第2話:奪えない絆
形の良い眉がぴくりと動く。それだけで、図星だと分かった。
「まじかよ……」
春臣は盛大にため息をつき、訝しげに眉を寄せてこちらを見る冬吾に言い放った。
「杞憂だってんだ」
「杞憂って……自分の実の弟じゃぞ。普通は嬉しいもんじゃないのか?」
「それは一般家庭の感情な」
春臣はぴしゃりと言い切り、やれやれと皮肉げに笑ってみせる。
視線を窓の外へ逃がす。ブラインドの向こうに見える夕焼けは、いつの間にか赤から薄暮へと移り始めていた。
「……そうは言うが、心境は複雑じゃ」
ぽつりと、冬吾は呟いた。
その声音に、春臣は茶化すのをやめた。黙って先を促す。
冬吾は報告書を机に置き、指先で紙の端を軽く叩いて揃えた。そんなことをしても考えはまとまらないと分かっている。それでも、何かしていないと落ち着かなかった。
自分は繋の幼馴染であり、兄弟分だ。辛いことを一緒に乗り越えてきた戦友でもあり、家族でもある。
だからこそ、この感情はきっと独占欲に近い。奪われたくない。あの隣を、今さらどこの誰とも知れない相手に。
トン、と机を叩いていた指を止める。冬吾はまるで自分に言い聞かせるように、繋との過去を話し始めた。春臣に聞かせるつもりは一切なかった。どちらかと言えば、自分の心を落ち着かせるための方が大きい。
「……繋とはのう、小学生の頃から一緒じゃった」
春臣は黙って聞いている。
「当時、ワシはいじめられっ子やった」
「は? さすがにそれは嘘だろ」
さすがに突っ込みたくなった。そんな高身長でタッパもあるのに、いじめられっ子など信じられない。懐疑的な目を向けると、「当時はな」と冬吾は薄く笑った。
「それを、繋がずっと助けてくれた。同級生に絡まれようが、上級生に絡まれようが関係なしに助けてくれるし、口は回るし、喧嘩は強いしで、当時は憧れじゃったな」
脳裏に浮かぶのは、幼い繋の姿だ。まだ背丈も低く、優しい笑みを絶やさない幼馴染。
けれどその裏で、誰にも頼らず、自分ひとりで立とうとしていた幼い繋の姿を思い出した瞬間、冬吾の周囲にパキリと凍気が漏れた。
「でも、隠れて泣いとる時も知っとる」
「……うん」
「無理して笑っとる時も知っとる」
「誰にも言わん苦しいことを抱えて、ひとりでどうにかしようとしとる時も知っとる」
冬吾はそこで小さく息を吐いた。
「だから、ワシも守られてばっかじゃなくて、隣に立てるよう、背中を預けてくれるよう、強くなることを決めた」
必死に飯を食って、母に頼み込んで武術を習い始め、身体つきも身長も見違えるほど変わった。中学生になる頃には、繋の体格も身長も追い抜いていた。
「何をするにしても一緒じゃった。ずっと兄弟みたいなもんじゃったんよ。血なんぞ繋がっとらんでもな」
冬吾は苦く笑った。口にするたびに、胸の奥に熱が灯る。
「繋がどうしようもなくしんどい時、隣におるんはワシじゃった」
だからこそ、今さら「本当の弟」が現れたと言われても、素直に受け止めきれない。喜ばしいことのはずなのに、心から祝うことができなかった。
そんな自分は器が小さいのかもしれない。子どもじみているのかもしれない。だが、胸の奥がざわつくのを、なかったことにはできなかった。
「……子どもじゃろ、ワシ」
自嘲するように笑う冬吾に、春臣はあっさり首を振った。
「いや」
壁に寄りかかりながら、春臣は腕を組む。
「普通だろ。むしろ、気にしねえ方が不自然じゃねえの」
少しだけ視線を落とし、春臣は言葉を探すように間を置いた。それから、どこか照れ隠しめいた調子で続ける。
「俺だってさ、自分がずっと近くで見てきた奴に、急に“本物の家族がいました”とか出てきたら、まあ面白くはねえし、複雑だよ」
ずっと自分が隣にいたのに、よくも知らねえ奴がその場所に立つみたいで納得できねえ。そう言って、春臣は鼻で笑った。
「でもよ、そもそも心配する必要ないんじゃねぇの?」
「何でじゃ」
「血が繋がってるから家族になるわけじゃねえよ」
冬吾はゆっくりと目を向けた。
春臣の顔に、いつものふざけた色はない。けれど少し照れくさそうに頬を掻いて、言った。
「良い時だけ傍にいるんじゃなくてよ、自分が辛い時に傍にいてくれる奴」
「どうしようもなくなった時に、見捨てずに助けてくれる奴」
春臣はそこで少し笑った。まるで自分のことを投影したような言葉だと気づきながらも、ええい、ままよと続ける。
「そういう奴の方が、よっぽど本当の家族だろ」
短い沈黙が落ちる。冬吾は、もさもさの前髪に隠れた目をわずかに見開いた。
春臣はくすりと口角を上げ、さらに続ける。
