魔王の災禍を過去に持つ者
ある者は昼休憩に向けて仕事に区切りを付けようと動き出し、またある者は昼休憩で増える人出を狙おうと支度を進めていく……そんな王領都市の昼時前。
「なぁカミラ! 酒があらへんよ! 買っとけって言っといたやないか!」
見舞いに訪れたビリーの家、その奥から響いた声。
……まだ顔も見ていないと言うのにキーセラはもう声の主を嫌いになってしまいそうだった。
「黙りなー! こっちはあんたがこさえた借金取りを相手にしてんのさ!」
大声ながらも「そこまでにしときな」と窘めるように返したカミラ――いつもこれを浴びせられているのだろう――だったが、
「ダぁほ! それは自分の仕事や!」
「……なんだって?」
続く言葉に眉根を寄せた。
「あんた、いい加減にしときな。今ならまだ酒の勢いだってことにしとくよ」
「何があかんのや! 炊事洗濯買い物、家の仕事は女の仕事! はよ酒を買うてこんかい!」
「……」
カミラは頭痛を堪えるように目頭をギュッと抑え、ポケットから新しく出した煙草を『松千鳥の嘴』にシュっとこすりつけて火を付けた。
そいつを一息で吸いきって肺に煙を落とし、怒りをなんとか押さえつけようとしたが……やはり誤魔化しが効かなかったらしい。
最後の理性でキーセラに吹きかけないよう注意して煙を吐き出したあと、
「あんた、表でな」
えらくドスのきいた声で家の中に呼びかけた。
ブチ切れた時はいつもこうなのだろう。
中にいる男は途端に静かになった。
酔いが醒めたらしい。
「聞こえないようならこっちから行ってやろう」
「え、あぁいや……その……」
逆に恐ろしいほど落ち着いた動きですたすたと廊下を歩いていくカミラ、角で曲がって居間らしき場所に消えた彼女は、そうかと思えばすぐに玄関へ戻って来た。
……右手に中年男性の襟首を握り込んで。
「か、カミラ……ちゃうねん、今のは、そや。言葉の弾みっちゅうもんや」
「最初に言っといただろう、黙りな」
引きずられながら縋りつくようにしていた男が、カミラの細腕からは想像も出来ないパワーで以って玄関から放りだされる。
「うあっ……うぐ」
男――ボサボサのチリ毛、タンクトップに短パン姿で、ポッコリした下腹から生活習慣が読み取れる人物――は擦り剝けた肘を見たあと、思い出したかのように震えながら顔を上げた。
当然そこには怒髪天のカミラが居るわけで。
「ギンロジ。あんた、覚悟は出来てんだろうね」
「ひっ」
新しく出した煙草を歯でギリリと噛みしめ、拳を鳴らす彼女の姿はハッキリ言ってヤクザ者のそれだ。
そしてカミラが男――ギンロジに馬乗りになってお仕置きを始める寸前、それを邪魔する男が居た。
誰か、なんてのは愚問だ。
こんな場面に割り込めるのは一人しかいない。
階段を転がり落ちたせいで腰を強かに打ち、動けずにいるカサギである。
「よォ、カミラ。取り込み中のとこ悪いんだが、ビリーに用があって来た。俺たちは借金取りじゃあない」
「……? あぁなるほど、すまないね。ウチへの来客なんて借金取りくらいなもんでさ。どいつも痛めつけて追い返してやったから、てっきり今度は聖徒風の子供と病人で同情でも誘おうって魂胆かと」
「いいってことだ」
二人が話している間に起き上がり「た、助かってん……あないな事はよう言わんとこ……」と胸を撫でおろすギンロジ。
もう怒りが通り過ぎたと思っているらしいが……この一瞬の静寂はカサギが起こす台風の目に入っただけの事。
彼はその男が放った一言でまた嵐に放り込まれることになる。
「ま、カミラはそのオッサンを存分にしばいといてくれ。俺たちは勝手に邪魔するぜ~」
「え……」
「あぁ、そういうことなら勝手に入りな。生憎と五年前から茶は切らしててね」
「構いやしねーさ、歓待なんざ不要。ビリーとは遠い仲じゃあない。キーセラ行くぞ。ビリーの部屋は二階だ」
「だ、大丈夫なんですか、放っておいて……」
カサギが「ハンっ、よく見ろ」と鼻を鳴らし、早速お仕置きを始めたカミラを指差した。
「か、カミラ。ごめんやんか、この通りや」
「最近は週に四回は働きに出るようになった。少しずつでも立ち直ろうとする意志があるんなら、と多少は甘く見ていたが……調子に乗らせてしまったらしいね」
「あ、あれへんよ別に、調子に乗ってなんて……」
「借金はいい。立ち直るのに時間が掛かってもいい。ただし。家事から仕事から、あんたよりよっぽど働いてる私に立てつくんなら話は別さ……。歯ァ食いしばりなぁ!」
「ひーっ。痛い、痛い!」
実際にはカミラの殴打には力が入っていないが、太った体を縮こまらせるギンロジは心の底から怯え、そして反省しているようだった。
――なるほど、出過ぎた真似をしたカサギに私がするのと同じことですね、と内心で結論を出し、二人に背を向けたキーセラ。
その後ろでは、
「も、もう怒って……ないんか?」
「あぁ、今日の所は酔い覚ましに井戸へ突き落として終わりにしとこう」
「ひっ」
ギンロジの腹に腰掛けたカミラが組んだ足に肘を乗せ、その手で顎を支えるようにして煙草をふかしつつ……キーセラの背に背負われた男をじっと見ていた。
そして、煙と共にこんな言葉を吐きだした。
