第10話:虎之介との遭遇
繋は車外へ飛び出し、冬吾もすぐ後へ続いた。
繋はビッと何もない空間から朱色の栞を切るように取り出し、唱える。
「概念抽出魔法! 簡易出力――グラジオラス!」
栞が赤い花弁へと変わり、渦を巻き、その手の中で真紅のロングソードを形作った。
class3が骨の鎌を振り上げる。その先には、足を負傷して倒れた男がいた。
「伏せて!」
繋は身体強化した身体で地面を蹴り、一気に詰め寄って両者の間へ滑り込んだ。
直後、骨の鎌が振り下ろされる。ガンッ、と甲高い音が響いた。
繋は花弁の剣で正面から受け止めず、刃を斜めへ滑らせる。軌道を逸らされた鎌が、勢いよくアスファルトへ突き刺さった。
間髪をいれず、別の腕が繋の首を薙ぎ払おうとする。
繋が素早く後退をするが、ビッと鎌が繋の右腕を掠める。
瞬間、巨大な氷塊が横から激突した。
「儂の兄弟に、何しよるんじゃ!」
冬吾の怒声と共に、class3の巨体が建物の壁まで吹き飛ばされた。
周囲の男たちは、呆然と二人を見る。
「誰や、あいつら……」
「分からへん。でも、すごいな」
「感心しとる場合か! 動ける奴は負傷者を運べ! 民間人も下がらせるんや!」
短く刈った髪と鋭い目を持つ男が、すぐさま指示を飛ばした。
二十七歳ほどに見える、精悍な男だ。
黒いシャツの上から羽織ったスーツは血に濡れ、左腕には縦長にざっくりと裂傷が走っていた。傍から見ても痛々しい程なのに、立ち姿に揺らいだ様子はなく、負傷者たちを庇うように堂々と前へ立っていた。
男は仲間が動き出したことを確認すると、落ちていた日本刀を右手で拾い上げた。
「兄ちゃん、わても手伝う!」
「駄目だ。その腕じゃキツイはずだ」
「こんなもん、唾つけときゃ治る! わての身体は普通の人間より頑丈にできとんねん!」
「裂けてる時点で頑丈じゃない!」
繋は飛び出そうとする男の前へ杖を差し出し、進路を塞いだ。
「あなたが倒れたら、誰があの人たちを安全な場所へ逃がすの?」
「そら、わてやけど……」
「だったら、ここで皆を守って。あのゾンビは僕たちが引き受ける」
足手まといだから下がれ、ではない。繋は戦う以外の形で、男へ仲間を守る役目を示した。
男はわずかに目を見開いたあと、日本刀を下ろす。
「……しゃあないな。あの化け物、任せたで!」
「ああ!」
「繋、行くぞ!」
冬吾が地面へ手をついた。
アスファルトの上を白い霜が駆け抜ける。
建物の壁を崩して起き上がろうとしていたclass3の両脚が、瞬く間に巨大な氷へ包み込まれた。
冬吾と繋は一瞬だけ視線を交わす。
それだけで十分だった。
繋は地面を蹴った。正面から向かえば、長大な鎌によって切り裂かれる。しかし、class3が反応するより先に、氷の柱が繋の足元から斜め上へ伸びた。
冬吾が作り出した足場だ。繋はその上を駆け、一気にclass3の頭上へ躍り出る。
花弁の剣を逆手へ持ち替え、その眉間へ突き立てた。
「――ッ!」
真紅の刃が頭蓋を貫く。
class3の巨体が激しく痙攣したが、それでも死なない。
残った鎌の一本が、背後から繋へ迫る。
「させるかあ!」
冬吾が拳を握り締めた。
拘束していた氷が一斉に隆起し、無数の杭となってclass3の全身を貫いた。
「さすが!」
繋は突き立てた剣から手を離した。
周囲を舞っていた花弁が再び束ねられ、新たな剣を形作る。
そのまま身体を回転させ、真紅の刃を横薙ぎに振り抜いた。
class3の首が断ち切られ、頭部が宙を舞う。
残された巨体も、後を追うように塵へ変わっていった。
繋は氷の足場からアスファルトへ着地すると、すぐに男たちを振り返る。
「噛まれた人はいないですか!」
「お、おらん! 切られた奴だけや!」
「よかった。重傷者を見せて」
「待ちい、兄ちゃんの怪我が先や」
負傷者のもとへ駆け寄ろうとした繋の右腕を、先ほどの男が無事な手で掴んだ。
言われて初めて、繋は自分の傷に気づいた。右腕の上着が裂け、その下から薄く血が滲んでいる。鎌を避けた際に、刃先が掠めたのだった。
「これくらいなら大丈夫だよ。それより、あなたの骨折と、そっちの人の出血を止めないと」
