第17話:生還
「まさか、空に浮くっちゃね……しかも飛行型のclass3まで、あげんようけおるとは……」
皐月の言う通り、天空に浮かぶ東京タワー。その空中要塞の周りに陣形を取るように
何十体ものclass3が次々と要塞から羽ばたいていっていた。
「こんな景色、異世界以来ですよ……」
真冬の空のど真ん中を、二人は一本の杖にまたがったまま、ふわりふわりと進んでいた。吐く息は白く、頬を打つ風は容赦なく冷たい。その視線の先には、雲の上に浮かぶ東京の拠点がある。
鋼の城壁に囲まれた巨大な都市の塊。移設された東京タワーも、競技場も、研究棟も、そのすべてを抱え込んだまま、まるで最初からそこにあるのが当然だったかのように空へ浮かんでいた。
まるで映画に出てくるような空中要塞だ。
あまりにも現実離れしたその光景に、そんな言葉がふっと頭をよぎる。
けれど、そこにあるのはロマンでも幻想でもない。
あれは敵の本拠地だ。人を材料にしてゾンビを生み、覚醒者を選別し、世界の先を覗こうとしている女の城。
繋は一度だけ振り返り、遠ざかっていく空中要塞を無言で見つめた。
蛇ノ目の声が、まだ耳の奥に残っている。
来年の四月。スタンピード。
そして、未知なる生命体の“器”。
「でも、よかったかも」
繋は前へ向き直り、小さく息を吐いた。
「向こうの掌の上なのは変わらないけど、とりあえず猶予はありますね……」
「ああ。それに、覚醒者も海外に派遣されとるって話やったしね。あの木を操るやつば除けば、他が急に蛇ノ目の命令で襲ってくるのは難しかろうね」
「そういえば、あのポータルみたいな能力者、いましたよね。あっちは大丈夫なんですかね?」
皐月さん、何か知ってます?――そう言って繋が振り返ると、皐月は目を瞑りながら、刀の柄に手を添えて顎をさすった。
「ん〜……。あん男も蛇ノ目側におるとは思わんやったけどね。彼の能力は、厳密に言うと“対象の入れ替え”なんよ。どこでもドアみたいな万能さはなか」
「なるほど…入れ替え、かあ」
「せやけん、好き勝手に転移できるってわけやなかはずたい。条件も制約もあるやろうし、あの場で隕石だけ回収できたんは、事前に相当仕込んどったか、最初からそのための術式ば用意しとったかやろうね」
「なるほど、なるほど……」
それなら、少なくとも“どこからでも何でも移動できる能力”ではないらしい。そう思うだけでも、気持ちは少し軽くなった。
以前、異世界セプネテスで大規模なスタンピードに巻き込まれた時のことが脳裏をよぎる。敵が転移門を作っていたせいで、あの時は散々な目に遭わされた。
そこまで考えたところで、繋はふと首を傾げた。
「あれ。皐月さん、その人と知り合いなんですか?」
「知り合いっちゅうほどでもなかよ。見たことがある程度たい。蛇ノ目がうちに来てから、ずっと近くにおるっぽかったけど、あんまり表には出てこんしね。おいちゃんも数回しか見たことなか」
皐月は記憶をたぐるように唸り、軽く頭をひねってみせる。だが、その反応を見る限り、相手の素性まで深く知っているわけではなさそうだった。
「なるほど。側近なのは間違いなさそうですけど、厄介な能力持ちなのは確かですね。気をつけないと」
「だねえ」
そこで会話は自然に途切れた。
二人はしばらく無言のまま空を進む。
雲を抜けるたびに風向きが変わり、そのたびに杖がわずかに揺れた。繋は無意識のうちに後ろへ意識を割き、皐月が落ちないよう飛行のバランスを細かく調整していく。
東京を脱出できた安堵は、確かにあった。
だがそれ以上に、新たな問題に頭を悩まされた。
資料は持ち帰れた。
敵の情報も手に入った。
けれど、肝心の隕石は奪われたまま。
しかも蛇ノ目は、こちらが強くなるための時間すら遊びの一部として与えている。
みぞおちのあたりから、じわじわと冷たい不安が広がっていく。その寒気は、いつの間にか指先まで染み込んでいた。
(それに、自分は“器”になり得ないと言われた……それはきっと、僕が異能の発現者じゃないからだ)
ということは、狙われるのは仲間たちだ。
戦力を強化するために。異能を制御し、覚醒へ至るために。つい先日まで、自分は心の力を説いていた。それがまさか、敵にとって都合のいい状況を整えることになるとは思いもしなかった。
