何がしたいかというのは難しい問題なのか否か
『久しぶり。義弘――』
『久しぶりだな。元気にやってるか?』
『この通り、元気』
木野崎義弘は保育園の時からの幼馴染。
身長が180㎝以上あり、体重もそこそこある彼とあたしが話すとどうしても見上げるような感じになってしまう。
彼はその体型を生かして柔道をやっていたのだが、それは持ち前の気の小ささを武道を行うことによって克服するためだったらしい。
保育園の登園の時に自転車から降りたあたしは彼に『おはよう。よしひろ』と挨拶してえらく母ちゃんを狼狽させたことがある。
『よしひろくんでしょ!』
ただ母ちゃんの心配をよそに、彼のお父さんは大笑いしていた。
どうやら身体はでかいが気の小さな息子が身体は小さいが気の強い女の子に呼び捨てにされてるのが面白かったらしい。
義弘との思い出はその思い出が一番印象的だ。
保育園の頃からの腐れ縁ならもっと何かありそうなものなのだけど、どうにも男子と女子では興味の持ちどころが違うし、小学校に上がってからは同じクラスであるというだけで、そんなに話もしなかったから、特にどこかに遊びに行くということもなかった。
ただ、何かあるとお店をやっているという強みか……いつも義弘の家で集まるというのが習慣になっており、その習慣は中学、高校と続き現在に至っている。
優しい彼は誰が来ても断らない。
学生時代はここがたまり場になっていたような気がする。
あたしは一人で図書館に行くことが多かったのであまり来たことはないけど。
姉と二人であたしたちがお店に着いた時にはすでに全員がお店にいるようだった。
みんなが揃ったところでそれぞれに飲み物を呑んで近況を話し出す。
『ふふふ。麗奈。あなたがいない間にあたしとあなたの差は埋まらないほどの差がついてしまったようね』
少女漫画の悪役のようなセリフを恥ずかしげもなく言ったのは大聖寺雪子。
真っ赤なワンピースを身にまとった彼女にとってあたしの姉は永遠のライバルなのだ。
ただ……あたしは彼女らが何を競い合っているのかは分からないし、興味もないしできれば知りたくもない。どうせくだらないことに決まっているからあたしを巻き込まないでほしい。
雪子は女性としては少し大柄な体型だが、すらりとしておりモデルのようだ。顔も小さく瞳も二重。ショートカットを綺麗にまとめており、着ているワンピースも良く似合う。
ただ残念なことに姉のことをライバル視していること自体、彼女の程度がよく分かる。
『分かっていないようね。雪子。あたしが東京でどれだけ勉強しているかを』
ああ……思慮が足りない感じがする。
何を話しているのか内容は一向に頭に入ってこないし、知りたくもないのだけど、この馬鹿っぽい話を嬉々としてしているのが、あたしと同じ顔をしている姉だなんて……残念なんて一言で片づけられるわけもないぐらい残念だ。
この二人。
お店の手前のテーブルで何かと言い合っていた。
一見すると仲悪そうに見える二人だが、実は仲が良いらしく、姉は高校在学中はいつも雪子といたような気がする。
まあ……お互い人の話を聞かずに自分の話だけを一方的にするから一緒にいても楽しいのだろう。
ほっとこう。
さて、あたしは姉と大聖寺雪子の二人を背に奥のテーブルに腰かけた。
そこにはカウンターの中で何やら仕事をしている義弘と姉と大聖寺雪子以外の人間がそこに座っていた。
『横浜はどう?』
そう聞いてきたのは木下静夏。
『程よく都会だよ。物はここよりもあるね。でも東京ほどごみごみしていないからあたしは好きだな』
『程よく都会?咲菜らしい言葉ね』
『そう??』
『うん。だってここにいると横浜なんか大都会だよ』
『それってみんな……桜木町とかみなとみらいとかをイメージしてない?』
あたしがいるとその場にいる全員が首を縦に振った。
実はこれ……あたしも横浜に住んで見て初めて知ったのだけど、この街は他県の人間が思っているほど都会ではない。横浜の中心でもある中華街や桜木町、そしてみなとみらいあたりは確かに『港町』横浜の匂いがするが少し中心から外れると、田舎と大きく変わらないのだ。
あたしが住んでいる戸塚もそう。
少し奥に入るとまだ畑があったり、野菜の無人販売があったりする。
余談だがその野菜がまた美味しかったりもするのだ。
つまり、横浜という街は中心は都会ではあるものの、少し中心から外れてしまうとみんなが思うより都会ではないのである。
でも、あたしはこの街のそういうところが好きなのだ。
『横浜って中心部から離れると案外のんびりしたところだよ』
『へええ』
『もし上京して東京で仕事するって言うんだったら住むのは横浜がいいよ』
『そうなの?』
『だって家賃が全然違うもん』
『そんなに違うものなの?』
板部愛結は身を乗り出してきて言った。
彼女は才色兼備を絵にかいたような女子。
勉強もできたし、だれがどう見ても美人。性格も悪くない。
