第5話:情報整理
「うぅうう、失敗した。戦っている間はアドレナリンが出てたせいで、外がこんなに凍える寒さだとは思わなかった……」
「あはは、寒かろうけん、おいちゃんのジャケットでも羽織っとき。でも、おじさん臭いって言わんどいてね」
そう言って、皐月は自分のジャケットをいそいそと脱ぎ、繋の肩にかけてくれた。
「わっ、ありがとうございます。でも、そんなこと言いませんよ。こんな見た目になっちゃってますけど、僕も中身は三十歳ですし」
「いやいや、おいちゃんから見れば、三十代なんて皆まだまだ若い、若い」
そんなのほほんとした会話を傍目に、煌夜は苦笑いする。
すっかり季節は冬だった。
繋は目が覚めて魔法で着替えたものの、選んだ服装は秋の時と同じシンプルなものだった。長袖のオックスフォードシャツを羽織り、紺色のチノパンを穿いているだけでは、もう凍えるような寒さを凌げない季節だった。
そして繋たちが歩いているのは、ついさっきまで死地だった場所の延長線上にある、荒れ果てた冬の道だった。
その中を、兵士たちも重い足を引きずるように進んでいた。
空は重たく曇り、陽はまだ落ち切っていないのに、あたりの色はもう灰色に沈みかけている。砲撃と爆炎で抉られた地面はところどころ黒く焼け焦げ、ひび割れたアスファルトの隙間には、枯れた草が煤を被ってへたり込んでいた。
「でも、繋くん。大丈夫か? 仮にも重傷だったんだ、無理に歩かなくてもいい」
そう言って、煌夜は背中におぶるぞと言ってくれたが、冬吾やスヴィグルなら兎も角、まだそこまで関係性のできていない煌夜にそんなことをしてもらうわけにはいかず、やんわりと断った。
「そうか……」
と、一瞬落胆した声が聞こえ、繋はますます申し訳なくなってしまう。
気遣ってくれているのは分かる。分かるからこそ、距離を引くような返し方になってしまったことが、胸の奥に小さく引っかかった。
確かに繋もまた、まだ本調子とは言えなかった。
意識を取り戻してから、まだそれほど時間は経っていない。身体の芯に鈍い重さが残っていて、少し歩くだけでも脚が鉛みたいにだるい。
けれども、少なくとも今は、誰かに背負われる側ではいられない。
一度守られる側に回ってしまえば、そのまま甘えてしまいそうな気がした。
(甘えても良いと思えるのは、ヒカルさんぐらいかな……)
意識を失っていた時間は、本人にとっては一瞬だ。だが、目覚めた時にはもう状況が大きく動いていて、その間に何があったのかを自分だけ知らない。その感覚が、わずかに心を落ち着かなくさせていた。
「ねえ、煌夜くん」
繋が声をかけると、煌夜はすぐに視線だけを向けた。
「どうした?」
「僕が倒れたあとなんだけど、僕の傷とか、ヒカルさん達がその後どうなったのか、今聞いてもいいかな」
知らないままでいる方が、今は落ち着かなかった。
自分だけが一拍遅れているような感覚が、胸の内側をざらつかせる。
煌夜は「そうだな……まずは」と顎に手を当てて、簡潔にその時の状況を説明してくれた。
まず傷は、自分の胸元にかけていたペンダントがかすかに光っていたらしく、ユミル曰く、それが自分の身体の自己修復能力を高めてくれていたお陰で、死には至らなかったということだった。
「そっか……このペンダントが……」
(ベオウルフ……ありがとう)
大きな弟のように可愛がっていた彼を思い出し、大切に胸元にかけているペンダントを服の上から握りしめる。遠く離れた仲間が、こうやって形を変えて助けてくれた事実に、繋は無性に仲間達に会いたくなってしまう。
そして、ベオウルフの逆立った焦げた銀色に輝く髪を、無性にわしゃわしゃと撫で回したくなった。
触れられない距離にいるからこそ、余計にそのぬくもりが恋しくなる。
「白熊と三船は、東京から差し向けられたゾンビの大群に対処するために、広島の拠点に戻った」
「あれ? 春臣君まで?」
「それが、白熊に手伝えと引きずられるように連れていかれたんだよな」
そう言って、煌夜はその時の記憶を思い出し、面白そうに笑う。
「寝返ってくれたとはいえ、もともとはあちら側のスパイだったんだ。俺が許して受け入れても、他の部下はそうじゃないかもしれない。だから白熊は連れていってくれたみたいだけどな」
「そっかあ、なるほどだね」
確かにそれなら、今の危機的状況の中で変な不和が出ない。
考えたな、と繋は心の中で親友を褒めた。
でも、冬吾も春臣も、今ごろ休む暇もなく戦っているのだろう。しょうがないとは思っていても心配をかけたこと、力になれなかった時間が少しでもある事に申し訳なさを感じていると隣から咎めるような声が飛んできた。
