4-4
前半は回想含みます。
まだ空が闇に包まれた朝方、ベッドに沈むように眠っていたデリックはふと目が覚めた。
珍しいこともあるもんだな。
いつも眠れないのに…。
そして脳裏に蘇った。
昨夜、花火の彩りを碧眼に映した麗しい女性のことを。
防御魔法はカーライルのものを破り、監視も含めたデリックのものを展開していたため、対象者であるエリシアを見つけるのは容易だった。
魔法でエリシアの現在の姿を映し出すと、両手を万歳して布団をぐちゃぐちゃにしたエリシアは呑気にいびきをかいて眠っていた。
「…っふ…」
昔と変わらない姿に笑みがこぼれる。
涎を垂らしただらしのない寝顔に、何故か、とても安堵していた。
その家にもカーライルの防御魔法が張られていたが、エリシアにはデリックの防御魔法が掛かっていたためエリシアの付近には簡単に出入りができた。
ベッドの淵に腰を下ろしても、「んんう…」と呻き声を上げるだけで目覚めない。
全く警戒心がない隙だらけな姿に不安を覚える。
顔にかかったブルーヴァイオレットの髪をそっと耳に掛け、そのまま頬を撫でた。引っ張れそうなほど柔らかく、温かい。
あの頃は、触れることさえ怖かった。
深淵から湧き上がる初めての感情に戸惑い、恐れ、蓋をしようとした。
でも今なら分かる。
自分がエリシアをどう思っているのか。
どうしてこんなにも、会いたくて堪らないのか。
「…エリシア」
その人を見つめながら再びその名前を呼べることに、心が歓喜に湧いていた。
「…………」
「……連れて行くぞ」
眠っているエリシアからは返事はない。
デリックはさっとエリシアを抱き上げ、寮の自室に戻っていた。
昔の俺なら、こんなことはできなかった。
外の世界は俺に対する侮言で満ちていて、誰もが俺の命を狙ってくるに違いないと、何も知らなかった当時は思っていたから。
けれどいざ外の世界へ出ると、魔塔の後継者に選ばれた俺に対する畏怖や羨望、そして一部嫉妬もあったが、反抗的な者を追い払うとそれ以上悪意を持って近付いてくる者は減った。
そして意外と好意的な者もいて、そして何の見返りも求めずに親切にしてくる連中もいた。
起こさないよう注意しながらエリシアをベッドに下ろしたデリックはそっとシーツを掛ける。
その隣に横になったデリックは、締まりのないエリシアの顔をじっと見つめた。
エリシアと最後に会った日のことを、ずっと後悔してきた。
『…きっといつか、救われる日が来ますから』
俺がエリシアの異変に気付いて引き止めていれば、エリシアを失うことはなかったはずなのにと。
エリシアのいない日々は、真夜中の森の中に一人取り残されたようだった。
真っ暗で、寒くて、空っぽで。
ただただエリシアとの思い出だけが蘇り、心臓を抉られたような痛みが残るだけだった。
救われる日が来たのだとしたら、今この時だろう。
波打つ繊細なハニーブロンドの髪を撫でると、それだけで空虚な心が満たされていく。
ずっと触れたかった。
もう触れられないと思っていた。
───けれどエリシアは、生きていた。
エリシアをそっと両手で包み込む。
温もりが、柔い肌の感触が、確かにこの腕の中にあるのだと伝えてきた。
まるであの日々に戻ったように、怒りや憎しみが鎮まっていく。
そして代わりに芽生えるのは、安らかな感情だった。
もう二度と、エリシアを失いたくない。
離れたくない。
その日はうとうとしたが、眠りにつくことはなかった。エリシアが寝返りを打つだけで、どこかへ逃げようとするのではないかと不安になって抱きしめていた。
昔の甘い花の香りとは異なり、今は落ち着いた草花の香りがする。
けれど髪だけは、昔のように香り高いままだった。
その香りを鼻いっぱいに吸い込んで息をした。まるで心が洗われるようだった。
そんなことをしているうち、空が白ばみ始めていた。
それから度々明け方を狙ってエリシアを誘拐しては、自分のベッドに寝かせていた。
