8-5
「きゃー!!人が馬に轢かれたわ!」
「馬車が突っ込んだぞ!」
「おい!お前大丈夫か!!」
数年前、息子に世界一愛してると毎日のように言っては大切に育てていた両親が、馬の暴走により轢き殺された。
大好きな両親から大量の血が流れ出ていく時、息子は呆然として何もできなかった。
「っあ、おい!」
そして、その衝撃で気を失った。
次に目が覚めたとき、見知らぬ老夫婦がその子の目覚めに泣いて喜んだ。
「…おじさんたち、誰?」
しかし彼は、全てを忘れていた。
全てを受け入れられなかったのでしょう。大切な両親が目の前で死に、幼い子供には耐えられなかったのです。
医者は祖父母にそう説明していた。
「あなたはターナーよ。ターナー・サンフォード。
私たちは貴方の祖父母で、これからは私たちが貴方の家族になるわ」
それからは、祖父母が両親に代わって愛情を注いで育ててくれた。
「ターナー、一緒にお庭をお散歩しましょう?」
「新しく書庫を作ったんだ。見てみないか?」
「まあ、すごい魔法陣ね。よく描けたわね!」
「ターナーは優秀な魔導士になるかもな!」
「今年の誕生日プレゼントは魔法書がいいかしら?」
「ケーキは最高級のものを作らせよう」
二人が自分達の時間を犠牲にしてまで愛情を注いでくれることは、世間から見ても当たり前ではなかった。
しかし祖父母は亡くなった息子夫婦の代わりに、両親としての責務を果たそうと尽力した。
毎日の挨拶を欠かさず、誕生日は必ず三人で祝い、作法などの講義を受けさせ、質の良い服を揃えた。
トラウマのせいで乗馬の授業で馬を怖がるターナーに、無理強いをするまいと中断させた。
魔法を極めることに夢中になっていると、魔導士たちを講師に雇い魔法の授業を受けさせた。
「見てごらん。これが魔法学園よ」
祖父母に連れられて数年ぶりに首都に遊びに行った日、そこにあった魔法学園にターナーは目を輝かせた。
「わあ…!」
修繕を加えられた立派な校舎もさることながら、今の自分には壊すことが不可能に見えた完璧な防御魔法にも感激した。
「行きたい?」
「…行ったら、お祖母さまたちは嬉しいですか?」
「勿論よ」
「お前が立派な魔導士になったら、誇らしいことだろう」
ターナーが魔法学園を目指すようになったのは、この頃からだった。
祖父母の期待に応えたかった。
祖父母が“望む”魔導士になりたかった。
授業の合間に魔法の勉強に熱心に取り組んだ。祖母との散歩を断り、祖父との外出を断ると、心配したように二人が部屋にやって来た。
「近頃魔法の勉強に熱心になっているようだね」
「…疲れた顔をしているわ。無理はしないで」
「…無理などしていま──」
ポタ、と何かが落ちる。指で触れると、ターナーの鼻から出てきた血のようだった。
「ターナー!」
「誰か!お医者様を呼んで来い!」
駆け付けた二人がターナーを抱きしめた。医師の診断で過労を言い渡されたターナーは数日ベッドに横になっていた。
自分では分からない。
無理をしたつもりはないし、疲れたとも思わなかった。
「ターナー、私たちが期待を掛けすぎてしまったのなら謝るわ」
申し訳なさそうな祖母を見つめながら、ターナーは祖父母とは別のことを考えていた。
「…俺は、お祖父様とお祖母様の期待に応えられます。
ですからもう一度チャンスをいただけませんか」
二人は傷付いたような顔をして口を噤んだ。
「…私たちはお前が有望かどうかを案じているんじゃない。
健康を害すほど無理をするお前自身を案じているんだ」
俺を…?
