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『ゾンビだらけの世界でただ1人の魔法使い』  作者: mixtape
第5章:白熊ワンダーラスト

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第4話:兄弟盃

 東京での情報共有を終えたあと、繋はひとまず城の中にある自室へ戻っていた。


(ヒカルさん、菊香ちゃん、大丈夫かな……いや、二人とも強くなってる……もう僕がいなくても大丈夫だろう……)


 そう思えるのは喜ばしいことのはずなのに、心がチクリと刺すように痛んで、けいはそれを見ないふりをする。


 静まり返った部屋の中で、繋はぽすん、とベッドに背を預ける。  

 そのまま沈み込むように全身の力を抜いた。


 窓の外は、夕暮れに呑まれかけていた。曇った空が鈍い灰色を広げていて、どこまでも重たい。東京拠点の上空に浮かぶ空中要塞は、ここからでは見えなかった。

 落ちていく夕日をぼんやり眺めながら、右手を天井へ向かって持ち上げる。 繋の右手の親指。窓から差し込んだ夕陽が銀色の輪に当たり、きらりと小さく反射した。


 繋は、その指輪を、親指にはまったサムズリングをじっと見つめた。


 福岡にある実家。


 頭に浮かんだその言葉をなぞるだけで、繋の身体がわずかに強張る。

 胸の内側から湧き出る冷たさを振り払うように、人差し指でリングの縁をなぞった。


 このリングを見れば思い出せる。


 遠くにいても、スヴィグルは自分の傍にいることを。


 だからこそ、指先の震えが全身へ広がりきる前に、どうにか息を繋いでいられた。


「それに、地球には冬吾もいる。……けど、それでも身体は震えてるんだよなあ」


 身体が震える。記憶が震える。  

 喉の奥が詰まり、浅くなった呼吸が何度も途切れる。


 あそこにあるのは、思い出したくもないつらい感覚ばかり。


 言い争う声。フラッシュ音。閉ざされた扉。  

 息を殺す癖。自分が悪いのだと思い込むまでに刷り込まれた、長い長い時間。


「……それでも、行かなきゃ」


 独り言は、自分でも笑ってしまいそうなくらいひどく弱々しくて、言い切ったあとで繋は口元を歪めた。


 でも、行くべきだということは分かっている。


 自分の魔法をもっと強くするには、もっと心の根っこの部分へ潜らなければならない。


 来年四月までの猶予。その間に押し寄せるであろうゾンビの群れ。空に浮かぶ敵の本拠地。どれももう、技術的な強化でどうにかなる話じゃない。


 魔法は生命エネルギーを消費して奇跡を引き起こす力。  

 その根源が強ければ強いほど、魔法の神髄は深くなる。  

 それは、願いであり、誓い。


「ぼくの願い……」


 愛されているか確かめたくて、無理やり魔力回路を身に宿したあの日。  

