12-3
ずっと、不思議だった。
俺のことを好きだと言う女子はいても、皆俺が誰のものにもならないと分かっているから、割り切ってあっさりしていた。なのにカシア嬢は、泣くほど必死になって俺を求めてきて。
どうしてそこまで俺を求めるのか気になった。
「…申し訳ございません、とんだお恥ずかしい真似を…」
ようやく泣き止んだカシアは真っ赤に泣き腫らした目を地面に向けながら、抑揚無く話し始めた。
「…いや…」
どうしてなのか。胸が凄く苦しい。
断ったのは俺の方なのに。
「…今までご迷惑をお掛けしました」
そんなことないと否定しようと思っていた。
しかしカシアが下げた頭を上げ、憂いを残した微笑みを見た瞬間、ギルバートは息を呑んだ。
「…さようなら、ギルバート先輩」
立ち上がったカシアは去り際までもギルバートと目を合わせることはなかった。
去りゆく背中をギルバートは茫然と見送った。
…俺は、何をがっかりしてるんだ?
胸にぽっかりと穴が空いたように、どこか虚しい。
いいや、これで良かったんだ。
変に期待させて姉貴のように長年拗らせるくらいなら、早めに解放してやった方が良いに決まってる。
俺は彼女が姉貴のようだから気になっていただけで、気持ちなんて無いのだから。
ただ彼女が心から笑えるようになれば、それで…。
ふとカシアの笑顔が頭を過った。
あれ……。
俺は、彼女と会う時は泣いている顔ばかり見ていたのに…。
いつ、笑顔を見たんだっけ?
俺は、いつから彼女を見ていたんだ?
今更、何を考えているんだ。
もう断った後だろ…。
込み上がる気持ちをぐっと堪えるようにギルバートは空を見上げた。
♢♢♢
「アリス嬢!」
エリシアがデリックの移動魔法でウェイスターホテルの前にやってきた頃には、既に何台もの馬車が止められ令嬢たちが乗り込んでいた。
「エリシア!」
駆け寄ってきたアリスを抱き止めたエリシアは、その背中に腕を回す。
「…行っちゃうんだね…」
「うん。ベンジャミン様ももう帰っちゃったからね」
離れた二人はそれでもなお名残惜しくて、互いの手を握った。勝気なアリスは珍しく悲しそうに目を細め、唇を一の字に結ぶ。
「……色々ありがと。あと…ごめん」
「こちらこそ。…アリスに会えて良かった」
二人ともデリックがいる手前多くは語らなかった。
初めこそ互いにヒロインと異分子として警戒していたけれど、今では同じこの物語を知る仲間。
そして立場は違えどこの世界で実際に生きていく同士。
「…ベンジャミン様と幸せにね」
「もちろん。あんたのせいで王太子妃になる前に王妃になりそうだよ、全く」
僻みのようでそうではないが、嫌味ったらしい言い方はアリスらしかった。それが泣くのを堪えるためのものだと気付いたエリシアは、「だから私のせいにしないで」と気丈に振る舞った。
笑ったカシアの目から、ついにほろりと涙がこぼれる。翡翠の瞳がエリシアを見つめて揺れていた。
「………また、会えるよね」
一生会えなくなるわけではない。情勢が落ち着いて連絡を取れば、また会える。分かっていても、毎日のように会っていた人と途端に会えなくなると思うと、感極まってエリシアも目に涙が浮かんだ。
「うん。絶対」
見つめ合った二人が小さく微笑んでいると、オフィーリアたちが小窓から顔を覗かせた。
「エリシア先生、来てくださったのですね」
「これほど唐突にお別れだと思うと、とても寂しいですね」
「…初めは誤解しておりました。どうか無礼をお許しください」
悪女のようだった女子生徒たちも涙声で綺麗な顔を曇らせる。彼女たちにも補佐業務をたくさん手伝ってもらった。
「…もう大丈夫ですよ。
どうか皆様も、お元気でいてください」