ただかわいそうなのは地主の大きな家の兄妹の真ん中に生まれてしまったということ。彼女には兄と弟がいるのだが、兄は地元の町会議員だし、弟はどこかの会社を任されている。そしてこの二人がどうにもできが良い。
愛結だってかなりできが良くて兄や弟に負けないぐらい実力はあるのだけど、田舎独特の『男尊女卑』に泣かされている。
彼女は、どんなに実力があっても女であるという理由からたいした仕事に就けないことを不満に思っていることは、彼女自身が高校の頃から愚痴っていたので、あたしはよく知っている。
彼女は高校卒業時、地元の大学に入学した。
本来の実力なら東京の大学でも通用したはずなのに。
担任の先生が『東大だって狙えるのに……』とつぶやいているのをあたしは耳にしたことがある。
『知性の塊』というのは彼女のことだ。
なのに……『どうせ女は結婚するのだから学歴などはいらない』という実にばかばかしい田舎独特の因習のようなものに振り回されて彼女は何もできない。
横浜の家賃を身を乗り出して聞いてきたところを見ると彼女はまだ上京することをあきらめているわけではないらしい。
できれば応援してあげたい。
『うん。4~6万ぐらいは違うと思う』
『そうなんだ』
『愛結も横浜に来なよ。いいとこだよ』
『だよねえ……』
『義弘、ビールもらえる?』
あたしはお店のカウンターで何やら準備をしている義弘に言った。
ビールがとても美味しい。
サーバの掃除を毎日欠かさずにやっている証拠だ。
いい仕事してる。
『はいよ』
義弘はすぐに人数分のビールを持ってテーブルにやってきた。
『どうよ。みんな。仕事うまく行ってる?』
『仕事か……』
つぶやくように……そして、吐き出すように話し出したのは森田正樹だった。
学生時代の彼はいつも野球をしているイメージだった。
卒業して地元の大学を出たとは聞いていたけど……。
『森田。野球やってないの?』
何気なくあたしは聞いた。
森田と言えば野球というイメージはあたしの中から離れない。
彼は体型もほとんど高校卒業した時と変わっていないから特にそんなことを思ってしまうのだろう。
『ああ。野球は高校までって決めてたからな』
『そうなの?』
『大学で続けるぐらいの実力はおれにはないよ。ただ……好きだから草野球のチームに入れてもらってるけど』
高校時代はエースで4番。
野球がそこまで強い学校ではなかったけど予選を2つ勝ち抜くことができたというのはすごいことだと思う。あたし個人としては森田は野球を続けた方が良いと思うのだけど、それは素人の意見なのだろう。
そんなに現実は甘くない……というやつだ。
『で、今……何やってるの??』
聞こうとして辞めたことを愛結が聞いた。
あたしが聞くのを辞めようと思ったのは、野球の話をしたときに森田が目をそらしたからだ。
自分のことは聞いてほしくないのだろう。
『今は……何もやってない。コンビニでバイトしてる……』
ため息交じりに森田は言った。
こんな話はしたくなかったのだろう。
正直に『コンビニのバイトをしている』と言ってしまうあたりが、森田の真面目な性格を物語っている。同じこと話すにしても気の良い義弘なら場が盛り下がらないようにもう少し笑いを交えながら自虐的な感じで話しただろう。
それだけ彼は今の自分の立ち位置に対して真剣に考えているのだろう。
『あのさ……』場がし――んとした中で、話し始めたのは鈴木浩平だった。
義弘ほどではないが鈴木も身体が大きい。学生時代はスポーツの類はやっていなかったがけっして運動神経がないわけではない。
『仕事って何すればいいのか分からなくない?』
『分からない?』
素っ頓狂な声を出したのは愛結。
美人が変な声を出しても美人には変わらないというところがうらやましい。
『ああ。だってよく『どんな仕事がしたいんだ?』とか聞かれるじゃん。みんなどう答えてる?』
『あたしはライターの仕事』
愛結が即答した。
その場にいた愛結以外の全員の顔が引きつるのが分かる。
あんたは黙ってた方が良いと思う。
『特にしたい仕事なんかないよね』
あたしはそう言った。そもそもあたしだってそんなに仕事をするのが好きではない。今の会社だって職場の人間関係が良好を通り越して、楽しいから続いているのである。この会社でがんばろうと思えるような職場にいるというのはなかなかないことなのかもしれない。
『何の仕事がしたい?』と問われてそれが即答できるのは知性の塊である愛結のような人か、もしくは現実の見えていない子供だけだろう。大人になれば自分ができることとできないことがなんとなく分かってくるから、その間で悩むのだ。
だから『したい仕事』はある。
でも『したい仕事』は逆立ちしても『就けない仕事』だったりもするのだ。
森田の場合がいい例だ。彼だって本音を言えば『プロ野球選手』と言いたいだろう。しかし自分の実力を考えるとそういうわけにもいかないのだ。
そもそも森田のようにやりたいことが目に見えている人はいい。
