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隣の二階堂さん  作者: 阪上克利


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恋が始まったのは本当なのか否か

 今日は会社の仲の良い同僚と飲み会である。


 仕事が終わった後、戸塚の焼き鳥屋で集合なのだが、目の前には図書館があるので、早めに行って図書館で本をいくつか物色しておく。今日は一度にたくさん借りてしまうと持っていく時にかさばるので1冊だけにするつもりで図書館に入った。

 図書館の中の本棚を見てみると借りたい本はたくさんあったのだが、中でも目を引いたのが先日借りた『赤いドラゴンの日常』の続編だ。

 タイトルが『赤いドラゴンと恋の物語』

 これにしよう。そう思ってすぐにカウンターに持っていき手続きをした。


 もう早く読みたくて仕方ない。


 あの赤毛で心優しいドラゴンのルージュに今度はどんな物語があるのだろうか。

 恋の物語とあるけど、彼女自身が恋愛するのは少し無理があると思うし……ちょっと先の展開が読めない……というか……深く考えると分かるのかもしれないけど、そういうことは読む前に予想するのは野暮というものなので考えない。


 甘いものでも食べながら、17歳の赤いドラゴンに再会できるのが実に楽しみだ。


 図書館を出て、腕時計を見ると時間は18時30分を回っていた。

 待ち合わせの時間は19時だけど、もう誰か来ているかもしれない。

 今日はあたしが幹事なのだ。


 あたしは焼き鳥屋に向かって歩いた。

 誘ったのは松沢さんと新入社員の葉山ちゃんだ。新入社員と言ってもすでに半年以上働いている葉山ちゃんは入社時からかなり落ち着いていて、下手をするとあたしの仕事のフォローをしてもらうことも少なくない。

 飲み会の趣旨としては、松沢さんの快気祝いを兼ねて飲みに行くことにしたわけだ。

 だけど、石岡くんを呼ぶよりは今日は女子だけで呑みに行くのもいいかな、と思ったわけである。


 焼き鳥屋にはすでに二人とも来ていた。


『ちょっと早いけど入ろうか』

 あたしが言うと二人とも賛成してくれた。

 夏の暑い一日を終えた夜は、1分でも早く冷たいビールにありつきたいというのが本音だろう。


 この焼き鳥屋は店内も少し広めに作られていてゆっくり飲むことができる。

 焼き鳥も美味しいけど他の肴もなかなか美味しい。

 個人的には焼き鳥だけでも十分満足なのだが、お店としてはお客さんのニーズにこたえるためにいろんな工夫をしているのだろう。

 あたしたちは奥の4人掛けの座敷に通された。

 夕方は足がむくむのでハイヒールが脱げるのがありがたい。


 座った途端に店員がやってくる。

『飲み物の注文だけ承っておきます』

『あ、じゃあ生ビール中ジョッキ3つで』

『はい、承知致しました』


 ビールはすぐにやってくるだろうけどそれまでの間に、すでになんらかの話で花が咲く。沈黙の時間が少ないというのは女子の特徴ではないだろうか。

 あたしは自分がそんなに話す方ではないので、よくそんなに話すことがあるなあ……と聞き役に徹することが多いのだが、よく考えてみれば、それは単に話題性がないだけなのかもしれない。


『はあ……』

 生ビールをほぼ一気飲みした松沢さんは小さなため息をついた。

『どうしたんですか?』

 少し浮かない顔をしている松沢さんを見て葉山ちゃんが言った。

 松沢さんが浮かない顔をしている時というのは、大体……恋の悩みだ。でも何の悩みがあるというのか。石岡くんとはうまく行っているはず……。


 まあ……確認はしていないけど。


『恋ってうまく行かないわよねえ……』

 松沢さんは相変わらず……浮かない顔をしながら言った。

 葉山ちゃんも聞かなきゃいいのに……。

 いつもの病気だって。

 実際の病気は治ってもこの手の病気は治らない。『恋の病は医者でも治せない』というのは本当の話なのだろう。まあ……どうせこの手の話には答えなどないのだから、他の話題に振って適当に流しとけばいいのだ。