ホテルからはアルベルトとミカエルも出てくる。
「リンデン先生、それに…」
「……第二王子殿下」
敬称で呼んだことにエリシアは仰天したが、デリックは無反応だった。アルベルトが仏頂面でずんずんとデリックの前にやってくる。
「…悪かったな」
「……ふん」
鼻で返事をしたデリックに、アルベルトは怒りに唇をわなわなと震わせ目を吊り上げた。
「この野郎…!俺が謝ってんだぞ!?」
「ゴリラうるせえぞ」
「あんだと!?」
デリックの挑発に乗ったアルベルトは今にも剣を抜かんとする勢いだった。
「脳筋ゴリラ、事実じゃないか」
「お前まで言うかミカエル!」
アルベルトを無視したミカエルはデリックとエリシアに向き直り小さく頭を下げた。
「…留学初日の件はお二人に謝罪致します。ですが、私は王太子殿下しか王子殿下として認めておりませんので」
その潔さにエリシアはくすっと笑っていた。
ニコッと微笑んだミカエルは未だに文句を言うアルベルトに「置いていかれたいのか」と冷たく吐き捨てアルベルトを回収していった。
「あれ、カシアは…」
「それが…」
エリシアがキョロキョロしていると中庭の方から俯きながらカシアがやって来る。
「カシア嬢!」
見上げたその顔は涙でぐしゃぐしゃで、エリシアに抱きついたカシアは赤子のようにえんえんと泣き始めた。
アリスは何も言わず、そっとその背中を撫でる。
…そういえば、ギルバートさんがすぐにいなくなったけど…。
「……カシア嬢…」
恋の行方が良いものではなかったことは、泣きじゃくるカシアの様子から明白だった。
…ギルバートさん、あんなに焦った様子で行ったから…てっきり……。
いつまでも泣き止まないカシアの手を引いてアリスは馬車に乗り込む。
「…手紙送りますね、カシア嬢」
「…っ、ひっく、エリシア先生え〜…。
今までありがとうございまじだあ〜…」
やがて先頭の馬車から走り出し、エリシアは潰されないよう馬車から離れた。
アリスはカシアを宥めながらエリシアに目を向ける。
「…じゃあ、またね」
そう言ったのは、“また”が絶対に来るのだと信じたかったから。
「うん、また」
泣き笑うアリスを乗せた馬車が動き出す。後方の女子生徒たちに手を振り返しながらその姿を見送ると、やがて馬車は地平線に溶けて消えていった。
「…悲しいのか」
デリックの手がエリシアの頭にポンと乗る。堪えていた涙が、今になって溢れてきた。
エストランテが落ち着くまでは互いの国に行き来はできない。その後も無事に生きていられるか、この世界では分からない。
初めは顔も合わせたくなかった人たちがこれほど大きな存在になっていたなんて、思いもしなかった。
この喪失感が怖くて、人と深く関わらないようにしていたのに…。
目を伏せたエリシアの泣き顔を見てデリックも沈痛な面持ちになる。
「………俺がそばにいるから」
背後からデリックの腕が回り、エリシアは優しい温もりに包まれる。途端に苦しかった心の痛みが和らいで、目を閉じてその温もりに浸っていた。
「…うん……」
王立学院の生徒たちがバルティーナを経った数日後、魔法学園では冬休みに突入した。
そしてすぐ、ターナーとパトリツィアの婚約式が行われた。
場所はサンフォード伯爵邸の庭園で、数人の友人や親族だけが招かれた小規模なものだった。バルティーナの中でも名家であり魔導士を輩出する家系でもある両家の婚約式にしてはとても質素なものだったが、エリシアはそれが全てジョゼフのためであると知っていた。
ターナーに腕を組んだパトリツィアの嬉々とした表情は、見ているエリシアたちも微笑ませるほどの威力だった。
それから二週間後、想定よりも早くサンフォード伯爵は帰らぬ人となった。




