第5話:ニコイチ
「待って、待って!! えぇと……冬吾、それは嬉しいけど……!」
ベッドの上で胡坐をかき、向かい合う二人。
僕なんかでいいのかい――そう言おうとした瞬間、
「ほい、盃じゃ」
言葉を遮るように、ちゃぷんと酒のたっぷり入った小皿を持たされた。
「どうせまた、僕なんかでええんか~とか言おうとしとったじゃろ。分かっとるけえの」
「マジか……」
先回りされてしまい、繋は苦笑する。冬吾は得意げに胸を張ったまま、自分の小皿もぐいっと差し出した。
「こういうんは勢いが大事なんじゃ」
「い、勢いでやるものかな!?」
「やるもんじゃな!」
さも当然のことだと胸を張って言われ、繋は両眉を下げて空笑いをこぼす。
「もう、強引だなあ……」
「ワシらの仲じゃろ。今さら遠慮されても困るわ」
あまりにも当たり前の顔で言われ、繋はくしゃりと表情を崩して肩を揺らした。
冬吾は昔からこうだった。
こちらが一番目を逸らしたいところに、ためらいなく真っすぐ踏み込んでくる。
繋は昔から、誰かの好意を真っすぐ受け取ることが苦手だった。だからこそ、冬吾の言葉はいつだって容赦なく胸の奥まで届く。
(――今まで、こういうのは苦手だった)
壊れた器に水を注がれるようなものだと、繋は思っていた。
誰かに優しくされるほど、どうしていいか分からなくなる。返さなければと焦るのに、自分には返せるものがない気がして息が詰まる。大切にされるたび、自分にはそんな価値などないと怖くなって、受け取れなかった。
(でも、少しずつだけど、前よりは受け止められるようになってきた気がする)
いつもなら困った顔で「ありがとう」と言い、流して終わらせていたはずなのに、今は受け取れるかもしれないと思い始めている。
養父のヒョードル。魂の片割れであるスヴィグル。
地球で初めてできた相棒のヒカルや菊香。そして、ほかの大切な人たち。
みんなが少しずつ、僕の壊れた器を、欠片を一つずつ継ぎ合わせてくれた。
そして、目の前の幼馴染も。
「ほんっと、そういうとこ変わんないねえ」
困ったようにへにゃりと笑う繋へ、冬吾はにっと歯を見せた。その笑顔を見て、繋の心もようやく穏やかになる。
「ほれ!」
ことん、と冬吾の小皿が繋の小皿に触れる。
「細かいことは後で考えりゃええ。今は受け取っとけ。どうせ嫌がっても渡すんじゃけえ」
あまりにも乱暴で、あまりにも優しい言葉だった。
繋は目を細め、それからようやく観念したように小皿を持ち直す。
「君のそういうとこ、敵わないなぁって昔から思ってる」
「知っとる」
得意げに返され、繋はとうとう吹き出した。
たぶん、今日も全部は受け取れていない。この胸の中にはまだ、取りこぼしてしまう場所がいくつもある。
けれど、それでもいいのだろう。
こぼしてしまう自分ごと、冬吾は最初から勘定に入れている。だからこそ繋も、少しずつ自分の両手を開く練習ができる。
小皿を持ったまま見上げると、冬吾は満足げな顔をしていた。その笑顔を見ているうちに、繋の肩から少しずつ力が抜けていく。
「じゃあ、乾杯しちゃおっか?」
「おう、乾杯!!」
盃代わりの小皿を掲げる。
かちゃんと小さな音がして、二人は兄弟盃を交わした。
小皿を唇につけ、一気に飲み干す。喉を通った熱が、胸の奥までじんわりと落ちていく。
繋は小皿越しに幼馴染を見つめた。まさか地球でも、こうして形ある絆を結べるとは思わなかった。
奈良で再会するまで、冬吾のことを忘れたことはなかった。けれど異世界に来たばかりの頃、セプネテスで生きると決めてからは、その存在を記憶の端へ追いやってしまっていた。
再会したときにそのことを話すと、冬吾は少し不貞腐れた。それでも、あの頃のように言葉を交わせば、離れていた年月の溝などすぐに埋まった。
「む、この酒、思ったより強いか? 繋、大丈夫か?」
冬吾が酒瓶のぼろぼろのラベルを覗き込み、むむむと唸る。
その姿に、繋の口元が緩んだ。
十数年ぶりの再会だったはずなのに、昔と同じように接してくれる。それがどうしようもなく嬉しい。
(冬吾……ありがとう。僕をずっと忘れないでくれて……ずっと、僕を繋ぎ止めていてくれて。だから、君の前ではなるべく誤魔化したくない……)
「……本当はさ、行きたくないんだよね」
ぽつりと本音がこぼれた。
酒のせいではない。ただ、誤魔化したくなかった。冬吾がこんなふうに、自分たちの間にきちんと形をくれたから。
