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じっと裏庭を眺めていると、白金色の髪が目に入る。空はぼんやりとした鼠色の雲が渦巻いているのに、相変わらずその人の笑顔だけは太陽よりも眩く感じた。
アリスはテーブルに腕を置いて突っ伏した。
「はあ〜」
「はあ〜」
「はあ〜」
まるで私に被せてきたかのように二人が溜息を吐く。
「ちょっと何よ、二人とも。溜息なんて辛気臭い」
「人のこと言えないでしょ」
言い返してきたのはもう親友も同然の教師、エリシアだった。
同じ前世持ちということもあり、今では気兼ねなく話せる。
「ごめんなさい。空気が悪くなってしまいましたね…」
そんな発言をしてさらに空気を重くさせたのは、箱入り令嬢のカシア。
バーケット伯爵家で手塩にかけて育てられた奥ゆかしき令嬢だが、それ故打たれ弱く人に強く出れない。
胡桃色の癖っ毛を気にしており、その性格と、領地が辺鄙な田舎にあり小馬鹿にされていることから、王立学院の荒波に揉まれ貴族令嬢たちに従ってエリシアを攻撃していた。
が、本来であればそんなものとは無縁の気弱令嬢。
「カシアは何に悩んでるの」
「……私は……」
言いづらそうにもじもじとしていたカシアは顔をりんごのように赤くさせる。
「エリシア先生にお怪我を負わせてしまったことで、魔法学園の女子生徒たちに酷く詰め寄られてしまったことがございまして…。その時、助けてくださったお方が忘れられないんです…」
そう言ってカシアは恍惚として裏庭を見つめる。
その顔は恋する乙女そのものだった。
「まさかベンジャミン様じゃないでしょうね」
すかさずアリスが睨みを利かせる。
「違います!三年生のティンダル先生のご兄弟のお方で」
「えっ…」
声を上げたエリシアを二人が振り返る。
「ギルバートさん?」
「ご存じだったのですね!魔法の成績も優秀ですものね」
その前から知ってはいたけど…。
「すごく紳士的な態度で、お優しくって…」
確かにギルバートは女性にはもちろん、男性の友人である二人にも温厚な態度だ。
「でも、あちらはきっと私のことなんて覚えていらっしゃらないと思います…」
「…じゃあフォークダンスに誘ってみたら?」
「フォークダンス?」
カシアが聞きなれない言葉に首を傾げる。
「学園祭の最後の日の夜に男女がペアになって踊るんです。舞踏会のように格式張ってなくて、野外で音楽に合わせて好きなように踊れるのできっと楽しいですよ」
魔法学園にはそういうのがあるのか…。
「ベンジャミン様は誰と踊るか決めたのかな……」
「聞いてみたらいいのに」
「小言がうるさいわね」
あの日以来、アリスはベンジャミンを避けていた。
『あの時、どうしてエリシア先生を貶めるような真似をなさったのですか』
『身勝手だったことは分かってます。もうしません。
でも…私を利用して他の女性と会われるくらいなら、いっそ………』
いっそ突き放してください。
なんて、心にも思っていないことを言おうとした。
そんなことをされたら、ベンジャミン様に捨てられたら、どうしたら良いのか分からないのに。
裏庭にはベンジャミンと同じクラスの生徒たちが何やら色塗りをしていた。ベンジャミンの隣に一人のショートヘアの女生徒が屈み込む。
何かをベンジャミンに話しかけ、二人は目を合わせると間も無く微笑んでいた。
「〜〜〜もうっ……」
たったこれしきのことで嫉妬するなんて、というのは自分でも分かってる。
分かってるけど、気持ちが抑えられない。
好きで好きで堪らない。
誰かに盗られ、誰かと結ばれ、微笑み合う姿なんて見ていたくない。
♢♢♢
私は前世では高校生だった。けれど学校には行かなかった。
昔から人と仲良くなるのが苦手な性格で、グループを組む女子たちと馴染めなかった。それには容姿も関係していたのだと思う。
今思えば、お世辞にも整っているとは言い難い自分の顔にいつも自信がなかった。太くてげじげじな眉、ぺちゃんこででかいだけの鼻、血色の悪い唇、一重で腫れぼったい目元、肉のついた顎。
だんだんと挨拶を返すのも億劫になり、近所からは陰湿な子、学校からは不細工陰キャと言われ、周囲から孤立するのはあっという間だった。
高校に入ると格好の餌食と言わんばかりに虐められた。水を掛けられ、自分の机に落書きを書かれ、教科書や持ち物はドブのようなため池に捨てられ、靴や上履きが消えるのもしょっちゅう。
教師たちが見て見ぬふりをすると、次第に陽キャたちのいじめはエスカレートしていった。
耐えられなくなった私は学校へ行くのをやめた。両親は共働きで家を空けていることが多く、私の不登校に対する責任を押し付けあって怒鳴り合いの喧嘩をしても、私が何に苦しんでいるのか話を聞こうとはしてくれなかった。
部屋に引き篭もった私は所謂乙女ゲームにハマった。
そこでは私は美しくなれた。雪のように白い肌、真っ赤な唇、丸く大きな目、筋の通った鼻。
両親からもらっていたカードで課金して髪型や衣装を替えて年間ランキングにも名を残したし、そこでの私は本当に美しかった。
そして美しい私に愛を囁く格好良い攻略キャラたちがたくさんいた。例えゲームの中だとしても、私にとっては生身の人間よりも大好きで、本気で何度も恋をして、生きていくにはかけがえのない存在だった。
【聖女のあなたは祝福の姫君】もそうしてハマったゲームの一つだった。可愛らしい主人公とイケメンな攻略キャラたちのイラストに一目惚れしてプレイした。
ベンジャミン様を選んだのは容姿が好みど真ん中だったから。
“君の名前は?”