「あかん。自分の怪我を軽く見るな」
男は繋の腕を離さず、真っ直ぐにその目を見た。
「人を助けるんやったら、まず自分を大事にせえ」
繋は目を丸くした。
どこかで何度も聞かされたような言葉だった。
思わず冬吾を振り返ると、幼馴染は腕を組み、これ以上ないほど大きく頷いている。
「冬吾まで……」
「ほれ、先に自分の傷を治すんじゃ」
「うぅ……分かったよ……」
繋は観念して傷口を確認した。
常時発動している自動修復魔法が働き、傷はすでに塞がりかけている。それでも言われたとおり、改めて回復魔法を施した。
「聞き分けのええ兄ちゃんやな。にしても、回復系の異能まで持っとるんかいな。羨ましいわ」
「はいちゃんと治したから、次はあなたの番」
「わてはええ。これくらい――」
「よく、ないよ?」
繋は柔らかく笑っているが、それなのに、なぜか逆らえない圧力を感じて男は大人しく頷いた。
「……はい」
男が大人しく腰を下ろすと、周囲の者たちから笑い声が漏れた。
「若頭が大人しく負けとる」
「初対面で大虎の兄貴を黙らせよったで」
「うっさいわ! 怪我人は大人しゅうしとけ!」
「若頭も怪我人ですやん」
「お前ら、あとで覚えとけよ!」
怒鳴りながらも、男の声に本気の怒気はない。
繋は折れた左腕を橙色の光で包み、痛みなど感じさせる事無く骨を正しい位置へ戻しながら接合していく。治療を終えた繋は、続けて重傷者たちの状態を確かめ、一人ずつ回復魔法を施していった。
「これで大丈夫。一応、しばらくは激しく動かさないでね」
「助かったわ。ほんま、おおきに」
処置を終えた繋へ、男は深々と頭を下げた。
「そういや、まだ名乗っとらんかったな。わては大阪を拠点にする虎徹組の若頭、大虎虎之介や! 虎之介でええで」
大虎虎之介――予想以上に勇ましく、いかにも彼らしい名前だった。
繋が思わず目を丸くすると、虎之介は誇らしげに胸を張る。その様子がどこか微笑ましく、繋はすぐに頬を緩めた。
「おお、強そうでいい名前だね!」
「分かっとるやないか、兄ちゃん!」
「名乗るのが遅れたけど、僕は渡繋って言います」
「繋か! よろしゅうな!」
虎之介は声を弾ませ、豪快に笑った。
冬吾とはまた違う、裏表のない陽気さだった。つられるように、繋の気持ちまで明るくなる。
虎之介は無事な方の手を伸ばし、繋の肩を叩こうとした。
そのとき、繋の後ろに控えていた冬吾が視界に入った。
虎之介の笑顔が、ぴたりと止まる。
一方の冬吾は、気まずそうに顔を背けた。どうやら先ほどから虎之介の正体に気づき、目を合わせないようにしていたらしい。
「…………なんや、見たことあると思うたら」
虎之介が目を凝らす。
観念したように振り返った冬吾と、その視線が交錯した。
「ちっ、気づきよったか」
冬吾は舌打ちし、露骨に顔をしかめた。
「やっぱりお前――!」
繋は治療の邪魔をしないよう、少し離れた場所に立っていた冬吾へ目を向ける。
二人を見比べ、不思議そうに首を傾げた。
「冬吾の知り合い?」
「知らん」
冬吾は即答した。
「いや、お前、どう見ても――」
「知らん」
「白熊――むぐっ!?」
虎之介がその名を口にしかけた瞬間、口元が薄氷に覆われた。続けて足元まで地面ごと凍りつき、その場に固定される。
「んんんんんっ!」
「冬吾!?」
「安心せぇ。鼻で息はできるようにしとる」
「そういう問題じゃないよ! 助けた人を凍らせちゃ駄目でしょ!」
虎之介が我が意を得たりとばかりに激しく頷き、冬吾を睨みつける。
繋は困惑しながら、二人の顔を交互に見た。
「ねえ、冬吾。本当に知らない人なの?」
「知らん」
冬吾は頑として認めようとせず、明後日の方向を向いている。
だが虎之介は、確かに冬吾を見て「白熊」と呼びかけた。少なくとも虎之介が一方的に知っているだけ、という様子ではない。
どう考えても、二人は知り合いだった。
「と、とりあえず可哀想だから、溶かさないと」
繋が虎之介へ駆け寄ろうとする。
しかし冬吾は、繋の両肩を掴み、その身体をランドクルーザーの方角へ向けた。
「ほれ、治療も終わったことじゃし、儂らは行くぞ。広島までまだ距離があるけぇ」