目覚める度に驚愕していたエリシアも、慣れてくると微笑んで俺を見つめていた。
「…デリック…おはよう」
「…おはよ、エリシア…」
ただ朝の挨拶を交わせるだけで心が満たされていた。
「あれから…デリックはどうしてたの?」
「…ジジイに拾われて、バルティーナに来て、魔法学園に通ってた」
「そっか…。私も、あの後……バルティーナにたどり着いて、こっちで暮らしてたの」
エリシアは何故バルティーナにたどり着いたのかまでは言わなかった。
馬車ごと川に流されたと知っていたが、エリシアが話題に出さない以上触れることはしなかった。
「まさかまたデリックに会えるなんて思いもしなかった」
それは俺の台詞だ。
もう二度と会えないと思っていた。
寝たふりをしていると髪を撫でられ、頬に触れられたりした。
まるでエリシアに愛されているようで、俺はそれだけで幸せだった。
昼間は決まってギルバートやターナーがいたが、気を遣ったのか不在の時もあった。
あの日々のようにサンドイッチを食べ、その後はエリシアに膝枕をしてもらうのが日課になっていた。
「ねえデリック、ギルバートさんたち出掛けたよ?」
今は俺とエリシアの二人きり。
その日もエリシアに膝枕をしてもらいながら、機嫌良くハニーブロンドの髪を指で遊んでいた。
「たまには外に出たいんだけど…」
窺うように言ってくるエリシアに何かを返すことなく、俺は髪を離して顔を伏せた。柔らかなお腹に顔を押し付けて細い腰を抱き締めると、エリシアが軽く息を吐いた。
ずっとこのまま時が止まれば良いと思っていた。
エリシアと二人きりで、邪魔する者もいない。
だがエリシアは俺とは違い、二人でいることをそれほど望まず度々外に出たがっていた。
俺は、その度に無性に腹が立ち、エリシアがそこまで俺を思っていないことに落胆した。
エリシアは例えるなら鳥のようだった。
あの野原に横になって風を感じ日を浴びていた日々のように、自然が良く似合いのびのびとしていた。
外の広い世界を求めて窓を開ければ羽ばたいて行ってしまいそうだった。
だからこそ俺は、エリシアをここに縛り付けておきたかった。
あいつらを除き誰も入り込めないここなら、誰もエリシアに触れられず、誰の目にも留まることはない。
俺だけが触れることができて、俺だけが見ることができる。
「首都に美味しいアップルパイのお店が出来たんだって。一緒に行こうよ?」
本当に一緒に行くつもりなのか。
また俺から、逃げるつもりなんじゃないのか。
防御魔法で簡単に居場所を特定できるからといって、離れようとするエリシアを見ているのは耐え難かった。
エリシアが窓を開けるだけでどこかへ行ってしまうのではないかと恐怖に駆られるのに、広い外の世界に放すことはできない。
「はあ……。ねえ、デリック……」
落ち込んだエリシアの声を聞いても、デリックはただしがみつくように抱きしめていることしかできなかった。
分からない。
どうしたらエリシアの心を繋ぎ止められるのか。
エリシアが俺だけを見てくれるようになるのか。
洗脳魔法でも掛ければ俺だけに夢中にさせることもできる。でもそれはしたくない。
他でもないエリシア相手だから。
だが…。
「デリック、もう言わないから機嫌直して」
頭を撫でる小さな手の感触が心地良い。気を抜くと眠ってしまいそうだった。
「エリシア…」
どうやったらエリシアの中心に俺が立てるのだろうか。
離れたくないと懇願するほど必要とされるのだろうか。
♢♢♢
首都の外れにある森の中には、魔塔に所属する魔導士しかその地を踏むことのできない場所がある。
その中心にあるのが、大陸の多くの魔導士が所属する中立機構、魔塔だ。
「まさか神の咆哮が彼の魔力暴走によるものだったとは。このことが世に知られれば、魔塔は反逆を企てていると受け取られかねませんぞ」
「既に街では疑惑が浮上しているようですからな」