「渡は人たらしだし、誰彼かまわず味方につけるし、一見博愛主義に見えるけどよ。あんたはその中でも特別枠の一人だって、俺にだって分かるぜ」
冬吾は目をぱちくりさせる。もちろん前髪で見えないが。
「アンタ相手だと、たまに年相応になるじゃん。外じゃがっちがちに理想的な大人やってるけど、アンタの前だと文句言いながら世話焼かれるの受け入れてるしな」
春臣は机上の資料に目をやり、それから冬吾へと視線を戻した。
「血の繋がった弟が出てきたからって、それで今まで積み重ねてきたもんが消えるわけねえだろ」
その言葉が、すとんと胸の内に落ちた。
冬吾はしばらく黙っていたが、やがてくっくっと低く笑った。そうだ、その通りだと今さらながら気づく。春臣の言う通り、消えるわけではないのだ。
胸の奥で渦巻いていた濁りが、少しずつほどけていく。言葉にされて初めて、自分が何を恐れていたのかを正面から見られた気がした。
「春臣、お前ええ子じゃのう」
「ん? ま、まあ、意外とそう言われるぜ?」
ただの冗談のつもりだった。春臣はそう受け取って目を閉じ、やれやれと肩をすくめる。だが次の瞬間、褒め言葉の端々に子ども扱いの気配を感じ取り、はっと眉をひそめた。
「って……おい! 子ども扱いすん――」
春臣が抗議の言葉を上げようとした瞬間、冬吾はすっと立ち上がった。
嫌な予感がしたのか、春臣がさっと身構える。
「ちょ、待て、なんだどうした」
「よーし、よしよし!!」
がしがしがし、と大きな手が春臣の頭を遠慮なく掴み、わしゃわしゃと乱暴に撫で回した。
「ちょっ、やめろ!」
「かわええのう!」
うんうんと冬吾は頷く。繋がいつも彼を可愛がっている理由が分かった。
もともと繋も冬吾も年下に対して面倒見のいい性格ではあるが、年を取るほど、年下の素直じゃない態度は可愛く見えるものだった。
皮肉屋で斜に構える性格だとは知っていたが、蓋を開けてみれば大したことはない。ただ、素直じゃないだけだ。
やはり環境と人間関係で人は変わるな、と冬吾は春臣の髪がぐしゃぐしゃになるまで撫で回しながらも、妙に冷静に考えていた。
「撫でんじゃねぇ! 恥ずかしい!」
「何が恥ずかしいんや、照れんでええけぇ、照れんでええけぇ!」
「照れてねえし! 髪! 髪が!」
必死に逃れようとする春臣を、冬吾は容赦なく捕まえる。数分前までどんより沈んでいた男とは思えないほど機嫌がいい。春臣の髪はあっという間にぐしゃぐしゃになった。
組長室の外まで騒ぎが漏れたのだろう。扉の向こうで作業していた幹部たちが、何事かと視線を向け、すぐに面白がるように笑い出す。
「黒崎が嫉妬するな」
「ガハハハ! 兄弟っていうか親子だな!」
「いや、あれは飼い主と中型犬では」
「春臣も満更でもねぇんだろ」
好き勝手な小声が飛び交い、それを聞き取った春臣が顔を真っ赤にして叫ぶ。
「聞こえてんぞあんたら!」
「わはは! 遠慮せんな、遠慮せんな!」
「誰のせいだと思ってんだ!」
組長室の外に大きな笑い声が広がる。
冬吾のまとっていた冷えつくような空気が、ようやく溶けていく。張り詰めていた部屋の温度まで、少しだけ元に戻ったような気がした。
その賑やかさの中で、冬吾の腹はようやく決まった。
血の繋がりは消えない。だが、それだけで隣に立てるわけでもない。
積み重ねてきた時間も、支え合ってきた過去も、誰かに奪えるものじゃない。
自分がずっと繋の隣にいた事実も、一緒に明日を迎えるために駆け抜けた時間も、誰にも奪えない。
奪わせるつもりもない。
そう腹を括ると、冬吾の目つきが変わる。不安を滲ませたものではなく、いつもの自信に満ちたものへと戻っていた。
すると同時に、冬吾は無性に繋に会いたくなった。
そもそも本当なら、広島の拠点の責任者という役目など放り出して、たった一人の家族の傍にいたかった。たとえそれが許されない判断だとしても。
まあ、でも、今くらいは良いだろう。そう思うと、冬吾の中で何かがすとんと吹っ切れた。
この場には、信頼できる多くの部下もいる。そして、新たな仲間として春臣もいる。
たまには、良いだろう。
広島の拠点の責任者としての白熊冬吾ではなく。
組長としての冬吾でもなく。
ただの繋の幼馴染で、親友で、家族である冬吾に戻っても、誰も罰しはしないだろう。
――いや、罰があろうが関係ない。
冬吾はふんぞり返るように胸を張った。
(誰もワシを止めることなんか出来ゃあせんし、誰もワシと繋との絆は奪えやせんのじゃ!)
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