繋は奥歯を噛みしめる。
大切な仲間たちに敵の手が伸びるなら、やはり自分がなんとかするべきだ。そう気持ちを固めかけた、その時だった。
「けいくん」
張り詰めた弦に触れるような、鋭く硬い声が名を呼ぶ。
「あっ……ごめんなさい。どうしました、皐月さん?」
考えに沈み込みすぎていたことに気づき、繋ははっとしたように振り向いた。
「無理してなか?」
「……へ?」
思いがけず向けられたのは、責める視線ではなく、こちらを気遣うまなざしだった。繋は一瞬、目を瞬かせる。
「さっきからずっと考え込みよるやろ」
「………………ちょっと?」
図星だった。けれど心配はかけたくない。そう思って視線を逸らし、たっぷり間を空けてから答えた繋に、皐月は呆れたように後ろ髪をかいた。
「ちょっとどころやなか顔しとるばい……それに、咄嗟の嘘が下手になっとるくらい考えすぎとるやろうもん……」
小さくため息をついてから、皐月はやわらかい声で言った。
一人で抱え込むような話じゃなかよ、と。
その言葉に、繋は一瞬きょとんとする。
一人で抱え込むつもりなどなかった。けれど、そう見えていたのだと指摘されるまで、自分でも気づいていなかった。
───なんでもかんでも、自分で解決しようとするな。
ヒョードルやスヴィグルたちから、何度も言われてきた悪い癖が脳裏をよぎる。
今さらながら、ヒカルたちにも同じような心配をかけていたのだと気づき、繋はわずかに視線を落とした。
そんな様子を見て、皐月は内心で苦笑する。もしここが曇天の空のど真ん中でなければ、軽くデコピンのひとつでもしたくなるところだった。
背負うなとは言わない。
けれど、必要以上に抱え込み、ひとりで沈んでいくのは違う。
欲しいのは、「一緒に戦おう」。たったそれだけでいい。
もっとも、そういう言葉を素直に口にできる性格ではないことも分かっている。だからこそ皐月は、困ったように眉を下げながら、それでもはっきりと言葉を重ねた。
「どうせ蛇ノ目が、君を器にしきらんやったぶん、矛先が自分らに向くっちゃなかかって思うて、自分が戦った方がよかとか考えとるっちゃろうけど、ばってんそれは違うけんね」
まさに胸の内を言い当てられ、繋はぽかんと口を半開きにした。
その顔があまりにも分かりやすくて、皐月はつい声を上げて笑った。
◇
しばらくして、二人は少しずつ高度を下げはじめた。
東京の空を離れ、進路は埼玉の拠点へ向かっている。刺すような冷気が頬を撫で、張りつめていた感情が少しずつ静まっていく。危険な空域を抜けたことで、ようやく考える余裕が戻ってきたのかもしれない。
(……皐月さんも大丈夫だろうか? あの時、彼女が煽った言葉……)
彼女は、自分と皐月の子どもを重ねているのかと煽った。
その瞬間に見せた皐月の怒りは、まさに鬼神のごとくだった。普段がのらりくらりとしているぶん、あそこまで露骨に感情を剥き出しにした姿には、繋も内心で驚かされた。
肌がひりつくような、あの怒気。
それだけで、彼にとって家族がどれほど大切なものなのかは十分すぎるほど伝わってきた。そして同時に、繋の中ではひとつ腑に落ちたことがある。
皐月が時おり自分へ向ける、どこか慈しむような眼差しの理由だ。
(自分とお子さんを重ねていたんだろうなあ)
そう思うと、くすぐったさと申し訳なさが入り混じったような感情が胸の中に広がる。
もちろん、繋自身の意識は三十歳のままだ。
それでも外見年齢に引っ張られて、無意識にそう見られてしまうのだろう。
そう考えると、なんとも言えない気分になる。
実際には、皐月の離縁した家族は皐月の知らない場所で生きている。
彼自身もまた、恩人であり友人でもある繋を、父性に近い感情で守っているにすぎない。だが、そこにある認識のズレまでは、今のお互いには知りようもなかった。
「皐月さん……色々と気遣いありがとうございます」
繋がそう口にすると、背中越しに返ってきたのは、いつも通りの気の抜けた声だった。
「ん~? なんのことかいな? そげんことより、おいちゃんもう帰って寝たか~」
わざとらしいほど力の抜けた調子に、繋は思わず肩の力を抜きそうになる。