森田なら野球選手は無理だとしても、野球に係る何か他の仕事につけばいい。
例えばトレーナーとか、教員免許を取得してどこかの学校の野球部の監督になるとか……こんなあたしでもいくつかの選択肢を考えることができるのだ。
もっとも……森田が野球にかかわりたいと思っているかどうかは分からないが。
要はやりたいことが見えている人は、現実的にそれが無理でも、それに付随した道もあるということだ。
問題はやりたいことが見えない人である。
『そうなんだよね。俺も『したい仕事』って言われると困るんだよね。でも『したい仕事』でないと身が入らないというのもあるじゃん』
あたしから見てテーブルの向かいに座っている鈴木は言った。
確か……彼の家はうちと同じく農家だった。しかもけっこう大きな農家で代々この土地に根付いている家だったはずだ。
『浩平は今、何やってるん?』
鈴木の左隣に座っている城山孝志が言った。
今日、この同窓会に出席した全員が私服である中、城山だけはスーツで参加している。
聞けば『日曜日である今日も仕事だった』らしい。
『俺はフリーランスでできる仕事をちょいちょいネットで受けてる……でも実質は無職だわな』
『そうか……なんか悪いこと聞いちゃったな』
『いや。無職って言っても実家の畑仕事の手伝いやってるから、なんだろ……実際には農家やってることになるのかな?でも自分がやりたいというのとは違うんだよね。てゆうか城山は何やってんの?』
『俺は銀行員』
『お。半沢直樹だ』
ちゃかして鈴木が言ったが、城山は小さい声で『現実にはあんなことはできないよ』と言っただけだった。
『俺たちはどうすればいいんだろうな……』
だれかがつぶやいた。
誰だか分からないけど……たぶん俺と言っていたから男性陣のだれかではあると思うけど……。
『どうすればいい?』という問題に答えなどない。
ただ漠然と何も考えずに生きていくのは今のうちならいいだろう。でももう少し年齢がいってからのことを考えると、それではいけないのではないかという焦燥感をだれしもが感じてしまうのだろう。
姉や大聖寺雪子のような例外もいるが、あたしたちは基本的に毎日の生活の中で自分は将来どうすればいいのか?どうしたいのか?という疑問の答えが出ないとダメなんだという幻想にとらわれている。
『考えても分からないことは考えないようにしてる』
あたしはつぶやくようにしてみんなに言った。
そう。
あたしだって考えないわけじゃない。将来のこと。
このまま一人でずっといられるのだろうか。
このままこの会社で勤め続けてもいいのだろうか。
本当に自分がしたい生活ってどんなものなのだろうか。
考えても結論は出ない。
このまま一人で?
こればかりは相手のある問題だし、あたしは一人でもかまわない。
このままこの会社で?
特に問題ない。お給料もちゃんともらえている。生活の手段としては申し分がない。
本当に自分のしたい生活?
特にない。今のままで十分幸せだ。もちろん理想を言えばいろいろ出てくるだろう。しかし理想を追いかけすぎても仕方ない。
『でもなあ。俺みたいにコンビニのバイトしてると考えないようにって言っても考えざるおえないぜ』
森田はビールを一口呑んで言った。
顔は赤くなっているものの口調はしっかりしている。
『結論が出そうな時だけ考えてみたら?』
あたしは森田に言った。
結論が出ない時は考えない。結論が出そうになったら考えてみる。
考えないと言ってもまったく考えないようにできるわけではない。考えてしまうから悩むのだ。だから意識的に考えるのを辞めるようにして、悩むのを辞める。結論の出ない問題から自分を逃がすようにするのだ。
そんな風にしていれば……いつか良案が自分の中で生まれるかもしれない。その時こそ真剣に考えてみる。もしかしたらその時になればいい考えが浮かぶかもしれない。
結論を先延ばしにするということは何も悪いことではない。
即決しなければいけない問題があるのと同じく、先延ばしにしなければいけない問題もあるのだ。
『なるほど……』
『結論を急ぐのは30代後半ぐらいでも遅くないってうちの会社の先輩も言ってたよ』
うちの会社の先輩……
まあ、実は相談室の心音さんのことだが、彼女が口癖のように言っている考え方はいつしかあたしの考え方の一部になっている。
『じゃあさ。咲菜。あたしの場合はどうすればいい??』
ビールのジョッキをテーブルに置いて、愛結が食い気味にあたしに聞いてきた。
『いや……そうね……。愛結の場合はやりたいことがはっきりしてるんだよね……』
この後、あたしは、木野崎義弘と大聖寺雪子、そして姉以外のすべての参加者の悩みの相談に乗った。
いや……なんでこんなことを……と思いつつも断れずにすべての話を聞いたのだが、人の悩みを聞くというのはこんなにも疲れることとは知らなかった。
まったくもってあたしは故郷に帰ってきてまで来て何をやっていたのだろうか。




