冬吾は消防士として働いていた。
人命救助の現場で、相手の立場を選んだことはない。一般人であろうと、裏社会に生きる者であろうと、助けを求める者には同じように手を伸ばした。
その中に、亜獣会の前組長と親しい者がいた。
それをきっかけに前組長本人からも気に入られ、冬吾は事あるごとに声を掛けられるようになったのだという。
「先代は、亜獣会をでかくしたいわけじゃなかった。行く場所のない者を受け入れて、最後に帰ってこられる場所を作りたかったんじゃ」
その願いは、今は亡き兄弟分と交わした約束だった。
どこにも行けない者を見捨てない。
過去や立場を理由に居場所を奪われた者、捨てないといけなくなった者が、最後に帰ってこられる場所を残す。
そのため前組長は、更に巨大な組織から傘下入りを求められても、決して首を縦に振らなかった。
「先代はワシを、自分に重ねとったらしい。生き方が似とる言うてな」
「冬吾が、人を見捨てられないから?」
「……たぶんのう」
ゾンビパニックが発生したあと、亜獣会は多くの人間を保護した。
組員だけではない。
孤児や老人、家族を失った者。怪我や病気を抱え、ほかの避難所で受け入れてもらえなかった者まで、分け隔てなく門の内側へ招き入れた。
冬吾も彼らの救助に加わり、異能へ目覚めてからは最前線でゾンビと戦い続けた。
やがて前組長は命を落とす間際、冬吾を次の組長へ指名した。
幹部や組員への根回しまで、すべて終えたうえで。
「断らなかったの?」
「断った。何度も断ったんじゃ」
「それでも、組長になったんだね」
「……先代が守った者らを、放り出せんかった」
冬吾は困ったようにもじゃもじゃの髪を掻いた。
「ワシに任侠の作法なんぞ分からん。じゃが、ここには帰る場所を失った者が大勢おった。先代が死んだからいうて、そいつらまで居場所を失うんは違うじゃろ」
「だから、引き受けたんだ」
「仕方なくのう」
そう言う割には皆に慕われていると繋は思った。
先ほど廊下で見た人々の顔に、恐怖はなかった。
冬吾へ向けられていたのは、確かな信頼と親愛だった。
冬吾の人徳が彼らを引き付けているのだと分かった。
繋の眼差しが、少しずつ柔らかくなる。
「じゃあ、冬吾は消防士を辞めたあとも、ずっと人を助けてきたんだね」
「ワシ一人の力じゃないぞ。組の者や、ここにおる皆で守ってきたんじゃ」
「うん」
繋は湯呑みを置き、冬吾の前へ身を乗り出した。
その大きな頭へ手を伸ばし、もじゃもじゃした髪を優しく撫でる。
「頑張ったね、冬吾。幼馴染として誇らしいよ」
「け、繋……!」
冬吾の目に、瞬く間に涙が浮かんだ。
十六年間。十六年間だ。
もし繋が奇跡的にどこかで生きていてたのなら、今度こそ安心して帰ってこられる場所を作ろうと生きてきた。
それがまさかヤクザという組織で、さらに自分が組長になるとは予定外ではあったが。
けれど、自分の選択が正しかったのか、冬吾自身にも確信はなかった。繋に軽蔑されることを恐れ、組長である事実を言い出せずにいた。
その不安を、繋の手がゆっくりと溶かしていく。
「ただし」
「……ただし?」
「もし本当に道を外していたら、引きずってでも足を洗わせていたからね」
繋は穏やかに微笑んだ。
朱色の栞からこぼれた赤い花弁が、冬吾の傍らに置かれていた金属製の灰皿へ落ちる。
次の瞬間、灰皿が音もなく真っ二つになった。
冬吾の涙が引っ込んだ。
「……ぐ、具体的には、どうするつもりじゃったんじゃ?」
