第14話:春を迎えるために
2026/7/23 大改稿版投稿
「二人とも、食べながらでいいから聞いてほしいことがあって」
朝食の湯気が立ちのぼる食卓で、繋はそう切り出した。
広間の隅にしつらえられた簡易の卓には、味噌汁と焼き魚、卵焼き、それに炊きたての白米が並んでいる。温かな匂いが漂うその場だけは、張りつめた拠点の空気から少し切り離されたようだった。
煌夜は湯呑みを置き、皐月も焼き魚をつつく手を止めて繋を見る。
とはいえ、繋の声音そのものはいつも通り穏やかだった。
そのまま繋は、煌夜と皐月に異能と心の力の関係について話し始めた。
ふと先ほどのやり取りを思い返したのか、繋は味噌汁の椀を両手で包んだまま、煌夜へ柔らかな視線を向ける。
「煌夜くんのその黒い炎なんだけど、昨日のうちに何があったの?」
そう問われ、煌夜は少し考えたあと、気まずそうに目を泳がせながら口を開いた。
箸先で白米を少し崩しつつ、言葉を探すように続ける。
「……くさい話なんだが、誰かを守りたいっていうか、憎しみよりもそっちを強く意識したら、急に炎が言うことを聞くようになったんだ」
もちろん、怒りが消えたわけじゃない。
ただ、それだけではなくなったのだと、煌夜は付け加える。
「そういや、そう言っとったね」
向かいで魚の身をほぐしていた皐月が頷く。
その言葉に、繋はやはり、と小さく頷いた。
「誰かを守りたいとか、失いたくないとか、復讐したいとか、何かを強く思う気持ちが、異能の発現や変化のきっかけになるんだろうね」
そこまで言って、繋はひと口だけ味噌汁を飲む。
立ちのぼる湯気の向こうで、その表情が少しだけ真面目になる。
「けれど、そこから先は自分の在り方次第だと思うんだ」
そう前置きしてから、繋は続けた。
「異能をコントロールするには、自分の心の制御も必要になる」
「心……か。それはなかなか難しい話だな……」
煌夜が苦い顔で呟き、湯呑みに手を伸ばす。
その苦みを流し込むようにひと口飲んでから、わずかに眉を寄せた。
繋も思い当たることが多いのか、同じように頷く。
「うん……意外と、自分自身の心を制御するのって難しいから……」
食卓の上に、かちりと箸の触れ合う小さな音が響く。
朝食の席らしい静けさが一瞬だけ戻ったあと、繋は少し間を置いて言葉を継いだ。
「でも、そこが大事なんだと思う。魔法も似たようなもので、気持ちの揺れで出力に差が出ることがあるし、今でも気を抜くと失敗することもあるから」
そこで繋は、人差し指を指揮者のようにゆるりと振る。
皐月は、その結果がこの城か、と思わず苦笑した。
「そして、その延長線上に覚醒もあるのかもしれない」
「そげん簡単なことでよかと?」
皐月が卵焼きを箸でつまみながら、いかにも半信半疑といった顔をする。
「言うは易し、だけどね」
繋はそう返して、少し肩をすくめた。
「それもそうたいね……」
皐月は卵焼きを口に運びながら、気のない返事をする。
思えば、魔法の適性もそうだった。
自分が攻撃魔法を初級までしか使えないのは、適性がないからだ。深く突き詰めれば、誰かを傷つけることに抵抗があるからこそ、攻撃魔法には適性がない。
(それでも戦う意思はあるし、人を殺す覚悟だってある。だから初級までは使えるけど、それ以上の階級の魔法は使えない)
それを補うために作ったのが、個人魔法――概念抽出魔法である。
そうした自分自身の経験も踏まえながら、繋は言葉を選ぶように続けた。
「……武術でも心技体って言うけど、異能もたぶんそれに近いんじゃないかな。力そのものを鍛えるだけじゃなくて、それを支える心や身体も噛み合わないと、本当の意味では扱いきれないのかも」
「……たしかに、その通りだ」
煌夜が低く呟く。
今度は箸を置き、少しだけ前のめりになる。
「実は試したんだが、憎しみとか怒りを強く表に出したら制御が乱れた。逆に、一回脇に置いたら形を保てたんだ」
今もこうやってな、と言って、煌夜は右手に黒く燃え上がる片手剣を形作って見せた。
ぼう、と静かな熱を放つ刃が、食卓の上を淡く照らす。
さすがに食事中なので大きくは出さなかったが、それでも十分な存在感があった。
「おっと、今度は安定してる」
「うるさい」
「ほらほら、炎がブレ始めてるばい」
軽口を挟みつつも、皐月はその炎の安定した形に感心したように目を細める。無意識に出した時は安定した形になっていたが、手合わせの時は感情が高ぶっているせいか、今よりずっと不安定だった。
繋もまた、その様子を見て嬉しそうに頷いた。
「なら、今の仮説はかなり当たりだね」
皐月は焼き魚を小さくほぐしながら、ふむ、と唸る。
