はじめての逃走
――翌朝。
なにやら騒がしい物音に目を覚ましたキーセラ。
彼女が霞がかった意識の中で見た物、鼻先に触れそうなほどの近さにあったのは――
朝日をきらりと反射する――槍の穂先。
「はぃっ?! な、ななんですか!」
せいぜいがカサギのだらしない寝顔だろうという予想を裏切られ、一気に冴えた目で辺りを見渡すと、どうやら武装した男たち十人に囲まれているようだった。
すぐ横には基幹道、体の下には朝露で少し湿ったヤギの革……昨日眠りについたままの場所。
そこまで確認した後、キーセラは彼らを刺激しないようゆっくりした動きで、未だに眠っているカサギを軽く小突いた。
すると目を覚ましたカサギが、キーセラと同じように槍を見て
「ふわぁーあ……ん? おお、これはこれは。なんて危機的なんだ。絶体絶命だぜ」
キーセラとは正反対に呑気な声音で言った。
それから体に大量の魔力を流し、ゆっくり首を回して辺りを伺う。
相手を刺激しない為に緩慢な動きをしているのではない。
カサギにとって首を回すという行為は、一歩間違うとむち打ちで十日ほど首が回せなくなる危険を孕んでいるのだ。
「おい! 動くんじゃねぇ!」
首を労わってゆっくり辺りを見回すカサギに、とり囲む男の一人が怒鳴りつけて、眼前にやった槍を更にずいと押し付けるが……、
「あァン! なにすんだてめー! 危ないじゃあねーかッ!」
「あ……す、すまん。うん?」
男が狼狽えている内にキーセラへと顔を向けるカサギ。
「よォキーセラ。これなんだか分かるか?」
「いえ、私にも何が何やらで……」
「……いやそうだ、危なくしてるんだ!」
「ふーむ、どうしたものか」
「だから動くな! おい、聞こえているのか! 動くなと言っている!」
あくまでマイペースなカサギを脅しつける男……その右腕には腕章が巻かれていた。
「カサギ、見てくださいあれ。この人たち自警団みたいですよ」
その腕章にある“蔦が絡みついた王冠”の意匠は王領都市に認められた官営の自警団の証。
見れば、他の男達の腕にも同じ物がある。
「なんだって官警が俺らを襲うんだァ? 誰かと間違えたか? だとしたらこれ賠償もんじゃあねーか。覚悟は出来てるんだろうな。この俺はそこん所をなぁなぁで済まさずに、きちっともらうタイプの金欠なんだぜ?」
「ごちゃごちゃうるさいぞ!」
「いい加減黙れ!」
「大人しく出ていくんだ!」
「お、おーおー。誰と間違えてんのか知らねーが、こりゃあ相当な嫌われもんだ」
「カサギも大概嫌われ者ですけどね」
ボソっと告げられた事実を無視して、カサギは目だけで自警団の位置を確認していく。
人間が七人。
獣人が二人。
鉱人が一人。
――いっちょ決めてみるか、そろそろ戦えるっつー所を見せねーとキーセラに野山へ捨てられそうだぜ。
そう考えながら魔力を体に纏わせていくカサギに待ったの声が掛かる。
「……カサギ、ダメです。人類種相手に。せめて制御が自在になってからじゃないと認めませんからね」
「別に構いやしねーよ。そもそものハナシ、俺は官警のヤツらが気に食わねーのさ。どいつもこいつも自分こそが正義、っつーツラしやがる」
「……カサギは一度鏡を見た方が良いですよ」
「正義の塊のような男が映るだろうぜ。なぜならこの俺こそが正義だからな」
「え、ええー……」
カサギの不審な動き、というか、不審なカサギの動きを注視していた官警たちが話の内容から何か勘づいたようだ。
槍を構え、口々に声を上げる。
「な、なんだこいつ、今オレたちに襲い掛かろうとしたのか!?」
「この嬢ちゃんが止めたってことは間違いねぇ、野郎やるつもりだったんだな!」
「なめやがって。リーダーとっととこいつ殺っちゃいましょうよ、そうしましょうよ!」
そうと分かった途端に柄が悪くなった官警たちを「それ見たことか。こいつら碌でもねーんだ」とカサギがせせら笑った。
だが。
キーセラはあえてこう考える。
リーダーは、リーダーだけはまともなのだろう。
こんな部下を抱えながら、都市に公認されているのだからそうに違いない。
半ば祈りながら、リーダーとやらが諫めるのを待っていると、まとめ役らしい男が前に出て、重々しく口を開いた。