『石岡さんと何かあったんですか?』

『何かあればいいんだけど何もないのよ……』


 なるほど。

 一応、あれから何らかの進展はあったわけね。

 いつもの浮ついた恋の話ではないわけだ。

 あたしは二人が話している間に店員をつかまえて冷酒を頼み、先に注文してやってきた煮魚をつつきながら二人のやり取りを黙って聞いた。


 あー。

 早く日本酒来ないかな。


『何もない? 喧嘩とかしちゃったとかですか?』

『喧嘩はしてたんだけど、一応……仲直りはしたのよ』

『なんか気まずい感じなんですか?』

『そう。なんかあれから気まずくて…………』

『こっちから話してみたらどうですか?』


 何の会話もない?

 てことはあれから何の進展もないのか?

 てゆうか、石岡くんも、あんな思わせぶりなことしておいて、ほったらかしにするのは酷いんじゃなかろうか。


『お待たせしました』

 店員が冷酒を持ってきた。


 あたしはやってきた冷やの日本酒を一口飲みながらそんなことを思った。

 清流のようなすがすがしさの中にほのかに香る米の香りが、煮魚の少し濃い味を綺麗に洗い流してくれる。後味もさわやかで、鼻には少しだけ日本酒の香りが残る。

 やっぱり『越乃景虎』は美味しい。

 普段は麦焼酎かビールばかり飲んでいるあたしだけど、たまには日本酒も飲む。

 特に魚を食べる時は日本酒が一番美味しいような気がする。


『そう思いません?』

 日本酒に夢中になって話を聞いていなかったあたしは明らかに動揺した。


 何?

 聞いてなかった。

 越乃景虎に夢中で何も聞いてなかった。


『え? ごめん……聞いてなかった……』

『いや、石岡さんのことですよ』

『石岡くん?』

『そう。ライラックの花言葉、彼……知らないんじゃないですか?』

 ああ……その話……。まだ終わってなかったのね。


 確かに石岡くんが花言葉に詳しいとは考え難い。

 それに花屋で購入した花であったとしてもだ……。あたしが買った花屋の店員さんのように親切で花言葉を教えてくれるとは限らない。


 いや……でもなあ……。

 松沢さんが恋に恋する体質であることは他ならぬ石岡くんは良く知っているわけだ。

 病気になって入院して気が弱くなっているところに、男性が花を持ってお見舞いに来てくれたら……


 まあ……あたしだったら何も思わない。


 だけど、松沢さんなら恋に落ちてしまうかもしれない。

『知らないかもしれないね。でもさ。花まで持って駆けつけてくれたんだからその後なんかあってもいいじゃん。あたしだってこうやって飲み会に誘ったんだし』

『そうよね。まあ、別に何もなくてもいいんだけどね……。石岡くんだし』

 松沢さんはやっぱり浮かない顔をして言った。


『いいんですか?!』

 葉山ちゃんが驚いたように言うと松沢さんは黙って首を縦に振った。

『ふうん……』


 相槌の打ち方に不自然さを覚えたのはあたしだけだろうか。

 葉山ちゃんは別に変なことを言ったわけでもない。

 いつもこんな感じだ。

 でもいつもの感じとはどこかが違った。

 どこが違うか……と言われるとちょっと分からない。

 もしかしたらあたしが酒に酔い始めているからかもしれないので……こういう感覚はあてにならないような気がしないでもない。


『あたし……石岡くん、かっこいいと思うんですよねえ』


 葉山ちゃんはとんでもないことを言いだした。

 彼女はけっこうな美人だ。

 身長はあたしや松沢さんより少し高く、肌も色白で……目はぱっちり二重だ。

 例えると水辺に咲くアヤメのような人である。


 彼女は普段は多くを語らないし、少しミステリアスなところがある。そんなところも含めて、社内の男子に人気があることは有名すぎる話だ。


『松沢さんがいいって言うなら、あたし……石岡さんに告白(アタック)してみよーかなー』


 え?

 まじで??