「聞きたい?」
「……やっぱりええです」
「おいおい。どこの極道より極道してんだよ」
突然、呆れた声が飛んできた。
開いた襖の前に、一人の男が立っている。
黒髪をオールバック気味に撫でつけた、斜に構えた目をしている青年だ。片腕と脇腹には包帯が巻かれ、顔にも疲労の色が残っている。
三船晴臣だった。
「やっぱり渡に説明してなかったんだな、あんた!」
晴臣は堪えきれないとばかりに笑った。
「じゃかしい! 笑うな!」
「いや、無理だろ。大阪で正体がバレそうになって、虎之介を凍らせたって連絡が来てたぞ」
「あいつ、もう報告しよったんか!」
「『白熊に借りができたと思ったら、いきなり凍らされた』って、ずいぶん怒ってたらしいぜ」
「知らん!」
「晴臣くん!」
晴臣の姿を認めた繋は、ぱっと表情を明るくした。
すぐに立ち上がり、そのもとへ駆け寄る。
「よかった。晴臣くんも無事だったんだね」
「お、おい――」
晴臣が反応するより早く、繋はその身体へ抱きついた。
晴臣の肩が硬直する。
反射的に振りほどきかけた腕は、途中で止まった。
「……よ、よう、無事だったか?」
ぶっきらぼうな口調だが、頬が僅かに赤くなっている。
「助けてくれてありがとう」
「……んな事言うなよ……あの時助けてくれたのはアンタじゃねえか……感謝してもしきれねえ」
「ふふふ。ならお互いさまだ……って、そういや怪我してるじゃないか!」
繋は身体を離すと、晴臣の腕と脇腹に巻かれた包帯を見た。
明るかった表情が、あっという間に曇る。
「晴臣くん、ここに座って」
「も、もう大した怪我じゃねえよ」
「駄目だ。ちゃんと見せて」
「だから――」
「座って」
「……はいはい」
逆らうだけ無駄だと悟り、晴臣は繋の隣へ腰を下ろした。
包帯を解くと、腕には深い裂傷が残っていた。脇腹の傷も、まだ完全には塞がっていない。
繋が患部へ手をかざす。
淡い光が指先に集まり始めた。
「待て。重体だった奴に、そんなことさせられねえよ」
晴臣が慌てて腕を引こうとする。
しかし繋は、逃がさないよう手首を掴んだ。
「僕が意識を失って目が覚めてから半月以上経ってる。これくらいなら大丈夫だよ」
「それでも病み上がりなのは変わんねぇ!」
春臣が声を上げる。
気遣う声に、繋は何も言わず曖昧な笑みで返す。
「渡……っ」
晴臣は眉を寄せたまま、冬吾を見る。
冬吾も諦めろと言わんばかりに眉を下げながら首を横に振った。
繋は、回復魔法を発動させた。淡い光が晴臣の傷を包み込み、赤く腫れていた傷口が塞がり、痛みも徐々に和らいでいった。
「……相変わらず、とんでもねえな……」
晴臣が腕を軽く動かす。
「無理に動かしちゃ駄目だよ。まだ治りかけなんだから」
「分かってる。サンキューな」
「どういたしまして」
素直に礼を言われ、繋は嬉しそうに笑った。
その表情を見た晴臣は、無事な方の手で後頭部を掻いたのだった。
「……それで、東京の件だけどよ」
空気を切り替えるように、晴臣が話題を変えた。
繋と冬吾も表情を引き締める。
「蛇ノ目が宣戦布告した件じゃな」
「ああ。来年四月、全拠点に全勢力をぶつけるって話マジなんだよな」
「うん……。彼女はそう言ってた」
「人間もゾンビも巻き込んだ、総戦力戦か……」
繋は静かに視線を落とした。
敵は人間とゾンビを争わせ、さらなる進化を促そうとしている。
大規模な戦いそのものが、例の「隕石」に関する何らかの実験工程に組み込まれている可能性も高い。
