第10話:君の剣となる
2026/7/19 大改稿版投稿
病室を出たはずの煌夜は、その言葉を聞き逃さなかった。
「だめだな、自分……もっと、しっかりしなくちゃな」
扉が閉まりきる寸前、ぽつりとこぼれた小さな独り言が耳に入る。
誰に聞かせるでもない、自分自身に向けた、繋の反省の声だった。
「ちッ……」
煌夜は舌打ちする。
繋の何気ないその一言が残響のように耳にこびりつき、じわじわと胸を鉛のように重くしていく。
足音が自然と早くなる。
苛立ちも、焦りも、悔しさも、内側から突き上がってきて、周囲に誰もいなければそのまま走り出していたかもしれない。
何とかそれを抑え込み、前へ前へと進み続ける。
夜気に当たっても、胸の内の熱は少しも冷めなかった。
やがて応急仮設住宅の区画を抜けた先で、煌夜は繋が作った城の前に立っていた。
怪我人用の応急仮設住宅を離れた煌夜は、目の前にそびえ立つ堅牢な城塞を見上げる。
(何が、しっかりしなきゃだ……っ)
そんなこと、あるものか。
全部、きみのお陰で成り立っている。
こうして今、生きていることだって、全部きみのお陰なのに。
それなのに、それなのにもかかわらず。
「……………………なんでも背負わないでくれよ……」
たぶん、それを直接言ったところで、繋は困ったように笑うだけだ。
自分が周囲にどれほど影響を与えているのか。
どれほど周囲に心配されているのか。
あの男は、そういう根本的なところを分かっていない。
(あそこまで自分を蔑ろにできるなんて、普通じゃないぞ)
姉以上のお人好し。――いや、自己犠牲癖と言ったほうが近い。
ひとつ深く息を吐いてから、煌夜は顔をしかめたまま、その足で皐月が会議の準備をしているであろう城の大広間へ向かった。
城内に足を踏み入れてすぐ、煌夜は思わず見惚れた。
「にしても、中はただの岩壁だと思ってたのに、綺麗な装飾が施されてるんだな」
城の中央に新しく作られた大広間は、広く、妙に整っていた。
いや、妙に、というべきか。
繋が無茶をして築いた城塞の中枢なのだから、文句を言える立場ではない。
だが、それにしても、である。
高い天井、磨き上げられたような床。
石造りの柱には、品のいい浮き彫りまで施されている。
王の間と呼んでも違和感のない造りだが、今は装飾品の類はほとんどなく、長机と椅子がいくつか並べられ、資料が山積みにされているだけだった。
電気は通っていない。
それでも、いくつもの天窓から差し込む月明かりと、おそらく兵士が用意した松明の明かりで、どうにか光源は確保されている。
「ほんと、やりすぎなんだよなあ……」
まるで異世界じゃないか――そんな感想が、乾いた笑いと一緒に漏れた。
煌夜は机に積まれた紙束を手に取る。
近隣の調査結果。兵士の配置状況。難民の人数と体調。食料と医薬品の残量。
現時点での東京方面の断片的な情報。
覚醒者の異能について。
見れば見るほど、頭が痛くなる内容ばかりだ。
中でも問題なのは、東京だった。
東京にいた難民と兵士の九割がゾンビ化した。
ゾンビが増えれば増えるほど、進化する可能性も増えてしまう。
ただでさえ、現時点で対処できる人間が繋しかいないclass4が、この先さらに進化を遂げたら――そう思うだけで、ぶるりと背筋が寒くなった。
煌夜は片手で眉間を押さえる。
このままではいけない。
何が何でも、異能の力をコントロールしなければ。
「このままだと、皆の足手まといになる……」
「そんな顔しとると、せっかくの男前が台無しばい」
気の抜けた声がして、煌夜は振り返った。
相変わらずへらへらした調子で、片手をひらひらさせながら皐月が広間に入ってくる。
「ほい。あったかいお茶とおつまみばい~」
そう言って、皐月は湯呑みとスルメを差し出した。
煌夜は軽く礼を言い、湯呑みに口をつける。煎茶だろう。渋みの奥にほのかな甘さがあって、じんわりと喉が潤い、張りつめていた思考がほんの少しだけほぐれた。
「だいたい整理したばってん、やることは多かね」
「ほんとにな」
皐月は小さく息を吐き、煌夜の向かいの椅子に腰を下ろす。
「住民の居住区域と兵の持ち場の割り振りは、ひとまず終わったばい。難民さんたちも最初は城に戸惑っとったけど、まあ、屋根のある場所に入れたら落ち着いてきたね」
「ほんと、繋くん様々だな」
「だよねえ」
皐月は机上の資料をちらりと見て、それから少しだけ表情を引き締めた。
「今後の方針を詰めよっか。特に東京本部への潜入調査と、覚醒者への対応ばってん……うわぁ、重たか話になってきたばい。おいちゃん、胃もたれしそうやね」
「俺も同じく胃もたれしそうだよ」
二人そろって、「くそ」と吐き捨てたくなった。
やることが多すぎる。
しかも、どれも優先順位をつけにくい。
誘導薬については、薬を作っている研究施設の破壊をヒカルと菊香に任せている。