 けれど結果は駄目で、絶望と痛みに苛まれた。


「でも、ヒョードルと本当の親子になれた日」


 あの日の願いは打ち砕かれた。 なら、今の自分に残っている願いは何なのだろう。


 供養をすることで、何かを見つけられるのだろうか。


 そして僕は、見つめることができるのか。


 過去を。痛みを。愛されていなかったという事実を。  

 今度は目を逸らさず、受け止めることができるのだろうか。


 心が鉛のように重くなる。それでも、仲間の顔を思い浮かべるたび、止まりかけた足を無理やり前へ押し出した。


「死なせたくない、みんな。菊香ちゃんとヒカルさんだけじゃない、冬吾もシグルさんも、誠一君や晴斗くん、ユミルちゃんも、煌夜くんも、春臣くんも、皐月さんも」


「みんな。みんな──死なせたくない」


 繋は手の甲で顔を覆う。

 不安を遮るように、視界を塞ぐ。


 その時、不意に部屋の扉が軽く叩かれた。


「繋~! 入るぞ!!」


 返事を待つ気なんて最初からないみたいに、扉がガチャリと開く。  

 顔を出したのは冬吾だった。いつも通りの遠慮のなさに、繋は思わず口元を緩める。


「ノックの意味ある?」


「あるある。一応、礼儀じゃ」


「一応なんだ!?」


 冬吾は軽口を叩きながら部屋へ入り、机の上に置かれたままの鞄と、ベッドに座り込んだままの繋を見て、状況をひと目で察したらしかった。


 いつもの調子を崩さないまま、それでも少しだけ声のトーンを落として、冬吾が口を開く。


「なあ……」


「ん~、どうしたんだい?」


「やっぱり、福岡に行くのやめんか?」


 どさり、と空いたベッドの端に冬吾が腰を下ろす。  

 重量感のある体格のせいでスプリングが軋み、その反動で繋の身体が少しだけ浮いた。繋は口をわずかに開けて「え?」と漏らす。冬吾もそのまま、倒れ込むように背中をベッドへ預けた。


 そういえば昔、冬吾の家に泊まりに行った時も、同じ布団に転がってこうして天井を見つめながら、他愛のない話を延々としていたっけ。


 そんな懐かしさに浸りながら、繋はころんと顔だけを向ける。


 ――ううん、行くよ。


 そう言おうとしたのに、言葉が喉に引っかかるより先に、冬吾の言葉で全部吹き飛んでしまう。


「ワシはな、繋――虐待を受けてたこと、その身体に受けた精神的苦痛も含めて全部知っとる……」


 その一言で、部屋の空気が静かに凍りついた。





 繋は固まった。


 瞳が揺れる。喉の奥が震える。表情を凍らせたまま、ぴくりとも動けない。


 なんで知ってるの、と問いかけようとして――やめた。


 繋は目を閉じる。暗闇の中へ、心をゆっくり沈めていく。


(海に転落した事故だ……。あのあとニュースでも流れただろうし、警察の事情聴取もあったはずだ。そこで……冬吾にも僕の家のことが分かったんだろうな……)