「殺しを許可する。なるべく残酷なのが好ましい」
続いて男たち十人が一斉に槍を振り上げ……
「ケッ、ほらよォ。こいつら腐ってやがんだ」
「……そんな気がしてましたよっ」
「よォーし、分かったら逃げるぞキーセラ!」
言いつつ全身に魔力を巡らせて、草の寝床から飛び起きたカサギが、幸運にもすぐ近くに転がっていた棺桶と荷物、それからキーセラを腕に引っ掛けた。
そして、
「へ…?」
「掴まってろよォォォォッ!」
「あ、ちょ」
激しく地面を蹴りつけ、大跳躍。
「うわわわ!」
「あばばばっ!」
官警の頭上を飛び越えて、二人は空に躍り出た。
蹴った地面は激しく爆散、舞い上がった土が目くらましとなって官警を仰天させている。
「うわっなんだ!」
「うえっほ、げほ……」
「やつら跳んだぞ!」
「ゲホッ、ごほっ。土が目に……」
「あ、あの身体能力はやはり!」
――ハンッ、せいぜいそのままアホ面晒してるがいいぜ。俺ァその内にトンズラだ。
本人は気づいていないのだろう。
射出の勢いで頬肉がブルブルと震えているカサギの顔も中々のものだ。
その中々に酷い顔の下、胸の内に抱え込まれたキーセラは、制御できないカサギの力で締め上げられて苦しそうだが……。
しかし、それよりもよっぽど嬉しそうだ。
「よ、良かった、です。本当に力が、あって! 本当に!」
「……」
高さ数メートルをすっ飛びながら、カサギの腕の中で髪をはためかせるキーセラが言っている。
が、いかんせんごぅごぅと耳元で鳴る風の音のせいでカサギは上手く聞き取れないようだ。
それに……。
「何か言ってくださいよ。この数日のストレスが全て報われる気分なんですから」
「キーセラ、口を閉じたほうがいいぜ。舌を噛み切ってみてーのなら無理にたぁ言わねーが」
「え?」
初めの一歩で官警を置き去りにし………落下。
二歩目はない。
急速に近づく地面に向けて勢いを増しながら落ちていく。
「え、待っ……聖章楯! きゃ」
「助かるぜぶべらばぁッ!」
跳んだ所から二十メートル程度離れた所に、二人して尻もちをついた。
キーセラはとっさに受け身を取ったが、貧弱なカサギにそんな芸当が出来るわけもなく、
「べげ、ばぶら、がらぁッ! う、ぐ……」
不出来な前転で投げ出され、落下点から五メートルも進んだ所でようやく止まった。
これ、これである。
これこそが今のカサギが自分で出来る唯一の移動方法。
絶望的な筋力のせいで何もできない所を、飛びぬけた魔力で補う荒業だ。
飛ぶ瞬間に魔力を入れ、制御も出来ぬまま吹っ飛ぶ。
後は落下を待つだけ。
落ちる先が柔らかいと悲惨だ。
この前のように地面から足を生やすことになる。
ちなみに固くてもだめだ。
瀕死の重傷を負うことになる、というか死ぬ。
「い、いちち~。制御できねーんだなァ、これがまた」
「これがまた、じゃないですよ。ほらもう一回今のをやってください」
土埃にケホケホと咳をしつつ言うキーセラ。
しかしだ。
なんとこの特大ジャンプ、筋肉の持久力やそれを支える骨密度もまた絶望的なせいで、日に10回と使えない大技なのだ!
…………普通に歩ければどれほど良かった事か……。
「さっきのはもうしない。飛び起きた時に背中から異音が鳴ってジンジン痛むし、ジャンプで足を着地で頬骨と肩に違和感がある……こりゃあ足は折れてるぜ」
「そのくらい法術で治しますけど…」
「それに俺の魔力は量こそ多いが回復は遅い、こんなことにゃあ使っていられねーのよ」
「と、ということは………」
顔から血の気が引いていくキーセラに、今度はカサギが無情な事実を告げる番だった。
「俺を引きずってダッシュだ、ヤツらもうそこまで来てる。おら、いいから早く走るんだよォォっ!」
「…………見直しかけた私が悪いのでしょうか。納得できません、ねっ!」
毒づく勢いでカサギを棺桶にぶち込んで、それから呼吸でも整えるかのようにため息を一つつくと……キーセラは猛然と走り出した。
獣人や鉱人の詳しい描写については王領都市をお待ちください。
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