けれど、こうして空気を軽くしてくれているのも、きっと彼なりの気遣いだ。そう分かっているからこそ、繋は小さく笑った。
杖の先をわずかに傾ける。
ふわりと身体が沈み、二人は雲の層を抜けて、地上に近い高度まで降下していった。
視界の下には、崩れた旧東京の街並みが広がっている。倒壊したビル。折れた高架。雪をかぶった瓦礫の山。かつて人であふれていた都市は、今では静かな墓場のようだった。
ときおり、廃墟の隙間をゾンビの群れがのろのろと動いているのが見える。class3の気配もいくつか感じられたが、幸い大きな戦闘にはならなかった。こちらも魔力を消耗しているうえ、今は回収した資料もある。無用な戦いは避けるに限る。
そうして飛び続けるうちに、やがて埼玉拠点の外縁が見えてきた。
遠目にも分かる異様な輪郭に、繋は思わず唇を真一文字に引き結んで目を逸らしそうになる。
見慣れてきたはずなのに、やはりこうして改めて外から眺めると破壊力が高い。
拠点の中央には、日本の現代社会にはあまりにも似つかわしくない城がどっしりと建っていた。
繋は「やってしまったなあ」と小さく口の端を引きつらせた。あれは、自分の集中力を切らした結果、間違ったイメージ出力のまま形になってしまった結果である。
断じて趣味ではない。たぶん。
それにしても、今日は本当に色んなことが起きた。いや、今日だけではない。この数日だけで起きた出来事の密度が濃すぎる。
class4との再対決。覚醒者との戦い。異能の力について。そして、宇宙的生命体と器。
各拠点へのゾンビ郡の進行にヒカル達が対処してる誘導薬。
ひとつひとつを並べるだけでも頭が痛くなりそうで、繋は冬の空気を肺いっぱいに吸い込んだ。そして白い息とともに、胸の奥に溜まっていたものを少しずつ吐き出していく。
「今日ぐらいはお酒でも飲みたい気分です」
「賛成賛成! おいちゃんも付き合うよ!」
「今日は夜ご飯も豪勢にして拠点全員で賑やかにしてもいいですね!」
他の拠点と違って、農業用の畑があるわけではない。物資だって、いくらでも贅沢できるほど潤沢ではない。それでも、いざという時のための保存食なら、魔法のトランクケースの中にそれなりの量が眠っている。
それに、決着をつける時期の目途は立った。
全滅するか、生き残るか。人類に残された未来は、その二つしかない。
残された時間も、あと四か月。
ならば、今を全力で生きるしかない。繋はそう思いながら、皐月と言葉を交わしつつ着地出来そうな区画へと降りていった。
地面に足がついた瞬間、ようやく無事に帰ってきたのだという実感が追いついてくる。繋は杖を短杖へ戻し、ふうと軽く息を吐いた。
その直後だった。
待機所の方から、慌ただしい足音が一気に近づいてくる。
「あっ!」
こちらに気づいた誰かが、勢いよく顔を上げた。
「戻ってきたぞ! 繋さんたちだ!」
その一声をきっかけに、張りつめていた拠点の空気が一気にほどける。
警備班、補助班、医療班。待機していた仲間たちが一斉にこちらを振り向き、みるみるうちに安堵の色を浮かべていった。
どうやら、自分たちの帰還をずっと気にかけてくれていたらしい。
「無事だったんですね!」
「東京、どうなってるんですか!?」
「怪我は!? 大丈夫ですか!?」
矢継ぎ早に飛んでくる声に、繋は少し困ったように目を瞬かせた。
けれど、そのどれもが心配してくれていたからこその言葉だと思うと、胸がいっぱいになる。
「ふふふ。とりあえず無事に帰ってきました! 話は中で――」
しましょう、とそう返しかけた、その時だった。
人垣の向こうに、見慣れた大柄な影が見えた。
まるで熊のような図体で、地面を揺らす勢いで、ソレが人混みをかき分けて突っ込んできた。
その姿を今度は忘れる事はない。その姿を目で捉えた瞬間、繋は知らないうちに顔をぱあっと明るくさせて、幼馴染の名を呼んだ。
「冬吾!」
繋がそう口にして、手を振ろうと駆け寄って見上げれば。
凄み(すごみ)のある顔で両腕をがしっと掴まれたのだった。
いつも読んで頂いてありがとうございます!
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