4-2
「カーライル様…!」
エリシアは廊下に出たカーライルを呼び止める。
けれどそれは、何か理由があったからじゃない。
何となく、このままでは引き返せなくなってしまいそうな、得体の知れない恐怖に迫られての行動だった。
「あの…」
引き留めたはいいものの、何を言おう…。
呼び止めておきながら逡巡するエリシアに、カーライルは先に口を開いた。
「…儂は慈悲のない人間なんじゃ」
エリシアの頭にぽんと手が乗り、少し乱暴に撫でられる。
「そんなことありませんよ。
カーライル様は見ず知らずの私のことを助けてくださったではないですか」
眩しげに目を細めたカーライルが短く息を吐く。
「だが、君が前を向こうとしているのを知っておりながら、過去に囚われたままのあやつを救ってほしいと思っておる」
「…私に、ですか?」
「エリシアにしかできぬことよ。
家族にも見捨てられ、ずっと一人だった彼の、唯一の味方だった君にしか」
ああ、そうか。
今のデリックの性格は幼少期に形成されたもの。
父に捨てられ、家臣たちにも恐れられ、誰一人彼を心配したり、助けようとはしなかった。
「他人と関わってこなかったあの子は、他者を思いやる心を知らない。
知っているのは唯一、君の優しさだけなんじゃ」
初めて出会った時、デリックは世界を憎んでいるようだった。
子どもである私でさえ警戒し、絶対に近づこうとしなかった。
それは、同じように存在を疎まれ、避けられていたから。
そんな彼が世界を案ずるわけがない。
「連れて来たのは私なのに申し訳が立たぬな。
だがバルティーナでの保護者として、魔塔主として、危険分子であるあの子をあのまま放っておくわけにはいかぬ。
あの力は、世界の命運をも左右する力を持っておるのじゃから」
“危険分子”…。
『…お前の魔力は強すぎる。負の感情が世界を破滅するほどの絶望を呼び寄せるんじゃ』
『だから?』
あんな反抗的な態度なら、そう思われても仕方ない。
「…でも、どうしたら…」
「今のあの子の世界にはとても狭く、エリシアしか見えていない。
だから、彼に世界の広さを教えてやってくれないか」
抽象的な話にエリシアが考え込んでいると、カーライルが光となって消えて行く。
「またなエリシア」
エリシアはその言葉と共に一人残された。
♢♢♢
その日は珍しくデボラ夫人のいる自宅で目が覚めた。
「あら、今日はいたのね」
「そのようですね」
毎朝誘拐されている身としては、気付いたらデリックに抱きしめられているので他人事のようになってしまう。
「今日は月に一度の魔導士会議の日だからね…」
「魔導士会議ですか?」
「魔塔の上層部が集まるのよ。後継者であっても参加必須なの」
久しぶりに自分で作った朝食をデボラ夫人と食べながら、面と向かってゆっくり話す長閑な時間に懐かしさを覚えていた。
「デリックも大人しく従うことがあるんですね」
ぼつりと零した言葉にデボラが目を瞬かせているため、エリシアは慌てて手を振って否定した。
「あ、違うんですよ。
魔塔の後継者を侮辱しているとかではなく…!
ただ、デリックは独断で自分の好きなようにするイメージがあって…。魔塔主のカーライル様への態度も、少々…度を越しているのではと思うことがありまして」
デボラの旦那であるカーライルにとって、デリックは大事な後継者。
そう思って気を遣ったが、デボラはやがて裏表のない笑い声を上げた。
「気なんて遣わないで良いわよ。私は後継者のこと認めてないんだから」
「えっ!?」
まさかそんなことを言われるとは思わず、エリシアは食事の手を止めた。
「確かにあの子は優秀だし、バルティーナの歴史を振り返っても類を見ないほどの魔力の持ち主でもある。
けれど、魔塔主として魔塔を治めるために一番大事なものが欠けているわ」
目を伏せたデボラの瞳は仄かに薄暗い。
「…何ですか?」
「……“心”よ」
『他人と関わってこなかったあの子は、他者を思いやる心を知らない。
知っているのは唯一、君の優しさだけなんだ』
「…カーライル様も、似たようなことを仰っていました」
デリックはいつも許可を得る前に私を連れ出して、「帰りたい」と言っても「嫌だ」の一点張りで、自分の腕の中に閉じ込めてしまう。
お手洗いのために離れることさえ嫌がり、毎晩私が帰るのがどれだけ心苦しいことか。
何を言っても聞く気はなく、せっかくギルバートさんやターナーさんが来てくれても見向きもしない。
「あの子の境遇は理解している。歪んでしまうのも仕方がないことだとは思う。
だけど魔塔主となるなら話は変わってくる。
魔塔はどの国にも属さない中立機構。統べる者も公平な観点から見れる者でなければならないわ」
まるで何かを思い出したように、デボラは憂いを帯びた瞳を瞼の奥に隠す。
デボラの言葉を思い返しながら、エリシアは一番近くの街までの道を歩いた。
主人公であるヒロインは攻略対象者の力を借りながら、学園内で起こる小さなイベントを一つ一つクリアしていく。
そうして訪れる最終イベントで神の咆哮と呼ばれる自然災害が起こり、王国存亡の危機が訪れた。
けれど主人公と攻略対象者は神の咆哮を鎮め、国の危機を救い、二人はめでたく結ばれる内容だったはず。
ベンジャミン王太子ルートだった私も、朧げながら一緒に神の咆哮を鎮めたシーンは覚えている。
だから攻略対象者のデリックが関与していたのであれば、流石に覚えているはずなんだけど。
といっても、他ゲームと同時進行だったためクリアしたかどうかさえ曖昧で、ラストがどうなったのかは覚えていない。
でも、ゲームでは明かされず、神の咆哮がデリックによって引き起こされたものなのだとしたら…?
