イチモツについて
「なるほど。つまりは、だ。ビリー、おめーは完全で完璧なマネをすれば、このカサギの強さを身に付けられると、そう考えたわけだ」
「マネなんつー浅知恵とはちげーぜ。憑依、成りきるんだ」
「ケッ、どの辺りがこのカサギに寄せられているのやら……」
「ハンッ、それはこのカサギ……このビリーの心の在り様が、だ」
「ハンッ、こんな短時間でボロが出るようじゃあダメだろーに」
「ケッ、一部分を切り取って批判するたぁな。おめーの器も知れたもんだなァ、えぇ?」
「ハンッ」
「ケッ」
「ハンッ」「ケッ」
「ハンッ」「ケッ」「ハンッ」「ケッ」
「ハンッ」「ケッ」「ハンッ」「ケッ」「ハンッ」「ケッ」
「ハンッケッ」「ハンッケッ」「ハンッケッ」「ハンッケッ」
「ハンケッハンケッハンケッハンケッハンケッハンケッハンケッ」
「ハンケッハンッケッハンケッハンッケッハンケッハンッケッハンケッ」
「ハンッケッハンッケッアッハーンッケッケッハンッケッハンッケッハンッケッ」
「ハンッケッハンッケッハンッケッハンッケッハンッケッハンッケッハンッケッ」
「いやぁーーーっ! ……はぁ、はぁ…。……?」
ボロ屋の二階。
ぴたりと重なった『振り子ゴーレム時計』の針たちがズレていき、また一時間とちょっとの仲たがいを始めた12時2分、ソファーの上でキーセラが飛び起きた。
バクバクと鳴らす鼓動と荒い呼吸をそのままに、辺りへ視線を巡らせて……しばしの間そうしていた彼女だが、体に走る緊張が悪夢によるものだと分かると、目に見えて安堵した様子を見せた。
夢でよかった。
まるでカサギが二人になったかのような……あんな地獄があってはならない。
目に毒、鼻腔に炭酸、外耳炎にワサビ。
もし仮にそんな劇物と出くわそうものなら、キーセラは失神してしまうだろう。
「さぁ、頭を切り替えましょう」
どこからが夢だったのだろうか、あぁそうだ、壊れたノッカーの板金が額に刺さった所からに違いない……と、そう考えを巡らせるキーセラの背後から「よォ起きたか?」声が響いた。
そしてそれに返そうとして振り向いた先、ソファーの背もたれに顔を乗せ、キーセラを覗き込んでいるのは……、
「おはようさん」
「……ッ!」
ビリーだった。
しかもかなりの至近距離からジロジロとキーセラの体を眺めている。
「目をひん剥くたぁ変わったご挨拶なこったぜ。まぁ寝起きにこのカサギの顔を間近に見たんじゃあ、平静でいられなくってもトーゼン、だ」
「……このカサギ?」
「おうとも」
悟られぬよう視線を動かさず右手を動かし杖を探し当てようとするキーセラ。
ビリーの瞳の中に、また「狂信者」と近しい物を見出したのだ。
「……あなたがカサギならビリーさんはどちらに?」
「ぁったく、まるで覚えてないらしいや。ほれ、あれだぜ」
顎でクイと指した部屋の隅には猿ぐつわを付けられ、床に転がされたカサギの姿があった。
「あいつ、なんだって自分のことをこのカサギだと思い込んでんだか……。キーセラ、おめーまでもそんなことを言い出すもんだからとりあえず気絶させたんだが……」
呆れたように肩を竦めるビリーを見て、キーセラはそこで気絶するまでの顛末を思い出した。
『よォビリー。何のつもりか知らねーが、その腹の立つ喋り方は止めた方がいいぜ』
『こ、この男どこまで……』
キーセラの肩からひょいと顔を出したカサギが無神経な指摘をした直後……ビリーの顔から表情が消えた。
急に喋り出して虚を衝かれたとか、発言の内容に失望したとか、そんな類のものではない。
『……?』
上手く認識できずにいる。
罪悪感から解放されたはずのビリーは、その強い抑圧の反動で狂ってしまった。
そして今、一見平常でいるのは彼にとっての強さの象徴であるカサギになりきっているから。
カサギの存在は正に心の支え……だが、そのために却ってカサギを受け入れがたい。
生物と言うのは自分の命が無条件に与えられていると信じたがるものだ。
中でも安全な生活を送っている人類種、食物への感謝や寝床があることの幸せを真に噛みしめている者はほとんどいない。
そして、生物は自分の信じたい物を否定する何かを――マナシィがプエリーシアにしたように――排除しようとする。
『誰だ……そいつは』
低い声で呟き……、
『誰だって聞いてんだよォォォォッ!』
『え、ちょっ……』
『えおわッ』
ビリーは自分の心を脅かすものを排除すべく、カサギへと飛びかかった。
それはもう死に物狂いで。
……と。
そこまで考えて、キーセラは自分の喉に違和感があることに気づき、ハッとした。
なぜ自分が気絶していたのか。
……ビリーを止めようとして、首を絞め落とされたのだった。
「……」
「……? どうしたキーセラ」
