第15話:隕石と目が合う(後編)
「ふふ、ズルくないです~。使えるものを使ってるだけでーす」
「そういうのをズルいっち言うと!」
抗議する皐月へ、繋はにこりと告げた。
「皐月さんは、少しでも身体強化の制限時間を伸ばさないといけないのと、機動力を上げるための特訓だと思って、鉄骨を足場にしてジャンプしてください」
一瞬の沈黙。
冗談めかした空気が、すっと冷える。繋の声音が思いのほか真面目だったからだ。
それから皐月は、からからと笑った。
「ははっ、いやいや。さすがに今のは冗談やろ?」
しかし、繋の表情は拍子抜けするほど真面目だった。冗談を言った顔ではない。どこまでも本気の、訓練指導者の顔だった。
皐月の笑みが引きつる。
「……嘘やろ?」
「残念ながら」
「流石に落ちたら死ぬ!!」
「そうならないように並行して飛ぶから安心して」
あまりにもさらりと言ってから、繋はさらに追撃する。
「何があっても受け止めますから」
「そういう男前なセリフで誤魔化される状況やなか!」
皐月は本気で泣きそうな顔になった。まさかこの局面で、命綱なしのスパルタ訓練を課されるとは思っていなかったのだろう。
だが、繋は容赦がない。
「皐月さんなら大丈夫ですよ。異能の使い方のセンスもいいですし、鉄骨を足場にして上るくらい、余裕でできるようになりますって」
繋は、もしかしたら空気を蹴って疑似的な空中飛行ができるかもしれない、と説明する。
じとり、と皐月は繋を見る。相変わらず穏やかな表情ではあるが、何度目かの訴えにも、いつもなら「しょうがないですねえ」と折れてくれる繋が、今回は一切折れる気配がない。
つまり、逃げ道はない。
皐月は深々とため息を吐いた。
「……よし」
やるしかないと腹を決めて、皐月は頬を叩き、身体強化を発動した。気が四肢を巡り、筋肉と反射神経を底上げしていく。
「よし、いけるばい!」
「了解! 並走しますね!」
叫ぶと同時に、皐月は外へ飛び出した。
東京タワー外面の剥き出しの鉄骨へ飛び移り、足を掛ける。
赤く焼けた梁は複雑に交差し、常人にはただの危険地帯にしか見えない。だが、皐月は力任せに、それでいて絶妙なバランスで、次の足場へ飛んでいく。
跳ぶ。
鉄骨を蹴って一段上へ。そこからひねりを加え、斜め上方の支柱へ。さらに反発を利用して、高度を稼ぎながら連続で移っていく。
最初のうちは勢い任せに見えた動きも、数度跳ぶうちに少しずつ洗練されていった。繋は何があってもいいように、少し遅れて並ぶように浮遊する。
何だかんだ言いながら、もう慣れたように鉄骨を足場にして上へ飛んでいく皐月を、飛行魔法で並走しながら見上げ、繋は思う。
皐月さん、なんだかんだ言いながら無茶を実行できるセンスと実力はあるんだよね。
思わず、そんな考えが胸をよぎる。
まさに昼行灯だ。普段は飄々としていても、いざ動かせば技量そのものは高い。身体強化の使い方も上手いし、決断力も早い。
「それに空中機動は確保してた方がいいもんな……」
なぜそう思うのか。―― class4 との戦いでは、空中戦が必須になる可能性が高いからだ。
地上だけを戦場にしてくれる相手ならいい。だが、もし高低差のある敵が出てきた場合、皐月には空中の面を蹴る感覚を掴んでもらわないと困る。
ヒョードルとスヴィグルが空気の壁を蹴って疑似的に空を飛んでいたように、異能でも似たようなことはできるはずだ。
そんなことを繋が真顔で考えていると、
「そういや、けいくんは、どうして魔法が使えるようになりたかったと?」
上から皐月の声が飛んできた。
「え?」
「いや、魔法も異能と似たようなものだと言ってたから気になって」
言いたくなければ言わんでよかけんね~、と声を張り上げながらぴょんぴょんと昇っていく皐月に、繋は一瞬ぽかんとする。
言っても問題はない。むしろ皐月の異能の強化に役立つなら、と思う。繋は離された距離を詰めるように高度を上げ、再び並ぶように飛んだ。
そして淡々とした口調で話す。
「両親に会いたかったんです」
愛されていることを確認するために。
そこまではさすがに言えなかったが、そう伝えた瞬間、皐月が凄い形相のまま足場を踏み外した。
「皐月さん!?」
だが、次の瞬間だった。
皐月は綺麗に空中で一回転すると、まさか空中を蹴って元の足場にまで戻った。
「え? あれ? 今まさか空中を蹴った?! 凄いじゃないですか、皐月さん!」
当の本人より驚いた繋が声を上げる。だが、皐月は影が差して表情がよく見えないまま、こちらを見つめてくるものだから、繋は「どうしました?」と不思議そうに尋ねた。
「きみは…………いや、凄かろう! おいちゃんもやればできるのさ!」
一瞬、本当に一瞬だけ。影の隙間から悲痛な表情が覗いた気がした。
けれど、それを確かめる暇もなく、皐月はもう慣れたように空中の面を蹴って二十二階まで駆け上がっていく。