祖父はターナーの肩を叩いた。
「お前が進みたい道に進めば良い。どんな道であっても、私たちはその道を応援する」
ずっと祖父母に認められたくて努力してきた。
だけど本当は、期待外れの孫だとがっかりさせてしまうことが怖かったのかもしれない。
「…何になりたいのかは、まだよく分かりませんが…魔法を、もっと上手く使いこなせるようになりたいです」
「そうか…」
「私たちは応援するわ。
でも、休息を抜くような真似はやめてちょうだい。私たちは貴方がただ健康でいてくれれば、それで良いの」
心配する祖父母の眼差しを、無下にはできなかった。
それからは、祖父母とのティータイムを欠かさないようにした。
紅茶を淹れるたび褒めてもらえるから、毎日自分で淹れるのが日課になっていた。
数年後魔法学園を受験し、首席合格をすると、祖父母は泣いて喜んでくれた。
祖父よりも祖母からの方が頻繁に手紙が届いたが、そこには“私よりあの人の方がショックで何度もあなたの部屋を訪れているのよ”と綴られていた。
「頼んだぞ」
今年の学園祭の知らせを同封した手紙が、鷲になって飛んでいった。
♢♢♢
学園祭も間近になると中庭には生徒たちが集まっていた。
校庭は地面だが中庭は草原のためそのまま座りやすい。広い上に何かを作っても砂埃が付きにくく、創作活動にはもってこいの場所だった。
そこに小さな紙のようなものが落ちていた。拾い上げたのは、一輪の小さな花の栞だった。
「あっ、サンフォードくん、それ取って頂戴!」
ブワッと風が舞い上がる。草木の香りが広がり、亜麻色の髪が広がった。
「…ティンダル先生のでしたか」
「ありがとう」
その栞を大切そうに受け取ったパトリツィアはほっと胸を撫で下ろす。
その栞には見覚えがあった。
パトリツィアの補佐として教員部屋に出入りしていた際に、デスクに飾られていたものか…。
「風が強くて飛んでしまって…」
「今日は窓は開けない方がいいですね」
「ええ、気を付けるわ」
「っ危ない!」
二人はその声と共に風のような速さで魔法が迫るのを感じた。
振り返るのと同時に見えた火の玉を、パトリツィアは氷の礫を飛ばして相殺させる。
「っ!!」
しかし感じる魔力に頼っていたため、火の玉に隠れて来ていた剣には気付けなかった。
防御魔法を展開するにも1秒にも満たない時間がいる。経験上間に合わないと悟ったパトリツィアは固く目を閉ざした。
痛みの代わりに、甲高い音が聞こえた。
パッと目を開くと、剣は地面に落ちていて、ターナーが自身の腕に氷を纏った状態でパトリツィア目の前にいた。
「っサンフォードくん!」
水蒸気の上がる腕を抑えながらターナーは徐々に腕を下ろしていく。
…何の準備もせず魔法を暴発させてしまった。血の通った腕を急激に冷凍した上にその最中に剣を弾いたから、筋繊維の方にまでダメージがいったかもな…。
「お怪我はありませんか、ティンダル先生」
「私は大丈夫よ。それよりその腕…」
パトリツィアも薄々気付いて声を掛けようとしたが、数人の生徒たちが走ってこっちに来ていた。
「怪我はありませんか!」
「大丈夫です」
「本当にすみません!学園祭でやるショーの練習をしていて…」
パトリツィアは未だに心臓が嫌な音を立てていたが、ターナーは平静を保っているように見えた。
「気を付けてくださいね」
「本当に申し訳ございませんでした」
生徒たちが剣を回収して去っていく。
「…サンフォードくん、やっぱりその腕怪我したんじゃないの?」
「掠っただけですよ。ご心配なく」
「でも…」
「それより、そろそろ職員会議の時間では?」
中庭の時計を見上げたターナーは、ふと校舎の窓辺に人影を見た。
…ギルバート…?