咄嗟に背もたれを蹴ってソファーから飛びずさり、距離を取ったキーセラ。
床に尻もちをついたまま杖を向ける、その青い目は警戒で染まっていた。
「……それ以上近づかないでください」
「なぜこの俺から逃げるんだァ? 仲間じゃあないか」
「…今のが『なぜ』ではなく、『なんだって』なら少し考えたかもしれませんが……」
「なんだと……?」
当然キーセラも姿を誤認させる魔法の類を疑ったが、そうではない。
言葉遣いがまだまだカサギに成り切れてないのもそうだが……とキーセラは部屋の隅に視線を巡らせた。
そこでは本物のカサギが呑気にも鼻くそをほじっている。
いや……あの真剣な表情からすると、もしかしたら猿ぐつわで口呼吸が封じられた為に、気道を確保すべく行われている、決死の鼻くそほじりなのかもしれない。
布切れ一つでここまで行動を制限される勇者がかつて存在しただろうか……。
何にせよ、あの貧弱さはカサギでまず間違いない……こんな形で勇者を判別したくも無かったが、キーセラはそう結論付けて再びビリーに向き直った。
「ぁったく、しょーがないヤローだぜ。気が動転してるのならまた……」
「それに……」
不穏なことを言いながら立ち上がろうとするビリーに、一足先に立ち上がったキーセラが杖を差し向けて牽制する。
「カサギは私を絞め落としたりはしませんよ……多分」
自分で言っておいて不安になったのか、言葉尻を曖昧さにして口を噤んだキーセラに「困るぜ」と、今度こそカサギの声が聞こえた。
「そこはおめーがビシッと言ってくれなくっちゃあいけねー所だろうに」
見ればそこでは、右鼻からたらたらと血を流している――鼻をほじる力加減を制御できなかったのだろう――カサギが寝転がったまま退屈そうにこちらを見ている。
鼻をほじって気道を確保しなくとも猿ぐつわを外せばいいことに気づいたらしい。
「ッ! クソっ、貧弱そうだからとテキトーに縛り付けたのがいけなかったか……」
「ハンッ、もはや俺の口調ですらない。それになんつーか、あれだ。足りてないんじゃあねーのか? 気品っつースパイスがよーォ」
「カサギの口調に、気品……?」
首を捻るキーセラはさておいて、カサギが考えを巡らせていく。
――この3日で異変が起きたとするなら、それは上辺だけの変化。根っこの部分っつーのは案外変われないもんだ。
「よォビリー。おめーが訓練に出てないのは謹慎……休暇っつーことでいいのか?」
「俺はカサギだと何度言えば……まぁ班長に休みを貰ったとこだぜ、二週間。体がなまっていけねーや」
ビリーから知りたい事を聞き出したカサギが「よォーし、いいだろう」口を開いた……思わずキーセラが「うわぁ…」と声に出してしまったほどの、それはそれはいや~な笑みを浮かべて。
「ギンロジだけをどうにかするつもりだったが……丁度いい。ビリーもひっくるめて一家丸ごと立て直し計画と行こうじゃあねーか。ククッ、腕が鳴るぜ」
その表情に不安を煽られたのか、ビリーが始めは低く唸るように、それから段々ボルテージを上げ……
「……ごちゃごちゃごちゃごちゃと! よく分からないことを言うんじゃない! 二人とも締め上げてやる!」
またしてもカサギへ飛びかかった。
肉体こそ訓練をサボっている訓練生だが、ビリーの魂は既に記憶を取り戻し、かつての未来で身に付けた技術を我が物としている……はずなのだが、その突撃は酷くお粗末な物だった。
「ぼく……俺が! 俺こそがカサギなんだ! それ以外は認めないぞ!」
きっとストレス障害の延長で覚醒状態に陥り、碌に睡眠をとれていないのだろう。
かっ開いたたままほとんど瞬きをしていない瞳は血走り、元々ふっくらしていた顔は更にむくんだ上で乾燥して白くひび割れている。
その形相はまるで悪魔が憑り付いたかのようで……こうも取り乱しては技術などもう頭に無さそうだ。
「お前がビリーで、僕がカサギだってことを思い出させてやるぅぅぅぅ!」
「そりゃあこっちの台詞だッ! うォォォォッ! キーセラ! こいつの目を醒ましてやれ!」
カサギに覆いかぶさったビリーが拳を振り下ろす直前、キーセラが「はいはい」と相槌を返しながら、杖で思い切り天井を――ドスン、と突いた。
すると、腐った板がミシミシと音を立てて……、
「いい判断、だ。流石このカサギのやり方を常日頃から見ているだけのことはある」
「……もうなんだっていいですけど、立て直し計画とやらで何とかしてくださいよ? このままじゃあんまりですから」
壊れた。
「な、なんだ!!?」
それは一点の破壊に留まらない。
屋根裏部屋に置かれた荷物たちと、何日もの間雨漏りしたまま放置された水が穴を押し広げ、
「か、カサギ、思ったよりも崩れそうな予感がしませんか……?」