「今のままでは、戦力が足りないね。本当なら日本だけじゃなくて海外の生存者がいれば力を貸して欲しいんだけど」
「そんな時間も無ぇもんな……。海外の生存者がこっちに来てくりゃ良いんだけどよ……ともかく俺も、異能の強化を急いでるところだ」
晴臣は片手を持ち上げ、掌へ風を集めた。
小さな渦が輪郭を持ち、やがて拳銃のような形へ固定される。
その光景に繋は目を見張った。ついこの前までは鎌鼬だったり、竜巻を起こすぐらいしか出来なかったのに。
「アンタの魔法を真似たんだ。イメージを固めて、風に役割を与える。形はまだ長く保てねえけどな」
「すごいよ、晴臣くん」
「まだ足りねえよ。あのときのclass4相手じゃ、何もできなかった」
アンタが必死に戦ってる間何も出来なかった。指をくわえて見る事しか出来なかった。
腹をぶち抜かれて死にそうになった繋に何もしてやれなかった。
春臣は奈良の戦いを思い出し、唇を強く噛んだ。
「……出来てるじゃないか一歩ずつ。焦って結果を出さなくてもいいんだよ」
「……そう言うお前は、焦ってねえのか?」
問い返され、繋は黙った。
晴臣は風の銃を散らし、繋の目を真っ直ぐに見つめる。
「福岡に行くんだろ」
「うん」
「昔の家にも?」
「そのつもりだよ」
晴臣は、繋が暴走した際、その精神世界へ足を踏み入れている。
そこで、繋が幼い頃に受けていた虐待の一端を知った。
だからこそ、軽々しく背中を押すことはできなかった。
「無理に行かないでくれ」
繋が唾を飲み込んだ。あの精神世界で互いの深層心理に干渉した。
互いに深く暗い過去を持っている。
繋が春臣を案じているように、春臣も繋を憂慮しているのだ。
「過去と向き合う必要なんてないんじゃねぇか……? 傷口を開いてまで、確かめなきゃならねえもんか?」
晴臣の声が掠れる。
「俺もろくでもない人生を送ってきた、思い出しくもねぇ過去なんて沢山ある」
だからよ。と春臣はジッと繋の瞳を見つめた。
「お前が行くしかないと思い込んでるなら、やめとけ。逃げたっていいだろ」
「……うん。僕も、そう思う」
繋は否定しなかった。
「まだ受け止められるかは分からない。本当は、行くのが怖いよ」
「なら――」
「でも、一人じゃないから。どこまで行けるのか、確かめてみたいんだ」
繋は隣に座る冬吾へ目を向けた。
「駄目だったら、冬吾に連れて逃げてもらうから」
「任せぇ。家ごと凍らせてでも連れて帰るぞ」
二人は当然のように言葉を交わした。
晴臣はしばらく繋を見つめたあと、諦めたように息を吐く。
「……絶対に、一人にならないでくれよ」
「うん。約束する」
「白熊。こいつが無理して笑ってたら、すぐ連れ戻せ」
「言われんでも分かっとる」
「冬吾を信頼してるんだね」
「そこはまあ……お前のことに関しちゃ、馬鹿みてえに必死だからな」
「馬鹿は余計じゃ!」
緊迫した雰囲気が、わずかに緩んだそのとき、襖の外から声が掛かる。
「失礼します」
一人の青年が、静かに部屋へ入ってきた。
晴臣と同年代に見える。隙のない立ち居振る舞いをしているが、繋へ向けた視線には、わずかな警戒が混じっていた。
「組長、お帰りなさいませ。留守中の報告書をお持ちしました」
「おう。入れ、黒崎」
冬吾に促され、黒崎は机へ書類を置いた。
晴臣が面白そうに口角を上げる。
「渡、こいつが白熊の右腕で黒崎ってんだ。お前に白熊を取られるんじゃないかって、嫉妬してんだぜ」
「おい、やめろ!」
黒崎の顔が一瞬で赤くなった。
