デート・ディスコ
ヒトフタ通りの路地に響き渡る、泣き声と地鳴り。
「びぅえぇぇぇぇん! どうせまた、こじつけだなんだって言うんだ! 黒じゃないのだ! ワタシはグレーなのだ! 途方に暮れ行く陽も真っ青のグレーなのだーぁあ! ひげぅ、うびぇぇえええええん!」
天に向かって泣き叫びながら不満を訴えるように右手でドスドスと地面を叩く魚人。
敷かれた石のタイルを割る音だったのは最初だけで、今は露出しきった地面にとんでもない衝撃を与え、パンチの度にゴトゴトと辺りのタイルを数センチほども浮かせている。
「……この方がカサギの言う弁護士さんですか?」
「おうとも、ジンベエザメの魚人とのハーフで11歳。弁護士資格も持ってる成人だぜ」
「……成人してるって言うのが不安材料になることがあるんですね……と、とりあえず彼女を手当てしましょうか」
路地とは言え、ここは大通りから一本横に入っただけの場所。
大きな音に驚いた通行人が通りすがりにちらちらと様子を窺っている。
早い所、怪我を直してしまおう。
当然のことを考えたキーセラにカサギが「いーや」と待ったをかけた。
「まだだ。まさか足が折れるたぁ思わなかったが、ちょうどいい。こいつが怪我を治すのは中に入ってからにしようじゃあねーか」
「……分かりました」
一癖も二癖もありそうなカサギの“仲間”だ。
何をしでかすか分からないからと、ここは素直に従うことにしたキーセラが、尚も地面の破壊を続ける彼女におっかなびっくり近づいて脇の下に手を通すと……
「ぬゃーーー! 都市の犬に連れ去られるーぅう! やめるのだ! そこのあんちゃん! たすけてぁぁ!」
「ちょっ」
2メートル弱ある体でじたばたと暴れ、助けを叫び始める。
……彼女の名誉の為に言っておくと、短命な種が多い魚人の大きな枠組みで成人しているだけあって、ジンベエザメの寿命は130年、成体になりきるのは25から30歳。
弁護士資格を持っているとはいえ、彼女はまだまだ子供なのだ。
そんな少女がその幼い声質でもって、聞こえが良くない言葉をそれはもう叫ぶこと叫ぶこと。
注目が集まると言うものだ。
通りすがりにチラチラ見られていただけだったのが、今では誰もが立ち止まってこちらを覗き込んでくる。
「キーセラ、構うことはないぜ。屋内に運び込んじまえ。そうすりゃあ問題は解決だ」
地面に這いつくばるカサギが顎でクイと指したのは先ほど開けた扉。
重いと感じたはずだ。
改めて見たその扉は厚さが十五センチほどもあった。
「なるほど、防音ですか。なら運び込んじゃいましょう……っと」
キーセラが何とか巨体を浮かして後ろ向きに運び出すと、少女は首をつままれた猫のように大人しくなり、同時にギャン泣きからめそめそ泣きに変わる。
そうなれば、そこにあるのは舌足らずな幼児の口調で嘆く190センチ女性の姿……。
「えぅ……法律が通用しない野蛮な未開人にこの場で消されてしまうのだ……。急いては事をイソギンチャクなのに、急がば回ってにゃんこの目なのに。これってとってもダメな事なんだけど。ヤになっちゃうんだけど。人類種はどこまでも愚かなのだ……こうして歴史は繰り返されるーぅう」
「な、なんだかよく分からない内に大層な話になっちゃいました……」
涙ぐましい抵抗として唯一地面についている踵で踏ん張っていたが、結局はズルズルと引きずられ「音楽パブ しんぐで奏でる愛のセッション」の店内へと消えていく……。
後に残ったのは立ち止まった通行人が数人と、地に倒れ伏したカサギ。
「おめーさんたちよーォ。男ばっかして平日に何していやがんだァ? どいつもこいつも『通報した方が良いのかな……』っつーツラしやがって。男なら考えついたその時に動けってんだよ、このお間抜けさんめ。それに、だ。大体なァ…」
