第6話:揺らぎ固まる
「………………は?」
思わず大きな声が出そうになったのを、皐月のおかげでなんとか抑えることができた。
煌夜の頭の中で、今までの繋の言動が一気に別の意味を帯び始める。妙に他人の痛みに敏感なところも、class4での戦い方を見た時、自分の限界の線引きがどこか壊れているように見えたところも、何もかもが嫌な形で繋がりそうになった。
「…………それは本当なのか……?」
「おいちゃんが当時見よったニュースと全部一致しとう。間違いなか」
煌夜の曇り顔を見て、皐月も煌夜の気持ちが嫌というほど分かった。皐月は地面に視線を落とす。
「…………胸の詰まるような話ばい」
目の前を鼻歌交じりに歩く男の姿が、途端に別物に映った。
繋がclass4と死闘を繰り広げたあの日。
ドーナツの穴の様にぽっかりと空いた彼の姿を見たあの時。
他にも傷だらけの姿を見て、自分の中で英雄視していた繋に違和感が生まれた。 それが今回、皐月の話で点と点が線となった。
同時に、白熊冬吾や豪打ヒカル、赤井菊香たちが彼を過保護気味に扱う理由が自分にも理解できた。
共に戦おうと決めた。
事実、そんな事はなかった。ずっと自分は彼に守られていたのだ。
誰かを庇うことに躊躇がなく、自分が傷つくことに頓着がない。 それを今までは、ただ強いからだと思っていた。強くて、優しくて、覚悟が決まっているからだと。
だが、もし違うのだとしたら。
もし彼が、自分を傷つけることに慣れすぎているのだとしたら。
煌夜は、知らず奥歯を噛み締めていた。
自分は彼に甘えていた。
(彼はこんな情けない自分の手を取って、他人の復讐にすら手を貸すと言ってくれた)
正しい復讐であれば僕は手伝っても良いと思っている、と言ってくれたあの瞬間を思い出して余計に、胸の奥が焼けるように痛んだ。
(何を甘えているんだ如月煌夜……! )
いくら利害が一致しているといっても、自分では敵わない強大な相手だったとしても! 心身傷だらけなのに優しく笑う彼にこれ以上何を背負わせるつもりなんだ!
自分の問題に、これ以上彼を巻き込んでいいわけがない。 そんなことをしたら、今度こそ自分が嫌になる。
だが、現実はそうも言ってられない事もよく分かっている。
誘導薬も完成した。 覚醒者だって動き出している。
もう一個人で対処できる段階でも状況でもないことくらい、煌夜にだって分かっている。
それでも。
それだとしても、今のままでは駄目だと思った。
復讐を誓ったのは自分だ。 奪われたものを取り返す事はできなくても、あの日自分と姉の為に復讐をすると決めたのは自分のはずだ。
なのに肝心なところで守られ、支えられ、背中を押されてばかりいる。 そんなのは、あまりにも情けない。
(彼の抱えている傷を知るまでは、焦りが胸の底に燻っていただけだった……)
繋が致命傷を負ったあの時、各々が彼の隣に立つための決意をしているなか、自分だけは悩んだままだった。 けれど、やっと。
(やっと、漠然とした思いが形になった気がした)
置いていかれることへの焦燥ではない。ただ闇雲に強さを欲しがるだけの熱でもない。
追いつく。 追いついて、並ぶ。 せめて次は、彼にこれ以上無茶をさせないだけの力を手に入れる。
(俺はあのとき、繋くんを治療している最中、みんなが意思を固めている間……俺だけ意思を固めることができなかった)
一番後ろめたいもの──復讐というものを共有しているからこそ、隣に立ちたいなどおこがましすぎた。
でも、今は違う。 繋は手伝うと言ってくれた。 しかし、そんなことはやらせない。
(繋くんに、あの女の命の重みを背負わせる必要はない……!! )
俺が、俺が背負うべきものだ。
その思いが、ぐらついていた足場をゆっくりと固めていく。
煌夜は小さく息を吐いた。
――早く、強くならなければ。
その言葉は、もう焦りではなく、はっきりとした決意に変わっていた。
一方で、皐月は皐月で、繋の背中を見つめながらひどく複雑な気持ちを抱えていた。
問題があれば必ず、軽口を叩いて、へらへらとした顔をして、自分の心への接触を少しでも和らげる。 それは半ば癖のようなものだ。そうしていないと、今見えているものを真正面から受け止めきれない時がある。
(今回の件もそうたい)
どうするべきなのか。このまま繋を戦わせていいのか。 その答えが、皐月の中でまだ定まりきっていなかった。
元ではあるが東京の拠点の責任者としての意識は今でも残っている。 自分はもう現場を離れた身だとしても、かつて多くの命を預かる側にいた感覚は、そう簡単に抜け落ちるものじゃない。 自分の判断ひとつで、人が生きも死にもすることを知っている。
だからこそ、目の前の少年を戦場に立たせることに、ひどく強い拒否感があった。
こんな傷を負った子を、これ以上戦火の中に立たせていいはずがない。
身体の傷だけじゃない。 たぶんこの子は、もっとずっと前から、見えないところで傷ついてきたのだ。 それでも壊れず、誰かを助ける側に回ってしまう。そんな在り方をしている。
それがどれほど危ういことか、皐月のような大人には嫌というほど分かってしまう。
四十を過ぎた自分が、何をしているのだろうと思う。 年長者として、先に生きてきた大人として、本来なら止めなければならない側だ。 「もういい」「ここから先は大人の仕事だ」と言って、背中に隠してやるべきなのだ。
