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『ゾンビだらけの世界でただ1人の魔法使い』  作者: mixtape
第4章:皐月ガーディアン

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第16話:遥か空から宣戦布告

冷えた目をした女は、まるで旧友にでも話しかけるような気安さで微笑んでいた。


「すごいね。Class3の包囲網をいとも簡単に抜けてきたなんて。魔法って何でもできるのかしら」


「何でもできれば苦労はしないんだけどね?」


 繋は皮肉っぽく言い返す。だが、蛇ノ目は気を悪くした様子もなく、寧ろ好印象と感じたのか、けいへと何か感じているのか、くすりと喉を鳴らした。


「ふふっ。そんなに敵意むき出しにしなくていいよ。別にあなたたちをこの場でどうこうするつもりはないし、よければ、あたしの資料を持っていっても構わないわ」


「…………は?」


 たっぷり間を空けて、けいは間の抜けた声を漏らした。


 意味がわからない。目の前の女が敵であることは疑いようがない。なのにその敵が、まるで帰り際の手土産でも渡すような軽さで、資料を持っていけと言っている。


 その異様さに、皐月がすっと一歩前へ出た。繋を庇うように立った、その瞬間だった。空気の温度が、目に見えない刃で切り落とされたみたいに変わる。


「おちょくるのも大概にしとき」


 低い。重い。腹の底から響く声音だった。いつもの飄々とした調子はきれいに消え失せている。全身から重苦しい殺気がにじみ、ドスの利いた博多弁が部屋の空気を一気に凍らせた。


 だが、蛇ノ目は意にも介さない。むしろ呆れたように口の端を上げる。


「ホログラムのあたしにそれを向けても意味ないって。それとも仲代君、重ねてるの?」


「……何を」


「自分の子供が、もし生きていたらって。彼と同じくらいの年齢だものね。まあ、本来の年齢とは違うけど」


 次の瞬間、皐月の殺気がひときわ鋭く研ぎ澄まされた。


 空気が裂ける。そう錯覚するほどの殺伐とした気配が、さらに深く沈む。皐月は帯刀していた刀の鯉口を、チャキリと乾いた音を立てて切った。今にもホログラムごと叩き斬りそうな目をしている。