「このカサギこのカサギって、どのカサギかと思っていたら。あの子がそうか……通りでビリーが偉そうなはずだ」
こういっては何ですが……とキーセラはキョロキョロと家の中を見回した。
掃除が行き届いているようで、汚い外観に比べて中は綺麗なもの。
……とはいえ、いくら埃や汚れが無くても凹んだ壁やささくれた床板は目に付くし、長い事油が継ぎ足された様子の無い灯明皿は何とも寂しげだ。
「二階って言いましたっけ」
「あぁ」
先ほどのノッカーの事もあり、もうどこにも触れたくない様子のキーセラ。
だが、細心の注意を払っていても、
――バギッ
階段に足を掛けた途端、その板が壊れるのだからどうしようもない。
「えー……」
降ろす先が無くなってしまった腿を上げたままで固まっているキーセラの耳に、外からカミラの声が届いた。
「大丈夫かーい? 怪我してないだろうねー?」
「は、はい。何とか」
「ならよかった。階段は三段目までは右、七段目からは真ん中を通っておくれ」
「……ご、ごめんなさい、また壊しちゃいました」
「いいのさ、そういうのは主人が得意。だろう?」
「はひぃ、やる、やるさかい拳を構えんとくれ」
「そう言えばもう三週間も前に頼んどいた天井の雨漏り、あれは?」
「そ、それもすぐ!」
カミラの懐の広さに感謝しつつ、言われた通りに階段を上っていく途中、聞こえた会話にキーセラが首を捻った。
「主人?」
「……まー言いたいことは分かるぜ。だがカミラは43。あの二人はビリーの両親だ」
「な、なるほど?」
43歳にはとても見えない。
あの父親にしては随分と綺麗な奥さんを捕まえたものだ。
「ノンノン。キーセラ、それも違う。ギンロジも昔はやるヤツだったんだ。五年前までのハナシだが」
「は、はぁ…なんでカサギが詳しいんです?」
「そんな事はいいじゃあねーか。階段を上がって突き当り、ギンロジ風に言えば『どん突き』がビリーの部屋。……おっと、廊下じゃあ窓の木枠に触らないことをお勧めするぜ。天井を杖でどつくなんてのはもっての他だ」
「しませんよそんなこと……って、知ってるのなら階段の所も教えてくれても良かったでしょうに」
「さぁ? 何のことだかサッパリ」
そんなことを言い合いながら、カサギを背負って廊下を歩くキーセラ。
二階に上がってからというもの、彼女の耳は「ピチョン、ピチョン」という雨漏りの音を捉えていた。
ここ数日雨は降ってないはずだが……。
――も、もしや天井をどついたらずっと前の雨水が落ちてくるんじゃ……。
不安げに天井を見やりながら廊下を踏破して彼女が突き当りの部屋の扉を指の背で小突くと、こんな言葉が返された。
「いいぜ、入りな」
声は確かにビリーのものだが……。
「何だってそう、らしくねー喋り方をしていやがるんだァ?」
「……ですよね、私にもそう感じます」
まるで違う声調に二人して疑問に思いながらも扉の穴――ドアノブがあるべき場所にぽっかり空いている――に指を引っ掛けてこじ開けた。
すると、そこには――
「来ると思っていたぜ、キーセラさん……ごほん…。よォ、キーセラ。待ちくたびれたぜ」
――部屋の真ん中で仁王立ちし、こちらをビシリと指さすビリーの姿。
何だか見覚えのあるポーズにキーセラが目をしばたたかせ……それからビリーがチラチラと見ているそれに気がついた。
異常の大元に考えが及び、キーセラが額を押さえると同時、片眉を吊り上げたビリーがゆっくりと口を開く。
「なーにをヌボーっと突っ立って居やがんだァ? あァーン? 借りてきた猫じゃああるめーし。とっとと要件を話せっつーんだよォ、このお間抜けさんめ」
……言う事があるとすればそれは、今のがカサギの言葉ではない、くらいのものだろうか。
しかし、ここまで似ているのだ。
まったく関係ないはずもない。
その証拠と言っては何だが、ビリーが目をやっている物、右手に乗った一冊のノート、その表紙に書かれたタイトルは――
――『目指すべき強い心の在り方 ~カサギの喋り方編~』。
15年もの間苛まされた罪悪感を赦されて狂い……そして今度は自分にとっての強さの象徴であるカサギになりきることで、ビリーは魂を守ろうと……いや、魂がビリーを守ろうとしているのだ。
ビリーが悪行に手を貸してしまったのはかつての未来。
まだ起こっても無い出来事だ。
だと言うのに、この15歳の少年は今なおストレス障害に悩まされている。
ビリーに非道な作戦を命じた上層部も悪いが、魔王やその部下である魔世将が的確に采配する侵攻はそれほどまでに苛烈で悲惨だったのだ。
魔王ノーラ・トスケイナが起こした災禍の一端を過去に持つその少年に、勇者たるカサギが放った言葉は……。
「よォビリー。何のつもりか知らねーが、その腹の立つ喋り方は止めた方がいいぜ?」
「こ、この男どこまで……」
なんとも薄情なものだった。
【tips 灯明皿】
人類種が屋内で使う一般的な光源のひとつ。
綿糸のこよりを灯心として皿に注いだ油に付け、火を灯す。
菜種油か魚油がよく使われる。
竹で作った枠に紙を貼った風よけをこの皿に被せたのが行灯。
蠟燭や魔道具はまだまだ高級品である。