民間人相手によく分からない説教を垂れる勇者も、中で治療を終えて戻ってきたキーセラによって同じように踵だけ引きずる形で運ばれていき、
――バタン
重そうな扉が音を立てて閉まった。
最後まで残った通行人たちの間には奇妙な絆が生まれ、彼らは顔を見合わせて衛兵を呼びべきかどうか真剣な顔で話し始めるが……二秒後、再度開いた扉の隙間から顔を覗かせたキーセラに破顔した。
「ど、どうか皆さんお気になさらず……」
立ち止まった通行人たちは、つまりは魚人の幼い声におびき寄せられた大きいお友達。
ぺこぺこと頭を下げる可憐な少女の頼みを断れる道理も無く、彼らは一斉に回れ右をすると、「名乗るほどの者でもないさ」と言わんばかりの堂々たる姿で、絆などまったく無かったかのようにまた歩き出したのだった……。
通行人を穏便に追い払い、屋内へと戻ったキーセラ。
「うっ……」
彼女は防音扉の内側に足を一歩踏み入れるなり瞳に飛び込んできた光に目を細めた。
どうやら魔道具で灯りを付けたらしい。
明るさだけで言えばむしろ暗い方なのだが、天井から吊り下げられたミラーボールが回る度にギラギラと光を鋭く照り返しているのだ。
――ディスコ……確か音楽とお酒とダンスを楽しむ所、でしたか。私は疎いジャンルですね。
何故か姿の見えない二人を探すついでに辺りを見回していくと、この建物が一階から四階まで吹き抜けになっていることが分かった。
フロアは上に行くほど狭くなり、四回に至ってはロフトが突き出ているようなサイズ感だ。
「…大勢の方がダンスを踊るには心もとない足場ですね……それに、何でしょうこの匂いは」
キーセラはスンと鼻を鳴らして、不愉快そうに顔を顰めた。
一階には、鍵盤の付いた変な楽器やドラムセット、マイクスタンドなどが置かれたステージの他に、20人ほど座れそうな大きいバーカウンターがあるが……この匂いは吐しゃ物のそれではない。
ゲロよりもっと不快な何か。
キーセラが何だったかと記憶を掘り返しているうちに、
――ビヤァー。
二階のフロアで楽器が鳴った。
気の抜けた音からすると……サックスフォンに風でも当たったのだろうか?
音の出どころに歩き出したキーセラ、しかし彼女は……その途中から駆け出すことになる。
向かう先からカサギのものらしき呻き声が聞こえたのだ。
梯子に毛が生えた程度の急こう配な階段を駆け上り、
「か、カサギ! 何があったんです?!」
そこでバッと視線を巡らせて――
「これってなんだかとってもダメな気がするんだけど。でも楽しいならいいかもだけど」
――等間隔に並んだソファーベッドの上でくんずほぐれつ蠢く、二つの影を見つけた。
片方は組み敷かれ、もう片方はその上に乗っている。
キーセラの足元からそのソファーベットの間にはカサギの服が――シャツ、下着、靴下の順で――道を作るように点々と並んでいて、上にいる影もどうやら服を着ていないらしい。
つまり両者とも裸。
そこまで見てキーセラが固まると同時、組み敷かれている方の影――カサギが顔に押し付けられた枕を吹っ飛ばし……叫んだ。
「うおぉぉぉッ! キーセラ、測ったような良いタイミングじゃあねーかッ! 聞け、こんの女、魔物を飼育していやがった! おい、挟むなっつーんだ! 俺の髪はおもちゃじゃあないぜ! アーーウチッ! つむじの毛を毟るんじゃあねー! 禿げちまうだろーがッ!」
そこに居たのは、カサギとセンコウガニ。
……カニの魔物、魔物は裸に決まっている、当然だ。
甲羅だけでも一メートルあり、足を含めれば体長は三メートルを優に超える。
船甲蟹と言う名前の通り、その甲羅は非常に硬く、古くは船として使われたとか……。
そんな魔物にのしかかられて、髪を毟られるカサギ。
既に足や腕の毛は無くなっているようだ。
その右手、少し離れた所にいるのが魚人の少女。
