4-3
それからどのように帰路に着いたのかは覚えていない。
デボラに頼まれていたビタミン剤を渡し寝支度を終えたエリシアは、ベッドに入ってから目が冴えて何度も寝返りを打った。
『でもそしたら戦争ものだからね。ほら、覚えてるかい?何年か前のエストランテ王国の神の咆哮。
魔法学園なら当然魔塔が関与しているはずさ』
こんな田舎にまで回っている噂なら、魔塔が知らないはずがない。
今頃エストランテでも噂が広まっているかもしれない。
それもこれも、デリックが我慢しきれず神の咆哮を起こしたせいなんだけど…。
『最近デリックのやつ大人しくなったんだ。
それもこれも、エリシアちゃんのお陰だよ〜』
『それに、良く眠るようになった。前は人前では絶対に眠らなかったのに…』
過去を知っているせいか、一方的に責めることなんてできない。
初めて出会ったばかりのデリックは目の下のクマがひどく、睡眠不足のせいで苛立ちやすかった。
再会した時も昔のような酷いクマをしていたから、あの頃のように眠れなくなっていて、睡眠薬に手を出していたとしてもおかしくないのに…。
『睡眠薬だけど毒性があるから。その分依存性も強くて、長期服用で死をもたらすよ』
デリックはそれを知っているの…?
知っていて、あんな量の薬を飲んでいるの…?
自分のことでもないのにモヤモヤとして気が晴れない。眠れそうになくもそもそと起きあがると、ふと背後で緩やかな風が吹く。
「……エリシア」
甘い余韻を残したその声と共に、背後から腕が回る。
いつもより触れた箇所からの体温が低く感じる。首元に吐息を感じゾクリと震えが走った。
一瞬ふわりと浮いたような感覚があり、ベッドのシーツの感触が変わっていた。
ゆっくりと瞼を上げるとカーテンが一切閉ざされた真っ暗な、デリックの寮の部屋に来ていた。
首元に顔を埋めたデリックの髪をそっと撫でると、ぐりぐりと顔を押し付けてくる。
「…ははっ、髪がくすぐったいよ…」
頬を掠める柔らかな髪の感触にエリシアは身を竦める。
「…デリック」
呼び掛けるとデリックはゆっくりと顔を上げた。
振り返ると惚れ惚れするような造りの美貌があり、頬に手を伸ばすと氷のように冷たかった。
「外にいたの?」
けれどその目だけは静かながら温かみがあり、眦を下げてゆっくりとエリシアを見つめた。
「魔塔に行ってたからな」
エリシアの華奢な手を握ると、デリックは瞼を下ろし頬を擦り寄せる。
それだけ見ると小動物のように愛らしい。
エリシアは自然と頬が緩み、口を開いていた。
「…ねえ、デリック」
「なに」
「…いつもちゃんと眠れてる?」
途端に擦り寄るのをやめたデリックは、傷付いたような顔をしてエリシアを見つめた。
「……そう見えるか?」
…知っているくせに。
そう言うかのように、責めるような慰めてほしそうな眼差しに、エリシアは己の発言を後悔した。
「…ごめんなさい」
月のように金色に光る瞳に罪悪感を覚えたエリシアは目を逸らす。
「ただ、もう…睡眠薬は、使わないでほしいの」
二人の間に僅かな沈黙が落ちる。
「毒性があるんでしょ?」
薬屋で聞いた話をしても、デリックは驚いた様子はなく、否定も肯定もしない。
…分かってて、飲んでたんだ……。
「…危険な薬だって…」
「死んでも良いと思ってたから使ってただけだ」
「そんなこと…言わないでよ…」
神の咆哮を止めた時もそうだった。
『エリシア…。どうして、俺を置いていったんだ…』
ゲームの画面越しに眺めていたデリックは、他者を警戒し睨み付け、近寄り難い雰囲気を纏った一匹狼だった。
しかしあの時、実際にエリシアの目の前で深い悲しみの底に打ちひしがれるデリックは、ゲームの中の彼とは大きく異なっていた。
『エリシアがいないのなら、こんな世界に未練などない』
彼はただのゲームの中の攻略対象者じゃない。
デリックもまた誰とも変わりなくこの世界に生まれ、苦痛を経験し、懸命に生きる一人の人間。
『俺も、そっちに連れてってくれ…』
それなのに、ゲームの中だからと、私は何処か甘く見ていたのかもしれない。
いつか闇多き王子として王立学院に入学し、けれどヒロインと出会って優しさを、愛を知るのだと。
でも現実は違う。
私が関わってしまったせいか、デリックはエストランテ王国を出てバルティーナ共和国に来て、魔塔の後継者として魔法学園に通い、既にゲームの内容とは違う流れになっている。
ただ深い悲しみだけを抱えたまま。
「……エリシアは、俺がいなくても幸せに過ごしてたから分かんねえだろうけど」
その前置きで、エリシアは現実に引き戻される。
「俺にとって、あの日々は特別だった。
忘れられなくて、エリシアを追って死んでも良いと思うほどに」
黄金の瞳がその奥に熱い炎をくすぶらせている。その瞳を見ているだけで、エリシアは心臓を鷲掴みにされたように苦しかった。
「…私も、デリックと過ごした時を忘れたことはないよ」
温かな日差しを感じてうとうとした日も、胸いっぱいの森の香りを吸い込んだ日も。
デリックと過ごした日々を思い出しては、喉の奥から込み上げるものがあった。
両親を失ってからデボラ夫人と出会うまで、唯一心を通わせた友人だったから。
「…俺から逃げようとしたくせに」
「それはっ………」
また大切な存在ができてしまうのが怖かった。
失った時やり場のない悲しみを心に刻みながら時が解決するのを待つことに、疲れてしまったから。
もうこれ以上、傷付きたくないから。
「………暗殺のことで嫌われるのが、怖かったから…」
そんな嘘を重ねてまで、私は自分のことばかり考えている。
「それでも俺は会いたかった。
ずっとずっと、エリシアに会いたかった」
デリックはまるで拗ねた子どものようだった。
裏表のない言葉に真っ直ぐ過ぎる瞳は、エリシアを惑わせるには十分だった。
艶のあるブルーヴァイオレットの髪が、今にも泣き出しそうに眦の下がった目にはらりと落ちる。
「…中途半端に心配だけするなよ…」
デリックは苦々しげに呟くと再びエリシアの首元に顔を埋めた。
互いの温もりを感じながら、二人はそれ以上何かを言うことはできなかった。
ううーん、すれ違いです…。