「おいちゃんの身体強化も、たしかに感情の乗り方で出力が変わる時があるっちゃんね。単純に体調だけやなかったんか」
「異能によって出力の出方は違うだろうけど、根っこは一緒なんだろうね」
「てことは、覚醒するには心を極めろ、みたいな話になると?」
「急に精神論っぽくなるから言い方はあれだけど……まあ、近いかも!」
心底そういう話が苦手そうな顔をする皐月に、繋は冗談めかしてファイティングポーズを作る。
そのまま味噌汁の椀を倒しかけて、慌てて持ち直した。
「…………しんどか」
明後日の方向を見ながら小さく呟く皐月に、繋は「あはは……」と空笑いを漏らした。
気持ちは分かるだけに、強くは言えない。
そう思いつつ、繋は一度だけ視線を落とす。
食卓の端には、朝食のあとすぐ確認できるよう、折りたたんだ地図や資料がまとめて置かれていた。
そこに記された東京の文字を見つめながら、頭の中の考えをゆっくりと言葉に変えていく。
「あと、これはまだ想像なんだけど……覚醒に至る条件って、一つじゃないんだと思う」
二人は黙って耳を傾ける。
皐月はあからさまに嫌そうな顔をしながらも、ちゃんと話は聞いているし、煌夜も真面目な表情で繋を見ていた。
「異能そのものの熟練度。それを支える身体の状態。――そして最後に、自分の心を見つめ直すこと」
異能を得たあの日、自分が何を願い、何に縋り、何を掴もうとしたのか。
その時の思いを受け入れるのか、乗り越えるのか、あるいはさらに強めるのか。
そこはきっと、当人次第なのだ。
繋自身、その考えを口にしながら、胸の内でそっと自分にも重ねていた。
魔法使いである自分も例外ではない。
「まあ、こんな感じかな! まだ仮説の段階だけど、お互いに頑張ろ!」
そう締めくくると、煌夜が躊躇いがちに口を開いた。
「……胃が痛いんだが」
あまりに正直すぎる感想に、繋は思わずずるっと肩を落としかける。
「わかるばい」
ぼそりと続いたのは、隣の皐月だった。
すでに魚を食べ終え、湯呑みを両手で持ちながら遠い目をしている。
「酒が飲みたか……」
まさか朝食を食べながら、メンタルトレーニングじみた話を真正面から突きつけられるとは思っていなかったのだろう。
二人とも、責任感で踏ん張るのはまだいい。けれど今度は、外から来る脅威ではなく、内側――つまり自分自身と向き合わなければならない。
それがしんどいのは、繋にもよく分かった。
「はいはい、そこで現実逃避しないの」
すっかりやる気をなくして虚無顔になった二人を見比べて、繋は困ったように笑った。
そうして自分も湯呑みを持ち上げ、ひと口お茶を飲んでから続ける。
「覚醒者とclass4がいつ襲ってくるか分からないんだから、訓練は大事だよ。まずは瞑想からやろう? ね、二人とも。僕も一緒に頑張るからさ」
まるで手のかかる子どもをあやす保育士のように言い聞かせ、繋はどうにか二人の気力を立て直そうとする。
それでも、「え~」やら「う~」やら不満をぶつぶつ漏らすものだから、繋は呆れながらも優しく笑う。それを見た二人は、困ったように頬や後頭部を掻くのだった。
窓の外では、いつの間にか雪が降り始めていた。
朝食の温かさとは対照的に、外の世界は相変わらず厳しいままだ。
でも、と繋は思う。
必ず春が来るように、この厳しい現実にも必ず終わりが来ると。
繋はこの場にいない仲間たちを思い浮かべる。
同じ食卓を囲み、わいわいと賑わう未来を想像する。
(ヒカルさんも、菊香ちゃんも、冬吾も、ユミルちゃんも、春臣君も──ヒョードルやスヴィグル達も)
いつか、笑って楽しく一緒にご飯を囲めたらいいなと、強く願うのだった。
◇
翌々日の朝。
まだ日が高くなる前の拠点前には、皐月と繋を見送るために人が集まっていた。
皐月の部下たちに、煌夜の反乱軍の仲間たち。即席で寄せ集められたはずの面々なのに、こうして並ぶと不思議と一つの陣営に見える。
東京までは決して近くない。
車を使えば早いが、敵の索敵に引っかかる危険がある。だから移動は徒歩――のはずだった。
「ほんっとに徒歩で行くと? だるかあ……」
荷物を肩にかけた皐月が、朝からあからさまにげんなりした声を出す。
「仕方ないよ。見つかったら元も子もないし」
繋は、拠点前に並ぶ面々へ軽く手を振った。
見送りの輪の中から、煌夜が一歩前に出る。
その手には、昨夜のうちにまとめた紙束があった。
「気をつけてくれ。俺が覚えている東京の拠点内部を地図に書き起こしたけど、正直どこまで役に立つかは分からない」
「わざわざ書き起こしてくれてありがとう。すごく助かるよ」
繋が素直に礼を言うと、皐月が横から肩をすくめる。