どうやら既にカサギと目を合わせて記憶を取り戻したようである。
「ふっふーん! ワタシにはこの11年間、カサギのあんちゃんに会いたい気持ちと魔物を飼いたい欲求があったのだ! ちょうどあんちゃんが魔大陸に踏み入った頃から魔物サーカスをしてたから。都市の外で子供のカニーニちゃんを見つけた時は二の句が継げずのににんが四! 門兵に取り入って持って帰って来てしまったのだ!」
腰に手を当て「えっへん」と胸を張っている。
「だからって知識もねーのに魔物を飼うヤツがあるかァッ! 罪悪感だけあって悩んでいたヤツも居るっつーのによ! その門兵の甘さも気になるが……とにかくキーセラ、このままじゃあ俺はツンツルテン! せっかくアナウンサーと知り合えたっつーのに『今代勇者はつるっぱげ』なんて第一印象はごめんだッ!」
蟹に組み敷かれ、現在進行形で髪を毟られるカサギを他所に。
匂いの正体に考えが及んだキーセラが、
「う……」
また不快げな表情を浮かべた。
「お、おいぃぃッ、キーセラ! 待て待て待てェ! 額に手をやっている場合じゃあねーぜ!」
カサギの声をどこか遠くの出来事のように感じるほどに、キーセラは匂いと結びついた記憶を無理やり引き出されていた。
嫌な記憶だ。
前回、そして今回、都合二度も見てしまった光景。
7歳ごろ、深夜トイレに起きて……両親の夜伽を見てしまったあの記憶。
そう、ずっと感じていた匂いは情事の際に男女を興奮させるお香、マッコウショーブクジラから取れる――龍涎香、その残り香。
そして一通り回想しきったあと「なぜディスコでこの匂いを……?」と首を傾げたキーセラが、周りに並んだベットを見回して妙な店名の意味に合点した。
「はぁ……本当に変なのしかいませんね、カサギの周りって」
「いーから固まってねーで、とっととこの俺を助けるんだよォォーーッ」
「一押し二金三男、よんごは飛ばして、六角レンチの泡飛ばし! カニーニちゃんが興奮してシャボンを吹いているーぅう! 楽しそうでワタシも嬉しいのだ!」
「うるせーッ! テキトーなことわざ作ってねーでこのカニのヤロウを俺からどけろォッ」
「えぅ……毛を毟るのはカニーニちゃんなりの愛情表現なのだ。合縁奇縁のアイガモなのに。逢いたいが情の見たいがガチョウなのに。それを突っぱねるなんて、やっぱり人類種はどこまでも愚かなのだ……」
「だーッ、何だって良いから助けろォォオ! 俺だってツルピカ勇者は嫌なんだぜーーッ!!」
しばらくして、カニーニとやらがその歩脚をワシャワシャと動かすと……ソファーベットのスプリングが軋む音と共に空気を噴き出し、ベッドから突き出たサックスがそれによって再度「ビヤァー」と間抜けな音を鳴らした……。
……若くして法学を治め、各地でグレーゾーンをついた商法で稼いでは逮捕の憂き目に合い、その度に逃亡、ジンベエザメに相応しい回遊魚っぷりを見せる少女――ヒッツミハットコ。
つい今朝も『消えた発起人、責任の所在はどこに』という記事で世間を賑わせたその少女が、あくまで『ステージの演奏を上階から鑑賞しながら賑やかしにもなるソファーベッドの上で新ジャンルのダンスを楽しむ会員制ディスコ』として性風俗等営業法をすり抜け、高額な税を払わずに営業する店。
正式名称を『デート・ディスコ 寝具で奏でる愛のセッション』と言う。
【tips センコウガニ】
エンコウガニの魔物、甲長1メートル、全長3メートル。
硬くて軽い甲羅と興奮時に吹く高濃度のアルコール入りの泡が特徴。
基本的には川の流域を住まいとして小魚を食べて生きるが、灌漑設備を辿って田畑に出没して作物を食い荒らすこともあり、しかも鉄条網程度ならハサミで引きちぎってしまえる為、退魔の結界を張る他ない。
農村では害獣として扱われ、積極的に狩られている。




