3-1
痛いほどに抱きしめてきた腕が緩むと、ようやくその顔を目にすることができた。
シャープな顎のラインに、鼻はすらりと高く、形の良い眉は弱々しく下がり、薄い唇は震えていた。
ブルーヴァイオレットの髪は短く切り揃えられ、その下の美しい顔立ちは涼やかを通り越して淡白そうな印象だった。
けれど髪に隠れていた煌めく黄金の瞳が現れ、その印象は一変した。かつてエリシアには優しかった目は、深い悲しみの色に染まっていた。
記憶の中よりもずっと大人びていて、ゲームで眺めていたイラストなんかとは比べ物にならない。
あの頃はエリシアよりも低かった背は、見上げないと顔が見えないほどに高くなっていた。
栄養バランスが偏っていた森での生活が信じられないほどに、肌も髪も艶があり、けれど細身なところはそのまま。
気が抜けたようにデリックが柔らかく微笑むと、その破壊力にエリシアの心臓は鼓動を速めた。
「…エリシア」
しかしその笑顔は次第に崩れていく。
眉根を寄せたデリックの目から、ポロポロと宝石のような涙が溢れ始めた。
「エリシアっ……」
すがるように、甘えるように。
固く抱きしめられたエリシアの肩に、デリックは顔を埋めた。
ああ、会ってしまった。
忘れようとしたのに。
もうこんな苦しい思いはしたくないのに。
包み込む温もりの優しさに、エリシアも涙が浮かんだ。
「……殿下……」
「…名前…っ、呼んでくれないか……」
鼻を啜りながら震える声で言われてしまったら、エリシアは嫌だとは言えなかった。
「……デリック……王子殿下」
「……敬称はいらないから」
「…デリック…」
「もっとっ…」
抱きしめようかと腕を上げる。
「………デリック…。ごめんなさい、私───」
貴方を殺そうとしたの。
裏切っていたの。
本当にごめんなさい。
そう謝ろうとした瞬間、裏道にいたはずのエリシアたちはどこかの屋根の上に腰掛けていた。
「…………え?」
底から吹いてくる風に、エリシアは身を震わせる。
え、何階建て?
六階くらい?
これ落ちたら死ぬよね………?
浮かんでいた涙も引っ込むほどの恐怖だった。
立っていたはずなのに、二人とも屋根に腰掛けていて。横からエリシアを抱きしめていたデリックが、やがて顔を上げる。
目を真っ赤にさせて、悲しそうにしていた。
ああ、猫か犬だ。
ご主人様捨てないでのやつ………。
そう悟ったエリシアは、そっと腕を伸ばしデリックの頭を撫でた。
傷んでいた髪はすっかり艶ができ、ブルーバイオレットの髪は街の明かりで夜闇の中でも綺麗だった。
デリックはそっと瞼を下ろす。
あの日々のようで、そうじゃない。
愛らしかった寝顔に微笑むなんてことはもうできず、端正な顔立ちに色っぽさを感じてドキドキしていた。
「……ずっと、死んだと思ってた」
「…はい」
「生きてるなら、どうして手紙の一つでもくれなかったんだよ」
「…そう、ですよね。ごめん、なさい。本当に…」
何だこの男女逆転の泥沼劇のような会話は。
エリシアが頭を撫でるのをやめると、エリシアの指にデリックの指が絡む。
「畏まるな。俺はエリシアの本音が聞きたい」
あの頃は私より小さな手だったのに、今では私より大きくて、ゴツゴツと骨張っていた。
「…でも、すげー嬉しかった。エリシアが生きてて」
それまでデリックをちゃんと見れなかったエリシアは、その言葉で初めて顔を上げることができた。
「あの日、エリシアを家に帰したことをずっと後悔してた」
黄金の瞳が切なげに揺れる。
その目を見ているエリシアまで心苦しかった。
「……私のこと、恨んでないの…ですか?」
「もうそういう言葉遣いは良い」
「でも……」
心の中でデリック呼びだったとはいえ、王子殿下なのに…。
「…何で俺がエリシアを恨むと思うんだ」
あのことを言うべきか、躊躇ってしまう。
けれど、この後ろめたさをいつまでも引きずるくらいなら、いっそのこと、白状して嫌われてしまいたい。
「…実は…、私、デリックを殺すために森に通ってたの」
「知ってた」
あっけらかんとした返事にエリシアは拍子抜けした。
「でも…エリシアは俺を殺さなかった」