「一応ここに元責任者がおるんやけどねえ……」
「もし分断されたり、別行動することになったら必要だろ? 君が常に皐月さんの隣にいるわけでもないんだし」
「たしかに!」
「きっちりしてるんだねえ、煌夜くん! さすが反乱軍のリーダー!」
「うぉぉぉ……胃痛がすごいんだが……」
繋の屈託のない賞賛に、煌夜は思わず額を押さえた。
緊急時でスイッチが入った時は、間違いなく誰よりも頼りになる。
そんな存在が、こうもあっけらかんとしているのだから胃も痛くなる。
皐月はまだいい。
のらりくらりとしているようで、なんだかんだ状況を見て動いている。
だが、繋は違う。
包容力があり、人を導くことに長け、ここぞという時には格好よくて強い。なのに、普段との差が激しすぎる。
もっとも――そこが魅力でもあるのだろうと、煌夜は眉を下げて呆れ混じりに笑った。
そんな空気の中、部下の一人が皐月に向かって頭を下げる。
「皐月さん、ご武運を」
「硬かて。ちょっと東京まで散歩してくるだけたい」
「散歩で済む場所じゃないでしょうが」
即座に部下から突っ込まれ、皐月はひらりと手を振る。
そのやり取りに、周囲から小さな笑いが漏れた。
張り詰めていた見送りの空気が、ほんの少しだけ和らぐ。
そのタイミングで、繋がふと空を見上げた。
「あっ、雪が降ってきた……このまま徒歩だとキツイよね……う〜ん。途中までは飛んで行きましょうか!」
「……ん?」
皐月が一度瞬きをして振り向いた、その次の瞬間だった。
繋はごつごつした皐月の手を、ためらいなく取る。
「ちょ、待っ――」
「大丈夫大丈夫、ちゃんと手を握っておきますから~」
「そういう問題やなか――」
言い切るより早く、繋の足元からふわりと風が巻き上がる。
砂埃がさらりと舞い、二人の服の裾が揺れた。
周囲の面々が何事かと目を見張る中、皐月の体がわずかに浮き上がる。
「ちょっ、けいくん!? 待て待て、待って、聞いとらんっ! おいちゃん心の準備ができとらんっ!!」
騒ぐ皐月をよそに、繋は拠点のみんなへにこっと笑って手を振る。
「じゃ、いってくるね!」
あまりにも気軽な、それこそ本当に近所へ散歩に出るような声だった。
一拍遅れて、煌夜や仲間たちが次々と声を上げる。
「ああ、無事に帰ってくることを祈ってる!」
「皐月さん落とすなよ~!」
「繋さん、マジで気をつけて!」
仲間たちの声が飛ぶ中、繋は皐月の手を引いたまま、びゅんと勢いよく地面を離れた。
はるか上空で風を足場にするように姿勢を安定させると、二人の足元に一本の杖が伸びるように現れた。
二人が乗れるだけの長さを持つその柄に、皐月は半ばしがみつくように跨る。
「ちょ、ちょっと待っ――!」
次の瞬間、杖は風を裂いて一気に高度を上げた。
皐月の悲鳴が、冷えた朝の空気を裂く。
拠点の前に残された面々は、しばし呆然とその背を見送った。
朝焼けの名残を帯びた空へ、二人の姿はみるみる小さくなっていく。
その先に待つのは、敵の本拠地たる東京。
決して気楽な道行きではない。けれど、ああして飛んでいく後ろ姿には、不思議と悲壮感よりも勢いがあった。
煌夜は拳を強く握りしめ、遠ざかる影を見上げる。
「……無茶はするなよ」
小さく零したその言葉は、もう本人たちには届かない。
やがて、東京へ向かう二人の背中は見えなくなった。
◇
「ひえっ……本当に空を飛んどる……」
上空で、皐月は二人でもゆうに乗れる長さに伸びた杖の柄に跨りながら、恐る恐る下を覗き込んだ。
さっきまで見送っていた仲間たちは、もう豆粒のように小さい。
拠点の建物も、城も、木立も、すべてがあっという間に縮んで見える。
それを確かめてから、皐月はようやく前にいる繋の背中へ視線を移した。
自分の知っている頃より、たしかに成長している。
けれど、それでもまだどこか小さく見える背中だった。
だからこそ、多くの希望を背負うこの男だけは、せめて自分が守ってやらなければ――皐月は無意識にそう思う。
すると、その心の内を知ってか知らずか、前からあっけらかんとした声が飛んできた。
あの頃と同じだった。
彼の親友である白熊冬吾と並んでいた時と変わらない、春の花が花笑んだみたいに明るい笑顔の気配が、その声にはあった。
「うーん、もう少し速度上げますね!」
予想外の言葉も飛んできた。
その一言の直後。
皐月は顔を引き攣らせながらも、瞬間的に身体強化を発動した。
守ってやらなければ、などと思ったのは数秒前。
今の皐月に必要なのは保護者の覚悟ではなく、振り落とされないための根性だった。
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