 別にいいけど。


『え?!』

 松沢さんは微妙な顔した。

 微妙……というより、はっきり嫌な顔をしていた。

 いや、そんなに嫌なら『まあ、いいんだけどね……』とか言わなければいいのに。

『いやだって、松沢さんも石岡さんも、お互いに付き合っていないって前も言ってたし……石岡さんって気遣いができるからいいなあって思ってたんですよ』

 あまりの爆弾発言にびっくりしてあたしと松沢さんは言葉が出なかった。そんなあたしたち二人を見て、楽しそうに葉山ちゃんは言った。


 確かに葉山ちゃんが言う通り、石岡くんは気遣いのできる人ではある。

 彼のちょっとした気遣いで、仕事が随分楽になることがある。彼は営業だが、時折違う部署の仕事も喜んで手伝っている。自分は営業だから営業しかしないということもない。

 誰かが調子が悪そうな顔をしているとすぐに声をかけるし、代わりに仕事を一緒にやってくれたりもする。もしかしたらあたしが風邪を引いて休んでいるときの仕事も手伝ってくれたのかもしれない。


『いや……いやいやいや……その……あの……』

 松沢さんは顔を真っ赤にして言葉にならない言葉をひねり出そうとしていた。


 分かりやすい人だ。

 そもそも彼女は間違いなく石岡くんのことが好きなのだ。

 それでもって石岡くんも彼女のことが好きなんだと思う。

 実に幸せな話だ。

 

 あたしはこの手の話にはまったく興味はない。

 でも当の本人たちが幸せなら何よりだ。

 たまに人の幸せが許せない人がいる。そういう人はやたら嫉妬して幸せな人を攻撃するのだ。

 

 なぜそんなことをするのだろうか。

 ちょっと意味が分からない。


 所詮、他人の話ではないか。

 他人の幸せに対して、面白くないと感じる意味があたしにはよく分からない。他人の幸せを羨んで意地悪したところで自分が幸せになれるわけではないのだ。むしろそんなことをすれば自己嫌悪に陥り、ますます自分は不幸になるということが分からないのだろうか。


 こんなことを思ってしまうのはあたしが恋愛に興味がないからかもしれない。


『どうしたんですか?』

 葉山ちゃんは松沢さんに言った。

 ビールを飲んで少し頬が赤く染まっている葉山ちゃんはとても綺麗だ。

 綺麗……というより妖艶という言葉の方がふさわしいような気もする。


 それにしても……。

 分かっているくせに……。

 葉山ちゃんも性格が悪いなあ。

 でも彼女は松沢さんに嫉妬しているわけではないだろう。

 葉山ちゃんが石岡くんのことが好きだとしても、それは自由だし、松沢さんが自分の気持ちに嘘をついて『石岡くんだし……いいか』なんていうからこんなことになるのだ。


 あたしは我関せずで日本酒を一口飲んだ。

 ん。美味しい。

 まあ、その話は好きにしてくれ。

 次は焼き鳥が食べたい。


『あの……葉山ちゃん。ゴメン。あたし……やっぱり……』

 松沢さんは歯切れが悪い。

 職場での彼女は歯切れよく話すし、職人としての手際も非常にいい。

 同じ人間が、話す内容によってここまで変わるというのは実に面白い。人間には二面性があるというのは実に本当の話なのだろう。


『石岡くんのことが……好き……みたい……』


 うん。

 知ってたよ。

 あ、焼き鳥来た。


『好きならはっきりさせた方がいいですよ。あたしみたいな人、多いと思います。石岡さん、外見だってかっこいいじゃないですか』

 葉山ちゃんは言った。そして、来たばかりの焼き鳥を素早く一本、手に取って口に運んだ。


 それ……あたしのつくね……。

 あたしは思わず葉山ちゃんの顔を見た。


 あ!


 たぶん、この顔は……。

 彼女が石岡くんに気があるというのは嘘だろう。

 葉山ちゃんは松沢さんのことを思ってそんな嘘をついたのだ。

 彼女は仕事熱心だし、彼女だって気遣いができる人だ。恋愛ジャンキーなのはたまにキズだが、それ以外は良い人なのだ。

 だから葉山ちゃんとしては彼女に幸せになってほしかったのだろう。

 

 それにしたって……

 石岡くんに告白って……


 葉山ちゃんはとんでもない魔女なのかもしれない。

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