「あ!本当だわ!大変!」
「急いだ方が良いですよ」
「でも…」
パトリツィアは気遣わしげにターナーの腕を見やる。
「ちゃんと治療室に行きますから」
「…絶対行ってね」
「はい」
頷いたターナーを見てパトリツィアは校舎に戻りかけた。しかしふと思い返して振り返る。
「…ありがとう、サンフォードくん」
その温かみのある笑顔を見送ってから、魔法を解除した。氷が溶けてなくなった腕の傷からボタボタッと血が滴る。
やっぱり切れてたか。
回復魔法で外傷は抑えたが筋肉の損傷までは治せそうになかった。まあそれほどの痛みでもないから、時間が経てば治るだろう…。
ターナーはギルバートのいた教室の前に移動する。
端に寄せられたテーブルに腰掛け、窓辺に肘をついていたギルバートは静かに中庭を見つめていた。
集中しているのか、他クラスからやって来たターナーが声を掛けても気付かないほどだった。窓に寄って覗くと、先程練習していた生徒たちはいなくなり、今度は王立学院の女子生徒たちがいた。
目立つピンク色の髪のアリスを追いかけるように女子生徒が走ってくる。胡桃色の癖のある髪がフワッと風に泳いだと思うと真っ正面に転んだ。
気付いたアリスが立ち上がらせてワンピースの制服の汚れを払っていたが、太陽を知らないような白い肌には土汚れが付いていた。
彼女は確か…エリシアさんの講義でカトラリーを落としたカシア・バーケット…。
二人が中庭を眺めていたところに、「いたー!」と女子生徒がやって来る。
「ギルバートくん、この色とこの色、どっちがいいと思う?」
「んー、ピンクかな。可愛い雰囲気によく似合ってる」
「ほんと?」
「この学園できっと一番だよ」
学園祭の出し物で着る衣装を二着持ってきた女子生徒は、ギルバートの答えを聞くと満面の笑みで帰って行った。
「いいなー、ギルバートは。顔も良くて魔力も高くて、おまけに家柄も良く公爵家の跡取り。女子も選び放題だな」
「せめて俺も魔力がもう少しあればなあ」
「俺はギルバートの半分でもあの顔が欲しかった」
教室にいた同じクラスの男子生徒の羨むような諦めたような言葉に、ギルバートはへらへらと適当な笑みを浮かべた。
「ギルバート、ちょっと良いか?」
「おう」
そう返事をしたギルバートは、いつも通りに見えた。しかしその目は一瞬だけ、再び中庭に向けられた。
「学園祭で可愛い子と出会いないかなあ」
「てかティンダル先生紹介してくれよ。フリーなんだろ?」
「え?まじ?あんな美人なのに?」
教室の扉を開けたギルバートはにやりと笑って振り返る。
「直接告白することだな」
「そんなあ弟だろ?」
「間取り持ってくれよ〜」
廊下に出てからも、非難と嘆きの声が聞こえていた。
「ティンダル先生は人気なようだな」
「どいつもこいつも綺麗な姉貴しか見えてないからだろ。それより何かあったのか?」
「いや、何かというほどではないかもしれないんだが…」
ターナーが魔法で移動したその気配を辿って、ギルバートは同じ場所へ移動する。
そこは男子寮の入り口だった。
「…何だこの魔力」
「誰かがここを破ろうとしたようだ。複数の魔力が混ざり合っていて誰の魔力か分からないが…」
誰かが寮の防衛を破って侵入しようとした形跡は明白だった。
「エストランテの王家か…?」
「かもしれないな。だが王太子殿下からはデリックに対する悪意は感じないし、何かをしてくる様子もない」
「だとしたら、あの諜報員が魔導士でも雇ったんじゃないか?」
学園祭まで日も短い。
当日は一般人も来場できるから、忍び込まれたら厄介だ。あの諜報員のように魔力がなければ俺たちも気付きにくい。
「こんな時にデリックは何してんだよ…」
「魔塔の指示で魔物狩りだ。
近頃魔物狩りができていなかったからな。また自分達の縄張りを抜けて首都の方にまで来ていたようだから、その応戦に加わったと聞いた」
「でもこのままじゃ、あいつはともかくエリシアちゃんが危ないだろ」
「だからお前を呼んだんだ。俺は一日目は空いてるが、二日目は担当があるからな」
「なるほどな」
デリックとは近頃顔を合わせていない。夜中に寮部屋には帰って来ているようだが、明け方には出て行っているようだった。
魔塔の後継者といえば、呑気に学園生活を送れないくらい多忙を極めるというから、ようやく本来の責務を果たす気になったのだろう。
他の魔導士たちからも認められやすくなってきていると聞いた。
「一応姉貴にも伝えとくか」
「俺はもう少しここを調査する」
ギルバートがいなくなり、ターナーは周辺の足跡や他の魔法の痕跡を探したが、これといった収穫を得ることはできなかった。
人物紹介
◆ターナー・サンフォード
サンフォード伯爵家嫡男。
デリックとギルバートと同じ魔法学院三年生の17歳。
【肩書き】伯爵令孫、次期伯爵
【人物】幼い頃に両親を失い、祖父母に引き取られる。その時爵位も祖父ジョゼフに戻された。一人っ子のためもの静かで大人しく、使用人たちからは良い子だと評判が良かった。育ててくれた祖父母には恩を感じている。祖父母の期待に応えるため魔導士を志すようになり、魔法学園に通い始める。
【好き】紅茶、家族