 まずい。


 そう判断した繋は、何も言わず皐月の袖を軽く引いた。


 皐月が視線だけを繋に寄越す。繋は無言のままその瞳を見返し、ゆっくり首を横に振った。


 数秒。


 皐月は蛇ノ目から目を離さないまま、深く息を吸って、ゆっくりと吐く。それを二度繰り返し、どうにか自分を抑え込んだ。


「……それで」


 場の空気を切り替えるように、繋が一歩前へ出る。


「君の狙いは何だい?」


「狙い?」


 蛇ノ目はほんの少し首を傾げ、それから本当に不思議そうに笑う。


「そんなもの、ないわ」


「なに?」


「ただ、あたしは見たいだけだもの」


 蛇ノ目は人差し指をかぎ爪みたいに唇へ当てた。甘ったるい声色とは裏腹に、その瞳の奥には濁った愉悦がゆらゆらと揺れている。


「君たちが対処法を知ったことで、どんな未来になるか見たいだけ」


 繋の眉が寄る。


「無辜の人たちをゾンビ化させたり、誘導薬を使って拠点を襲わせたり。君は世界を掌握したいんじゃないのか? 君の目的は、何なんだ…………」


「…………うーん」


 蛇ノ目は初めて少しだけ考えるふりをした。けれど、返ってきた言葉は拍子抜けするほどあっさりしていた。


「そんなちっぽけなこと、どうでもいいの」


 さらりと、心底どうでもよさそうに言い切る。


「たしかに、あたしの部下の覚醒者ちゃんの中には、世界を滅ぼしたいとか、支配したいとか、殺しつくしたいとか、そういうことを考えてる子もいるけど」


 肩をすくめる仕草すら、どこか芝居じみている。


「でも、あたしはそんなのどうでもいい」


 ゆっくりと椅子のひじ掛けに肘をつき、頬杖をつく。


「あたしは、停滞したこんな世界じゃなく”先”を見たいの。予想もつかない未来を。今まで見たことのない衝撃を」


 そこに、ようやく本音らしい熱がにじむ。


 世界への執着でも、支配欲でも、復讐でもない。

 ただ、自分の知らない何かを見たい。

 そのためなら、人命も秩序も世界の形すら平然と天秤にかけられる。


 繋は悟る。目の前の彼女は壊れているのではない。

 最初から、こちら側の常識で測れる存在ではないのだと。


 生まれつき何もかも容易く手にできたからこそ、既知の世界は退屈だった。

 そんな女が、たった一つ理解できないもの――未知なる存在に魅せられたのだ。


 けれど、その核心に繋がる真実までは、まだこの場で見せるつもりはないらしい。


 蛇ノ目は愉しげに、続きを口にした。


「その隕石は、ただの飛来物じゃないの」


 繋と皐月が黙って聞く中、女は妖しく笑う。


「アレに耐えうる存在が必要なの。受け皿。土台。呼び方は何でもいいけど。異能者が進化した覚醒者、さらにその先へ至れる存在。……あるいはClass6級の何か、ね」


「その言い方……まるで隕石に何か宿ってるみたいだね」


 繋が低く言うと、蛇ノ目は目を細めた。


「あら、いい線いくじゃない」


 皐月の顔つきが険しくなる。


「なんだと?」


「器が弱ければ壊れるの。精神が裂けるか、肉体が変質するか、あるいはその両方。あなたたちが見てきたゾンビ化なんて、まさに適応失敗の産物でしょう?」


「……ッ」


 皐月が息を呑む。


「だから選別してるのよ。受け入れられる器を。侵されても壊れず、呑み込まれてもなお自我を保てる個体をね」


「何のために……」


 繋の問いに、蛇ノ目は指で頬杖をついて淡々とした一言で返した。


「さあ?」


 皐月が舌打ちする。


「結局、人を材料にしとるだけやないか」


「そうね~、かもしれないし、そうじゃないかもしれない。でも、資料くらいならあげる。ゾンビ化を治す薬の手掛かりにもなるでしょうし、感染後の変異の段階、高熱の抑え方――全部そろってるわ」