 虐待のことも。あの、他所の男を使って踏みにじられたことも。


 報道されていたのなら、冬吾が知らないはずがない。


 そこまで考えて、繋の呼吸が一度止まる。


 別に今さら、自分が汚れているだとか、穢れているだとか、そんなふうには思わない。

 もう子どもでもない。中身は三十歳だ。あれは自分の価値を損なうものじゃないと、頭では分かっている。


 けれど。


 それを知った冬吾が、自分をどう見ているのか。  

 そのことだけが、胸の奥に小さな棘みたいに引っかかった。


 途端に身体が震え出す。まずい。思考を切り替えないと。

 そう思って、閉じたまぶたにぎゅっと力を込めた――その時だった。


 不意に、右手が温かくなる。

 かさついた大きな手が、繋の右手をぎゅっと握っていた。


 その手の主を確かめるように目を開ける。

 けれど冬吾は何も言わず、ただ天井へ視線を向けたままだった。


 そして次の瞬間、握る力がさらに強くなる。


「……あ」


 その握った手から伝わる熱は、慰めるというより、ずっと傍にいることも、その不安ごと受け止めることも、黙ったまま伝えてくるようだった。


「……ははっ……なんか、懐かしいね」


「小学生の頃から、こうやって、どっちかが不安な時とか、大変な時とか、手を握り合ってたよね……って、中身三十のおじさんが何やってんだって感じだけどさ」


 自嘲気味に笑うが、冬吾は何も言わない。

 ただ、握った手を放さない。それだけで充分だった。

 けいは小さく息を吐く。こわばっていた心臓が、少しだけ和らいでいく。


 その温もりに縋るように指先へ力を返し、けいは一拍置いて口を開いた。


「……でも、行かなきゃ……僕は、みんなを死なせたくない……」


 だから、今以上に強くならないと。  

 言い切ったはずの語尾だけが、かすかに揺れた。


「……………………うむ」


 間の空いた返事。


 納得したわけではないのだと、そのたった一言で分かった。

 それでも止めずに受け取ってくれたことが、かえって冬吾らしい。


 繋は「あは」と小さく笑った。


 いや、笑ったというより、張りつめていた肩がわずかに落ちて、そこから空気が漏れただけみたいな声だった。


 冬吾はすぐには言葉を続けなかった。

 薄暗い天井を見つめたまま、一度だけ深く息を吐く。


 冬吾の中で言葉を選んでいるのだ。


 気休めでも綺麗事でもなく、けいに届く言葉を冬吾は探す。  

 やがて、低く落ち着いた声が静かに響いた。


「……繋、ワシはな、ずっとお前に救われてきた」


 繋はわずかに目を伏せる。指先が冬吾の手の中でかすかに動いた。


「……そんなことないよ。それは僕もだ」


 冬吾がいたから、あのつらい日々をやり過ごすことができた。我慢することができた。

 心が完全に壊れることもなく、自分でいられた。


「それは、ワシもじゃ。小学生の頃、ずっといじめられとったからの」


 臆病で、陰気で、体が大きくて、力が強くて、方言がきつくて。


 砂だらけで校庭に蹲る自分。遠巻きに立つ子どもたち。

 泣きべそをかいた自分の前に、繋はずかずかと割って入っていった。

 他の子供が止める間もなく拳が飛んで、上級生が尻もちをつき、繋はその前に立ったまま一歩も引かなかった。肩で息をしながら睨みつける横顔は、あの年頃の子どものものとは思えなかったなと、ふと過去を思い出す。


「なら、お互い様だ」


 そう笑って言う繋に、冬吾はそんなことはないと言いたかった。


 何がお互い様かと。


 いつも守ってくれたのはお前だった。  

 いつも手を引っ張ってくれたのはお前だった。


 冬吾がつらい時、繋は誰より苦しい状況にいたはずなのに、それでも笑って傍にいてくれたのは誰だ。


 でも、この男は、そんなことないと笑うのだ。


 現に今も。


 だから冬吾は、約束する。


 遠い昔に交わした誓いを、ここで改めて。


「ワシは絶対に、お前の手を離さんからな」


 繋はぱちりと瞬きをしたまま、しばらく言葉を失った。


 ついこの間、遠い世界の自分の半身にも、まったく似たようなことを言われたばかりだったからだ。


「どうしたんじゃ? そんな目を丸くして」


 冬吾はきょとんと首を傾げる。


 繋は口元に小さな笑みを浮かべて「実はね」と話した。


 遠い世界で、ただの友人から、魂の契りを交わすほどの存在になった男のことを。

 そして、その彼から、一人で立ち向かう時も必ず心にいると言われたのだと。


 それを聞いた冬吾は、ぴこん、と頭の上に電球が灯ったみたいな顔をした。


「ん? なんだいその顔?」


 繋がくすりと笑うと、冬吾はおもむろにがばりと起き上がり、そのままダッシュで部屋を飛び出していく。


「え、ちょ、冬吾!?」


 あまりの突然さに、繋はぽかんと口を開けたまま固まった。ばたばたと落ち着きのない足音が部屋の外から聞こえてくる。


 何を思いついたのかと瞬きをしているうちに、その足音はまたすぐこちらへ戻ってきた。


 そして、ほどなくして――


「待たせたの!!」


 冬吾が勢いよく戻ってきた。


 両手には酒瓶と盃、ではなく小皿が二枚。ずざーっと滑り込みそうな勢いで部屋へ飛び込んでくる。


「繋!!」


 どん、と大きな声が響く。


「ワシとも兄弟盃を交わすぞ!」


 有無を言わせない勢いで、ふんす、と鼻を鳴らす様はまるで大熊のようだった。  

 そんな熊みたいな図体になった幼馴染が、小皿をぐいっと差し出してきたのだった。




いつも読んで頂いてありがとうございます!

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