言い終えたあと、繋は小皿の縁に視線を落としたまま、指先にじわりと力を込めた。
けれど冬吾は驚きもせず、ただ頷く。
「そりゃそうじゃろ」
それだけだった。
それだけなのに、繋は喉の奥に引っかかっていたものを一つ飲み下した。
「嫌なとこに行くんじゃ。行きとうないと思うんは当たり前じゃ」
「……そういう……ものなのかな」
「そういうもんじゃ」
冬吾は胡坐をかいたまま頬杖をつき、真っすぐ繋を見る。
「行きとうない自分まで、無かったことにせんでええ」
怖いとも、嫌だとも、苦しいとも言わず、ずっと押し殺してきた本音。それを無かったことにするなと、冬吾はそう言った。
「でも……行かなきゃ駄目だとは思ってる。みんなを死なせないように、強くなるために」
「おう。分かっとる」
これも即答だった。
「繋は昔からそうじゃ。誰かのためになると思うたら、自分の気持ちは後回しにする」
「うっ……」
「本当は嫌でも、怖くても、結局は行くって分かっとる」
困ったやつじゃ、とでも言いたげなのに、その声音はどこまでも優しかった。
「じゃけえ、さっき言うたじゃろ。お前の隣にはワシがおる」
「冬吾……」
「一緒に逃げるためにな!」
「え?」
繋は目を瞬かせた。
「いや、今、逃げるって」
「おう、逃げるぞ!」
冬吾は腕を組み、大真面目に頷く。
「行ってみて駄目なら逃げりゃええ。しんどすぎたら逃げりゃええ。お前一人じゃ無理でも、ワシがおったら逃げられる」
その言葉に、繋の震えがぴたりと止まった。
逃げてもいい。無理なら引いていい。
最後まで立っていなければならない。すべて受け入れなければならない。そんな言葉ばかりを自分に課してきた繋にとって、その逃げ道は想像すらしていなかった。
しかも、自分で探せと言うのでも、ただ見守るだけでもない。冬吾は一緒に逃げると、ためらいなく手を伸ばしてくれる。
あまりの優しさに、かえって繋は困ってしまう。
「……冬吾さ、僕に甘すぎるよ」
「甘やかしとるんじゃが?」
「自覚あったんだ!?」
「当たり前じゃろ。お前にだけは特別じゃけえ」
さも当然のように言われ、今度こそ繋は言葉に詰まり、耳を赤くした。
そういうことを平然と言ってしまうのはずるい。鼻の奥がつんとして、繋は咄嗟に話を変えた。
「その、何度も聞くけど、広島の方は大丈夫なの?」
照れ隠しのように話題を変えると、冬吾はすぐに頷いた。
「大丈夫じゃ。大丈夫なようにしとるし、ワシがおらんでも回せるようにしとる」
「でも、責任者が何回も抜けるのって」
「お前と比べたら安いもんじゃ」
「そ、即答しないでよ……!」
「即答するわ。ワシにとっちゃそうなんじゃけえ」
そこで一拍置き、冬吾はじろりと繋を見る。
「じゃけえ、『僕なんかのために』とか言うなや」
まだ言ってないんだけど、と繋はぴしりと固まった。
「顔に書いてある」
「うそだあ」
「ほんまじゃ」
ごつごつした手が伸びてきて、繋の頭をわしわしと撫で回す。
「ちょ、やめて。髪ぐちゃぐちゃになる!」
「難しい顔しとる罰じゃ」
乱暴な手つきだが、痛くはない。
昔から変わらないスキンシップに、繋は抵抗しながらも本気で振り払う気にはなれなかった。むしろ、少しだけ安心している自分がいる。
やがて、髪をかき回していた手が緩んだ。
「行って、駄目そうだったら逃げるぞ、繋」
「……そんな感じでいいのかな」
「ええんよ。繋が無理して駄目になる方が、よっぽど嫌じゃ」
その一言に、胸の奥に淀んでいたもやもやが薄れていく。
今すぐ答えを出せなくてもいい。そんな猶予をもらえた気がした。
ならば今は、少しでも動けるようにしておこう。
そう思ったところで、冬吾も空気を切り替えるように手を離した。
「とりあえず、福岡に行くにしろ行かんにしろ、車の準備だけしとくか! 雪も降りよるしのう!」
にっと口角を上げ、冬吾は先にベッドから降りると手を差し出した。
繋は一度目を閉じ、再び開くと、その手を迷いなく取った。
「あぁ、そうだね!」
全部を決められなくても、今できることはある。
◇
部屋を出た二人は、そのまま城の横にある駐車スペースへ向かった。
廊下を抜けて外へ出た瞬間、ひやりとした冬の空気が頬を撫でる。
「にしても、城か。なんでまたこんなもん建てたんじゃ?」
「さ、さあ……なんでだろうね?」
繋は明後日の方向へ視線を逸らす。
異世界に毒された結果、としか言いようがない。