「おっと、まさか瀕死の状態で生死を彷徨っていたのに、申し訳ないなんて思うなよ」
「えっ、なんでわかったんだい?!」
まさか思考を言い当てられるとは思ってなく驚きに満ちてしまう。そんな繋に煌夜は深く息を吐きたくなった。
煌夜はこの男が何故こんなにも自分の事に無頓着なのか、その原因が知りたくなった。
「……何となくだけど、どんどん君の事がわかってきたよ……兎に角だ、君が申し訳ないと思う必要性はないんだ」
そう言った後、話しを戻す為にコホンとわざと咳払いをして、煌夜は説明を続けた。
「豪打さんと赤井さんは、シグルさんの指示で別行動だ。ゾンビを凶暴化させて誘導する薬品を製造してる研究施設があるらしくてな。その破壊任務に向かった」
「研究施設……」
その単語だけで、繋の眉がわずかに寄る。
蛇ノ目の目的はなんだろうか。
ゾンビを強制的に進化させて、何を望んでいるのかまったく見当がつかなかった。
世界を掌握したいのなら、進化させなくとも、その誘導薬を使って物量で蹂躙すればいい。
それなのにしないということは、どういうことだろうか。
まだ見えていない意図がある。その得体の知れなさが、寒さとは別の冷たさになって背筋を這った。
「……みんな、別々の場所で動いてるんだね。そして、別部隊で僕を守ってくれたのが煌夜くんたちだったんだね」
「おいちゃんもね」
ひょい、と横から入り込む皐月に、繋は「もちろん皐月さんも」と言う。
繋は顔を上げて、きちんと隣の二人を見る。
「それと、改めて言わせて。煌夜くん、皐月さん。守ってくれて本当にありがとう」
歩きながらではあったが、しっかりと誠意を込めて、繋は感謝の言葉を口にする。
繋にとって礼を言うことは形式ではない。
伝えられる時に伝えることの大切さを、繋はよく知っている。
事実、みんなのお陰でこの場に生きて、生かされている。そのことをちゃんと自分の言葉にしたかった。
「ははは、ほんと律儀だなあ。だが、礼はこれで終いにしよう。お互い様なんだからな」
煌夜は、何度も感謝の言葉を伝える繋に少し呆れながらも、同じ返答をする。
すると皐月が、からからと喉を鳴らすように笑った。
「そうたいそうたい。お互い様ばい。繋くんばっかり気ぃ遣わんでよかとよ」
その軽い声に少しだけ場の空気が和らいだ、次の瞬間だった。
「だからこそだ」
ぽつりと落ちたのは、煌夜の低い声だった。
繋が見ると、煌夜は前を向いたまま、わずかに拳を握っている。
「今回の戦いでも前回の戦いでも、俺は足手まといだった」
「煌夜くん……それは」
「擁護しないで大丈夫だ。事実だからな」
言葉は硬いが、その実、自分自身に向けた苛立ちなのだと分かる。悔しさを飲み込み切れず、それでも吐き出さなければ前に進めない、そんな顔だった。
先の戦いでもそうだった。繋が空中から落下したとき、真っ先に受け止めるために異能を使ったのは冬吾と春臣だった。
それも、今までの使い方とは違った、更なる応用で繋を救ってみせたのだ。
目の前で差を見せつけられた。一歩、いや二歩以上、自分の無能さを呪いたくなる。
自己嫌悪に浸りそうになるその瞬間だった。
「じゃあ、帰ったら講義してみよっかな」
繋は一瞬目を瞬いたあと、にっと笑って、まるで教師のような台詞を言ってみせた。
真正面から慰めるより、その方が今の煌夜には届く気がした。出来ないと決めつけるんじゃなくて、まだ伸びる余地があると、いつもの調子で言ってやりたかった。
場の雰囲気を変えるには充分で、思わず煌夜は笑ってしまう。
「あははは、まるで学校の先生みたいだな」
「懐かしいでしょ?」
その横で皐月がにやにやと笑った。
「お、えらかねぇ。青春やねえ。おいちゃんも応援しとるばい。頑張れ、如月くん」
場にそぐわないほど軽い調子で言った皐月に、煌夜が何を言っているんだといった目でじとりと視線を飛ばす。
「いや、アンタもだからな」
「へ?」
「身体強化の異能、もっと使いこなせるように修行しろ。アンタ、あれで誤魔化してるが、まだ伸びしろあるだろ」
皐月の顔が露骨に引きつった。
「いやいや、ほら、おいちゃんもう四十やし? 身体もあちこちガタガタしてるし? 若い子らが頑張ればよかろうもん」
「やりましょうか、皐月さん」
繋も、折角だからということで笑顔で無言の圧力を飛ばす。皐月はたじたじとなり、視線をずらすが、残念ながら逃げ場はない。
「……ハイ」
やがて観念するかのように、皐月は分かりやすく肩を落としたのだった。