 繋は黙って培養カプセルを見つめた。


 ここまでの話を聞く限り、この隕石は何らかの生命体なのだとわかる。


 そう認識した瞬間、ぞくりと嫌な感覚が背中を這った。持ち帰って調べるべきだと思っていた。


 だが、違う。

 これは、ここで壊すべきだ。


 長年の勘が、警鐘みたいに全身で鳴っていた。


 そしてもう一つ。胸の奥に引っかかっていた違和感が、ようやく形になる。


「最初から、誰かを試すためにここへ置いていたのかな?」


 繋の声は低く、ホログラムを睨みつける。


 蛇ノ目は答える代わりに、すっと視線をけいへ向けた。その目に浮かんだ愉悦は、先ほどまでのものより一段深く見えた気がした。


「そうね」


 唇の端がゆるやかにつり上がる。


「少なくとも、君が“器”たり得るかどうか。その確認にはちょうどよかったわ」


 その一言が、冷たい針みたいにけいの胸へ刺さった。


 皐月が反射的に一歩踏み出した。


「……っ、おまえ……ッ!!」


 怒気がはっきりと声に出る。ホログラムを投影する機械を切ったところで意味はないと分かりつつ、怒りが理性を踏み潰した。


 ジャキンと一閃。目に見えない、物体が切られた事さえも気づかない、神速の抜刀が一閃する。


 しかし、案の定予備の投影機がどこからともなく現れては蛇ノ目を映し出した。


「怒りに支配されるなんて、仲代君らしくないなあ」


「……ッちぃ……!!」


「皐月さん! 僕は、大丈夫ですから!」


 怒りに染まる皐月を止める。だが、皐月が自分より怒っているお陰かけいのほうは逆に、すうっと頭が冷えていくのを感じていた。


 やはりそうか。


 ここに隕石が残されていたのは、ただ研究途中だったからでも、運搬の都合でもない。最初から自分を観察するために、わざと手の届く場所へ置いていたのだ。


 見定められていた。


 自分が触れればどうなるのか。近づけば何を感じるのか。器に成り得るのか。


 そのすべてを、蛇ノ目は見ていた。


 そう悟った瞬間、繋の中で、持ち帰るべきかどうかという迷いが消える。


 ――壊す。


 そう決め、赤い花弁が舞う。魔法を発動しかけた、その刹那だった。


「おっと、それはさすがに困るかな」


 蛇ノ目は、ぱちりと指を鳴らす仕草をする。


 直後、培養カプセルの真下に、ブンッ、と低い振動音を響かせてゲートが開いた。


 空間そのものが円形に歪み、光の縁を持つ穴が生まれる。カプセルは重力を失ったみたいに沈み、そのまま引きずり込まれるようにして、繋たちの目の前から一瞬で消えた。


「しまった……!」


 繋が手を伸ばすより早く、皐月が動き出すより早い。


 残ったのは、空っぽの台座だけだった。


 一拍遅れて、研究室の静けさがやけに白々しく広がる。肝心のものだけを鮮やかに奪い去られた現実が、鈍く胸にのしかかった。


「いや〜、判断が早いこと早いこと。でも、ごめんね。まだ壊されるわけにはいかないの」


 蛇ノ目は悪びれもせず、肩をすくめてみせる。


「でも安心して。壊したいっていうなら、ちゃんとその場は作ってあげる」


 その声音は、まるで面白い遊びの約束でもするみたいに軽い。


「本当は、覚醒者ちゃんたちが次のフェーズに行くまで、もう少し待つつもりだったの。でも、予定は変えましょう」


 そこで蛇ノ目は、愉しげに目を細めた。


「海外で遊ばせてたうちの子たちも、帰ってきたくてうずうずしてるみたいだし。本当はまだその時じゃないんだけど、ずっと先延ばしにするのもつまらないものね」


 蛇ノ目のホログラムが、まるで子供に言い聞かせるみたいに微笑む。


「だから猶予をあげる。来年の春。ん〜、そうね。出会いと別れの月、四月。そう、四月にしましょう。この隕石の子が起きるまでの間、スタンピードも意図的に遅らせるから――」