主人公が入学して一年後の進級に合わせて、エストランテの王立学院で神の咆哮が起こるということ…。
そもそも、どうしてデリックは神の咆哮を起こしたのだろう。
デリックルートでは主人公と関わることで次第に心を開き、優しくなっていくはず…。
あれ、でも、ベンジャミン王太子のルートではどうだったっけ…?
攻略対象者を決めるまでは言葉を交わしたこともあったけど、ルートを決めてからはほとんど関わりもなかったような…。
それで心が荒んだまま、何かをきっかけに神の咆哮を引き起こしたとか…?
でもゲームで王立学院に通っていたデリックは、今や国を越えてバルティーナにいるし、通っているのは魔法学園。
このままなら問題はなさそうに見える。
……またエストランテの王の使者が来なければ、だけど。
それに…。
『彼に世界の広さを教えてほしい』
『魔塔主として魔塔を治めるために一番大事なものが抜けている』
根本的な要因として、デリックが優しい心を持たなければ、またどこかで神の咆哮が起こるかもしれない。
「エリシアじゃないか。最近見なかったけど、体調でも悪かったの?」
「ほんとだー、エリシアだ!」
声を掛けてきたのは行きつけの薬屋の女店主と、その娘だった。
「あ…少し忙しくて。
いつものお薬をお願いします」
「あの魔法学園で働いてんだもんねー。暇なわけないか」
誤魔化すように薬を頼むと、少女がたったったっと走って奥に行き、その勢いのまま戻ってきた。
「はい、どうぞ」
「ありがとう、リリーちゃん」
「えへへ」
いい子いい子と頭を撫でると誇らしげに得意げになっている。その姿もまた愛らしくて、エリシアはにこにこと口角が上がっていた。
「そういえば、この前首都で神の咆哮があったんだけど、そこの花屋の娘さんがたまたま首都に遊びに出ててね」
「っ…怪我は、なかったのですか?」
「幸いね〜。でも、どうやら魔法学園で起こったらしいよ。それで、もしかして神の咆哮は魔法によって作られたものなんじゃないかって、みんな噂してるのさ」
「っ……!!」
こんな田舎の片隅にまでもう噂が広まっているなんて。
「でもそしたら戦争ものだからね。ほら、覚えてるかい?何年か前のエストランテ王国の神の咆哮。
魔法学園なら当然魔塔が関与しているはずさ」
魔導士は魔法学園を卒業することでその称号を得ることができる。その中でも、優れた魔導士が魔塔に所属することを許されるそう。
魔塔側は優秀な魔導士を育て引き抜きたいし、生徒側も魔塔に所属できれば家門や一族の誇りとなる。それがなくとも、卒業さえできればどんな仕事にも優遇されると聞く。
そのため魔力を持つ者は皆魔法学園を目指し、中立機構の魔塔ではあるが、魔法学園とは深い結びつきがあった。
今度こそエリシアは絶句した。
限りなく真相に近い噂話。けれどそれは国家や魔塔といった規模の大きな話になってきている。
まるで、中立の魔塔がエストランテ王国に奇襲を掛けたかのように。
「…エリシア、大丈夫かい?顔色が悪いようだけど」
「…だ、大丈夫です。お薬をいただいたので、私はこれで───」
そう言って後ろを振り向こうとして、大きな瓶に入った青い粒の薬が目に入る。
あれは……、デリックの部屋で見た薬。
「この薬って…」
「ん?ああダメだよこれは!
睡眠薬だけど毒性があるから。その分依存性も強くて、長期服用で死をもたらすよ」
「……………死…?」
え、じゃあ、デリックがあの部屋に置いてた、瓶いっぱいの薬は…?
あんな量を服用したら……。
人物紹介
◆デボラ・フィンドレー
旧姓リンデン。リンデン家の嫡女。
【肩書き】魔塔主カーライルの妻。
【人物】カーライルが連れて来たエリシアと共に首都外れの街で暮らす。足が悪く普段は車椅子だが、それさえ風魔法で一人で動かせる上、家のことは大抵魔法を使えば自分でできる。
現役は引退したが魔導士だったためその界隈の友人も多く、表舞台に姿を現すことは滅多にないが、情報だけは全て握っている魔塔の重鎮と言われている。
【好き】読書、エリシア