しばらくして、繋はまた皐月へ視線を向けた。
「皐月さん。東京の情報、もう少し詳しく教えてもらってもいいですか」
皐月は「んー」と喉を鳴らし、少しだけ表情を薄くする。ふざけた調子のままでは話せない内容だと分かっている顔だった。
「東京を実質支配しとるリーダーは蛇ノ目。そして、その側近に四人の覚醒者がおる」
「四人もいるんですね」
数だけなら少ない。けれど、皐月の言い方がその危険性を逆にはっきり示していた。少数精鋭。そういう連中なのだろう。
繋は少し迷ってから尋ねる。
「その人たちって……蛇ノ目に洗脳されてる可能性はないですか?」
皐月は一瞬ぽかんとしたあと、ふっと笑った。だが、その笑みは繋が的外れなことを言ったからではなく、どう説明したものか困った末の苦笑に近かった。
「いやあ、あれは洗脳やなかよ」
「違うんですか……?」
「生粋の変人たちばい。いや、オブラートに包みすぎたね。世界から弾き出された者たちばかりやね」
皐月はからからと笑う。へらりといつものように軽薄そうに笑っているが、目は笑っていない。
「普通の世界じゃ、うまいこと生きれん気質の人間が、このゾンビが蔓延する世界になってしもうて、それがカチリと噛み合ったっちゃ」
吹きさらしの道を歩きながら、皐月は指を一本立てる。
「生粋の戦闘狂」
二本目。
「一切の善意を信じず、世界をただの塵の集まりとしか見てない虚無主義者」
三本目。
「この地獄の王にでもなったつもりの、肥大しきった自己愛」
四本目。
「他人の命を、自分の生を実感するための燃料としか思っとらん殺人鬼」
繋は皐月の説明を聞いて、視線を右上に上げた後「なんというか、四天王みたいだね」とあっけらかんと言葉にした。
あまりにも平然とした発言に、皐月と煌夜はずっこけそうになった。
「え? おかしなこと言った?」
「そんな例え方するのは君ぐらいだよ!」
すっかり異世界での生き方が染み付いているせいか、時々SFゲームみたいな例え方をしてしまう。的は射ているので通じはするが、繋のゲームじみた例え方に、二人は張っていた気がやっと抜けて、ははっと笑い声をこぼした。
「一応自分の信条だけど、対話できる人とは殺し合いをしたくないと思ってて、この中だと戦闘狂の人だけは何とか意思疎通できそうかも?」
「そんなRPGみたいなもんで判断していいのか……?」
思わず煌夜は頭を抱えたくなったが、繋は「なんだかんだ場数が多いからね」と自信ありげに言ってみせる。
「そういやあ、異世界におったことがあると噂で聞いとったばってん、本当なんかい?」
「本当ですよ〜。両親と一緒に乗ってた車が事故にあって、僕だけ異世界に飛ばされたんです」
何てことのない、抑揚もなくさらっと自然に話してくれた内容に、二人は言葉が詰まってしまった。
あまりにも軽く口にするものだから、一瞬こちらが聞き間違えたのかと思うほどだった。
「その……繋くんの両親は亡くなっているのか?」
恐る恐る、確かめるように煌夜は問いかけた。返ってきた答えはやはり同じで、煌夜は痛ましげに繋を見つめる。
「ん? うん、亡くなったって聞いてる。車ごと海にドボンでね。本当はこの世界に帰ってきたのも両親を弔うためなんだけど、スタンピードやら色んな危機を知ったからには放っておけなくてね。だから両親の件は後回し」
「……それは、ご両親のためにも早く問題を終わらせたいな」
皐月は硬直したまま、繋の言葉を黙って聞いていた。
まさかとは思った。
その事故には痛ましい話があったことを、当時の福岡のニュースで見てよく覚えている。
ただの偶然で済ませるには一致しすぎていた。
胸の奥が、嫌な予感でじわじわ冷えていく。
喉の奥に引っかかった違和感を飲み込めず、皐月は確かめるべきか数秒だけ迷った。
「もしかして、渡くんの暮らしてた場所って、おいちゃんと一緒……かい?」
「あっ、そうなんですよ。まさかの偶然ですよね〜。僕も福岡に住んでたんです」
その瞬間、皐月の中で点と点が一気に繋がった。
思わず立ち止まってしまい、皐月はゆっくりと口を覆う。
「おい、何か知ってるのか?」と、煌夜が皐月の様子が先ほどからおかしいことに気づき、近づいて耳打ちする。
皐月は繋には聞こえないよう、小さな声で答えを返した。
残酷な事実を。
本当は口にしたくないのだと眉を深くひそめながら。
「彼はね……両親に虐待ば受けとったんばい……」
「………………は?」
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