デリックはエリシアを優しい眼差しで見つめた。
その甘さがなんだかくすぐったくて、エリシアは目を逸らした。
人なんてそんな簡単に殺せるはずがない。
ましてや、大事に思ってしまったら尚更…。
「エリシアの方こそ、俺のこと恨んでないのか。
俺のせいで、馬車ごと川に…」
「ううん、デリックのせいじゃないよ。
それに、結果的に生き延びたから」
これだけは本当に、あの国王のせいだ。
会ったらぶん殴ってやりたい。
…できないけど。
「…俺が、怖いか?」
おずおずと問いかけるデリックを、エリシアは可愛いと思ってしまった。
あんなに気にしてない様子だったのに、そんな事を聞いてくるなんて…。
「怖くないよ」
その言葉で肩の荷が降りたように、デリックの雰囲気が柔らかくなる。
ドンッと胸に響くような音が響く。
「わあ、花火…!」
この世界で初めて見る花火だった。
夜空に浮かぶ、色とりどりの景色。魔法だからかハートや花柄など形が様々で、色も複数色使えるようだった。
こうして二人で空を見ていると、あの頃に戻ったようで。
胸が満たされていくのに、どこか切ないような気もしていた。
「…綺麗だね…」
「…うん」
そう返事をしておきながら、デリックはエリシアばかりをじっと見つめていた。
「…デリック、折角の花火なのにどうして見ないの?」
エリシアが不満げに尋ねると、デリックはエリシアを見つめながら微笑んだ。
「せっかく会えたエリシアを目に焼き付けておこうと思って」
まさかそんなことを言われるとは思わず、エリシアは頬が熱くなるのを感じた。
それを見て、デリックはさらに笑みを深める。
強風が吹いてきてエリシアが身を震わせると、デリックは軽々とエリシアを抱き上げた。
「っ!?」
デリックはあぐらをかいたそこにエリシアを横抱きにする。けれどデリックが支える腕の力を抜いていくので、落ちるかとひやひやしながらエリシアはデリックに抱き付いていた。
「えっ、怖いよ、ここ…」
抱きつかれたデリックは満足げに微笑んでいる。
いやいや、怖いって。
そして何故か深々と溜息を吐いたデリックは、エリシアをきつく抱きしめた。
これはこれで、痛い……。
「そんな風に見つめられると、連れ帰りたくなるな」
「それは困るよ…」
エリシアの返事が気に食わなかったデリックは、ゆっくりとエリシアを解放した。
「……デリック?」
しかしその表情は冷たく、静かな怒りをたたえていた。
え……?
次の瞬間、二人の足元に魔法陣が広がった。
戸惑っているエリシアを置いて、デリックが手のひらをエリシアに向けると光を放つ。
「えっ、ちょ、待って!何これ!」
魔法を掛けられていることだけは分かったが、それが何の魔法なのかまではさっぱりだった。
「デリックやめて!何をするつもりなの!?」
広くなった両肩を掴むと、逆に手首を掴まれ、頭上で一つにまとめられる。
向けられていた手のひらから光が消えると、今度はデリックの瞳が輝いた。
その瞳の魔法陣を見た途端、それまでの焦りが嘘のように吹き飛び、何も考えられなくなった。
…綺麗……。
まるで囚われたように動けなかった。
何も考えられず、身動きひとつ取れず、デリックの瞳にただただ魅入られた。
ひときわ輝いた魔法陣が、足元から上がってくる。二人の頭上まで潜り抜けると、その光はやがて消え去った。
瞳から魔法陣が消えるとエリシアはようやく解放されたように意識が戻ってくる。
何故か体は長距離を駆け抜けたかのように重く、気怠かった。
「い、今、何を……?」
力が入らずデリックに倒れかかったエリシアを受け止めて、デリックは余裕そうに微笑んでいた。
「………防御魔法だ。エリシアを守るためのな」
そんなものはいらないと言っても、もう遅い。
再び花火が上がると、金色の瞳がキラキラと輝き、ブルーヴァイオレットの髪が花火の色に染まった。
「っ……」
抱きしめられた胸元から覗き見たエリシアは、あまりの眩さに真っ赤な顔を逸らす。
そんなエリシアにデリックは吐息で笑うと、花火が終わるまで一層強く抱きしめて離さなかった。
ムフフですね。笑




