12-4
数日前まで会話を交わした人が、その墓石の下に眠っているとは到底思えなかった。
人脈の広かったサンフォード伯爵の葬儀には貴族だけでなく魔導士たちやかつての学友までもが集まっていた。
順番が来たエリシアは花を手向ける。共に来たデボラとカーライルも隣に並んだ。
「伯爵が亡くなられたら、次の伯爵は誰になるんだ?親戚も残っていなかっただろう」
「彼が継ぐんじゃないか?孫息子の…」
「まだ学生だろ?未成年だと聞いたが。領政に関わるにしては若過ぎるだろう」
気分の良くない話に眉を顰めたエリシアは、ターナーたちに一礼した。
「この度はお悔やみ申し上げます」
「…エリシアさん…」
すっかり抜け殻のようになってしまったターナーは、それでも足に力を入れて立っていた。隣でハンカチを濡らしていたイザベルは、カーライルとデボラの姿を見るなり顔を歪めた。
「デボラっ…」
「…ほら、こっちへ」
デボラに背中を押されたイザベルが一時的に席を外す。
「…何も今あんな話をしなくても良いじゃろうに」
「……」
カーライルの不平にエリシアも心の中で同調した。
続いてティンダル家が現れ、ジョゼフに挨拶をしたのちターナーと言葉を交わす。その間もターナーはどこかぼんやりとしていて、ギルバートは思わずその肩を叩いていた。
ハッとしたように顔を上げたターナーが、まだぼんやりとした様子でギルバートを見つめる。
「…大丈夫か」
「……ああ」
「俺もここにいるよ」
「いや、お前がいるのは不自然だろ」
イザベルの代わりに隣に立ったギルバートだが、ターナーにそう返されてしまう。
「…では、私が代わりにここにいてもよろしいでしょうか?」
そう立候補したのはパトリツィアだった。
「婚約者の私なら…」
「いいえ。葬儀はまだ長いですから。パトリツィアさんが疲れてしまいます」
「…ですが…」
覇気のないターナーを案じてのことだったが、逆に心配されてしまった。
こんな時でも笑顔を取り繕ったターナーに、パトリツィアは悲しくなってしまった。
「ご配慮いただきありがとうございます。ですが本日は結構です」
「…余計なことを申し上げました。お詫び致します」
突き放す物言いにパトリツィアは傷付いた顔をして足速にその場を立ち去った。
「…おい、あんまり姉貴に冷たく当たるなよ。姉貴はお前のことを思って…」
「分かってる」
そうきっぱりと言い切ったターナーの声は苛立っていた。
「…すまない。今は余裕がないんだ」
しかし次の瞬間にはまたいつも通りに、来客向けの優しい微笑みを貼り付けていた。
「…おい、あれ…」
「あの紫の髪…魔塔の後継者か?」
「初めて見た…。物凄い魔力だな」
「伯爵と交流があったのか?」
魔導士のローブを羽織ったデリックは、手にしていた白百合を花束の上に重ねた。
いくら黒色とはいえその場にはあまりそぐわない魔導士のローブに、エリシアは深々と溜息を吐いた。
「どうしたんだ」
「うわっ…」
いきなり目の前に現れたものだから吃驚して後退りすると、腰に腕が回る。
「…お葬式は喪服を着る決まりなの」
「…そうなのか?」
ああ、やっぱり知らなかったのか…。
「よく間に合ったな。一昨日出発したから明日になるかと思っていたが」
「…知らせを寄越したのはジジイだろ」
それでも気になるのか、デリックはちらりとターナーの様子を窺った。
「魔塔の後継者が魔法学院の学生だからじゃないですか?伯爵令孫とお知り合いなのだろう」
「伯爵令孫も後に伯爵となられるお方だし、魔塔の後継者と親しくされているのだな」
「そうか…。それなら私も今のうちにご挨拶をしておいた方が──」
「ここはハエが飛んでるようだな」
デリックのその一声は、大の大人である魔導士や貴族たちをも黙らせるほどの威力があった。
「こいつら潰そうか?ターナー」
振り返ったデリックに、ターナーはようやく一息吐いたように小さく笑った。
「いや、やめておこう」
「…そうか」
些か乱暴ではあったが、デリックの威嚇は牽制となったようで、不躾な発言をしていた者は顔を青ざめて口を噤んだ。そしてその後、デリックと親しいターナーに何かを目論んで近付く輩も現れなかった。
♢♢♢
参列者がぞろぞろと墓地から出てきても、ターナーはその場に留まったままだった。
「姉貴?」
「…ごめん、ちょっと待ってて」
「は…おい!」
ジョゼフの墓まで戻ってきたパトリツィアは、胸に手を当て荒い息を整える。墓石を見つめるターナーの髪が目元を隠して表情がよく見えなかった。
「…ターナーくん…」
「…先に戻っていてください」
抑揚のない声にはもう力など残っていないようだった。震える肩に手を置くと大きな背中が跳ねる。
パトリツィアのその手にターナーの手が重なった。
「…今は、どうか一人にさせてください」
そう言いながら、ターナーの手がきつくパトリツィアの手を握る。弱々しいその背中を、パトリツィアは咄嗟に抱きしめていた。
「っ……」
父のように骨張っているのに、父とはまた違っていた。こんな時にまで高鳴る胸に収まれと思いながら、この想いが届けば良いのにと願った。
「…少しだけ…待っていていただけますか?