「あのように目立つところで力を露呈させてしまうとは、後継者としての自覚が足りないにも程があります」
「やはりまだ後継者の選定には早かったのではありませんか」
同じ魔塔に属する魔導士たちとはいえ、全員がデリックの味方をするわけもない。
寧ろ新星の如く突如現れたデリックを用心深く疑う者や、後継の座を狙っていたために疎ましく思う者の方が大半だった。
もちろん、デリックが積極的に周囲と打ち解けようとしたり、功績を残せば認められやすくもなるのだろうが、部屋に篭ってばかりのデリックは理想とは正反対の位置にいた。
「だいたいいくら魔塔主に年は関係ないとはいえ、まだ十七という若造で世間の常識にも疎く、学園でも授業はほとんど欠席で何も学ぶ気がなく、更には協調性の無さが如実に現れていると聞いていますよ」
「入学早々バルティーナ貴族の子息たちに暴力沙汰を起こした時も、彼が今後改心すると言うから我々は引き下がったんです。それから二年も経つというのにこの有様では、我々も黙ってはいられません」
改心するというのはお前らが言わせたんだろうが。
黙っていられないなら減らず口叩いてないでかかって来れば良い。
どうせまとめて来たところで相手にもならない。
そう言い返してやっても良かったのだが、日頃常々「他の魔導士たちに何を言われても言い返したり反抗的な態度を見せてはならんぞ」と口を酸っぱくして言われているため、腕を組んで堪えた。
「まあまあ。街で流布しているのは噂程度のものですし、彼もまだ未成年者ですから。そのようにあまり追い詰めず、大目に見ましょう」
仲を取り持つような発言をしたのは、代々優秀な魔導士を輩出する名門貴族、グロスター公爵家の当主シモンだった。
ぬるい発言とは異なり、その瞳は鋭くカーライルを見据える。
「ですが…これまでご存じでありながら隠されてこられたのでは、多くの魔導士より不信感を抱かれます。
せめて会議に出席する我々くらいには、予め周知させておくべきだったのではないでしょうか」
デリックを擁護しているようで、カーライルの対応を批判している。
カーライルはその目から視線を逸らすことはなかったが、痺れを切らした魔導士たちが嘆息したことで、ようやく口を開いた。
「皆の意見は分かった。
次があれば、後継の座はないと約束しよう」
「ほう…?」
「そのお言葉、信じてもよろしいのですな」
カーライルは首を縦に振る。
当の本人には何も言わせずに勝手に進んでいく議会を見ていると、デリックは腹の底から溜息が零れた。
「勝手に後継者だと言って連れてきて、今度は勝手に放り出すのか」
二人きりになった魔塔主の執務室で、デリックは窓辺に膝を立てて外を眺めた。
鬱蒼と生い茂る森の景色は何ら変わることもない。
「来ると決めたのはお前でもある。
じゃがお前は過去を振り返ってばかりで、新しいこの地に馴染み未来を向こうなど微塵も努力しなかった。
その結果が返ってきたに過ぎない」
「…意味分かんねえ」
もう全てが面倒だった。
いっそのこと魔塔をぶっ壊してエストランテも滅ぼして、エリシアと遠い地で暮らすか。
それでも邪魔する者がいるのなら、排除すれば良い。
「エリシアはとっくに前を向いて、今を生きておる」
デリックはカーライルの方を見れなかった。
その現実と、向き合うのが怖かった。
「お前だけじゃ。みっともなく過去に縋っているのは」
どこかで、分かっていたことだった。
エリシアは暗殺しようとした事実を知られて嫌われることを恐れ、俺に会いに来ようとはしなかった。
自分は死んだことになっているのに訂正することなく、ただのエリシアとして静かに暮らす選択をしていた。
そんな人間が、俺と生きる道を選ぶだろうか。
八年間誰とも深く関わることもなく、衣食住を与えられることもなく、一人で暗殺者を交わしながら生きてきた俺にとっては、たったふた月でもエリシアと過ごした時間はかけがえのないものだった。