その背を見送りながら、繋の胸に小さな引っかかりが残った。けれど今は、立ち止まって確かめている余裕はない。
「あっ! ちょっと待って! 皐月さん!!」
逃げるように置いていかれたことにワンテンポ遅れて気づくと、繋もスピードを上げて昇っていく。
(さっきの表情、見間違いじゃないよね……)
心に蟠りを残したまま、それでも二人は進むしかなかった。
ほどなくして辿り着いたのは、目指していた上層研究区画――二十二階相当のフロアだった。
外周通路から内部へ続く保守用ハッチは半開きになっている。皐月は着地と同時に壁へ背を預け、大きく息を吐いた。
「はぁ……はぁ……っ、し、死ぬかと思った……」
「空中歩行できるようになったからって、急にピッチ上げすぎですよ……はい、お茶でもどうぞ」
空間収納から蓋つきのカップ型水筒を取り出すと、繋は慣れた手つきでお茶を注いで渡した。
「はぁ……っ、──ふぅ~。何から何まで用意がよかね、ほれぼれしちゃう」
「もう! 冗談を口にする前に休んでくださいってば」
「まったく」と、繋はいったんその場に皐月を座らせて背をさする。皐月の呼吸が整うまで、周囲への警戒は怠らず、繋も一緒に休憩を取った。
魔力が少し回復したタイミングで、念のため感知魔法を発動する。
意識を薄く広げ、フロア全体の気配を探る。
配管の向こう、隔壁の内側、空調ダクト、床下。細かく魔力を這わせるように探った結果、目当ての部屋には誰もいないことが分かった。
「あれ……なんで? 人の気配がない……」
「蛇ノ目も?」
「このフロアにはいないですね……」
「理由は分からんけど、チャンスなことには変わらんけん。そしたら、今のうちたい」
二人は視線を交わし、無言で頷く。
ひと呼吸おいてから、二人は慎重にハッチの先へ足を踏み入れた。研究区画の廊下は不気味なほど整然としていて、ここだけが外の崩壊から切り離されているようにすら見えた。
だが、その静けさは逆に作り物めいていて、無人だと分かっていても神経を逆撫でする。二人は足を止めないまま、視線だけで互いの位置を確認し合い、廊下の突き当たりにある扉へ近づいていった。
その扉には、電子ロック付きの操作盤が備え付けられていた。皐月は慣れた手つきでパネルを操作し、記憶していたパスコードを入力する。
短い電子音。
それから、ガチャリと重たい解錠音が響いた。
扉がゆっくりと開く。
中は研究室だった。
壁際にはホワイトボードが何枚も立てかけられ、そこには数式、観測記録、人体構造図のようなもの、走り書きで書かれた読みづらいメモが幾重にも書き殴られている。
机の上には大量の資料が乱雑に積み上がり、崩れた束が床にまで広がっていた。紙の海と言っていい。踏み場も選ばなければならないほどだ。
そして、その中央に。
繋たちが望んでいたものがあった。
透明な円筒容器の内部で、淡い光を放つ鉱石――いや、あれが隕石なのだろう――が、静かに浮かんでいる。管が幾本も繋がれ、周囲の機材へ脈打つような光を送っていた。
隕石が保管されている培養カプセルだ。
「これが、すべての元凶……」
繋は呟きながら、吸い寄せられるようにカプセルの前まで歩み寄った。
ただの石には見えない。なのに、生き物のようでもある。見ているだけで、胸の奥をざわつかせる嫌な存在感があった。
一瞬。
何かに見つめられた気がした。
ぞくり、と背筋に冷たいものが走る。繋は反射的に振り返った。
だが、誰もいない。
皐月は少し離れた場所で、引き出しや本棚を漁りながら必要そうな資料を素早く選り分けている。周囲にも生体反応はない。感知魔法にも、何も引っかからない。
「あれ……気のせい?」
自分に言い聞かせるように低く呟き、繋は再びカプセルへ向き直る。
鑑定魔法を発動させようとした、その瞬間だった。
「そこまで」
甘い女の声が、部屋の中いっぱいに響いた。
二人の身体が同時に強張る。皐月は即座に資料から手を離し、短剣を構えた。繋もカプセルから距離を取り、臨戦態勢へ移る。
だが、やはり蛇ノ目の気配はどこにもない。感知魔法にも反応がない。このフロアにはいないはずだ。
張り詰めた沈黙の中、機械の駆動音だけがやけに大きく聞こえた。
次の瞬間、培養カプセル脇の投影装置が青白く光った。
空中へ像が結ばれる。
ホログラムだった。
そこに映し出されたのは、白衣を纏った美女。整った顔立ちに、柔らかな微笑みを浮かべている。なのに、ぞっとするほど、その眼差しだけがひんやりと冷めていた。
蛇ノ目の表情は次の瞬間に切り替わる。さきほどの冷たい視線とは真逆に、不敵な笑みを携えながら、楽しげに二人を見つめた。
「お久しぶりだね」
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