お祖父様に、最後の、挨拶を…っ」
涙声になっていたターナーに、パトリツィアはこくりと頷いた。
「いつまでも待ちます。だからごゆっくり、お話してください」
今度こそ立ち上がったパトリツィアは再び歩き出す。それまで人には遭遇しなかったが、墓地を出たところでギルバートが門に背を預けて待ち構えていた。
「…用は済んだのか?」
「……私、ここで待つことにしたから…。先に帰っていて?」
「…分かった」
理由も聞かずに背を向けたギルを、パトリツィアは呼び止めた。
「あっ、待ってギル!」
振り返ったギルバートに、パトリツィアは頼み込んだ。
「…お願いがあるの」
♢♢♢
冬休みに入ってからというものの、ターナーはサンフォード邸に入り浸っていた。それも、ジョゼフが眠る寝室に。
「ターナー、こっちへ」
お祖父様の死期が近いことは医師の発言がなくともこの身にひしひしと感じていた。
起き上がれなくなった体は筋肉もなくなり肋の骨が浮き出ていた。かつては凛々しい目をしていたそれも、すっかり老け込んだように窪んでしまった。
「…良いか。何かあったらイザベルに頼りなさい。
それから…、イザベルの事を、よろしく頼む」
痛みと苦しみに明け方までうなされている姿は見ていられなかったが、静かに眠る姿もまた、息をしているか頻繁に確認していても安堵することはできなかった。
「…はい。お祖父様…」
手を握りしめると、ジョゼフは苦しみに悶えながらもターナーの頭を撫でる。
「お前は私の孫であり大事な子だ。忘れるな。
私はお前を世界一の孫だと誇りに思っている」
「…はい…」
♢♢♢
その時でさえ、涙は堪えた。
ずっと、お祖父様を悲しませないよう。
お祖父様に死期が近いと悟られぬよう。
けれど、ずっとそばにつきっきりだったからだろう。
こうして一人でいると、もういないんだという実感が湧いてくる。
「…お祖父様」
呼べば、どんな時も俺の顔を見て応えてくれた。
どんなに忙しくともそれを理由に家庭を疎かにはせず、毎年誕生日は必ず祝ってくれていた。
事あるごとに褒め称え、成長を喜んでくれていた。
「…っお祖父様…っ…」
応えてほしいのに、返事はない。
ただ生きていてくれるだけで良かったのに。
守ってもらわずとも、味方でいてくれなくても、ただ生きていてさえくれれば。
「うっ…くっ……っ」
目頭が熱くなり、視界が歪んでいく。
これからやることは山ほどある。伯爵位を受け継ぐため国に申請をし、領地に顔を出してお披露目、お祖父様が亡くなった手続きもまだ終わっていない。
泣いている暇など、悲しんでいる暇などない。
そう分かっていても、心はその考えに追い付いていかなかった。
ふと頬を何かが掠め、空を見上げた。指先で触れると、水のようなものだった。鼠色の雲を纏った空からポツリポツリと雨が降ってくる。
これは…ギルバートの魔力。
やがて小雨は激しくなり、ターナーを容赦なく濡らした。
声をもかき消すその雨の中、ターナーは堪えていた声を上げて泣いた。一生分は泣いたのではというほど。身体中の水分がなくなるほど。
失った悲しみは癒えることはなかったが、それでも初めて声を上げて泣いたからか幾分かすっきりした。
雨が弱まってくると、凍てついた風が火照った肌を冷ましていく。
きっと、こんな配慮を提案したのは……。
『…では、私が代わりにここにいてもよろしいでしょうか?』
お祖父様も、パトリツィアさんも、騙すような形になってしまった。
本当は、お祖父様に婚約式を見せるためではない。
パトリツィアさんと懇意にできる理由が欲しかったからだ。婚約話を持ちかけ、怒られたらせめて祖父にだけは偽ってほしいと言うつもりだった。
だがパトリツィアさんは、俺の優しさを偽った提案を存外受け入れてくださった。
…本当の理由を伝えれば、幻滅されてしまうだろうか。
『…少しだけ…待っていていただけますか?