とはいえ、いまだ表立って動かない蛇ノ目の存在が不気味だった。
今回の誘導薬によるゾンビの群れとは別に、スタンピードの件もある。
むしろ、自然災害であるはずのスタンピードを人為的に引き起こしていることがシグルからの情報で判明しているからこそ、なおさら彼女の目的が見えない。
だが、蛇ノ目の狙いが分からなくても、せめて全ての原因である隕石が保管されている場所の把握、あるいは隕石に関する資料の回収はしておきたい。
蛇ノ目をどうにかしたところで、それだけでは根本的な解決にはならないのだから。
「他の拠点にも覚醒者が襲来する可能性はあると思うか?」
「はっきりとは分からんけど、四人いるうちの二人は、蛇ノ目の命令があり次第、率先して動きそうだとは思っとる」
皐月は、その二人について説明する。
一人は王様気取りの圧制者。
もう一人は快楽殺人者。
「覚醒後の能力の詳細は?」
「調べたけど、隠されとったね……今日襲ってきた男も、元は木の異能だったのは知っとったけど、あんなに広範囲かつ高威力に覚醒しとるとはね」
煌夜はあの巨木を思い出し、苦虫を噛み潰したように舌打ちした。
あれがただの一例にすぎないのだとしたら、残る覚醒者たちもまた、今までの常識の物差しでは測れない。
「そうなると、潜入も少数で行った方がいいな」
煌夜は地図を引き寄せて広げた。
皐月も顎に手を当て、考え込む。
「で、索敵と逃げ足と、最低限の戦闘力が必要……ってなると、おいちゃんは候補に入るやろね」
「だな。あんたの異能はこういう任務にも向いてるしな。あんたの身体能力強化は、視力や聴力の一部強化もできる。そう考えるとシンプルかつ意外と万能だな。昼行灯なあんたにはぴったりだ」
「え、それ褒めとる?」
「半分皮肉だな」
「わーい、半分は褒められてるからおじさん嬉しいぞ~」
死んだような目をしながら悲しそうに笑う皐月を、煌夜はそのまま放置した。
だが、次の候補を考えた瞬間、場の空気がわずかに重くなる。
「で、問題はもう一人なんだよな……」
皐月がなんとも言えない顔をした。
その反応だけで、考えていることが同じだと分かる。
「……おいちゃんだけ行くのは?」
「ダメだ。あんたは重要戦力の一人なんだ。もし何かあったら困る」
皐月がまさか一人で行くと言い出すとは思わず、煌夜は眉をひそめた。
この男なら、繋に申し訳なさを感じつつも、同行する前提で話を進めると思っていたからだ。
訝しげに見ていると、その視線に気づいた皐月が、困った顔のまま愛想笑いを浮かべる。
「なあ、仲代。もしかして、繋くんのことについて知ってるのか?」
低く問うた煌夜に、皐月は少しだけ目を伏せた。
いつもの軽薄そうな空気が、ふっと薄れる。
「……昔、短い時間だけど会っとるとよ」
ぽつりと落ちた言葉に、煌夜が眉を寄せる。
「おいちゃんが二十七の時。当時、中学三年生やったけいくんと冬吾くんに会って交流したがあるんよ。少しの間だけやったから、二人ともおいちゃんのことは覚えてないみたいやけどね」
皐月はそこでいったん言葉を切った。
少し遠くを見るような目つきになってから、静かに続ける。
「でね、その頃のおいちゃん、自殺を考えとった」
「……は?」
へらりと笑うでもなく、皐月はあっけらかんと言ったものだから、煌夜は何とも言えない顔になる。そんな煌夜に、皐月は今度こそあっけらかんと笑って、「そんな頃も、あったんよ」と手を拳の形にして頬杖をついた。
「情けなか話ばってんね。あの時、止めてくれたのがけいくんやった。しかも、止めるだけやなくて、いろいろ救われたとよ。……ほんと、年上のくせして何しとったんやろって感じやけど」
自嘲気味に肩をすくめてから、皐月は続ける。
「それからしばらくして、けいくんが両親と交通事故に遭ったってニュースを見た。そこで初めて、あの子がネグレクトと暴力を受けとったことも知った」
「なッ………」
ネグレクトと暴力と聞いて、煌夜は言葉を返そうとしたが、うまく声にならなかった。 想像していた以上の情報が一度に流れ込み、頭が処理しきれない。そんな状態だった。
しかし、皐月は構わず静かに続ける。
「だから、おいちゃんはあの子に無茶ばさせたくなか。できるだけ守りたかとよ。特別扱いと言われても構わん。あの子は自分のことを後回しにしすぎるけん、なおさらね」
その言葉に、煌夜はようやく理解した。
繋がどうしてあそこまで自分を後回しにするのか。
どうして自分自身を、あんなふうに大切にしないのか。
全部が全部分かったわけじゃない。
けれど、その根の深さだけは思い知らされた気がした。
同時に、腹の底がぐつりと煮える。
そんな繋に、今の自分たちは結局頼りきりだ。
本当ならこれ以上無茶なんてさせたくないのに、頼らずにはいられない現状が、ひどく腹立たしかった。
煌夜は皐月の表情をちらりと盗み見る。
