とある兵士
王領都市に住まう十五歳の少年、ビリー。
魔王出現に伴う世間の希求に応じ……と言うより周囲の人らの熱に押されるようにして、彼が応募チラシを手に訓練所の門戸を叩いたのはまだ6か月前のこと。
彼はそこで生まれて初めて、壁と言える壁にぶつかった。
それまでのビリーにとり壁というのは、
腰痛持ちの父にプレゼントした魔道具・揉捏熱石が偽物でただの石だった、とか。
買い与えられた鐵人形をいじめっ子に取り上げられた、とか。
憧れだった近所の綺麗なお姉さんがお客と手を繋いで店に入っていく所を夜の街で見かけてしまった、とか。
そういう些細なことばかりだった。
行動では変えられない本当の壁。
どうにもならない不当な壁。
それにぶち当たったのだ。
それは、同期や後輩たちが、獣人の母や魚人の祖父を持つというだけで特別で専門的な訓練を割り当てられていくその横で、自分は人間であるが為にひとまず体作りだけを命じられること。
母の反対を押し切って入隊したこともあって、ビリーは当初「自分にもチャンスさえあれば」とよくヤキモキしたものだ。
だが三か月もすると、もはやそうは思わなくなった。
ハーフやクォーターが優遇されると言っても、5割以上が人間なのだ。
周りに流されて入隊した彼は、入隊した後も流された。
『筋肉なんか付けても無駄さ、結局は地が違うんだから』
わざと試験に落ち、訓練生に身を甘んじている人間の先輩たちに言い包められてその内、酒を覚え煙草に手を出した。
そんな堕落真っ最中の少年・ビリーにとってその日は、適当に手を抜く訓練と巡回と名のついた街歩きで終わるだけの何気ない一日……のはずだった。
だが、ビリーが帰路に着こうと支度をしていた折、こんな情報が飛び込んできたのだ。
――四日前、姿を現した魔族と見られる吸血鬼が王領都市の近辺で目撃された。
――ちょうどいい機会だ。訓練生も警備に回れ。
最近巡回で見つけた、可愛らしい看板娘のいるパン屋に寄って帰ろう……そう思っていただけに、落胆もひとしお。
気を落としたビリーだったが、仕事は仕事だ。
花弁のような五枚のうちの一つ目の壁――ヒトヒラの、その垂れた先にある十個の張り出し陣の一つに詰めこまれ、幅二メートルもないその窮屈さに愚痴を垂れながら、馴染みの顔ぶれと明るく照らされた草原を監視する任務に当たる。
そして――開始から数時間が経ち、現在。
「あの女いるだろ? 最近入った芋臭い給仕の女のことさ」
「多分どこかで聞いたぜそれ。あいつ、先輩たちが遊びで抱いたのをモテてるーなんて勘違いしてるって話だ」
「そうなんだ。それ実はな、俺がこの耳で聞いたんだ。あいつが他の給仕仲間にこう言うのさ。『あたしぃ、誰を選んだらいいか分からなくってぇ』」
「ぶはっ、最高だな!」
「相談された給仕の微妙な顔と来たら、もう思い出すだけで……く、くひひっ」
周りでは草原に目を向けることもなくなった兵士たちが、班長の目を盗んで下世話な話題に興じている。
ただ、ビリーは違った。
「な、ビリー。お前もそう思うよな?」
「あ、うん……そうだね」
「どうしたんだよステテコのビリー。そんなに真面目に監視して」
「んだよビビりやがってタマナシかぁ? なら親父のステテコと訓練着を間違えて着てきた時はさぞかしスースーしてたんだろうな!」
「いやいや! ビリーの親だ、親父もタマナシに違いない!」
「ぶくくっ。タマナシが遺伝、ってそれあり得ねぇよ! 笑えるな!」
どんどんと盛り上がっていく二人に我慢ならなくなったビリーが、意を決して声を上げた。
「と、父さんのことを悪く言うのは許さないぞっ!」
だが、そんなことをすれば、
「……んだよノリ悪いな」
「ほっとけほっとけ、そいつはまだ真面目が抜けてないのさ」
白けた顔でそう言われてしまう。
これが嫌でビリーは周りに流されているのだが……今日はそれに抗う何かを心の奥に感じていた。
夢だとか情熱だとか、そう言う形の無い、けれども自分の根本に関わる大事な物を求めるような……。
とにかくその無視しきれない何かに突き動かされて、ビリーは眼下に広がる円状に二百メートル明るい草原を眺め、新しく運び入れた四百メートル先まで届く魔道具の光線を目で追っていた。
――だけど、いい加減やめよう。二人の言う通りできっと不安なんだ。そんなだからいつまでたっても揶揄われるんだ。
そう思ってビリーが目を離そうとした、その時だった。
二百メートル先、明るくされた草原の端に影が差した。
それは間違いなく誰かの足であり、何者かが一歩踏み込んだことを示していた。
「ねっ、ねぇ二人とも! 誰かが近づいてきたよ!」
慌てて振り返って友人たちに伝えるが、
「どうせ捜索の誰かが戻ってきたのさ」
「そそ、それもほっとけばいい」
立ち上がるのが億劫なのか、まともに取り合おうともしない。
平時の訓練はいいとしても、こんな緊急時、それも不審な影が見えているのに理由を付けて怠ける二人。
その片方が呑気にもあくびをして、それからむき出しにした前歯に嗅ぎ煙草の袋をグチョォと押し当てるのを見て……ビリーはそこでようやく自分がどう見えているのか知った。
「あぁもうっ。班長! 誰かが草むらに潜んでいます!」
「な、なにっ、どこだ!」
「あそこですっ」
「光を向けろ!」
流石に班長の行動は早かった。
張り出し陣の内側、壁の中にいた班長が奥から身を乗り出して、ビリーが動かした魔道具の光が指す先に目を凝らす。
その先にあるのはビリーが見た時と同じままの光景。
誰かが一歩足を踏み出して……脚だけ見せたっきり動かない。
「……っ! 本当ではないか! それに二百メートルの中……おい、ここの張り出し陣の組番は三だな?」
「はい!」
「あそこは二番の組の担当地点だぞっ。くっ、訓練生はサボることにかけては即戦力級だと聞いてはいたが……。お前、名前はなんだ!」
「ビリーと言います!」
「よし、ではビリー。お前は一組から十組の間抜け共を全員叩き起こせ! 起きている阿呆にも一発ずつくれてやれ! 戦闘態勢だ!」
「は、はいっ!」
「伝令係はフタヒラからイツヒラに伝えてこい! 副班長! 貴様はオシドリサザエで捜索隊の班長たちに戻ってくるよう緊急の合図を送れ、急ぐんだ!」
ビリーの居る張り出し陣ではもうとっくに全員飛び起きていた。
あたかも、ビリーに報告はさせただけで監視はしていました、とでもいうかのように。
彼らの間抜けな白々しさに苦笑いしてから、命令に従うべく壁の中の通路を通って他の陣に行こうしたビリーが、駆け出す前に「そういえば、侵入者はどんな姿なんだろう」とチラッと草原に目をやった。
するとそこには――。
【tips オシドリサザエ】
サザエの魔物、殻径十センチ。
オスメスどちらも一匹の異性に生涯添い遂げるのが特徴。
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