「「あぁ、確かにマズいって感じだ……カサギは俺だッ!!」」
部屋を吹き抜けにするほどの勢いで天井がぱっかり開き、巨大な木製の何かがそこを滑り落ちてきて……、
「「うぉぉぉぉぉッ! 死ぬぅぅぅぅ!!」」
…………。
………。
……。
ガラゴロとそこかしこから鳴る落下音と土埃が部屋に満ちてからしばしの時が経ち……水滴のしたたる音がやけにハッキリ聞こえるようになった頃。
「うがァァッ!」
大量の木片で出来た山の一部が吹っ飛んで、そこからカサギのか細い脚が飛び出した。
まだほんの少し薄緑の靄が取り巻いているのは身体強化をした残滓だろうか。
「前に天井ぶっ壊した時はここまではならなかったっつーのによーォ。大体なァ…。お?」
またグチグチと文句を垂れようとしたカサギの両足をむんずと掴む者がいた。
「助かるぜキーセラ、そのままゆっくり引っ張り上げてくれべべべべべべッ!」
深く埋まっていた所を力任せに引っこ抜かれて逆さ吊りにされたそいつ、木片で擦り傷の付いたカサギの、すぐ目の前にあったのは……、
「ほぅ、これはこれは。中々の絶景だと称えておこう。とても43歳のハリたぁ思えないぜ」
「そっちも中々どうして潔くて男らしいじゃないか。ヘタに言い訳されるよりやりやすくて助かるよ」
胸だった。
服が黒のノースリーブであることと、何よりサイズからしてキーセラではない。
つまり音を聞きつけて外から駆けて来た者。
逆さのままのカサギが下に……実際には上に視線を持って行くと、そこには案の定煙草をギリギリと噛みしめているカミラが居た。
ギンロジを縮み上がらせるその怒気を前にしても、カサギは当然怯まない。
「強く持ち上げもせずにこの谷間……誇っていいと思うぜ。スレンダーな腰回りを考慮してもサイズがもう一声あればサイコーだが、それはいいとしよう」
挙句にはまた胸に視線を戻し、品評を続ける始末。
カサギのズボンを握り込みなおしながら、カミラが「一度はっきりさせておこうか」と前置いて喋り出す。
「息子が……ビリーが牢屋にぶち込まれた原因は?」
「俺だ」
「最近ビリーが妙ちくりんな言葉遣いをする原因は?」
「このカサギに違いねーぜ」
「家をぶっ壊したのは?」
「俺のせいだとも言える」
「その上で何かあたしに言う事は?」
「すこぶる良い胸だな」
「よし、いいだろう。相当に死にたいらしい」
「いい゛!?」
カミラが頭をゆらりと後ろに振りかぶったのを見て、さしものカサギも目をひん剥いた。
向き合うように逆さに釣られているこの体勢、カミラが今頭を振り下ろせば、そこにあるのはカサギの股間。
クリーンヒットしようものなら如何ほどの苦痛を味わうことになるか……よしんば痛みが薄いにしても玉がおしゃかになる恐れがある。
「それだけはカンベンだッ! ォオラァッ」
カサギが咄嗟に魔力を込め……腕を振るってズボンの上、腰ひもをちぎり取った。
頭突きの為に仰け反っていたカミラは「おっと」掴んでいたズボンが突然軽くなったせいで布地を握り込んだまま更に大きく仰け反って後ろにふらつき。
その一方でズボンの支えが無くなったカサギは「あぐ…」頭から地面に落ち、かと言って裾に足の先が引っかかったせいで転ぶことも出来ず、つむじで倒立をさせられてるような格好に。
そうなれば必然、そこにあるのはよりガードの弱くなった――ズボンに巻き込まれるようにパンツも半分ほど脱げた――カサギの姿。
倒立を補助するような姿勢でいる為に、カミラにはカサギの急所がよく見えることだろう。
否応なしに汚物を見せつけられた彼女は……、
「……ふっ」
「おいカミラてめー、何を見て笑った」
「小筒」
「大砲の間違いだろーぜ」
「小枝」
「巨木だッ」
「主人の半分」
「………………マジ?」
「昔の話さ」
「筋力が落ちてるからトーゼンだが……こりゃあ凹むぜ」
「ひ、ひくつかせるな……」
尻の穴に力を込めるようにしてピクピクと先端を動かすカサギに、そこで初めてカミラがたじろいだ。
【tips 振り子ゴーレム】
制御用ゴーレム、通常一メートルほど。
破れにくい等時性が特徴。
重りの部分にある窪みに魔石を嵌めることで作動し、主にゼンマイで動く歯車を制御して回転を一定に保つことに使われる。
【tips 歯車ゴーレム】
動力用ゴーレム、魔導都市の粋を集めれば最小1センチまで小型化できる。
魔力効率の良さが特徴。
歯車の中心に嵌めると魔石の魔力を使い切るまで一定のペースで周り続ける。
非常に高価なため一般には流通していないが、産業都市の「工房プラント」で重宝されている。
またこれを使った「ゴーレム腕時計」は振り子での制御が不要なため、軽くて小さくて静かだとして、上流階級の間で話題になっている。