「誰が嫉妬してると言った!」
「顔に書いてあるんだよ。さっきから渡のこと、ずっと値踏みしてんじゃねえか」
「組長が十六年間も探し続けていた人物だ。どういう人か気になるのは当然だろ!」
「それを嫉妬って言うんだよ」
「言わねえ!」
先ほどまでの隙のない態度を崩し、黒崎は晴臣を睨みつけた。
冬吾が困ったように笑う。
「繋。以前言っとたじゃろ? 離れた場所同士を門で繋げられる、ポータルの異能者じゃ。ずっと右腕としてワシを助けてくれとる」
「冬吾さん、恐れ多いです。自分は、言われた仕事をしているだけで」
「またそれか。お前がおらんかったら、ここまで拠点を守れんかった。もっと自信を持てぇ」
「ですが……」
黒崎は気まずそうに目を伏せた。
そのやり取りを見ていた繋が、ほっとしたように表情を緩める。
「よかった」
黒崎がその言葉に反応して繋へ顔を向ける。
「冬吾にも、ちゃんと支えてくれる人がいてくれて」
「……え?」
「僕は、冬吾のいなかった十六年間を知らないから。一人で全部を抱えていたんじゃないかって、少し心配だったんだ」
繋は真っ直ぐ黒崎を見る。
「でも、君みたいな人が傍にいてくれたなら安心した」
「自分は、そこまで大した人間では……」
「冬吾が信頼している。それだけで十分だよ」
何の飾りも無い言葉だった。
黒崎は返事ができず、わずかに目を見開く。
「僕と冬吾は幼馴染で兄弟分だけど、だからって冬吾を独り占めしたいわけじゃない。君がよければ、僕とも仲良くしてほしいな」
「……兄弟分?」
「うん。この前、兄弟盃を交わしたんだ」
黒崎の眉が、ぴくりと動いた。
晴臣が噴き出しそうになり、口元を手で覆う。
「渡。それ、今こいつが一番聞きたくない情報だぞ」
「えっ、どうして?」
「春臣!」
「はいはい。悪かったよ」
黒崎は咳払いをして、崩れた表情を取り繕った。
「冬吾さんが認めた方なら、自分から申し上げることはありません。今後とも、よろしくお願いします」
「うん。よろしくね、黒崎くん」
繋が笑顔で手を差し出す。
黒崎は一瞬だけ迷ったあと、その手を握った。
柔らかな手だった。
冬吾から何度も聞かされた、圧倒的な強さを持つ救世主の手には思えない。
外見も黒崎より年下にしか見えず、物腰も穏やかだ。
悪い人間ではない。
それは、短い会話だけでも理解できた。
それでも黒崎には、まだ分からなかった。
この青年のどこに、冬吾が十六年間も心焦がれるほどの強さがあるのか。
晴臣が命を救われたと語り、組の一部の者たちまでが畏敬を向ける理由も、話を聞いただけでは実感できない。
冬吾の隣に立ち、兄弟分を名乗るにふさわしい人物なのか。
黒崎の中には、まだ拭いきれない疑問が残っていた。
それを見抜いたのか、晴臣が意地の悪い笑みを浮かべる。
「ま、そのうち嫌でも分かるだろ」
「何がだ」
「こいつがどんな奴かってことだよ」
「晴臣くん?」
「なんでもねえさ」
繋は不思議そうに首を傾げた。
その隣では、冬吾が機嫌よく茶を啜っている。
再会した幼馴染。
繋を信じた青年。
十六年間、冬吾の右腕として広島を支えてきた男。
異なる時間を歩んできた四人は、こうして初めて同じ部屋へ集まった。
外では、冷たい風が庭の木々を揺らしている。
広島の拠点へ迫りつつある新たな脅威を、このときはまだ誰も知らなかった。
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