怖いおじさんは非常識なおじさんなのか否か
仕事を終えて家に帰ると、玄関の前に大家さんがいた。
強面の大家さんだけど、実に優しい人だ。
大家さんはちょうどあたしの部屋か、お隣の春海ちゃんの部屋に行ったが留守だったので帰ってきたところだったようだ。
『あ、こんにちわ』
『お疲れ様、留守かと思ったけどちょうど良かった。これ……よかったら食べてよ』
大家さんが手渡してくれた袋の中にはタッパが二つ入っており、その中身はから揚げだった。
香ばしい、いい匂いがする。そしてけっこうな量がある……
『あ、言っとくけど、お隣の分もあるからね。一人で食べないように』
『あ……はい』
大家さんの軽口に思わず笑みがこぼれる。
お礼を言うと大家さんは早々にアパートの隣の自宅に帰っていった。
美味しそうなから揚げである。おそらく同居している娘の優里さんがたくさん作ってくれたのだろう。
親一人子一人の大家さん親子はとてもあたしたちアパートの住民に良くしてくれる。
独身の女とシングルマザーと言えば、何かと世間では弱い立場だ。そういうことを考えてか、こうやって親切にしてくれるのはありがたいことだし、こういう小さな親切を感じたときにあたしは幸せを感じる。
人は一人では生きていけない。
周りが自分を気遣ってくれるということを、たとえ些細なことでも感じることができるというのは幸せなことなのだ。
あたしはいい匂いのするから揚げをつまみたい衝動をぐっとこらえて自分の部屋に入った。
きっと一つ食べたら止まらなくなるだろう……。
手元に持っていると食べたくなるし、冷蔵庫を開けると冷たいビールが飲みたくなってしまう。火曜日の今夜は野球の試合があるから優里さんはお父さんのために揚げたのだろう。どうせ揚げるならたくさん作って持って行ってあげようという気持ちがありがたい。
そして揚げたて……というのも嬉しい。
粗熱があるから、冷蔵庫にはしばらく入れられないのは幸いだった。
冷蔵庫を開けてしまっては誘惑に勝つ自信があたしにはない。
あたしはから揚げを台所の食卓に置いた。
なるべくそちらを見ないようにし、なるべく匂いもかがないようにしながらお隣の帰りを待つことにする。
気持ちをそらすためにあたしは部屋着に着替えてベッドに寝転んだ。
シャワーでも浴びてしまおうかとも思ったのだが、風呂上りに冷蔵庫を開ける誘惑に勝てそうにないので着替えただけにしたのだ。
『ふうう……』
少し長めのため息をつく。
それにしても……最近では怖いおじさんがいなくなった。
ふと強面の大家のおじいさんの顔を思い出しながらそんなことを考えてみる。怖いおじさんは確かにいなくなった。子供が何か悪戯をしているとその場で怒ってくれるようなおじさんだ。
怖いといったが実際は怒られると怖いだけで、基本は子供好きの優しいおじさんなのだ。
昔はそんなおじさんがたくさんいたらしい。
実家の母がいつか笑いながらそんな話をしてくれた。
あたしが子供の頃にはもうそんな大人はあまりいなかった。
怖いおじさんはいなくなった。
でも非常識なおじさんは多くなったような気がする。
子供連れの女の人を『邪魔だ!』と言って叩いたり、赤ちゃんが泣いているのをみて母親に『静かにさせろ』と怒ったり……。
地震・雷・火事・親父といって昔は怖いものの代名詞だった親父も、今ではただの常識のないおじさんになりはててしまったと考えるとなんだかすこし悲しいものがある。
もちろんすべてのおじさんがそんな人ばかりではない。大家さんみたいにいい人もいる。
ただ……自分より弱いものを見つけては何かにつけて脅しつけて、自尊心を保とうとするなんて最低だと思う。
う――ん……
少し考えて『ふううう』と長いため息をつく。
廊下から『夕焼け小焼け』が聞こえてくる。お隣さんが帰ってきた。
よし。大家さんにもらったから揚げを届けよう。絶対に美味しいはずだ。
自分より弱い立場を慮り、親切に接する。
大家さんはとても立派だ。
あたしもできればそういう人間になりたい。