リアルな自分を思い出すから、自分の本当の名を使うのは嫌だった。
私は、二次元の世界に中に迷い込んでしまった…、
“アリス”。
ベンジャミン様は心優しい人だった。
聖女の力が覚醒した私が急に貴族となったことで他の貴族令嬢たちにいじめられると、いつも助けてくれた。
“次にまた彼女を侮辱するようなら私が許さない”
それはまるで、同じ目に遭った現実の私を救ってくれたようだった。
親しくなった夏休み、二人で北部に涼みに行った。
転んで泥だらけになった私が、汚い姿を見られたくなくて顔を逸らすと、無理に顔を合わせるでもなく頭をそっと撫でてくれた。
“アリスはアリスだ。どんな姿でも可愛いよ”
優しい笑顔で、愛おしそうに私を見つめる。醜い私の容姿さえ、肯定してくれたようだった。
ハッピーエンドに行くには好感度を高める必要があった。そのためには通常のイベントクリアだけでなく、アバターを着せ替えてハートポイントを上げることも課題だった。無課金でも時間をかければできるのだが、当然私は課金した。
舞踏会があれば綺麗なドレスを、お忍びであれば控えめなワンピースを着て、髪型や装飾品も変えた。
着替える度にベンジャミン様は褒めてくれた。
“今日のネックレス、アリスの瞳と同じ色だね。
とても似合ってるよ。…もしかして、誰かにもらったの?”
“そのドレス、素敵だね。アリスのスタイルの良さを際立ててる。
今日も男の視線を独り占めして、私を嫉妬させるつもりなのかい?”
やがてベンジャミン様の中で私への好感度が高まり、嫉妬をされるようになると、私も本格的にベンジャミン様という沼にハマっていった。
“さっき踊っていた男と、楽しそうに何を話してたの?”
“妬けるね。こんなにも誰かに心を動かされたことはないよ”
“愛している。生涯を私と共に歩んではくれないだろうか”
いつも紳士的で物腰柔らかく、優しい口調と眩いほどの微笑みをしていた。嫉妬して早く自分のものにしたいと思うほど私を一途に愛し、それでいて無理に関係を進めようとはしない。
周囲からは慕われていて、剣も勉強も作法も完璧で、時には王太子として威厳もあり、時にはアリスに寄り掛かるほど弱っていた。
私はそんな彼が大好きで、ただ彼を支えたくて、力になりたかった。
ベンジャミン様のルートを何度も何度もプレイした。そうしてループしているうちに、気が付けば私は本当にアリスになっていて、聖女の力が覚醒しているところだった。
それまでのアリスの記憶がなかったけど、幸いアリスは男爵の庇護下に移り、新しい環境でリスタートすることができた。
学院入学時、入学式の生徒会長の言葉で、初めてリアルなベンジャミン様の御尊顔を拝んだ。
「生徒会の会長、
ベンジャミン・ジゼル・エストランテと申します」
尊いっ…。
直視できないほどに眩しく、鼻血を出している女生徒は私だけではなかった。
これからベンジャミン様とのルートが始まるんだとワクワクしていた。
けれど、起こるはずのイベントが全く起こらなかった。
何で…!
放課後にベンジャミン様はここを通るはずなのに…!
生徒会の扉をノックすると、何やら難しい顔で話し込むベンジャミン様と、攻略キャラのミカエル・スエードがいた。
まだ生徒会にいたの…!?
「生徒会に入りたいのですが…」
それでもめげずにベンジャミン様との繋がりを持とうとした。お互いに顔を合わせると話をするくらいには親しくなったものの、ゲームのようにとんとん拍子に進展していく展開はなかった。
何かが可笑しいと思ってはいたが、他の人たちはほとんどゲームと同じような行動を取っていた。怪しいのは攻略キャラである四人。
ベンジャミン様。
補佐のミカエル・スエード。
護衛のアルベルト・リシュリュー。
そして、私の入学に合わせて入学するはずだった第二王子、デリック・ヴィルヘルム・エストランテ。
彼は学院に入学すらせず、隣の国バルティーナの魔法学園に通っているという噂だった。
そしていよいよこの世界はゲームのシナリオとは別の道を歩んでいるのかもしれないと思い始めたのが、ベンジャミン様が魔法学園に交換留学生として発つことが決まった時だった。
♢♢♢
それでも、ベンジャミン様と一緒にいられるのなら。
ベンジャミン様に振り向いてもらえるチャンスがあるのならと、私も後を着いてきた。
そのことに後悔はしていない。
ただ、デリックのようにベンジャミン様まで主人公以外の誰かと結ばれるかもしれないと思うと、気が気じゃなかった。
エリシアにその可能性があった頃は、徹底的に排除したくて、社会的信用を失墜させようとした。貴族令嬢らと一緒になってエリシアを見下して、美しく愛らしい自分が上になったつもりでいた。
そのくらい、私はベンジャミン様が好きなのだ。
ただ、あの時。
私が嘘を吐いていたと知られた時、ベンジャミン様に失望されて縁を切られるのではないかと怖くなった。あれからは、もうそんなことをする気力も起きないけど…。
ショートヘアの女子生徒はさりげなくベンジャミンの服を掴む。
……辛いとか悲しいを超えてムカつくんだけどあの女。
ベンジャミン様に対して馴れ馴れしい態度取らないでよね!
それからしばらくアリスは不機嫌だった。