なのに。
皐月はそっと目を伏せる。
蛇ノ目たちに勝てる可能性があるのは、きっと繋しかいない。 それもまた、嫌になるほど理解していた。
他の誰かでは、彼女の喉元にさえ牙は届かない。 力量も、場数も、今そろっているメンバーの中では圧倒的に繋は先を行っている。 あの子を外してこの戦況を覆すことなどできるわけがないと、現実がそう突きつけてくる。
守りたい。 巻き込みたくない。 でも、必要なのは彼だ。
その矛盾が、胸の内を鈍く締めつけた。
大人である自分の良心は叫んでいる。 こんな子をこれ以上戦わせるな、と。 これ以上誰かのために傷つけるな、と。 ようやく生き延びたばかりの子どもに、次の死地を歩かせるな、と。
けれど同時に、現実を知る自分もいる。 綺麗事だけではもうどうにもならないところまで、状況は進んでしまっている。 誰かが汚れ役を引き受けなければ、もっと多くの人間が死ぬ。
その天秤に、繋を載せるのか。
それを考えた瞬間、皐月は無意識に拳を握っていた。
あの子に頼るしかない、などと。 そんな結論を、大人の自分が簡単に出していいわけがなかった。
「……ほんと、嫌になるねぇ」
ぽつりと、皐月の口から小さく零れる。
繋が「え?」と振り向いたが、皐月はすぐにへらりと笑って誤魔化した。
「いやいや、こっちの話たい。おじさん、色々考えることが多うてさ」
「……そうですか。でも何か切羽詰まった顔をしているので、皐月さんも無理はしないで下さいね」
何気なく返されたその言葉に、皐月は一瞬だけ喉を詰まらせる。 無理をしているのはどっちだ。そう言いそうになって、飲み込んだ。
繋は何も知らない顔で、また前を向いて歩き出す。 本来の年齢も知っている。また、先ほどの戦いでのその強さも、身をもって知った。
でも、「今」目の前にいるのは青年としての繋なのだ。 小さな背中なのに、でも頼もしくて、繋の心を表しているかのようにアンバランスだった。 だからこそ、なおさら痛々しかった。
皐月は目を細める。
守るべき子どもなのか。 それとも、あるべき姿である同じ大人として、戦場に立つ一人の戦士として見るべきなのか。
そのどちらか一方に割り切れないまま、答えだけが先を急かしてくる。
「……せめて」
誰にも聞こえないくらい小さな声で、皐月は呟く。
「せめて、おいちゃんら大人が、あの子の背負うもんを少しでも減らさにゃいかんやろ」
その言葉は、誰かに向けた誓いというより、自分自身への確認に近かった。
全部を止めることはできないのかもしれない。止めたとて 繋はきっと───いや必ず自分の意思で戦場に立つ。誰に止められても、必要だと思えば一人先に進んでしまう。
ならせめて、その道の先にあるものを少しでも減らすしかない。
蛇ノ目に辿り着くまでの障害を削る。 繋が無理をしなくて済む状況を作る。 大人としてやるべきことは、たぶんそこだと皐月は思う。
そう思ってもなお、胸の痛みは消えなかった。 結局自分もまた、あの子を戦場に立たせる前提で考えている。 その事実が、皐月の良心を静かに苛んでいた。
(如月君はなんば考えよるんやろう)
すぐ隣を歩く煌夜は、難しい顔をしたまま足を動かしている。
(彼の中でも、渡くんへの接し方に悩んどるかもしれんね)
冷えた風が吹き抜ける。 その中で、繋だけが少し先を行き、変わらない歩幅で進んでいく。
煌夜はその背を見つめながら、胸の内に固めた決意をもう一度なぞった。 皐月はその背を見つめながら、自分の選択で彼が傷つくことへの罪悪感を憂う。
同じ背中を見ているのに、抱いている感情は少しずつ違う。
けれど一つだけ、二人の中で共通していたものがある。
もう、このままではいられない。 それぞれの立場で、それぞれのやり方で、あの背中に報いなければならない。
冬の曇天の下。 重く、冷たい空気の中で、二人の男が小さくとも大きな背中を見つめる。
次の瞬間だった。
――ドガンッ!!
地面そのものが爆ぜたみたいな衝撃が、繋たちを下から突き上げた。
「ッ!?」
足元が跳ねる。ひび割れた道路が縦に裂け、土とアスファルトの破片が宙へ舞い上がる。兵士の何人かが悲鳴を上げ、後方の戦車が急停止した。耳がきんと鳴る。衝撃波が頬を打ち、繋は咄嗟に腕で顔を庇った。
視界が土煙で茶色く濁る。
息を吸えば、砂と硝煙の匂いが喉を刺激する。
「繋っ!」
「うぇッ?」
煌夜の声と同時に、ぐいと腕を引かれる。体勢を崩しかけた繋は、そのまま煌夜に庇われる形で一歩後ろへ下がった。反対側では皐月が、鋭い目で前方を睨んでいる。
兵士たちも一瞬の混乱から立て直し、銃口を土煙の中心へ向けた。
静寂と緊張が同時に場を満たす。
土煙の向こうに、何かがいる。 ひとつ、ゆらりと立ち上がる輪郭が見えた。
ただそこにいるだけなのに、空気が変わる。逆立った産毛が、土煙の奥の怪物が放つプレッシャーを敏感に感じ取る。
皐月が低く呟く。
「……来たばい」
その声に、いつもの飄々とした感じはない。
「覚醒者のお出ましやね」
土煙の奥で、その影が一歩、こちらへ踏み出す。
割れた地面を靴底で鳴らしながら現れたその存在を見て、繋は直感する。
久しぶりに、強敵との戦いになると。
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