「えっ、虎之介さんはどうするの?」
「五分もすりゃ溶ける。凍傷にもならんよう加減しとる」
虎之介が、これでもかというほど冬吾を睨みつける。
「ものすごく怒ってるけど……」
「照れ屋なんじゃろ」
「照れてる顔じゃないよ」
繋は疑いの目を冬吾へ向けた。
納得したわけではないが、冬吾が自分を虎之介に関わらせたくないのだと分かり、繋は仕方なく車へ歩き始めた。念のため感知魔法を発動すれば、周辺にも新たなゾンビの反応はない。
でも、やはり心配なので後ろを振り向く。
「虎之介さん、ごめんね! 五分くらいで溶けるはずだから! 治した腕も無理に動かさないでね!」
「んんっ!」
「それから――」
「繋、もうええじゃろうが!」
「はいはい、分かったってば」
冬吾に急かされ、繋はランドクルーザーへ向かった。
その背中を見送り、冬吾は額に浮かんだ汗を拭った。
――危ないところだった。
虎之介は、顔を合わせるたびに冬吾へ勝負を挑んでくる男だ。虎徹組と亜獣会は敵対していないが、先代同士の因縁もあり、決して親しい間柄ではない。
もっとも、冬吾も虎之介を嫌っているわけではなかった。
「非常に鬱陶しい」とは思っているが、その人柄は認めている。
義理人情に厚く、仲間のためなら身体を張れる男だということも知っていた。
だからこそ、虎之介が繋へ危害を加えると疑ったわけではない。
問題は、あの男が冬吾の素性を知っていることだった。
あと少し話をさせていれば、余計なことまで口走っていたに違いない。実際、先ほども冬吾の苗字を呼びかけ、そのうえ――あの呼び名まで出そうとした。
広島へ戻れば、隠し通せることではない。自分が今何をしているのかも、どんな立場にいるのかも、繋はいずれ知ることになる。
それは分かっている。
だが、今はまだ心の準備ができていなかった。
十六年ぶりに取り戻した幼馴染へ、自分が「ヤクザの組長」になったなどと、いったいどんな顔で説明すればいいのか。
車へ向かいかけた冬吾が、ふと振り返る。
足元を凍らされ、口を塞がれた虎之介は、恐ろしい形相で冬吾を睨んでいた。
その目は明らかに、あとで覚えておけと告げている。
「……すまんのう」
「んんっ!」
「そんな怒るな。儂らの仲じゃろ」
虎之介は動かせる上半身を使い、全力で首を横へ振った。
つい先ほどまで他人のふりをしていた冬吾の言葉とは思えない。
冬吾はその抗議を見なかったことにして、そそくさとランドクルーザーへ乗り込んだ。
直後、車は冬吾が路面へ伸ばした氷の道へ乗り上げ、広島を目指して走り去っていった。
五分後。
宣言どおり氷から解放された虎之介は、ランドクルーザーが消えた方角を睨みつけた。
「白熊ぁ! 次に会うたら覚えとけよ!」
「若頭、声が大きいですって」
「ゾンビが寄ってきますで」
「それにしても、あの兄ちゃん、何者なんでしょうね」
組員の一人が問いかけると、虎之介の怒声が止まった。
柔らかな笑顔と、誰よりも先に敵の前へ出た背中が脳裏に浮かぶ。
強いだけではない。
負傷して満足に動けない虎之介の意地を汲み、あえて背中を任せることで面目を立ててくれた。あれほど細やかな気遣いのできる男が、化け物じみた強敵を文字どおり圧倒したのだ。
「……知らん。せやけど、白熊があない焦っとるところは初めて見たで」
「白熊の親分、あの兄ちゃんのこと、だいぶ大事にしとるみたいでしたな」
「せやな。怪我しとらんか、ずっと気にしとったし」
「弟分ちゃいます?」
「若頭より、ずっと若そうでしたし」
「そうやな」
どう見ても二十歳前後にしか見えなかった。
まさか冬吾と同じ三十歳で、すでに兄弟盃まで交わしているなど、虎之介には想像もつかない。
「まあええ。次に会うたとき、直接聞いたるわ」
「若頭。まずは拠点に帰りましょうや」
「せやな。重傷者から運ぶで! 動ける奴は手ぇ貸したれ!」
虎之介の号令に、組員たちが一斉に動き出す。
その顔には、先ほどまでの怒りとは異なる、どこか楽しげな笑みが浮かんでいた。
◇
それから数時間後、ランドクルーザーはようやく広島へ入った。
「やっと着いたね。運転、お疲れさま」
「う、うむ」