初めて好意的に接しられた。
初めて人の体温を感じた。
初めて人に抱きしめられた。
俺にとっては、エリシアは唯一で、特別だ。
でも大勢の人間と関わってきたエリシアにとって、俺はその中の一人でしかない。
だから簡単に「もう夜だから帰りたい」と言うし、「たまには外に出たいなあ…?」と言って俺から逃げようとする。
その度に俺は、俺の思いとエリシアの思いの差をひしひしと実感させられ、エリシアを、世界を、ぶっ壊したくなる衝動に駆られる。
大事にしたい、愛おしいと思う反面、俺が一番でないことに、愛されていないことに、無性に腹が立つ。
影を帯びた目を伏せたデリックに、カーライルはそれ以上追求しなかった。
♢♢♢
気付けば移動魔法でエリシアを部屋に呼び寄せていた。
「……エリシア」
その名前を呼び、抱きしめると、エリシアの香りが胸いっぱいに広がり、柔らかな肌の感触に癒された。
しかしエリシアは俺に、残酷な質問をする。
「…ねえ、デリック」
「なに」
「…いつもちゃんと眠れてる?」
分かりきっているはずなのに、まるで他人事のようだった。
俺が、エリシアなしに眠れていたと思うのか。
エリシアと出会い共に昼寝をするようになるまでは、日が暮れても眠りに就けなかったのに。
エリシアが死んだと思ってからずっと、悪夢ばかりを見せられ、何度も後を追うこと考えたのに。
「……そう見えるか?」
そんなわけないだろ。
そう心の中で思っていたため威圧的な態度なっていたようだ。
「…ごめんなさい」
驚いたエリシアは青く澄んだ瞳を揺らし、サッと視線を逸らす。
「ただ、もう…睡眠薬は、使わないでほしいの」
道理でエリシアが薬を凝視していたわけだ。
「毒性があるんでしょ?」
まるで俺を案ずるような言葉。
悲しげな顔が嘘ではないと物語っていたが、それがただの旧友に対する心配なのだと分かっていれば尚更に辛かった。
「…危険な薬だって…」
俺とエリシアが互いに思う気持ちは別物だ。
エリシアは例え俺でなくとも同じようにそいつを心配しただろうし、こんな夜更けにベッドで抱きしめられながらもキラキラとした瞳で見上げてくるんだろう。
「死んでも良いと思ってたから使ってただけだ」
「そんなこと…言わないでよ…」
それはこっちの台詞だ。
死んで欲しくないなら。
まともに眠ってほしいのなら。
何で昔のようにずっと一緒にいてくれないんだ。
俺だけを優先して、一番に想ってくれないんだ。
世界で一番手に入れたい人。
この世界で唯一、欲しい人。
せっかくこの腕に抱きしめていても、どこか、エリシアが遠く感じる。
「……エリシアは、俺がいなくても幸せに過ごしてたから分からねえんだろうけど」
卑屈になっているのは自分でも分かっていた。
愛おしさよりも膨れ上がった憎悪が、理性に襲い掛かった。
「俺にとって、あの日々は特別だった。
忘れられなくて、エリシアを追って死んでも良いと思うほどに」
エリシアの澄んだ青色の瞳が潤む。
わなわなと震える口から吐息が零れた。
「…私も、デリックと過ごした時を忘れたことはないよ」
エリシアが俺を想う気持ちなんて、俺がエリシアを想う気持ちの半分にも満たないんだろう。
何を言われても満たされない心が、それ以上の言葉を聞きたくないと叫んでいた。
「…俺から逃げようとしたくせに」
「それはっ…。…暗殺のことで嫌われるのが、怖かったから…」
「それでも俺は会いたかった。
ずっとずっと、エリシアに会いたかった」
エリシアは申し訳なさそうに口を噤んだ。
結局、エリシアは核心に触れそうになると俺を拒絶する。
自分にその気持ちがないからか、それを俺に伝えて悲しませないためか。
嘘でもその口から愛などという言葉は出てこない。
それに付け込むようにきつく抱きしめるとベッドが深く沈み込んだ。
「… 中途半端に心配だけするなよ…」
それは自分で思うより悲しげな声色だった。