冬吾の愛車は、フルカスタムされたトヨタのランドクルーザーだった。大型SUVらしい無骨さに加え、改造のせいかひときわ厳つく見える。
「いかにも冬吾が好きそうな車だけど、厳ついなぁ……」
「褒め言葉じゃな!」
「褒めてるかは微妙かなぁ」
そんなやり取りのあと、繋は杖を呼び出して魔法陣を起動する。
車体から淡い橙色の光が広がり、繋と車を包み込むように、花びらの紋様を描いた魔法陣が浮かび上がった。
耐久性を高め、凍結した道でも滑らないようにする。さらに、自分が乗っている間はガソリンではなく魔力で走れるよう、必要な改造と補強を重ねていく。
花弁の形をした魔力が車体へ浸透し、最後の魔法が完了した。
「よし! これで、いつでも出られるよ」
「相変わらず綺麗じゃのう」
感心したように見つめる冬吾に、繋はふっと顔を綻ばせる。
「よし、あとは道中の運転も戦いも任せとけ!」
「え!? 僕も戦うよ」
「何言いよるん。これまで散々やってきたじゃろ。ワシが隣におる間は戦闘禁止じゃけえ」
「そんな無茶な」
「ワシがおるときくらい、守られとけ」
「守られとけって……あっ……」
その言葉に、繋ははっとする。
今まで何度も似たようなことを言われてきたはずなのに、どうしてか今は真っすぐ胸に届いた。ヒカルやスヴィグルたちから向けられてきた言葉も、同じように胸の奥で重なっていく。
「……僕さ」
情けないと思いながらも、繋は言葉を止めなかった。
「ずっと、一人で何とかしなきゃって思ってたのかも。誰かに頼るってこと自体、僕の中じゃまだうまく形になってなくて」
自分が代わりに傷つけばいい。自分が戦えばいい。
誰かが自分と同じように傷つくところなど、見たくなかったから。
けれど、それはきっと冬吾たちも同じなのだ。
「冬吾が頼れって言ってくれるの、すごく嬉しい」
一度視線を落としてから、再び冬吾の瞳を真っすぐ見つめる。
「でも、どう頼ればいいのか、まだうまく分からない。――だから、練習してもいい? 人に頼る練習」
一拍置いて、髪に隠れた冬吾の目元が優しく細められる。
待ち望んでいたものがようやく来たとでもいうような目だった。
「いくらでも付き合うぞ」
迷いのない返事だった。
それを聞いて、繋は久しぶりに、誰かのためではなく自分のために笑った。
「ねえ、冬吾」
「なんじゃ?」
「僕には、異世界で半身って呼べる存在がいるけど……地球では、冬吾がそれだと僕は思ってるよ」
「勝手にそう思ってて、重かったらごめんね」と続けた繋に、冬吾は一瞬きょとんとし、それから快活に笑った。
「何を今さら。ワシは小学生の頃からそう思っとる!」
そして、当たり前のことのように続ける。
「ワシらはニコイチじゃけえな!!」
「…………っ」
真冬の灰色の空の下、その言葉に遠い夏の日がよみがえった。
蝉の声が降り注ぐ神社の鳥居の下で、指切りをした幼い日の記憶。
きっと、あの頃から。
いや、名前をつけるよりも前から、二人の間にはこういう形があったのだ。
繋は返事の代わりに、そっと目尻を緩めた。
嬉しい。嬉しくて、心が温かくなる。
こんな世界になっても、人の温もりや優しさは消えない。それを思い知らされるたび、守りたいという気持ちは強くなるのだった。
「繋くん、助けてくれ!!」
――のだが、その余韻を破ったのは、遠くから響いてきた切羽詰まった叫び声だった。
泣き叫ぶような声が、二人の耳へ殴り込んでくる。
「なんじゃ、ええ雰囲気をぶち壊しよってからに――どうしたんじゃ、狼神…………」
「そんなこと言わないの。どうしたんだい、煌夜くん…………」
冬吾がしぶしぶ声のした方へ顔を向け、繋も同じように視線を向ける。
二人はそろって、ぴしりと固まった。
そこには狼がいた。
いや、狼神煌夜ではあるのだが、名字の話ではない。
煌夜の異能である黒い炎が、剣やほかの武器として出力されているわけでもなく――なぜか、黒い炎で形作られた狼の耳と尻尾が生えていた。
白熊冬吾───二年前のプロットでは幼馴染ではなくヤクザの組長で最初は敵で仲間になるキャラだったんですけど、スヴィグル以外にも地球で繋の事を思ってくれている友が居ないなと気づいて、幼馴染キャラに変更したのが彼です。全キャラ好きなんですけど、冬吾に関してはドストレートで繋に感情を愛を伝えてくれるキャラなので書いてて楽しい。
いつも読んで頂いてありがとうございます!
もし良かったら、ブクマ・評価・リアクションのどれかを押して頂けると更新が頑張れます!