皐月が繋に向ける感情は、単なる恩義や好意だけではないのだろう。
助けられた側だからこそ、あの危うさが放っておけない。
自分が守ってやらねばならない。
そういう種類の、執着にも似た思いがある。
(まあ、俺自身も人のことは言えないが……)
間違いなく自分も、姉に面影を重ねている。
「……だが、それでも、戦力をこれ以上減らすことはできない……」
ただでさえ、相手の力は未知数だ。
一人で行かせるなんて、死にに行くようなものだった。
「それに、もしあんたが何かあったら繋くんは悲しむぞ」
今は覚えていなくても、後から思い出す可能性だって大いにある。
その時、もし。もし皐月に最悪のことが起きていたら、あの優しい人間は自分のことのように悲しむ。
それがありありと想像できた。
「……そうだね。そう言われたら、おいちゃんダメだ……なら、彼が今回みたいに無理をしないように、バックアップしとる方がまだいいね」
「ああ、そうだ」
今、自分たちにできることは、彼が無茶をしないためのストッパーになること。
それこそ、この場にいない繋の相棒たちの代わりに。
「繋くんが起きたら、以前白熊にも言われたように指導を受けるかな」
異能を少しでも自分のものにするために。
そう口にしたところで、「その事やけど」と皐月が静かに呟いた。
「ん?」
「けいくんが回復するまでの間、おいちゃんが手ほどきしようか?」
「……………………却下」
煌夜は、隈の濃い目をじとりと細め、訝しげな視線を向けた。
「ちょちょちょ!! これでもうちの部隊を育てたの、おいちゃんよ!?」
それは知っている。
この男は軍経験など一切ないにもかかわらず、ゾンビパニックが起きてからわずか四年で、あの東京の大拠点を築き上げ、大人数をまとめ上げていた。
それだけじゃない。
現在この拠点に引き連れてきた百人近くの兵は、異能の有無に関わらず選りすぐりの精鋭部隊だ。class3ぐらいなら、自分たちがいなくとも足止め、あるいは撃破さえできる。
その兵を育て上げたのは、紛れもなく仲代皐月だった。
しかし、手ほどきを受けるのはごめんこうむりたかった。
いや、間違いなく練習相手にはなるだろうが、この間、試しに実力確認として手合わせをした際、こてんぱんに負けたことを煌夜は根に持っている。
せめて、黒炎を使いこなしてからがいい。
そう考えたところで、意識は自然と自分の異能へと向かっていった。
(せめて、この炎が彼を守るための炎になってくれたらいいんだが……)
復讐心とともに発現したこの力。
憎しみのまま燃やすのではなく、あの人が傷つかずに済むように、彼を守るための炎になれるのなら、どれだけいいだろう。
ふと、脳裏に姉と繋の穏やかな笑みが浮かぶ。
二度と奪わせてはならない。
二度と大事な人をこの手から零してはならない。
以前、感情があふれて泣いてしまった自分を、繋が優しく抱き締めてくれたことを思い出す。
情けなさと恥ずかしさが煌夜を襲う。
けれど、それ以上に嬉しかった。
あの時の自分は、責任感と復讐心でいっぱいいっぱいだった。
それを受け止めてくれたことに、何より感謝している。
だからこそ。
繋がネグレクトと暴力を受けていたと知った時、哀しみと憎しみが同時に湧いた。
姉の分まで、ありふれた普通の幸せでいいから。
どうか、そんな道を彼には歩んでほしい。
復讐の炎は、今も胸の内で燃えている。
そこは変わらない。だが、その熱の向け先は、もう一つではなかった。
彼を守りたいと願うほど、胸の奥ではそれと同じだけ、自分の弱さを許せない感情が燻り続けていた。
(そうか……俺は、自分も燃やしたかったのか)
情けなくて不甲斐なかった、あの頃の自分を。
姉に守られているだけだった過去の自分を。
この炎は、敵だけではなく、自分自身の弱さごと焼き尽くしたいという衝動から生まれていたのかもしれない。
だが、もうそれだけでは駄目だ、と煌夜は思う。
自分を焼き尽くす必要まではない。
この炎を、今度は彼を守るための導として振るいたい。
彼を守る「剣」になりたい。
そう強く思った、その瞬間だった。
空気がわずかに震えた気がした。
何かが切り替わるような、ぞくりとする感覚が右腕を走る。
「………………………おおがみくんやっ!!」
名を呼ばれて、ハッとする。
仲代皐月が、いつもは眠たそうな目を珍しく大きく見開いていた。
なんだ、そんなに慌てて――と俯いていた顔を上げると、「手、手!」と指さしている。
「手がどうしたんだ?」
なぜそんなに慌てているのか分からず、言われた通りゆっくりと自分の手を見る。
すると、右手には――
「なんだこれ!?」
黒と赤のコントラストで燃え上がる、炎の剣が握られていた。
いつも読んで頂いてありがとうございます!
もし良かったら、ブクマ・評価・リアクションのどれかを押して頂けると更新が頑張れます!٩( 'ω' )و