お祖父様に、最後の、挨拶を…っ』
…そろそろ戻らなければ。パトリツィアさんを待たせている。
感情なんて捨ててお帰りくださいとその一言さえ、言えなかったのだから。
長い間膝を突いていたからか、ゆっくりと立ち上がっても立ち眩みがした。
今になってよく分かる。エリシアさんを失って禁忌の魔法にまで執着したデリックの気持ちが。蘇ることのない命と分かっていても、会えない方が苦しいから。
禁忌に手を出してでも、そばにいたいから。
「…お祖父様」
やはり、返事はなかった。
雨で冷たくなった墓石をそっと撫でる。
「約束通り、これからは俺がお祖母様を守ります。
そして…パトリツィアさんを大切にします」
そう誓ったターナーはその場を後にした。
♢♢♢
墓地の出入り口の前で待っていたパトリツィアは、歩いてくる人影が見えて姿勢を正した。
「…お待たせしました」
顔を上げたターナーの目は赤く腫れていて、撫で付けた髪も喪服もびしょ濡れだった。
「お祖母様は…」
「先ほど戻られました。私が待つとお伝えしたら、よろしくと仰られて…」
「…そうでしたか…」
お祖母様なりに気を遣ったのだろう。お祖父様が亡くなってから夜中も泣いて目覚めると侍女が言っていたから。
二人で乗り込んだ馬車は当然向かい合わせだった。しかしふとパトリツィアが「隣に行っても良いですか」と尋ね、頷いてしまった。
隣に腰掛けたパトリツィアの黒いドレスが濡れたターナーの服によって汚れていく。
「…パトリツィアさん、やっぱり…」
「ターナーくん」
座席に置いていた手に、パトリツィアの手が重なる。
「こういう時に気を遣わないで。私にも…そうしてくれたじゃない」
亜麻色の髪と同じ色の瞳が、包み込むような優しさをその中に秘めてターナーを見つめていた。
「…ですが…」
「…私は、もっと頼ってほしい。ターナーくんの支えになりたいの…」
こんな風に言ってくれる人が婚約者だなんて、もしかしたらとんでもなく贅沢なのかもしれない。
握りしめた手の傷一つない滑らかな甲に唇を寄せる。息を呑んだパトリツィアはそれでも手を引いたりはしなかった。
けれど恥ずかしさで真っ赤になった顔を見せられず、窓に向ける。
「…先程は冷たい事を言ってしまいすみませんでした」
その声がすぐ近くから聞こえた気がして振り返ると、細工師が細部までこだわって作ったような造りの顔がすぐ目の前にあった。
「…傷付けてしまいましたか?」
「ううん…そんなこと…」
声を発することさえ躊躇うほどの距離だった。頬に口付けられたパトリツィアは今度こそ首まで赤くなっていた。
ポツリポツリと顔に雫が垂れてきて、ターナーが髪をかき上げる。普段は年下だというのに急に大人っぽく見えてしまい、心臓が飛び出しそうなほど暴れていた。
「…パトリツィアさん…、ここ、良いですか」
そう言って唇に親指が当てられ、パトリツィアは気絶寸前だった。どうにかこくりと頷くと、そっと唇が重なった。
初めてのことにどうすれば良いのかも分からず、半ばパニックになりながら目を閉じる。それは、とても長く感じられた。
ようやく気配が離れていくと、パトリツィアは我慢していた息を吐いた。その様子に小さく微笑んだターナーは、今度は額に口付けた。
二人は邸に着くまで手を離さなかった。