運転席の冬吾は、広島が近づくにつれて目に見えて落ち着きをなくしていた。
繋は助手席から、その様子を横目で観察する。
「冬吾。さっきの人、本当に知らない人?」
「……世の中には、知らん方がええこともある」
やっぱり知り合いなんじゃないかと繋は思うが、冬吾は繋と目を合わせないまま、わざとらしく前方を見据え始めたため、肩を竦めて追従を一旦止めた。
やがて車は市街地を離れ、二葉山の麓へ向かって進んでいった。
途中、崩れ落ちた広島城が見えた。
かつての姿を知らない繋でさえ、その光景にはもの寂しさを覚えた。
さらに進むと、道の要所ごとに検問所が設けられていた。武装した男たちはランドクルーザーを見るなり背筋を伸ばし、確認もせずに道を空ける。
車内を調べようとする者は一人もいない。それどころか、通り過ぎる冬吾へ向かって、誰もが深々と頭を下げていた。
「広島の責任者ともなると、ずいぶん丁寧に挨拶されるんだね」
「そ、そうかのう?」
素直な感想を述べただけなのに、冬吾の額を一筋の冷や汗が伝った。
繋は怪訝に思ったものの、追及する間もなく、車は古めかしくも立派な日本家屋の前で止まった。
敷地は高い塀に囲まれ、正面には巨大な門がそびえている。周囲には複数の建物が並び、武装した者たちが厳重な警備に当たっていた。
どう見ても、ただの住居ではない。
「冬吾、ここが広島拠点の本部なの?」
「そ、そうじゃ」
「なんというか、ずいぶん古風だね」
「……繋、降りよう」
冬吾に促され、繋も助手席から降りた。
運転席から出た冬吾は、処刑を待つ罪人のような顔で巨大な門を見上げている。
「冬吾、大丈夫?」
「……大丈夫じゃ」
どう見ても大丈夫には見えない。
繋がさらに尋ねようとした、そのときだった。
重々しい音を立て、巨大な門が左右へ開いていく。
その奥から、黒いスーツに身を包んだ強面の男たちが、ぞろぞろと姿を現した。一人や二人ではない。数十人もの男たちが、門から玄関までの道を挟んで整然と並んでいく。
冬吾の顔から、さっと血の気が引いた。
「ま、待て。お前ら――」
制止するより早く、男たちは一斉に腰を折った。
「お帰りなさいませ、組長!」
腹の底まで響くような声が、辺り一帯を揺らした。
繋はその場で動きを止めた。
ゆっくりと冬吾を見る。
冬吾は黙って視線を逸らした。
もう一度、黒服の男たちを見る。
誰もが冬吾へ向かって、深々と頭を下げている。
「組長、ご無事のお帰り、何よりでございます!」
「留守の間、異常はございません!」
繋がいる事情など知らない男たちは、次々と威勢のよい声を張り上げる。そのたびに、冬吾の額に浮かぶ冷や汗が増えていった。
繋は何度か目を瞬かせた。
幼い頃の冬吾は心優しく、曲がったことが嫌いだった。将来は人を助ける仕事に就きたいと話し、その言葉どおり消防士になった。
その親友が今、強面の男たちから「組長」と呼ばれている。
思い返せば、大阪で出会った虎徹組の若頭とも、明らかに旧知の間柄だった。虎之介が口にしかけた「白熊」も、おそらく冬吾を指す呼び名なのだろう。
十六年という歳月が、人を変えることは分かっていた。
けれど、まさか――。
繋は冬吾の大きな背中を見つめ、愕然とした。
自分がいなかった十六年の間に、冬吾は道を踏み外してしまったのではないだろうか。
「……冬吾」
「な、なんじゃ?」
冬吾がぎこちなく振り返る。その口元は、不自然に引きつっていた。
「組長って、どういうこと?」
「……人違いじゃ」
冬吾は真顔で答えた。
「全員、冬吾に向かって頭を下げてるよ」
「儂によう似た誰かがおるんじゃろ」
「さっき『お前ら』って呼びかけてたよね」
「…………」
「冬吾」
「繋。世の中には、知らん方がええこともある」
「もう無理だと思うんだけどなあ」
逃げ道をすべて塞がれ、冬吾は救いを求めるように空を仰いだ。
「……心の準備をするけぇ、五分だけ待ってくれんか」
「虎之介さんの氷が溶けるのと同じ時間だね~」
「今それを言うんか?!」
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