「――それまでに強くなって」


 繋の目が細まる。


「繋くん、君のことじゃないわよ。――君は器にはなれなかったもの」


 その言葉は、否定というより、すでに結果の出た実験報告みたいに淡々としていた。


 すぐに蛇ノ目は楽しそうに笑う。


「だから他の異能者たちには頑張ってもらわないと。それこそClass4以降のゾンビや、覚醒者と戦えるレベルにね」


 その言葉の意味を、二人は即座に理解した。


 今の各拠点の戦力では足りない。これから先に来るものは、今までの延長線上では対処できない。


 そう宣告されたも同然だった。


「あ、もちろん、その間何もしないわけじゃないから」


 蛇ノ目は無邪気に付け加える。


「ばんばん拠点に、あたしのゾンビちゃんたちを送るわ。絶対に強くなってね」


「つまり」


 繋の声が、わずかに冷たいものへ切り替わる。


「すべては君の目的のための下準備ということか」


「イエス。話が早くていいわね」


 ぱっと花が咲くような笑顔だった。その無邪気さが、かえってぞっとするほどおぞましい。


 そして蛇ノ目は、ふと思い出したように言った。


「あと今回はこっちのテリトリーに入らせたけど、あたしも目的を達成するまで死にたくないし」


 次の言葉に、繋は嫌な予感を覚える。


「あたしが隠れてるこの空中拠点みたいに、ここも空へ浮かべるつもりだから。帰るなら今のうちよ」


「……は?」


 間を空けて返した、直後だった。


 ごごごご、と腹の底に響くような地鳴りが起こる。


 棚が軋み、積み上がっていた資料が雪崩を打って崩れた。試験管や器具が床に落ち、甲高い破砕音を撒き散らす。


「なっ、ちょ――!」


 皐月がぐらつく身体をどうにか踏ん張り、繋は即座に窓際へ駆け寄って外を見た。


 そこで、言葉を失う。


 鋼の城壁の内側――元国立競技場一帯が、地面から剥がれ落ちるみたいに持ち上がっていた。


 土砂が滝のように崩れ落ちる。基礎を失ったはずの巨大構造物が、見えない力に押し上げられ、天へ昇っていく。移設された東京タワーごと、城塞ごと、競技場ごと。


 本拠地そのものが、空へ浮上していた。


「冗談きついばい……!」


 皐月が窓の向こうを見て、顔を引きつらせる。


 常識が、音を立てて崩れていく。


 だが、呆けている暇はない。このままでは、自分たちまで空中へ閉じ込められる。


「それじゃ、また会いましょう」


 ホログラムがふっと揺らぐ。映像が薄れ、白衣の女の輪郭が光の粒となって消えていった。


 部屋に残されたのは、激しい振動と崩れ落ちた資料の山。そして、最悪の置き土産だけだった。


「けいくん! 逃げるばい!」


「ですね! 一刻も早く外に出ましょ!!」


 二人は同時に動いた。


 持ち帰れそうな資料だけをかき集め、研究室を飛び出す。だが、来た道をそのまま戻るには、すでに塔の外壁が大きく揺れ始めていた。エレベーターは論外。階段も同じだ。


 繋は一瞬で選択する。


「窓を割ります! そのまま空を飛びますから、皐月さんも一緒に窓の外へ出て! 最悪、空中歩行もできるようになってるし大丈夫!」


「できるけど、遥か上空での歩行とか怖すぎて全然安心できん!!」


「大丈夫ですから! 一瞬だけ浮かんでくれたら、その後すぐ拾いますから!」


 悲鳴混じりのやりとりを交わしながらも、二人は研究室棟の外周へ向かって走った。


 床が波打つみたいに震える。廊下の天井から粉塵が落ち、警報灯が赤く点滅を始める。少し遅れて非常サイレンが鳴り響き、施設全体が巨大な生き物みたいに軋んだ。


 外周ハッチまでたどり着くと、吹き込んでくる風の強さが先ほどとは比べものにならなかった。すでに相当な高度まで上がっているのだろう。下を見れば、地上の景色がぐんぐん遠ざかっていくのがわかる。


「っ、まじで空飛んどる!」


 皐月が半泣きみたいな声を上げる。


「よし、いきますよ!」


 繋と皐月は助走をつけて走る。窓ガラスに向かって――そして、バリン!! と激しい破砕音とともに、二人は空へ放り出された。


 叩きつけるような風圧が全身を殴った。


 足場はない。下ははるか遠い。ほんの一瞬、身体が完全に宙へ投げ出された感覚に、内臓がひっくり返るみたいな浮遊感が襲う。


 すでに雲の上だった。


 繋は杖を長杖へ変形させ、飛行魔法を全開にする。二人分の体重を支えたまま乱気流の中で姿勢を立て直すには、かなりの集中力が必要だ。


「吐きそう!」


「まってまって! すぐに安定させますから、もう少し辛抱して!」


 乱気流に飲まれ、空の上で体を何回転かさせられたあと、繋は何とか重心を掴み、ぴたりと動きを止めた。


 二人は杖にまたがり、ようやく息をつく。


 そのとき、不意に巨大な影が差した。


「こんな世界になってから、もう驚かんと思っとったとに……軽く更新したばい」


「……こういうの、異世界ぶりかも……」


 それは雲ではなかった。


 “東京の拠点だったもの”だ。


 空へ昇っていく城塞が、不気味な影を地上へ落としていた。どこまで昇るのかもわからないその巨大な塊は、やがてある一定の高度まで達すると、ゴゴゴ……と鈍い音を響かせて停止した。


 それはまるで、空中に浮かぶ要塞都市だった。


 あまりにも現実離れした光景に、二人は一瞬だけ言葉を失う。


 だが、あの場所に残されたものと、あの女が告げた猶予の言葉が、すぐに現実へ引き戻してくる。


 蛇ノ目の言葉が、繋の頭の中で何度も反芻した。


 来年の春。スタンピード。Class4、覚醒者と戦えるレベル。そして、その先にあるもの。


 繋は唇を強く引き結び、遠ざかる空中要塞を一度だけ睨み上げた。


 「みんなを守らなきゃ───」


 誰も。

 誰も死なせはしない。


 その声を拾い苦い顔をする男と、その決意を胸に気を引き締める男。

 二人は崩れゆく旧東京の空の下へと降下していった。




いつも読んで頂いてありがとうございます!

もし良かったら、ブクマ・評価・リアクションのどれかを押して頂けると更新が頑張れます!٩( 'ω' )و

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